第2話 異変
ミオッカとレットクは黙々と森を進んだ。秋の祭りに備えて多めの肉が必要なので、今日は大物を狙っている。
柑橘系果実のリモの搾り汁やハーブや岩塩などを合わせた調味液に漬け込んだ肉や、煙で燻した肉を作るには、しっかりした肉質の鹿肉や猪肉がいい。これから迎える厳しい冬も、保存加工した肉があれば飢えることはなくなるので、祭りの後にもまた狩りに出ることになるだろう。
この父娘は腕利きの狩人で、小さな村の人々に充分行き渡る獲物を狩ってくるため、ミオッカの一家は村で尊敬されている。
初日には獲物が見つからずひと晩を森の中で過ごすことになったが、翌朝に守備良く猪を見つけて川の近くに誘き寄せて仕留めることができた。素早く喉を切り裂いて煮えるように熱い血を抜き、腹から内臓も取り出して土に埋めてから、手近な木を切ってソリを作りそこに乗せて川まで運ぶ。
「ミオッカは力があるな」
黙々と引くミオッカのおかげで、重い猪を載せたソリは森の中を進んでいく。
「うん、わたしはかなりの力持ちのようだ。父さんに似たのかな」
「……俺よりも力持ちかもしれんぞ」
レットクは、森に入るたびに運搬が楽になっていくことに驚いていた。
(ほとんどひとりでソリを引いていないか? 日増しに成長していくが、この子はまだ十六の娘なんだぞ……)
さほど筋肉がついているようには見えないのに、バネのような強靭な身体を持つミオッカは同年代の少女と比べものにならない体力を持っている。もしかすると、年頃の少年でも敵わないかもしれない。
「父さん、もうそろそろ歌ってもいいかな」
「そうだな」
森を抜けたので、ミオッカは獲物を与えてくれた猪の神への感謝の歌を口ずさむ。彼らの神は難しい言葉よりも素直な喜びを好むので、単純な言い回しの童謡のような歌を数回歌った。
こうして感謝を捧げることで、人が命を奪う罪を赦され呪いを受けずに狩りを続けることができる。生きるために命を奪うことに常に真剣に向き合うのが、狩人にとってとても大切なことなのである。
少しトーンの低い落ち着いた歌声を聴きながら、レットクはソリから獲物を下ろした。ミオッカも歌を続けながら手伝う。
「ホーレイ、ホーレイ、ホーレイヨー」
歌の最後をお決まりの祈りの言葉『ホーレイ』でしめると、ふたりは川に入って猪を引きずった。この時期の川はひどく冷たくて、サンダル履きの足は針に刺されたように痛んだ。
ふたりは寒さを堪えながらロープでくくった猪の身体を川に沈めた。
大物はふたりでは持ち帰ることが難しいし、狩った動物は血を抜いて、すぐに身体を冷やさないと傷みやすくなる。毛皮についた害虫も、凍えそうなくらいに冷たい川の水に浸かると弱るので都合がいい。
こうして冷やした猪は、翌日に手伝いの村人たちと共に改めてやってきてから河原で解体し、肉や皮、骨を手分けして背負って戻るのだ。
「これで祭りのご馳走は大丈夫だな」
「そうだね。母さんの漬け込んだ猪肉は美味しいから、楽しみだよ」
「ミオッカは、晴れ着は本当に要らないのか?」
彼女は鼻に皺を寄せて「要らないね。どうせまた男役で踊るだろうし、飾った姿は動きにくいから好かないんだよ」と言った。
ひょろりと背の高いミオッカと一緒に踊りたがる若者は、残念ながらこの村にはいない。人気があるのはエイリナのような、可愛らしくて家庭的な少女なのだ。ちなみに、ミオッカは村の少女たちには大人気なので、違った意味で祭りで引っ張りだこになる。
「わたしのことはいいからさ、その分、エイリナに綺麗な格好をさせてやろうよ。あの子の金の髪に飾る花は何がいいかな? なんなら三色くらいのやつを派手に飾りつけてやろうか。あの子の笑顔は花よりも華やかで芳しいからどんなに飾っても負けないだろうけど、悪い虫が近寄ってきたらいけないから、父さんはちゃんと見張ってるんだよ?」
