第11話 次の町
翌朝、日の出と共に目を覚ましたミオッカとエアは、村長の家に顔を出した。
「おはよう、おふたりさん。パンとスープができているよ」
早起きな村長の妻が朝食を用意しておいてくれたので、遠慮なくご馳走になる。彼女はミオッカたちのために干した果物をどっさりと、固く焼いたパン、そして昨日の残りの肉をパンに挟んだものをくれた。
「気をつけてお行きよ。辺境都市に向かうんだろう? ここから三日はかかるからね」
「ありがとう」
「あんたたちの音楽は、きっと町で人気が出ると思うよ」
人の良さそうな村長の妻は、ふたりが音楽で身を立てるために旅に出たと思っている。エイリナのことを話していないので、おそらくこの村のほとんどの者がそう思っているはずだ。
「パンや肉は身体の栄養だけど、あんたたちの演奏は心の栄養になるんだね。有名になっても、またこの村に来て音楽を聴かせておくれよ」
「奥さん、いいことを言っておくれだね! うん、喜んでもらえるなら、またやってくるよ。わたしたちはもう出発するけど、他のみんなにもよろしく伝えておいてね」
「ああ、わかったよ」
ミオッカたちが外に出ると、早起きの子どもが何人かやってきて、村の外れまで見送りに来てくれた。
「わざわざ見送りに来てくれたんだね、ありがとう」
「ミオッカ姉ちゃん、楽師の兄ちゃん、また来てね」
「絶対、来てよ! それでまた歌を聴かせてよ」
「美味しいお肉も頼むよ」
「わかった、わかった」
ミオッカが子どもたちの頭を順番に撫でると、それを見ていたエアも真似をして頭を撫で始めた。子どもたちは、素晴らしい音楽を演奏する(そして美味しいお肉をたっぷり持って来てくれた)ふたりのことが大好きだったので、嬉しそうなくすぐったそうな顔をして笑った。
何度も振り返り、子どもたちに手を振ってダラーの村を後にしたふたりは、辺境都市イゼルへと向かった。辺境都市と言っても少し大きい町なのだが、イゼルはこの辺りからはいくつかの村と町が道でつながってくるその中心となる。
この地方の領主が住むクローリー領主都市、つまりメイニャの実家であるクローリー子爵家が住む町は、イゼルの向こう側にある。
幸いなことに追い剥ぎに襲われることもなく、ミオッカとエアは順調に旅を続けた。ミオッカは親分として、あまり常識を知らないエアに自分の知識を伝え教えた。レットクに習った狩りの心得も、野営の知識も、戦い方も言葉も教えた。夜には焚き火の前で知っている歌を歌って聴かせた。それはまるで親鳥が雛に飛び方を教えている姿のようだった。
「なんだかんだ言ってもさ、わたしは父さんと母さんからたくさんのものを受け継いでいるんだよ。もちろん、お婆からもね。母さんがわたしに冷たかったのも、訳を聞いたらそりゃ仕方がなかったなと思わないこともない……正直、納得しきれない気持ちもあるよ。でもさ、人の心ってのは自分ですら思い通りにはならないもんだしさ、悪かったって謝ってもらったからこのあたりで手を打つよ。わたしはもう、十六なんだから。子どもじゃないんだ」
エアはミオッカの話を黙って聞いていた。
「わたしはエアに、たくさんのものを渡せたらいいなと思うんだ。初めての子分だからね」
「はい、ありがとうございます。ミオは素晴らしい親分です、ミオの子分になれて本当によかったと思います」
立派な子分になりたいエアは、懸命にミオッカの教えを受け取り、高い理解力と元々の運動能力も相まってめきめきと力をつけていく。話し方も目に見えて流暢になっていった。
「エアはとても勉強熱心な子分だね」
ミオッカは、彼のことを頻繁に褒めた。そして、頭を撫でた。その度にエアは、まるで天国の甘露を味わっているかのように、喜びに満ちた表情になる。
「わたしは役に立つ子分になって、いつまでもミオと一緒にいたいです。ミオのために、なんでもできるようになりたいのです」
「おやおや、それは素晴らしい心掛けだよ」
「わたしはミオの子分で『騎士』で『護り手』で『大いなる保護人』になります」
子分以外はミオッカの歌の登場人物だ。ミオッカは『すっかり懐かれてしまったね。でも、エアはまだまだ心配なところがあるから、しばらくは親分としてしっかりと見てやらなくちゃいけないね』と思いながら、旅の相棒の笑顔を見た。
そうしているうちに、とうとう辺境都市のイゼルに到着した。辺境の地なので豊かな森が近くにあり、農村からの収穫物や狩りの獲物などが集まってくる活発な町だ。
小さな村とは違って入り口には門があり、身分証を持たないものが町の中に入るには、怪しいところがないか警備兵に調べられる。
ミオッカは、このイゼルの町にもレットクと共に何回か訪れているので、ナトの村人である身分証を持っていたが、エアにはない。
ここにくる途中に狩ってきた、血抜きが済んだ巨大な雁を五羽ずつ担いだミオッカとエアはかなり目立っていた。だが、その姿から狩人だということがすぐにわかるせいか、門番もさほど警戒をしていないようだ。
