第13話 少年レキ
ミオッカが足元の子どもを見下ろしていると、ソーセージパンを両手に持ったエアが追いついた。
「ミオ、大丈夫ですか?」
「うん、平気。すりをやってる子に財布をすられたんだけど取り返したよ」
「すられた?」
「そう。すりっていうのはね、身体にぶつかって他人の財布を奪い取る、良くない行動だよ」
「それは、泥棒ですね。ミオのものを盗んだとは驚きです」
エアは感心したように、下に転がっている子どもを見た。
「すりというのはとても良くないと思いますが、しまっておいたミオの財布を取って逃げられたということは、この子はそれなりに腕が良いとも言えますね」
「わたしを狙う辺りで未熟者だと思うけど、子どもにしては手慣れていると言うか……センスがあるよ。才能の無駄遣いだ。ちゃんと修業をしたら良い狩人になれただろうに、残念だね」
ミオッカが弓で子どもをつついた。
「あんた、寒くておなかが空いてるって言ったね。親はごはんをくれないのかい?」
子どもは「はんっ、そんなものいねーよ。いたらここでこんなことをしてねーよ」と、大の字のままで答えた。
「うちはどこ?」
「だから、ねーってば」
「どこに住んでるのさ」
「……夜は、適当にその辺で寝てる」
ミオッカは「つまり、あんたは孤児ってことなのかな? 悪い大人にそそのかされてスリを働いたわけではないんだね」と子どもに言った。
「ああ、そうさ。働きたくても俺みたいな孤児にはまともな仕事なんてない。犯罪の片棒をかつがされるのが落ちさ。寒さが増してきて、なのに食べるものも着るものもなくて、このままじゃあとは死ぬしかなかったから、悪いことだとわかってあんたの財布を狙ったんだ」
ミオッカが子どもの目を見ると、そこには絶望すら残らない虚無の光があった。
「もうどうでもいいや、俺なんて生きていてもいいことなんかないし。あんた、俺の命を取るんだろう? ひと思いにやっちゃってくれよ。じわじわと死ぬよりかはずっとましだから」
それを聞いたミオッカは、ため息をひとつついた。
「そいつは投げやりにもなるよね。よし、それならあんたの命を貰うとするか。名前はなんていうんだい? 歳は?」
「そんなことを聞いてどうするんだよ」
「いいから答えるんだよ」
「……名前は、レキ。歳は十二だ」
ミオッカは驚いて目を見開いた。
「嘘だろう、そんなにちびっちゃいのに十二歳だなんて!」
「悪かったな! ちゃんと食いもんがあれば俺だってもっとデカく育ってたよ!」
ミオッカはボロボロの服からのぞく細い手首と足首を見た。そして「確かに、レキには肉が足りていなかったようだね」と言った。
焦点を失いかけた子どもの瞳が、ミオッカの顔を見た。
「なんだい?」
ミオッカの問いに、レキは弱々しく答えた。
「……俺の名前を、誰かが呼ぶのを……すごく久しぶりに聞いたなって思って……」
それを聞いたミオッカは、顔をしかめた。この男の子がどれだけ孤独な毎日を過ごしてきたのかを察したのだ。
「そうか。それじゃあレキ、今からあんたはわたしの子分になるんだよ」
「へっ?」
「命を貰うって言っただろう? このわたしから財布をすった償いに、わたしの子分になって生きろ。子分になったからにはちゃんとごはんを食べさせてやるからね、任せておきな」
「いや、いやいや、あんた、いったい何を言ってるんだ?」
ミオッカの言葉を聞いて動揺したレキは、慌てて立ち上がったが、先ほど言ったようにさっきのスリ行為は最後の力を振り絞っていたらしく、ふらりと倒れそうになる。それを、ソーセージパンをミオッカに渡したエアが手を伸ばして支えた。そのまま襟首を掴んで、半ば強制的に立たせている。
「おい、なにをしやがる」
「レキは新しい子分ですね。わたしはミオの一の子分のエアです。一番役に立つ、使える子分はわたしですからね、しっかりと覚えておきなさい」
「なんだよ、キラッキラした見た目で偉そうで、変な奴だな」
子猫のように持ち上げられているレキの手に、ミオッカがソーセージパンを持たせた。
「そら、これを食べなよ。自分で歩けない子分なんてどうにもならないからね」
「これ……」
レキは、まだ温かい、暴力的なまでにいい匂いを放つソーセージパンを見て、ごくりと唾を飲み込んだ。
「わたしの名はミオッカ、十六歳の狩人だ。そっちはエア。わたしの子分になると決めたなら、それを食べろ」
「……本当に、食ってもいいのか?」
「いい。わたしは親分だから、子分を飢えさせたりしないよ。これからレキを太らせて大きくしてやるんだ」
レキはミオッカの瞳をじっと見つめてから、ソーセージパンにかぶりついた。
「うっま……」
何度も噛んで、また口いっぱいに頬張る。口の中に肉汁が溢れて、炒めた野菜の甘みと香ばしい小麦の香りがするパンの旨みが口から鼻へと抜けていく。
レキは涙をひとつ溢して「辛いよ、これ」と文句を言った。
「辛いソースをいっぱい塗ってもらったんだよ。美味いかい?」
「辛い、辛いよ……から……」
レキはぽろぽろと涙を溢ししゃくりあげながら、ソーセージパンを平らげた。ミオッカとエアは「子どもには辛すぎたよね」「そうですよね、でも今はこれしか食べ物がないから仕方がないです」と言って、さりげなくレキの流した涙を辛さのせいにした。
先ほどまでは、追い詰められて犯罪に手を出したせいかキリキリしていた少年レキであったが、さらにもうひとつソーセージパンを食べさせてもらい、今度はおなかが膨れて動きにくくなったところを力持ちのエアに抱っこされてしまい、別人のようにおとなしくなった。満腹になったら、どっと疲れが出て眠くなってしまったようだ。
その姿を見たミオッカは『餌付けされた仔虎のようだな』と内心でおかしくなったが、新入りに親分としての威厳を見せつけなければならないので、厳しい顔つきを保とうと努力した。
「レキ、狩人としての第一歩はなんだと思う?」
ミオッカの言葉に、レキは目をこすりながら「獲物を見つける目の良さ、かな?」と答えた。反応の良さにミオッカは微笑む。
「そうだな、それも大切な要素だ。けれど、その前にやらなければならないのは、身体の臭いを消すことだ」
「!」
思い当たるレキは、身体をびくりとさせた。そして、清潔でいい匂いがするエアに抱かれていることに、改めて羞恥心を覚える。
「獲物を見つける前に臭いで気づかれてしまったら、狩りにならないからな。というわけで、そのボロボロの服は洗ったら分解するだろうから、新しい服を買ってやる。そうしたら、井戸のところで丸洗いだ」
「……はい」
消沈した子どもが哀れになったのか、エアは先輩子分として「わたしも最初に丸洗いされました。狩人の心得は、身体の清潔を保つことなので、レキはわたしが責任を持って洗ってやりますね」と声をかけた。




