天宮晴日の魔法――宿曜道
※【】は見出しを、<>は魔法の名称を表す。
【宿曜道】
インドで成立し、中国を経由して日本へは9世紀の初めに伝わった。中国でも当地に固有の魔法の影響を受けたため、日本にもたらされた当初から元々インドにあったのとはおよそ異なる魔道になっていた。<陰陽道>が支配者から庶民まであらゆる階層の日本人に浸透したのとは対照的に、<宿曜道>は一部の戦国大名の間でしか普及しなかった。その背景としては、知識の漏洩を恐れて故意に『秘伝』として継承されてきた、という面が大きい。
慈眼大師天海は江戸の都市設計に<陰陽道>の技法を用いる一方、諸大名の反乱を抑えるための政策(要するに政略結婚)に関して<宿曜道>に基づいた助言を行うなど、2つの魔道を共に修めていたとされる。菊池芽実が<陰陽道>と<宿曜道>を学んだのも技術の伝達経路としては天海を通過する系譜に連なる。
<宿曜道>の母体となったインドの魔道は、あちらではそもそも魔法として認識されておらず、専ら『武芸』という位置付けだった。そのためか、<宿曜道>に伝わる魔法は例外なく戦いで使うためのもので、そのほとんどが敵を殺傷する効果を持ち、おまけに威力も激烈である。テレビゲームふうに言えば、「派手な攻撃魔法に特化した魔道」。
【四大】
四大という用語自体は<宿曜道>に起源があるが、地水火風の概念は<ルーン>や<オガム>にも存在し、SSSではこれらの魔道における文脈でも四大の語を用いる。
<ルーン>は氷も独立した1つの元素と考えるため、実質的に5つの元素を想定するが、特に「五大」という呼び方はしていない。五大は地水火風空を指す言葉としてすでに確立しているからである。
晴日のコメント:
「おばーちゃんは<陰陽道>も<宿曜道>も使えて、私に<宿曜道>を教えてくれたのもらんちゃんに<陰陽道>を教えたのもおばーちゃん。そのせいなのかな、私の<アインドラストラ>何となく木の魔法みたいに、土の気を持ってる式神によく効いてる気がするの。逆にらんちゃんの<風吼陣>も、木の魔法のはずなのになぜか四大の風みたいな効き方してるのよ。不思議よねー」
【圈】
<宿曜道>が有する事象の制御に関する魔法は、現実に存在する物体に<アストラ>と呼ばれる神秘的な武器を宿して、それで敵を攻撃するというもの。インドでは伝統的に、<アストラ>の依り代には矢を用いることが多いのだが、急場しのぎに地面に生えていた草を抜いて<アストラ>に変えた、という例もある。
天宮晴日が<アストラ>を込めるのは、レーザーディスク程度の直径の金属の輪。SSSでは似たような形状の中国の武器である「圈」と呼ぶことにしているが、着想を得たのはチャクラムと呼ばれるインドの投擲武器。外側に刃の付いた円盤を指で回転させて敵に飛ばすという代物だが、同時に太陽を象徴する呪物でもある。
晴日の補足説明:
「どうして弓矢を使わないかって? だって、大きくて持ち運びしにくい上に、弦が切れたら張り直すまで矢を撃てないんだもの。その点、圈だったらかさばらないし、手で投げられるし、いいことずくめだわ。……悪かったわね、横着者で」
【アストラ】
紛らわしいが、<アストラ>には広義と狭義がある。広義の<アストラ>とは飛び道具一般を表わす。ちょうど英語のmissileと同じ。狭義の<アストラ>は飛び道具の中でも特に矢を意味する。広義の<アストラ>には矢のほか、パーシャ(羂索)、チャクラ(輪)、シャクティ(投げ槍)などがある。
<アストラ>全般に共通する特徴として、以下の点がある。第一に、広範囲にいる敵を一斉に攻撃することも、反対に点のような目標をピンポイントで狙うこともできる。第二に、命中するまでの間はたとえ撃ち出された後であっても、威力と効果範囲の調整やターゲットの変更ができる。第三に、自動追尾機能つきで敵が逃げてもどこまでも追いかける。叙事詩には、いたずら好きな烏を<アストラ>で狙ったところ、烏がどのように飛び回っても振り切ることができないので、観念して射手に命乞いをし、片目を撃ち抜かれるだけで赦免された、という話がある。
