サイドストーリー「~9.1 imitation girls~」
本話は即売会イベント用に書き下ろした特別編で、時系列としては9話と10話のあいだになります。
なぜこんなことになってしまたのか。
「はー、むりむり、犯罪だよこんなの」
中学生のとき以来見ていない自分のショートパンツ姿を全身鏡で見ながら真理恵はため息をつく。
「マーレ、なにやってるの。セルフィー?」
「そんなわけないでしょ・・!」
振り返った先にはリコが立っている。後ろで束ねた艶やかな黒髪。細い腰で絞った白のTシャツ。青のショートパンツからは細い太ももが魅惑的に連なっている。ただ、一番目を引くのはやはり両手に着けている真っ赤なパンチンググローブだろう。
南国滞在中にて自堕落な生活を嘆いていた真理恵が、連れてこられたスポーツジムでリコから手渡されたのがショートパンツとこのグローブだった。
「やっぱり私にはちょっと無理かなあ、いきなりキックボクシングなんて。元々運動苦手だし」
「そんな身構えるほど本格的なやつじゃないよ。それにキックボクシングじゃなくてムエタイね。そこ全然違うから。私が軍隊で教わっていたのはレドリットって言ってまた少し違うんだけど―― 私が小さい頃ムエタイ世界王者になったチュワジャカンがとにかくかっこよくて―― 」
わけもわからず首をかしげている真理恵を、まくしたてながらリコがグイグイとフロアへ引っ張っていく。
リゾートホテルの敷地内に建てられたこのフィットネスクラブはまだ真新しく、主には宿泊客向けにはなっているが、回数券を購入すれば誰でも使用することができるらしかった。フィットネスらしくランニングマシーンやチェストマシーンもあるが、なかでも売りにしているのがムエタイ式トレーニングなのだという。一角に設けられた簡易的なリングでは10代に見える青年がシャドートレーニングをしているところだった。
「やあリコ、2週間ぶり?」
「ハーイ。パチャラさん。ちょっとバタバタしてて」
軽い挨拶を交わしたのは、なんと上半身の筋肉が黒光りしたムキムキのインストラクターだ。
「こっちはマーレ。きょうは・・軽い運動」
「アニョハセヨー」
「マーレは日本人だよ」
「コニチワー」
「こっ、こんにちわ」
にっこり笑ったパチャラさんの白い歯が眩しい。リコはさっそく、ちょっと見ていて、と言ってリングに上がる。パチャラさんは枕くらいの大きさの四角いマットを両腕に着けてリコに対峙した。いやまさか、いきなり打ち合ったりはしないのだろうと思ったその瞬間、さきほどまでにこやかだったふたりの空気が急に切り替わる。脇を開けてゆっくりと持ち上げられたリコの両肘。バネのように縮ませた膝。まるで襲いかかる直前の獣のように見える。
ルイ!
パチャラさんが短く掛けた声に反応して、リコの足がマットを蹴り出す。若干外に巻き気味のジャブに腰の入った深いストレート。重さはなさそうだが受け方が上手いのか乾いたいい音がした。横ステップ。間合いを仕切り直して左のローキック。パチャラさんの芯をずらした眼前にリコの太ももが舞った。まさに相手の中心に向かって伸びる前蹴り。そのしなやかな肢体の美しさとともに、この光景をどこかでみたようなデジャヴに襲われる。
あっ。家のドア。
建て付けの悪い玄関扉を一蹴したのはこの前蹴りだったのか。感心している内にパチャラさんも身体を動かして反撃、スウェイで交わすリコ。ふたりの息のあった動きはまるでダンスを見ているようでもあった。
「リコ・・すごかった・・・。スマホ持ってくればよかった・・!」
感動する真理恵の前でリングを降り、呼吸を整えているリコが指と指をクロスさせてバツ印を作る。こういう写真はNGなんだな、さすがに。タオルで汗を拭った頬は桃色に紅潮していて、濡れたうなじがとても艶っぽい。
「リコはこういう格闘技ずっとやってたの? プロになったらすごく人気がでそう!」
「冗談。こんなんじゃとてもプロにはなれないよ。男の選手枠になるんだからね?」
「あっ」
リコは満面の笑みでいてくれて。
「自分の身は自分で守れるようにしたかっただけ。マーレもやってみたらいいよ。からだに刺激を与えると骨が美しくなるよ」
独特の表現だ。いや、美の女神が言うのだからそうなのかもしれない。
「じゃ、じゃあせっかくだから少しだけ」
おそるおそるリングに上がる真理恵に対して、パチャラさんの白い歯が覗く。そんなに腕力があるわけでないリコがあそこまでからだを動かせるんだ。自分にもできないわけがない。頭の中で先ほどの舞を思い浮かべる。よしっ。
ルイ!
