第30話 ヘールナダ聖教国
「言っておくけどね、伯父さん。今の母さんはここから離れた土地で結婚して幸せに暮らしているから、妙な手出しはしないでおくれよ。母さんは今さら貴族の家に関わろうとは思っちゃいないし、それに関してはわたしもそうだよ。エイリナを助けるための情報が欲しいだけで、その後はきっぱりと縁を切るから安心しておくれよ」
ミオッカの言葉を聞いたクローニー子爵とガードナーは、疑わしげにミオッカを見た。
「それは本当か? 君は貴族の暮らしをしてみたいと思わないのか?」
ここは子爵家の屋敷なので、石の塀に囲まれた敷地内には噴水のある庭園もあるし、建物も大きく立派なものだ。屋内には先祖の功績をモチーフにしたタペストリーが飾られ、梁や柱には優美な模様が刻み込まれているし、彫刻や絵画といった美術品も飾られている。
僻地で暮らしていたミオッカにとっては、当然のことながら豪華すぎる屋敷なのだが、彼女は少し眉を上げたくらいで気圧される様子もなく、この屋敷に足を踏み入れている。
ここに呼び出された多くの演奏家が、脚をガクガク震わせることも少なくないというのに、尋常でない肝の据わり方だ。
ちなみに、竪琴を持ったエアもいつものようににこにこしながらミオッカのあとについてきたし、ミオッカに全幅の信頼を置いているレキは、いざという時にはミオッカの盾となることだけを考えて、こちらもいつもと変わらずにミオッカの隣りを歩き、注意深く辺りを窺っている。
クローニー子爵もガードナーも、ベールの歌姫一行は他の演奏家たちとはわけが違うことに気づいているが、だからといって貴族としての権利を主張しないとは考えなかった。
そして、彼女が本当にメイニャ・クローニーの娘だというのならば、それなりの対応をするつもりでいた。貴族は血筋を大変重んじるものなのだ。
だが、ミオッカははっきりとした口調で言った。
「わたしを育ててくれた父さんは、血の繋がりはないけれど、一人前の狩人として鍛えてくれたんだ。わたしは自分が狩人であることにも、父さんの子どもであることにも誇りを持っている。だから、狩人としての人生を選ぶよ。それから、今のわたしには、エアとレキという子分がいる。つまり、このふたりはわたしの家族も同然だし、親分として彼らを一人前にする義務もあるんだ」
エアとレキが力強く頷き、とても嬉しそうにミオッカを見たので、子爵とガードナーは『この少女はまだ年若いのに、なんと懐が深くしっかりとしたリーダーなのだ』と感心した。子爵の心の中で『ミオッカを、クローニー家に引き入れたら……』という欲が生まれたが、察しのいい彼女に「だから、関わるつもりはないからね!」と釘を刺されて諦めた。
たとえ貴族であろうとも、熊を狩れるほど腕のいい狩人を敵に回したくない。
「そうか。まあ、もしも気が変わるようなことがあれば……」
「伯父さん、今したいのはその話じゃないんだよ。だから、とっとと知ってることを教えておくれ」
子爵は圧をかけてくる狩人の少女に気押されて、苦笑した。
「どうだい、変な服の男たちに心当たりは?」
「そうだな。話にあったその服装は、ヘールナダ聖教国の僧が身につける装束に似ているが……だが、僧侶がそのような荒っぽい真似をするだろうか?」
「そうですね、黒と白と灰色を使った服は、ヘールナダの僧服の特徴ですが、女性を害したり、人を攫おうとするとは考えにくいです」
子爵とガードナーはそう言ったが、レキは「姉ちゃん、僧侶だからこそそういうことをするんじゃねえかなあ。宗教に傾倒したやつは、正義の名の下になんでもやらかすからタチが悪いんだよな」とミオッカに言った。
「聖なる乙女がどうとかって言っていたんだろう? いかにも宗教っぽいじゃねえか」
「そうだね、レキの言う通りかもしれないね。ヘールナダ聖教国か。伯父さん、そいつらはなにを信仰しているんだい?」
「何柱かの神々と……ああ、聖獣とかで、竜も崇めていたかと思う」
「竜か! ってことは、そいつらなら竜の鱗を集めていてもおかしくないね。当たりのようだ、さっそくヘールナダ聖教国に向かおう」
ミオッカが「情報をありがとう。じゃあね、もう会うことはないけど、うちに帰ったら、伯父さんは母さんを殺そうとしてなかったことを伝えておくね」とエアとレキを連れて帰ろうとする。
そこを子爵に「待て待て」と止められた。
「ヘールナダ聖教国は、我が国と敵対はしていないが癖の強い国だ。伝手がないと入国が難しいぞ」
「音楽家でも無理?」
「難しいな……この国で名を上げて、それが聖教国に伝わるようになれば入れるかもしれないが。時間をもらえれば、うちと交流のある商人に紹介することができるかもしれない。商隊に同行すれば入りやすいだろう」
とりあえず、今日のところはこの屋敷に泊まるといいと勧められたので、三人はお邪魔をして夕食の熊料理もご馳走になることにした。
「食後に、演奏をしてくれ。肝心の演奏なしで帰られたらこちらはがっかりだぞ」
「それもそうだね」
エイリナを助ける手がかりが見つかったので、少し安心した様子のミオッカは機嫌良く言った。
と、客間の扉が開いた。
「お父様、『ベールの歌姫』が来ているんですって?」
「ヒルディアンヌ! 無作法だぞ」
入って来たのは、柔らかな薄紅色の豪奢なドレスを着た、まだ幼い少女だ。彼女は父親に叱られてもぷんとそっぽを向き「演奏が終わってしまったら寂しいから、急いでお勉強を済ませてまいりましたのに、お父様は冷たいわ!」と文句を言った。
金髪に青い瞳をした十三〜四くらいの少女は、髪と目の色が同じだし、エイリナに顔貌も背格好も似ていたので、ミオッカは可愛い妹を思い出して柔らかな表情になる。
「それで、あなた方がそうなのかしら? ……まあ」
ヒルディアンヌと呼ばれた少女は、エアの姿を見て驚いた顔になる。すらりと背が高く、美しい金の髪に金色の瞳を持つ彼は、目鼻立ちが整っていて、その外見に心を惹かれる女性も多い。
「あなたは竪琴弾きなのね」
「そうです。ミオの歌の伴奏が得意です」
そう答えると、夕暮れ時に似合うロマンチックな曲のイントロをさらっと弾いて、笑顔で少女に頷いた。
彼女の顔が真っ赤になった。