<アストラ>は有形の武器として常に使用者の手の中にあるのではなく、使い手が求めた時にその者の元に現れ、魔術的ないし精神的なやり方で持ち主を支援する。そのことを端的に言い表した言葉が叙事詩にある。それによると、<アストラ>は普段は使用者から離れた場所にあって、彼が必要とする時その心に宿って力を貸すと。
SSSで用いられる<アストラ>の名称は、サンスクリット語の本来の発音とは若干異なる。これは<宿曜道>が中国経由で日本に入ってきたためで、サンスクリット語がいったん中国語に翻訳される過程で、母音の長短が曖昧になりbとvの区別が失われた。
らんの苦情:
「晴日のヤツ、ウチの<五遁>のことよう「チートみたい」言うけど、あいつの<アストラ>なんてその何倍もイカレとるやろ。ミリ単位で精密狙撃? 発射した後でも標的を選び直せるぅ? こんなご都合主義な魔法らあるかい!!」
【アンタルダナストラ】
より正確にはアンタルダーナーストラ。アンタルダーナ・アストラ(消失の矢)の意。
叙事詩では財宝の神クベーラが本来の所有者と伝わる。
仰々しい名前が付いているが、本当に何でもかんでも消滅させられる訳ではない。アンタルダーナのもう1つの意味である「被覆」こそが、この武器の威力の程を推し量るよすがになる。
<アンタルダナストラ>の使い方は主に2通り。1つは相手の意識をあたかもベールで覆ったかのように混濁させること。通常は眠らせる。もう1つは、自分が別の<アストラ>で呼び出した超常現象(猛火や突風など)を取り消すこと。
某宿曜師の毒舌:
「ほとんどの<アストラ>には持ち主とされている神様の名前が付いてるんだけど、例外もいくつかあって、その1つが<アンタルダナストラ>なの。そのことを話したららんちゃん、『ほんなら<ハールカーストラ>に改名! おしっ、決まり!!』ですって! 『おしっ』じゃないわよ、『おしっ』じゃ!!」
【アグネヤストラ】
より正確にはアーグネーヤーストラ。アグニ・アストラ(火の神の矢)の意。
火の元素に属する魔法としては<宿曜道>、<陰陽道>、<ルーン>、<オガム>を通してトップクラスの殺傷力を誇る。広範囲の敵を一気に焼き尽くすのが効果的な使い方だが、<アストラ>共通の特性として、発生させる全てのエネルギーを一点に集中して1体の敵にぶつけることも可能。
【アスラストラ】
より正確にはアースラーストラ。アスラ・アストラ(阿修羅の矢)の意。
阿修羅は元来、西方に起源を持つ光の神々で、幻術に秀でるといわれる。日本には戦いに明け暮れる魔神族として伝わった。阿修羅の名を冠する<アスラストラ>の性質を説明するキーワードこそが、上記の「光」・「幻術」・「戦い」の3つ。
<アスラストラ>は発射されると、周囲の光の反射のされ方に影響を与えて、あたかもそれぞれ違う形をもった無数の武器――猛獣の爪、猛禽のくちばし、毒蛇の牙、毒虫の針、さらには人間の刀や槍などこの世に存在するありとあらゆる武器――のように自らを見せる。
<アスラストラ>を射かけられた者の目には、それらが四方八方から自身に襲いかかってくるように見える。迎撃するためには、使われたのが幻影を伴う魔法であることを見破ることが大前提となる。
物理的な威力だけでも生身の人間を殺害するには十分すぎるほどだが、<アスラストラ>の恐ろしいところは、標的となった者の目には「体中の至るところを貫かれた」という”現実”が見えている点。実際に受けた肉体の損傷を遥かに上回る痛みを感じるものだし、精神的に弱い者ならばそれだけで呼吸困難に陥ることもあり得る。
【アインドラチャクラ】
インドラ・チャクラ(雷神の輪)の意。
生ぜしめる現象は<アインドラストラ>とほぼ同じで、見た目が矢かチャクラムか、程度の違いである。
【アインドラストラ】
より正確にはアインドラーストラ。インドラ・アストラ(雷神の矢)の意。
