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第15話

 何度かけてもリコが電話に出ることはなかった。途切れることのないコール音に焦りは感じたが、それよりも疲労の方が勝っていた。

とにかく一度家に戻ろう。明日までに伝えられたらいいんだし。

 太陽が沈もうとする頃、ようやく真理恵は自宅に戻り、玄関の鍵を取り出していた。


「よぉ、お前。リコちゃんはどこにいった?」

 聞き取りづらい現地語。ことばの意味よりもひとけの無い方向から声がしたこと自体に不意を突かれた。ハッと身を翻す。

「ここに住んでいるんだろう?知っているんだぜ」

 見ると小太りの男が立っていた。誰だろう。思い出そうとするがどの記憶とも合致しない。少なくともリコのお店のスタッフではなかった。

「どなたでしょう」

 あえて英語で問うと、男は ああ、という表情で英語を返す。

「俺はリコちゃんの客でトンチャイと言うんだ。一時期付き合ってたこともあるんだぜ。お前が知らないような彼女の一面も俺は知っているんだ」

「だから?なんです?」

 正直、真理恵はイライラしていた。当の本人に連絡が付かないのに、この場所を知るはずの無い男が訪ねてくる。まさかリコが・・と思い、すぐさま首を振る。それはない。リコは自分のことすら満足に話さなかった。真理恵の家を誰かに伝えるとは到底考えられない。だとすれば、目の前のこの男は・・?というところでようやく思考が回り出す。


「あなた・・・リコのストーカーですね? アパートの前で待ち伏せしていたとかいう」

「ああ! そうだよ。リコちゃんが俺のことを話題に出していたのか?」

なぜか嬉しそうな男の声色に鳥肌が立つ。と同時にふつふつと怒りが込み上げてきた。

「どうしてここが?」

「ハハ! どうしてだって? 俺にわからないことなんてないのさ。リコちゃんの顔写真でAI画像検索したら日本人のブログが引っかかってさあ。しかもあれだけ周辺写真がアップされてたら余裕で住所特定できるだろフツー」

 血が上った頭に冷や水をかけられたかのように真理恵の思考がしんと静まり返る。ふたりの繋がりでもあったブログの存在をはじめて後悔した。そんな使われ方をされるなんて夢にも思わなかったし、目の前のクソヤローにリコのオフショットが見られていたかと思うと心底腹が立つ。再び真理恵の瞳に炎がともった。

「それより早くリコちゃんを出してくれよ。彼女は騙されているんだ。教えてやらないと。金輪際こんなことが無いように俺が安全に匿って、飼い馴らしてやるんだからよぉ」

 男はいつの間にか小さなナイフを手に取って、真理恵に向けている。

安全に匿う? 飼い馴らすですって?

ナイフを向けられた恐怖よりも怒りが勝った真理恵の視界は急激に狭まり、男の得意げな表情にクローズアップする。その瞬間、何かが弾ける音がした。

「あんたが・・! あんたらが、リコの人生をめちゃくちゃにしたんでしょうが!!」

 真理恵は日本語でそう叫んでいた。ポカンとする男に向かって足はひとりでに駆けていく。振り上げられたジュラルミンケース入りのトートバックが、勢いを損なわないまま振り下ろされる。とっさに払おうとした男の腕ごとバックの角が男の顔にめり込んだ。鈍い、音がした。


「アヒイィイイイ!」

 衝撃でナイフを落とし地面に膝を突いた男に、尚もバッグが打ち込まれる。何度も、何度も、何度も。

「謝って! リコに謝ってよ! 謝れ! この!!」

 真理恵の顔から涙が、鼻水が出るのと同じだけ、トートバックは徐々に血の色に染まった。

「痛い!わかった!もう止めてくれ」

 男が懇願し始めてもしばらく真理恵の追撃は止まなかった。息が切れ始めてようやく真理恵はそのバッグを下ろす。

「リコが騙されてるってどういうこと?言いなさい!」

「・・リコちゃんは情報屋に騙されてる。奴はもう向こう側の人間で・・」

「わかるように話しなさい!」

 真理恵は再びバッグを振り上げてみせる。

「や、やめ、ろよぉ 今夜、リコちゃんが招待されたパーティーは、普通じゃぁ無い。そこに生け贄として捧げられるんだ」

「今夜? 明日の、土曜日の間違いでしょう?」

「今夜だ。”シルバーキャッツ ”が臨時休業しているからそれは間違いない。だから慌てて止めに来たんだ俺は」

 真理恵の頭の中は真っ白になった。


 ・・・やられた。

 リコは私に邪魔されないように1日後の曜日を言ったんだ。

 リコ・・・私が叱ってあげなきゃ。信じられるものが世の中にあるんだって私が教えてあげなきゃ。

 真理恵はゆっくりと両の手で、おびえる男の胸元を掴み上げる。

「リコを助けたかったら私をはやく ”レジテ・ソーシャ ”に連れて行きなさい」


    ――※――


 身体が重い。頭がガンガンする。ずっと寝ていたい。でも目覚めなければならない。その気持ちが必死で目蓋を持ち上げる。次第に視界は光量を増して強烈に目に飛び込んでくる。耳からは控えめなジャズBGM。グラグラと不安定な世界がゆっくりと焦点を定め、やがて見覚えのある顔に像を結んだ。


