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第07話

 背の高いうっそうとした林を抜けると急に視界が開けて、乳白色の砂浜が広がっていた。薄曇りながら、水平線ははっきりと見えている。


 海だ


 先行するリコの足下にはオレンジ色のサンダル。真理恵の足下には緑色のサンダル。歩く度にかかとで砂を巻き上げなら進む。泊めてくれたお礼にとリコが近くの露店で購入したもので、色違いのおそろいのデザイン。砂浜の真ん中でリコが立ち止まる。その姿に、


 綺麗だ。

 真理恵は素直にそう思った。


 ノースリーブにハーフパンツというラフな格好だが、彼女が着るとなぜかかっこよく感じる。スマホのカメラでこっそり写真を撮る。ちゃんとしたカメラを持ってくれば良かったと真理恵は後悔した。

 リコはまっすぐ海を見ている。真理恵もその隣に並んだ。打ち寄せる小さな波は青というよりどちらかというと緑色をしていた。波が引くと細かな砂粒たちがサラサラと転がりながら音の絹糸を編む。しばらくじっと見つめていると意識が波の押し引きに溶け込んでいくように感じた。真理恵が幼いころ家族と行った茨城の海はこんな波だったろうか。がんばって作った砂の城が波に崩されては泣いていた弟。彼を思い出そうとすると笑顔よりも泣き顔のほうが先行する。あのまま大人になっていたらどんな顔を見せてくれただろう。

 リコが真理恵のほうを見ていることに気が付いて、

「思ったより観光客がいないのね。いい海なのに。」

と、周りを見渡して言う。

「このところ雨が多いからね」

「5月は雨期?この国の」

「何月とかは関係ないよマーレ。空が雨を降らせたいから降らせる。人と同じようにね」

「・・へえ」

「だから、降ってもすぐ止む。気分だから」

 リコは「フフッ」と笑った。彼女は確かに美人ではあるが、笑った瞬間だけ口元に少年の雰囲気が漂って真理恵はその度にドキッとしてしまうのだ。しばらくふたりして、波の寄せ引きに時間を任せた。

「昨日は何があったの?」

 昨夜は聞けず仕舞いでもんもんとしていたことを真理恵は思い切って尋ねることにした。

「あー、家の前にストーカーが待ち伏せしてた」

「はあ?」

「ナイフ持って」

「えっ⁉ 警察行かなくて大丈夫?」

「警察はそんなんじゃ動いてくれないよ。”パトロールする ”と口では言うだろうけど」

 真理恵は目をまんまるにして信じられないというジェスチャーをとった。リコは、よくあることよと前置きして、

「とりあえず今夜はディーに、あー用心棒の名前ね。彼に家までついてきてもらうつもり。まだうろついているようなら追っ払ってもらうし、いないようなら諦めたってことでしょ」

「そう・・」

「困ったものね・・・美しすぎるというのも」

 真理恵はどう反応していいのかわからず「I know.」とだけ小さく答えた。


 ぷくっ


 振り向くと、リコはお腹と口を押さえながら声をあげずに笑っていた。

「・・ちょ、ちょっと!」

 またとっさに、日本語が出てしまった。


 帰り際、なんとか歩いて行けそうな場所に小さな食料品店を見つけた。リコは 歩きたくないと不満がったが、ついてきてもらう。

 そのお店は海岸通り沿いで、元はコンビニだったところを改装したようだ。こじんまりとしているが割と小綺麗なお店だった。食料品の他に簡単な生活雑貨も置いている。よほど贅沢を言わなければ日常の買い物はここで事足りそうだ。店内のラジオからはハワイアンな音楽が流れていた。選曲が謎だ。

 夕飯のメニューを考えようとして昨日から麺しか食べていないことに気づいた。少しお腹に貯まる物が食べたい。ならば肉、肉だ。


 チルドコーナーをなめ回して、多いのは鶏肉、次に豚肉だ。その隣に見慣れない赤身が。なんとめずらしい牛肉まである。というのも真理恵はこの国に来てから牛肉というものを見かけたことがなかった。しかも量り売りでなくわざわざパックに入っている。清潔そうだ。リコがそのテンションを見透かしてか、

「あんまり牛を食べる人はいないわ。私も食べない」

 聞くと、この仏教国では仏様を運ぶ聖なる動物として扱われているらしい。

「南部のこのへんはムスリムも多いから彼ら向けだと思う」

 とのこと。ニッチ需要だし、輸入肉だし、さぞお高いのだろうと思ったが、百グラム当たり20バーツ(約60円)の破格の値段だった。原産国:アルゼンチン ありがとう! と勢いで買い物カゴに入れようとしたその手を、リコは強い力で引き止めた。

「それはやめなさい」

 顔が強ばっている。仏教徒だからってそんなに嫌がらなくてもいいのに。

「ごめんその・・”ゴラメラ ”ってブランド。良い噂を聞かないから。やめて、おいたほうが」

 真理恵が手に取った牛肉のパッケージには赤い雄牛のロゴで ”ゴラメラ ”と書いてある。彼女の神妙な顔に気圧されて、結局は鶏肉を選ぶことにした。まあ、鶏肉も好きだから、問題はないのだけど。