その名の通り雷の力を宿す。<アグネヤストラ>、<バルナストラ>、<バヤビヤストラ>よりも威力がわずかに高く、飛行速度も速い。叙事詩では数々の名のある戦士に引導を渡してきた名器でもある。
らんと晴日のある日の会話:
「なあなあ晴日、ウチの一生のお願い、聞いてくれる?」
「なあに? らんちゃんの一生のお願い、数え始めてからだけでもこれで27回目のはずだけだけど、言うだけ言ってみて」
「ウチ、一度でええからあんたが10円玉に<アインドラストラ>宿して『ピィン!』ってするとこ見てみたい!!」
「らんちゃん、この前の金曜日に3人で映画観てからもずいぶん遅くまでテレビ点けてたけど、何のアニメ観てたの? ――でもどうして10円玉?」
「銅の方が、何となく電気と相性よさそうやし」
「いいわ。らんちゃん相手だったら、いつでも何回でも飛ばしてあげる」
「おおきに、恩に着る――ワケないやろ! 死んでまうわ!!」
(……らんちゃん、突っ込みの腕、上げたわね)
【アイシカストラ】
より正確にはアイシーカーストラ。イシーカー・アストラ(葦の矢)の意。
武器に名前が反映されていないが、戦いの神スカンダの所有とされる。
威力は控え目ながら全<アストラ>中随一の速力と射程距離を有する。互いを視認できる程度の間合いから放てば一瞬で目標に到達する。矢の届く範囲は太陽の直径とほぼ同じ。さすがに光の速さという訳にはいかないので、最大射程の場合は着弾までに数十秒かかる。
手軽に使えて防ぎにくい点がこの魔法の最大の利点だ。
【カーラチャクラ】
カーラ・チャクラ(死神の輪)の意。
カーラには死の他に時という意味があり、カーラチャクラにおける意味合いはこちら。カーラチャクラが回転する内側では時間が一気に進み、囚われた者は見る間に寿命を迎える。たとえ途中で脱出できたとしてもいちど進んだ時間が戻るわけではなく、老化の影響は残る。
【カーラパーシャ】
カーラ・パーシャ(死神の羂索)の意。
カーラもダルマと同じくヤマの別名であり、よって<ヤミヤストラ>や<ダルマパーシャ>と同系統の魔法。<ダルマパーシャ>には裁き手としてのヤマの性格が強く反映されているのに対し、<カーラパーシャ>はより直接に対象を死にいざなう。捕獲した相手を冥府まで引きずり込む。
【カーラシャクティ】
カーラ・シャクティ(死神の投げ槍)の意。
効果は<ヤミヤストラ>と同じで、いわゆる即死魔法。飛翔時の形状が、<ヤミヤストラ>は弓から放たれる矢なのに対し、<カーラシャクティ>はジャベリン状だという違いしかない。
【ガンダルバストラ】
より正確にはガーンダルヴァーストラ。ガンダルヴァ・アストラ(水の精の矢)の意。
どちらかというと守備的な武器で、相手が射かけてきた<アストラ>を撃ち落とすことに長ける。
【ガルダストラ】
より正確にはガールダーストラ。ガルダ・アストラ(鳥の王の矢)の意。
射手の手元を離れると武器自体が黄金の翅を持つ鳥の姿をとって、独立した意思で辺りを飛び回る。そしてその場にいる竜という竜をついばんでいく。ゲームふうに言えば、視覚エフェクトはミニチュアライズされたガルダの分身を召喚する魔法で、性能はドラゴンに対するメタといったところ。
【ターマサ】
「タマスの」という意味。タマスとは暗黒のことだが、同時に阿修羅の1人で蝕を起こすとして恐れられたラーフの別名でもある。<宿曜道>に伝わる武器は名前の末尾の「~アストラ」という部分を端折って「アーグネーヤ」、「ヴァーヤヴィヤ」などと呼ばれることも少なくなく、同じように考えれば<ターマサ>も「ターマサーストラ」の省略形であるとも解釈し得るが、実際にそのように呼ばれた例を見ない。
叙事詩によれば、ヴァナラとラークシャサという2つの種族の間で戦争が起こった時、ラークシャサ側が<ターマサ>を使用した。すると<ターマサ>は戦場を暗闇に変えたばかりか、無数のヴァナラを切り刻み、あるいは焼き払った。生き残ったヴァナラたちも冥暗の中を逃げ惑う以外になすすべがなかったと。
【ダルマパーシャ】
ダルマ・パーシャ(正義の神の羂索)の意。