「サックン どうして 」

「あ、起きたっスねアネさん」

 高く赤いカーテンに囲まれた小さな空間をスポットライトが照らしている。リコは両手首を手錠で縛られていて、床から生えた金属ポールを抱くように座らされていた。目線の先にはなぜか、いるはずのないサックンがいる。

「わたしは たしか お茶を 飲んで・・」

「そうっス。もうすぐショーの始まりっスよ。そうしたら、アネさんの会いたがってたホセにも会えるっス。これで俺の仕事も完了ってことスよね」

「サックン、あなたは なぜ?」

「潜入捜査してたら、あっちのギャラのほうが10倍も良かったんスよ。女の子とも遊び放題だし」


 ハメられた。

 リコはサックンが裏切ったのだと確信した。絶望が再度視界を歪める。ただ、ここまで来てただで死ぬつもりも無い。

「・・手をほどきなさい」

「それはできないっスよ。ホセさんに背くことになる。でもアネさんにはいっぱいお世話になったスから、命令されてない太ももの銃はそのままにしておいたッス。ただし弾丸は1発だけ。 じゃあ、時間なんでオレは退散させてもらうっスね」

 サックンは耳元で ”Good Luck ”と囁くと、カーテンの外に出て行った。まだ朦朧とする意識の中で、リコは ”クソったれ ”と叫んだ。


 ほどなくして、カーテンの外、遠くからコツコツと革靴の足跡が近づいて数メートル先で止まった。BGMが鳴り止むのと入れ替わりに、今まで聞こえなかった人々の囁きやざわめきが耳に届く。

(( 秘密の夜会 ”聖域 ”へようこそ。主催を務めますホセでございます ))

リコの心臓が大きく波立つ。このカーテンを隔てた向こう側に奴がいる。可能な限りの金と時間を費やして探し求めた姉の敵。なんとか立ち上がって手錠を外そうとするがびくともしない。おもちゃの手錠というわけではなさそうだ。

(( 今宵、お集まりいただいた当社の特別なお客様にご覧頂く ショーはこちらです ))

 男が指を鳴らすと、リコを囲っていた赤いカーテンが床に落ちる。そこでリコが目にしたのは燕尾服を来た大きな男の背中と、暗く照明が落ちた客席に光る無数の目だった。ステージ上には他にもふたり、ドレス姿の女性がリコと同じくポールダンス用の金属ポールを抱くように手を縛られている。

 観客から息を飲む気配がした。これはショーだという。つまり見世物は私たちだということだ。

(( 私の故郷アルゼンチンはかつて太古の時代、太陽信仰により栄えたインカ文明を起源とします。かの文明には生娘を薬漬けにし生け贄に捧げる習わしがあったとか。今宵、ドラッグヴァージンの美女3名をご覧のようにご用意しました。彼女たちを当社特製の強力なドラッグで心酔させ、溺れさせ、皆様を自ら迎えいれる供物といたしましょう! ))

 脇に控えていた黒服たちが丸テーブルをリコたちの前に運び、その上にはヘビが丸まったようなデザインの金杯が設置される。ホセと名乗った男はゆっくりとリコに近づいた。

(( ご覧ください!これがコカインの3倍もの幻覚性と依存性を兼ね備えた新商品。その名も ”太陽神の祝福 ”です ))

 ホセが手に持った小さな樹脂容器を砕くと、肌色の粉がさらさらと金杯に注がれていく。その光景をリコは、怒りや絶望と言うよりは悲しみに近い感情で見つめていた。

「くだらない・・、こんなくだらない事のために姉ちゃんは殺されたの?」

涙に震える声が豊潤な唇から漏れる。

「ハハ。今のうちに喋りたいことは喋るといい。そのうち言葉も話せぬただの犬になるのだから。だが、昨日までのことは全て忘れて、今まで誰も体験したことのないような幸福、解放感、そして快楽を得られるだろう。安心して生まれ変わるがいい」

「くたばれ」

 その言葉が放たれたのと同時に黒服の2人がリコの身体を両脇から拘束し不自由にした。男たちは抵抗するリコの頭を力尽くで金杯へ寄せようとする。地の底から沸き立つような低音に混じって、観客のむき出しの感情が会場を包んでいた。