ミオッカの身分証を見て「なるほど、ナト村の狩人か」とうなずき、それから笑顔で雁を見せてアピールするエアを見て眉をひそめた。
透けるような肌に長い金の髪、そして金色の瞳をした美麗な外見は、とても狩人には思えないからだ。
「門番さん、これはわたしの子分でエアっていうんだけど、身分証はまだ作っていないんだよ」
「子分だって?」
門番は、「はい、わたしはミオッカの子分です。いろいろなことを習っています」とにこにこしながら話すエアを、胡散臭げに見た。
「この雁も、エアが狩ったんだよ。だから狩人として登録しようと思うんだけど」
「はあ? ……ちょっと待て、その話には無理がある。あっちの兵士に相談するんだ」
エアの手首に『身分証なし』を表す赤い紐が結ばれて、門番の合図でやって来た警備兵に引き渡された。もちろん、親分としてミオッカも同行する。
「おまえ、出身はどこだ? まさか、貴族じゃなかろうな」
村人にしては容姿が整いすぎているエアをどう扱うべきか、悩んでいるようだ。
「わたしの出身は……」
警備兵に尋ねられたエアは悩んでから「気がついたら、山の中にいたのでよくわかりませんが、ここからとても遠いところから来たんだと思います」と兵士に言った。
「今はミオッカの子分になっていて、狩りを覚えました。野営のコツも身につけたし……それから、ミオッカの歌に合わせて竪琴の演奏ができます」
「竪琴、だと?」
エアは背中の荷物から竪琴を外して、短いパッセージを奏でてみせた。
「うまいもんだな。ということは、楽師なのか。それならそう言え」
ミオッカは笑って言った。
「確かにそうだね、エアは竪琴の達人なんだよ。旅には音楽よりも優先してやらなくちゃならないことがたくさんあったから、すっかり忘れてた。手間をかけちゃってすまなかったね、兵士さん」
「すまなかったです、兵士さん」
ミオッカとエアがものすごく素直に謝るので、肩をすくめた警備兵は「ああ、わかった。こっちで楽師としての身分証を作るといい」と、ふたりを別の部屋に連れて行った。
「兵士さん、狩人と楽師と、ふたつの仕事を身分証に書いていいのかな?」
「ああ、かまわない」
「それなら、わたしも身分証に『歌い手』っていうのを書き足したいんだけど」
「『歌い手』……なるほどな。ふたりで組んでいるというわけか。それなら、担当官の前で演奏して、嘘ではないことを証明するんだ」
「わかったよ、教えてくれて助かるよ」
「助かります、兵士さん」
警備兵は『兵士に対してこんなに人懐こく振る舞えるということは、後ろめたいことはないのだな』とふたりの様子を観察して思った。彼は善人も悪人も大変な人数を見ているうちに、ある程度人となりを見抜くことができるようだ。
「はい、演奏して」
警備兵から引き継いだ身分証発行の担当官は、いきなりそう言った。楽師を装って良からぬ者が町に入り込もうとする場合があるので、本物か確認する必要があるのだ。
ミオッカは「じゃあ、短いやつで……『星を紡ぐ手』がいいね。綺麗な歌だし、ちょっと難しい感じが好きなんだ」とエアに言った。彼は「望むところです」と胸を張り、導入のパッセージを弾き鳴らした。
「『神々の大いなる手は 夜空に星を紡ぎたもう 我らを救う大いなる手は 安らかな眠りをもたらさん 讃えよ命の輝きを ありがたき糧を受け取らん 我らを護りたもう手よ 讃えよ畏れよ、深く頭を垂れて祈らん』」
これは獲物に感謝する『ホーレイ』の一種なのだが、激しく上下するロマンチックな旋律と変拍子の曲なので、しっかりと覚え込まないと演奏できない作品だ。狩りの途中で口ずさむには適さないが、ミオッカには心の奥までかき回してくる浮遊感がたまらなく好きな曲だった。
もちろん、これに伴奏と副旋律を組み合わせて竪琴で演奏するのはかなり難易度が高い。だが親分思いのエアは、ミオッカがこの曲を特に好いていることを知ったので練習して、驚くべきスピードでマスターしていた。
ミオッカの喉から出てくる、空間を転がり天に昇るような歌声と、弦の上を縦横無尽に滑り、人間技とは思えないような技巧で音を生み出すエアの演奏を聴いた担当官は、口をあんぐりと開けていたが、曲が終わると「こりゃ驚いたな。おまえたちはきっと売れっ子になる。まずは役場に行って、演奏する場所の予約をするといい」と言いながら、『楽師』『狩人』と書かれたエアの身分証を発行した。
さらに、ミオッカの身分証にも『歌い手』と書き加えて判を押す。
「最初は中央広場の隅でやることになるだろう。そのうちわたしも聴きに行くから熱心にがんばりなさい、きっといい結果になるだろう」
「ありがとう! そんなに励ましてくれるなんて、あんた、いい人だね」
「ふん、良いものは良いと判断しただけだ」
担当官は目を逸らして言ったが、少し耳の先が赤くなっていた。




