第1話 辺境の少女ミオッカ
ミオッカの朝は早い。
まだ夜が明ける前に起きて顔を洗うと、祝福されたニレの木で作った弓と矢筒を背負い、腰にはナイフを下げる。この弓はミオッカが十五になったお祝いに父のレットクから贈られたものだ。
よくしなるニレの弓は少女が扱うには硬すぎるのだが、背が高く手足が長く、身体全体がニレのようにしなやかなミオッカにはたいそう力がある。彼女は十五の歳でもこの弓を扱うことができて、十六の今では三番目の腕のように容易に操って森の獣の息の根を止めている。
支度を終えたミオッカが外に出ると、そこにはすでにレットクの姿があった。腕利きの狩人であるレットクは、ミオッカの師でもある。彼も自分の弓を背負っている。都市部からはるかに離れたこのチェレク地方では、弓の名手が多いのだが、レットクは剣の扱いも上手い。ナト村のレットクといえば、この辺りではちょっとした有名人であり、狩人を目指す子どもの憧れだ。
「行くか」
「うん」
柔らかな革のサンダルを履いたレットクとミオッカは、森に向かって歩き出した。
「今日はよく熟れたマーグの実を取ってくるようにって、エイリナに頼まれているんだよ。母さんとふたりでお祭りで爪を染めるんだってさ、可愛らしいじゃないか」
真っ赤なマーグの実を潰して爪につけ、そこに酸っぱいリモの実の搾り汁を垂らすと、爪先が美しい緋色に染まる。チェレクの女性たちは、祭りや結婚式など華やかに身を飾りたい時に、このマーグの実を使うのだ。
「俺はそういうのはよくわからんが、マーグの実がたくさんなっている木は知っている。少し森の奥にあるが……わかるか?」
「わかる。わたしもそこを狙っている」
「そうか。おまえは爪を染めないのか?」
ミオッカは鼻に皺を寄せると「わたしにはそういうのはよくわからない。爪を赤くしてなにが楽しいんだろうね」と肩をすくめた。
「でもまあ、エイリナが喜ぶならば取ってきてやりたい。あの子は笑うと可愛いし、爪を染めるのも似合うからね」
ふたつ歳下の妹のことを話す時、無愛想なミオッカの口元に笑みが浮かぶ。
昨夜もエイリナは、ろくに手入れをしなくてバサバサになりがちなミオッカの髪に「姉さん、これでは髪の毛を巣と間違えて、小鳥が卵を産んでしまうわよ」と言いながら、いい香りのする髪油をすり込んでくれた。潰したカーメの実に良い香りのハーブを混ぜて作った髪油には、害虫を寄せつけない効果もある。
なんとなく身体のバランスが悪く、操り人形じみたミオッカと違い、エイリナは柔らかな抱き人形のように愛らしい。父レットクの金髪と、母メイニャの青い目を受け継いでいるので、まだ幼さが残る顔は整っていて美しくて魅力的だ。そんなエイリナをメイニャは溺愛していた。
「ミオッカはエイリナが好きだな」
レットクは複雑な気持ちでミオッカを見た。母親であるメイニャはエイリナに注ぐ愛情の半分も、ミオッカに与えていないのだ。
だが、当のミオッカはそんなことはまったく意に介さない様子で「好きだよ。わたしの妹だからね」と言った。
「あの子が初めて話した言葉は『ミー』だったしな。つまりエイリナは一番最初に『ミオ姉さん』を呼んだわけだ。可愛いじゃないか」
レットクの表情は呆れたようなものに変わった。
「父さんには申し訳ないけど、あの子はもしかするとちょっぴりだけ、父さんよりもわたしのことが大好きなんだよ。すまないね」
「……」
ミオッカの姉バカぶりに、ぐうの音も出なくなるレットクであった。
ミオッカは一見アンバランスな身体つきをしているにもかかわらず、幼い頃から異常なほどに運動能力が優れていた。動物的な勘も鋭く、彼女が生まれながらの狩人だと感じたレットクは、弓や剣の取り扱いや森の歩き方、狩人の心得などを子どもの頃からミオッカに教え込んだ。
ある意味、子どもらしさに欠ける子どもだったミオッカは、それらを淡々と受け入れて、今では父親であるレットクが『すでに追い越されているかもしれない』と焦りを覚えるくらいに立派な狩人に成長した。
そればかりでなく、剣術も見事で、新米騎士といい勝負ができるのではないかと思えるほどに上達している。
(この娘は、人を人と思わないような、飄々とした冷淡さというか独特の感性がある。戦士として生きるなら、ひと角の猛者になりそうだが……うっかり対人戦を行わないように、気をつけさせなければ)
普通の十六の乙女ならば、料理や縫い物などの技術を身につけてせっせと家事の腕を磨き、甲斐性のある若者と世帯を持って子どもを産み育てる幸せな人生を求めるものだ。妻を愛して甲斐性もあるいい男に見初めてもらうために、髪をくしけずり身なりを整えて唇に紅をさし、花のように魅力的な娘であろうと努力する。
間違っても、小鳥に巣だと勘違いされるようなバッサバサの頭のままで、真っ黒に日焼けしても気にせず、鹿の首に矢を突き立てようと躍起になったりしない。
ちなみにミオッカは、料理も裁縫も得意だ。なんなら仕留めた獣を解体するところから始めて美味い肉料理を作ることもできる。穴の空いた服やボロボロになったサンダルの補修もお手のものだ。ファッションセンスとは無縁ではあるが、生活に必要な技術はほとんど身につけている。
しかし、そこには男性にモテる要素はひとつもなかった。完全に自立したたくましい女狩人と所帯を持とうとするほどの人物は、国のはずれにある貧しい村にはいなかったのだ。彼らは皆、エイリナのような愛らしく武器を振り回さない娘に惚れるのだ。




