第33話 精霊の森
「今日は精霊が現れたという森に行ってみようよ」
子爵家の屋敷に滞在しているミオッカが、エアとレキに言った。
「姉ちゃんの親父さんに会いたいってことなのかい?」
「うん。狩りもするつもりだけどね。この屋敷にお世話になっているから、いくらかは獲物を渡しておきたいし。鳥か鹿がいいと思うんだよ」
血縁関係があるとはいえ、会ったばかりの伯父に甘えるわけにはいかないと考えるあたりが、まだ若いとはいえ一人前の狩人であるミオッカのしっかりしたところである。
「精霊に会えたなら、身重の母さんが困っていたのにどうして放置していたのかを聞きたいんだ。できることならそいつに責任を取らせるつもりだ。と言っても、会えるかどうかわからないけどね。なにしろ相手は精霊なんだからさ」
ミオッカにとって、精霊などいるかいないかよくわからない存在だ。もしかすると、すべてメイニャの妄想だった可能性もある。だが、メイニャがミオッカを産むまで2年間も妊娠していたというのは不思議な話だ。
さらに、メイニャは貴族の令嬢の身の上なのに赤子を守るために出奔し、かなりの長距離を旅してナト村の近くに辿り着くなどという、心も身体もかなり強い女性だ。そんな彼女が、現実に嫌なことがあったからといって妄想に逃げるような性格とは思えないのだ。
「とにかく森に行ってみようよ、考えていても獲物は手に入らないからね」
ということで、狩りの支度をした三人は走って森へと向かった。エアはいつものように荷車を引いて、森の入り口に置いた。
「やっぱり森は落ち着くねえ」
木々の中を進みながらそう言うミオッカに、レキが笑いながら「もしかすると、姉ちゃんの父ちゃんは森の精霊ってやつなのかもね」と言った。
「それとも、狩人の父ちゃんとずっと森にいたから、森が好きになったのかな?」
「ああ、そっちかもしれないね。父さんのことを思うと、木や草や苔や、湧き水の匂いがするんだよ。レキはいろんなことを考え出せて、本当に頭がいいね」
隣りを歩くレキの頭を撫でると、彼は嬉しそうに「へへっ」と笑った。
物心ついてすぐに見せもの一座に拾われたレキは、これほど無条件で可愛がられた記憶がない。お金になるかどうかがその価値であったし、大人からは殴られることの方がずっと多かったのだ。
ミオッカの子分になってからは、すぐに褒めてもらえるし、こうして家族のように頭を撫でてもらえる。もちろん、失敗したからといって暴力を振るわれることもない。ミオッカは子どもは失敗を重ねて育っていくものだと考えているのだ。
そしてそんなミオッカを見習って、エアも『一の子分の務め』だと言いながら、ぎこちなさはあるものの一緒になってレキを甘やかしてくれる。
最初は戸惑ったのだが、ミオッカにもエアにもまったく他意がないどころか、思いやりに溢れていることを感じ取ったレキは、今は安心して心を委ねていた。
「母さんはどこで精霊と会ったのかな? エア、恋人同士の逢い引きってどんな場所でするか、知ってる?」
「逢い引き……ですか……」
エアは考え込んでしまった。「逢い引き、逢い引き」と言いながら、ロマンチックなパッセージを爪弾くが、どうもピンと来ないらしい。
「ううん……野営しやすそうな場所とか? 居心地がいいと思うんだけど……逢い引きって、何をするんだっけ? 動物の子作りと一緒なのかな? だとすると、猛獣がいない安全な……洞窟の中とか?」
ミオッカも考え込んでしまった。
どうやらこのふたりには、まだ恋愛に関する情緒が足りていないようだ。
そして、この三人の中で一番世間を知っているレキだが、やはりまだ痩せたちびっ子でしかないので「やっぱり、あったかい場所じゃねえのか? 火を起こすのにいい場所とか」などと呟いている。
「精霊って、どんなところにいるんだろうね。っていうか、俺は思うんだけどさ、姉ちゃんの父ちゃんは音楽に関する精霊のような気がするんだよね。音に関する……水とか火とか岩とか、そういうんじゃなくてさ……」
その時、三人の周りに風が吹いた。レキが「そうだよ、風が遠くの音を届けるものだから、風かもね」と言うと、タイミング良く風に揺らされた木々の葉がザザッと鳴った。
「居心地が良くて、風が吹き抜けるような場所を探そうぜ」
「なるほどね」
「風は歌を運ぶ乗り物です」
ミオッカもエアも、デートの場所にまったく心当たりがなかったので、素直に頷いた。
「ここ、逢い引きにいいんじゃねえか?」
森の奥にある陽だまりに向かって、レキが走った。
「あったかいし、明るくて気持ちのいい風が吹いてるぜ。昼寝にもぴったりだ」
そこには柔らかな草が生えていたので、レキは寝転がって木々の間から見える青空を見上げた。ミオッカとエアもやってきて、腰をおろす。
「こんな場所があるんだね。自然にできたところなのかな」
「いい場所ですね。歌を歌うのにもいいところですよ」
エアが、お姫様と騎士のロマンチックなラブソングの前奏を弾いたので、ミオッカが「わかっているじゃないか」と笑って、歌を乗せた。
もう秋も深まっているのに、陽の光が差してぽかぽか暖かい。レキは目をつぶってふたりの演奏に聴き入った。
(これは最高の贅沢だな)
見せもの一座にいたせいで、音楽に対する耳が肥えているレキは、ふたりの奏でる音楽が大好きだった。ラブソングも、勇ましい歌も、子守唄も、神に捧げるヨーレイも、みんなみんなレキの心の栄養だ。
(俺、死ぬ時は姉ちゃんの歌を聴きながら死にたいな……)
そんな子どもらしからぬことすら考えながら、音楽に身を委ねていたレキは、不意に妙な気配を感じて目を開き、そのまま悲鳴をあげて飛び起きた。
「なんだありゃ!?」
レキのすごいところは、すぐにミオッカを背に庇うところだ。
「生首だ! 姉ちゃん、宙に顔が浮いてるぜ!」
レキはすでに、腰のナイフを抜いている。そして、何もない空間に浮かんだ顔に向かって「何者だ!」と叫んだ。
「レキ、落ち着くんだ。アレからは悪い感じはしないよ」
ミオッカはレキの肩に手を置いた。エアも、少し驚いてはいるがレキのような反応はしていない。
「あの顔、ミオに似ている気がします」
エアはそう言ってから、穏やかなパッセージを奏でた。
「もしかすると、ミオのお父さんですか?」