「おいおい」
「そろそろ結婚したがる男が出てくるだろうけど、あの子はまだ十四の子どもで充分分別がついているとは言えないからね。恋に浮かされて変な奴に捕まらないように、保護者がにらみを効かせておかなくちゃ」
「どっちが父親だよ……」
ふたりはエイリナが欲しがっているマーグの実を集めてから、家に戻ることにした。
「今晩のおかずに、ウサギでも狩れればなあ」
探したが、付近にウサギはいなかったので、諦めて帰ることにする。幸い甘酸っぱいスグリの実が熟れていたので、蜂蜜と煮てジャムにしようと父娘で摘んだ。
ふたりが村に戻ると、雰囲気がおかしかった。
「レットク、ようやく帰ってきたか!」
村の入り口で、脚の悪いお爺が杖を振り回して、いつにない大きな声で言った。
「なんだ、こんなところに立って。『ようやく』って言うが、俺たちはたったの一日しか留守にしていないだろうが……」
「いいから、早く、家に戻るんじゃあ。変な奴らが来ておるぞ」
「なんだと?」
お爺にそう告げられて、顔をこわばらせたレットクは粗末な家へと駆けて行く。ミオッカもその後に続いた。彼らの家は村の集落から離れた森に近い場所にある。獣から家を守るために周りを太い丸太の柵が囲んでいるが、その外には見慣れぬ馬車が停まっていた。
家からは、女の悲鳴が聞こえた。
「いやああああーっ、エイリナ! エイリナ! ああ、神様、エイリナをお助けください!」
「父さん、何かあったんだ!」
ミオッカの家から、黒と白と灰色の布でできた、質がいいがどこか気味の悪さのようなものを感じるデザインの服を着た男たちが五人、慌てて出てくるところだった。
「こんなことになるとは、話が違うではないか!」
「だが、この家で間違いがないはずだ」
「確かに『風の月、前十二』に誕生したと、本人も言っていたではないか。なのになぜ、こんなことに」
「失敗の報告を持って帰るわけにはいかない」
「しかし、もう欠片は使ってしまったからどうすることもできぬぞ」
レットクは怪しい男たちの前に出ると剣の柄に手をかけて「お前たちは何者だ? うちの家族に何をした?」と厳しい声で問いただした。
「おまえはこの家の者か? 我らは聖なる乙女を迎えに来た。娘の生まれた日は確かに……」
「父さんどいて」
ミオッカは男たちに体当たりをして強制的にどけると、家の中に入り、立ち尽くした。
「……なんだよこれは?」
「エイリナ、エイリナ、ああ、誰かこの子を助けてやって、ここから出してやってちょうだい!」
二間しかない家の、居間兼食堂兼台所の真ん中に、半透明の繭のような物が宙に浮かんでいた。乳白色と、淡い水色でできた、美しい光沢を持つ繭の中には、微笑みを浮かべた少女が横たわっている。
「エイリナ? どうしてこんな物の中に入ってるんだ?」
ミオッカは繭に手をかけてこじ開けようとしたが、弾力があるのに強靭な繭には爪も立たない。
「エイリナ! どうしたの、起きて! 目を覚まして! 母さん、これはどうしたことなんだ?」
「わからないの、このうちの娘を迎えに来たとかなんとか言って、やって来た男たちが瓶のようなものを開けたら、エイリナの身体がキラキラしたもので包まれて、そうしたらこんなことに……ああ、エイリナ……」
震えるメイニャは立っていられなくなり、床に崩れ落ちた。
ミオッカは外に出て、手近な謎の男の胸ぐらを掴んだ。
「おい、おまえたち! エイリナをこの中から出せ! 変な真似をするとただではおかないぞ!」
ものすごい力で吊し上げられた男は、苦しそうにもがきながら「違う、こんなことになるなんて、予想していなかったのだ!」とうめいた。