 やれ。やってしまえ。思い切り吸わせろ。

 壊せ。壊せ。力のままに。

 奪え。奪え。権力の下に。


 目に見えない無数のヘビが周囲を巡り、リコを束縛した。涙に歪んだ顔が徐々に金色のヘビに近づいて飲み込まれていく。


 これまでか。


 リコが観念したそのとき、会場の大扉を蹴破って突入してくる黒の一団があった。

「警察だ!!全員動くな!!」

 風の様に左右に展開し銃を構える。ステージ上のホセは一瞬固まったものの、すぐさま懐から拳銃を抜き、迷うこと無く警官たちに発砲した。


 ギャァアアアア


 観客たちの悲鳴が飛び交う。予想外の展開に警官隊は散開し物陰に隠れながら撃ち返す。会場の黒服たちが放ったスモークガスはただでさえ暗い会場内を埋め尽くし、視界が無い中での撃ち合いはさらなる混乱を深めた。

 黒服たちの拘束を解かれたリコは見えなくなったホセを追おうとするが、手錠がどうしても外せない。リコの白いスカートがふわりと舞う。ポールで手錠を張った状態にして、思い切りポールを足で蹴り上げた。瞬間、左手から火花が咲いた。自由になった身体はそのまま後ろに倒れて尻餅を付く。見れば手錠の鎖がちぎれていた。最後にモノを言うのは やはり蹴りだ。ほっとしたのも束の間、短い音をたてて流れ弾が耳をかすめた。リコは慌てて這いながらステージの後方へ移動する。煙の中、逃げる誰かとぶつかりながら前に進むと非常階段が見えた。ここも這うように2階に上がる。小さなドアから2階の廊下に出ると、ちょうど視界の端でVIPルームを捉えた。

 リコは警戒しながらVIPルームにすべり込む。幸い中には誰もいなかった。意識的に深呼吸をして、これからのこと考える。

 どうやってここを警察が嗅ぎつけたのかはわからないが、幸運にも出入り口は警官隊が固めているに違いない。つまりホセは逃げられない。やがて奴は二階に上がってくるはず。ここで待ち伏せしていれば、きっと。これは千載一遇のチャンスだ。

 部屋には道路に面した大きな出窓があるだけで入り口はひとつ。念のため出窓を手で叩いてみたが、丈夫なガラスのはめ殺しでちょっとやそっとで割れそうにはない。今度こそ覚悟を決めなくては。


(どうして私を助けてくれたの?)(待っていて、リコ)

ランプを手に持ったあの夜の真理恵が目の前に浮かんでは消えた。


「ごめんマーレ。私は(俺は)やるよ」

ドレスのスリットに手を入れ、拳銃をつかみ取る。マガジンを引き抜くと先端に1発の弾丸、9mmパラベラム弾がセットされている。サックンが本当の悪党でなかったことにホッとしつつ、軍隊でトムが教えてくれた言葉を思い出していた。

「パラベラム弾の ”パラベラム ”はラテン語で、”平和を望むなら戦いに備えよ ”という意味なんだよ」

 得意そうな顔が浮かぶ。わかったよトム。心の平和を望むために、私はこの1発を使う。

 リコはスライドを引き、弾丸を装填する。安全装置を外して身を低くした。目をつぶると粗い呼吸音の向こうに階下の喧噪がだんだん耳に届いてくる。

 来い 来い 早く来い。

 ズルズルと足を引きずる音が聞こえてきた。

 いいぞホセ、お前の地獄はここだ。


 身体をぶつけるように扉を開けて入ってきた男は、身を隠すリコには気づかないまま、ハアハアと息を切らしながら進み、奥のソファーに倒れ込む。どこかを撃たれたのか、床には長いヘビが這ったような赤い道が続いている。

「待った。長い間待った。この瞬間を」

 ホセは、銃を構えるリコに気づいた後も特に取り乱すでも無くぼんやりとリコを見上げていた。

「このような美女に待っていてもらえるとは。過去にどこかで逢ったことが?」

「あるとも。お前のせいで薬漬けになり、身体を売り、そして最後はカモメのエサになっていた。だが、お前を殺すためにあの世から舞い戻ったんだ」

「どうするつもりだ。もうじきここへも警官が上がってくる。銃を持つお前をみたらどう思うだろうな。問答無用で撃たれるかもなあ」


「・・知ったことか」

 姉ちゃん。今まで俺を生かしてくれてありがとう。


 引き金を引こうとした、その時だった。窓の外からクラクションが鳴る。

窓際に移動して目を逸らすと階下の道路には1台のピックアップトラックが横付けしていた。


(( リコ―――!! ))

なんとトラックの荷台にあったのは真理恵の姿だった。

「マーレ⁉ どうして?」

 当惑するリコ、VIPルームに突入する警官隊、目の前に横たわる仇敵。

無限にも思える数秒の中で思いは錯綜し、状態は変化し、やがて突然の終わりが来る。


 短い発射音とともに

 1発の弾丸が

 駆け巡る夜を切り裂くように

 発射された。

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