パチャラさんが声を掛ける。いっくぞぉ! 興奮気味に勢いをつけて足を踏み出した。
※
「クッ、くくくくく」
「あは、ハハハハハ」
リコは声を押し殺そうともせずに。三輪タクシーがカーブを曲がる度に思い出しては笑った。
「もう! ちょっと!!」
手はひらひらと ”ゴメンゴメン ”を語るが、行動と口が噛み合ってはいない。
「だって、だってだよ?」
何度も真理恵を見ては顔を崩す。
「まさか地上で溺れる人がいるなんて思わないじゃない!アッハハ」
「溺れてなんてないでしょう??」
「溺れてたよあれは。手と足をあんなにばたつかせて。最後なんて転んじゃうし」
確かに真理恵の動きは無残なものだった。イメージにからだが追いつかないのか足はしどろもどろになり、パチャラさんに追いつこうと両腕だけは虚空をさまよっていた。それをリコが ”溺れた ”と形容したのはあながち間違いでもないのかもしれない。
「しかも途中からスマホで動画撮ってたでしょう⁉」
「元気がないときに繰り返し見るわマーレ。ありがと」
「消して消して!」
タクシーの荷台でスマホの奪い合いをしているうちに次の目的地に着いたようだ。
「ここは?」
「がんばったマーレに少しだけご褒美をあげようかと。親しい人にしか教えない秘密の場所」
降りてみると、繁華街から1本、通りを外れた静かな場所。周囲のいくつかの店舗を除けばシャッター街と言えなくも無い。そんな中に1軒の古着屋があった。
「ここ」
促されるままに入店すると、扉を開けた瞬間に大音量の洋楽が流れてくる。このあたりのお店にはめずらしく空調が効いているのはありがたい。すずしー。ご褒美というから何かと思ったら、古着でもプレゼントしてくれるのだろうか。日本から持ってきた衣服で不自由はしていないのだけど、こういう「その国」っぽいのも悪くないかもしれない。真剣にいくつか手に取って見ていると、店の奥でリコが店主と話し始めていた。
「おおーリコちゃんきょうもかわいいねー! 来てくれて嬉しいよ。あんまりお店の方いけてなくてごめんね」
「いいんです。お元気そうでなによりです。でも、おじさまのチーバスが寂しがっていたのでまた会いにきてくださいね」
おじさま は満面の笑みでリコに語りかけている。どうやらここの店長はリコの「夜のお客様」 らしい。
「今日はおじさまのコレクションを見せてほしくて――」
「それはもちろんかまわないけど、そちらの女性はリコちゃんのおともだち?」
「はい。彼女は日本人なので口も固いし、いいかなと思って」
店長は少し考えたあと、「よし!」と決心して、「STAFF ONLY」と書かれた店の奥の扉を開けた。なんだからよくわからないままリコに続いてバックヤードに入り、そのまま地下への階段へと続く。
すれ違いもできない細い階段は薄暗く、足元に注意しながら降りる。突き当たりの扉を店長があけた瞬間、まばゆい照明が差し込んでくる。
その地下室は1階の店舗と同等の広さを持っていた。展示された様々な衣服と、バッグ、靴、ショーケースに入れられた時計やアクセサリーが所狭しと飾られている。しかも、よく見ればどれもがカタログや雑誌でしか見たこともないような一流ブランド品ばかりだ。
「こ、これは・・」
「おどろいたでしょう? これ全部、正規の3割の値段で買えるから」
「え?」
「え? マーレこのあいだ、再就職するからフォーマルなブランド物ほしいって言ってなかったっけ」
「えっとそうだけど、そうじゃなくて、なんでそんな安値で買えるの? ってことはその、 偽物、なんだよね」
リコは、うんうんと頷いて2つのハンドバッグを目の前に差し出した。確かハイブランドの最新モデルだったはず。自信ないけど。
「このうちの一つは正規品で、もうひとつは非正規品です。違いがわかる?」
見比べても、触ってみても、真理恵には全く違いがわからない。丁寧な縫製と高級感あふれる起伏。どちらも同一の物のように感じる。心の声が漏れ出ていたのか、リコが続ける。
「そうでしょう。なぜなら、この2つのバッグはどちらも同じ工場で同じ職人が作ったものだから。違いはメーカーが発注したか、工場側が勝手に作ったか、ただそれだけ」
意外な事実に衝撃を受ける。
「でも、それってまずいんじゃ・・」
「そう。だからここにある商品ぜんぶ価格が書いてないでしょ? 万が一言い逃れができるように店長の私的コレクションってことになってるの」
ちゃんとお金とコネを持っている信頼できる客だけがここに通されるのだという。聞けば聞くほど頭がクラクラしてくる。
本物と同じ作り方で丹精込めて作られた物。それは果たして偽物と言えるのだろうか。シリアルナンバーを控えて同一のものが見つかったとしても、どちらが本物か見分けはつかない。生まれがどうであろうと、品物に感動した人にとってそれはきっと本物なのだ。さきほどムエタイをするリコをかっこいいと、美しいと真理恵が感じたように。
見渡す真理恵の目に、ブランド「ウィメンズイングランド」のパンツスーツが飛び込んできた。大学生の頃、大手百貨店のショーウィンドウに並んでいたのを見たことがある。こんなシックなスーツの似合う報道記者になるんだと胸を膨らませていた。そんな甘酸っぱくて複雑な感情を、異国の地下室で思い出すことになるなんて。なんという出会いなのだろう。
毒をくらわば皿まで、か。 真理恵は決心をする。
「ら、ラーカー タオライ カー?( 値段はいくらですか )」
このあと日本に帰る前に袖を通すことになるとは、このときの真理恵はまだ知る由もないことだった