「昼どうする?」

 と聞くも、リコは用事があるからとお昼前には帰って行った。結局その日はなんだか変な雰囲気のままだった。



    ――※――


 とあるガソリンスタンドの狭い売店コーナーでサングラスの男とサングラスの美女が向かい合って座っていた。目の前には軽食と瓶のコーラがそれぞれ置かれている。デートにしてはその姿は少し異様だ。

「サックン。こんな場所で落ち合う必要あった? しかもサングラス、別にいらないよね」

「このスタンドのチリドックが最っ高に美味いんスよ~! このふやけたパン!細いソーセージ! 安っぽいチリ! すべてが調和しててさあ。ゴチになるッス。いやいや、秘密のお話なんスからサングラスかけないとでしょ」

 刈り上げられた黒髪。肌黒い首元にはハートの入れ墨が入っている。遊び人のような、チンピラのような風体の、どこまでが本気でどこまでが演出なのか。中途半端に顔はいいため逆に掴み所がない。

「別に、あんたのコントに付き合うために時間割いてるんじゃないんだけど。名刺の件はどうなったの?」

 と、美女はにべもない。

「やや、ちゃんと働いてるっスよ? もらった名刺のやつから紹介受けたってことにして、ゴラメラの上司らしいひとと夜遊んできました。知ってます? やつらが出資してる ”シルバーキャッツ ”ってゴーゴーバー、おねえちゃんの衣装がみんな際どくて裸同然なんスよ!ほぼ視姦・・!」

「サックン。そういう話は今聞いていな――」

 急に顔を近づけて男はささやく。

「ほぼ間違い無いっスね。奥のVIPルームで客がコナ吸ってるのがチラッと見えました。あの色はシャブじゃなくてコカインっスね。店公認で売りさばいてると見ていいです」

 美女はしばらく窓の外を睨み付けると、 そう。 と重々しく掃き捨てる。見ると、先ほどまで晴れ渡っていた空が嘘のように急な雨を降らせ始めていた。

「でもアネさん、どうするつもりなんです? ゴラメラが裏でクスリ流してるのは確実として、店を摘発したってしっぽ切りするでしょうし、下手したら警察も金掴まされてるかもしれないっスよ」

「そうでしょうね。私も末端の売人に用はないわ。知りたいのは元締めがどんな奴かってことよ。秘密の夜会 ”聖域 ”を取り仕切ってるクソ野郎の顔がね」

「それとサックン、そろそろ――を用意して欲し ――は問わな  ――くらい。できる?」

「マジで言ってんスか」


 神妙な声でささやいた彼女の声は、周囲に響く前に地面を打つスコールの音に捕らえられて、人知れず排水溝に吸い込まれて流れていった。



    ――※――



 晩ご飯は野菜と鳥肉の炒め物にした。海外最初の自炊料理としては上出来だろうと真理恵は思った。スーパーで買ったペラペラのフライパンに植物油を引いて、キャベツと思われる野菜と鶏肉を炒める。備え付けの電気式コンロは火力がいまいちで、少々水っぽくなってしまったけど見た目は美味しそうだ。肝心の味はというとちょっと辛い。ウスターソースに近いモノだと言ってリコが薦めてくれた調味料は、実際にはカレー風味のスパイシーソースだった。はめられた。これはこれで美味しいが。(炊飯器がないので)鍋で炊いたお米と一緒にワンプレートに盛り付けて写真を撮る。

うん、良い感じだ。

 チャットアプリでリコに送信して30分後、返ってきた返信には、

「営業中に食べ物を送ってくるな。腹が鳴ったらどうする」

という内容と、なんだからよくわからないパンチの絵文字だった。お店の中での様子は真理恵には分からないが、あの女神のごとき恭しさをお腹の虫で台無しにしてやりたい感情が生まれた瞬間だった。また写真を送ってやろう。

 ようやく、「この土地で生きていけるかわからない」という不安が「いけそう」に変わった1日に充足感を覚える。この気持ちを書き留めておかなくては。

 ブログ名は『ゆるマレ』に決めた。どう考えても本当にゆるい記事しか書けそうにないから。書き出しは日本を出発した時か、この国に到着したところから書けば良いのか。

 執筆の景気づけに缶ビールを開けた。勢いよく炭酸が吹き出してくる。意外にもすっきりとした口当たりで苦みも少なく、普段あまりビールを飲まない真理恵にも飲みやすい。さて、舌が回るか、頭が回るか、酔いが回るか。記念すべき第1回は、この ”カレー風味のスパイシーソース炒め ”がどのような物語の末に生まれたものなのか、はじめましての読者には語らねばなるまい。

 気軽に始めた素人ブログが後に大きな問題を起こすことになるなんて、この時はまだ誰も知りようのないことだった。

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