ダルマはヤマの別名であり、よって<ヤミヤストラ>と同じ力を拠り所とする。羂索とは分銅付きの投げ縄のことで、元々狩猟の道具だったが後に相手を生け捕りにする武器としても使われた。ダルマパーシャは罪業の深い者ほど深く食い込む(その分、痛い)性質がある。
【ナーガパーシャ】
ナーガ・パーシャ(龍の羂索)の意。
撃ち出されると互いに絡まった無数の毒蛇の姿に変わって、標的に巻き付く。構成する蛇の数が尋常ではなく、これで捕獲されると肘をわずかに曲げることさえ叶わないくらいにがんじ搦めとなる。蛇は嚙みついてこないが、毒は皮膚からじわじわと沁み出す。捕まった者はただ動けないだけでなく、早期に解放されなければ毒でやがて死ぬことになる。
【ナラヤナストラ】
より正確にはナーラーヤナーストラ。ナーラーヤナ・アストラ(大力の神の矢)の意。最強の<アストラ>の1つ。
使う時は敵の上空に向かって飛ばす。すると太陽と同じ明るさと視直径を持った輪が全天を覆い、敵めがけて一斉に降り注ぐ。
<ナラヤナストラ>は効果範囲内にいる者1人1人が抱いている”害意”を測定する。そしてその者たちに対し個別に、各自が持つ憎しみの感情に応じた火力で襲いかかる。戦う意思を露わにする者は確実に絶命する一方、武器を手放して戦闘を(<ナラヤナストラ>が通過する間だけでも)放棄する者は髪の毛1本、損なわれない。
戦いの場に自ら身を置く者は暴力によって誰かが死ぬ結果を認容する訳で、またその心を瞬間的にでも捨て去ることは困難だ。よって<ナラヤナストラ>の抜け道をもし知っていたとしても、実際に回避するのは至難の業といえる。結局、この<アストラ>がもたらす灼熱を生き延びることができるのは、人間以外の生き物、非戦闘員、戦意喪失した者の三者くらいだ。
<ナラヤナストラ>はたとえ使い方を習得したとしても、一生に一度しか行使できない。一度発射したことのある者が再び呼び出そうとすると、その者自身を攻撃すると伝わる。
晴日のコメント:
「<ナラヤナストラ>が究極の兵器と呼ばれる理由、個人的には、敵をほぼ確実に倒せるからじゃないと思う。戦いと関係のないものを決して傷つけないからじゃないかなって。だって現実的な話、100パーセント殺す武器なんていくらでもあるじゃない」
【パシュパタストラ】
より正確にはパーシュパターストラ。パシュパティ・アストラ(獣王の矢)の意。最強の<アストラ>の1つ。
全ての生物が保有する武器の威力を合わせたのに等しい破壊力を持つとされる。晴日も実際に使ったことはない。
【プラジュニャストラ】
より正確にはプラジュニャーストラ。プラジュニャー・アストラ(智慧の矢)の意。
全<アストラ>の中でも例外中の例外、味方に向けて放つ。<プラジュニャストラ>の効果範囲内に、もしも外部的な要因で精神に変調をきたしている者がいれば、健康な状態まで回復する。
<プラジュニャストラ>が力を発揮するのは専ら、魔法のような無形的な手段で心を蝕まれたような場面。老化などの自然な原因で考える力が減衰した場合はもちろん、物理的に脳が傷つけられた時も対象外。使える局面が非常に限られ、晴日に至っては実戦でこの魔法を使った経験は皆無。今後もたぶん無いだろうと思っている。叙事詩においても、<プラジュニャストラ>はほぼ「<モハナストラ>のメタ」といった位置付けである。
【ブラフマダッタ】
ブラフマー・ダッタ(創造神からの授かりもの)の意。
叙事詩によればアガスティヤという仙人から人間の英雄に授けられた。神々を屈服させた魔王にとどめを刺したのはこの武器であるようだ。
形状は狭義のアストラと同じく矢。必ず命中し、おまけに自動的に使い手の元へ還ってくるとされる。
<ブラフマストラ>とは異なり敵の殺傷に特化した性能で、威力も強。さらには回数制限もないと、使いやすい武器である。
【ブラフマシラス】
ブラフマー・シラス(創造神の矢尻)の意。最強の<アストラ>の1つ。
シラスは物の先端という意味で、人間の頭や山の頂上なども表わす。<ブラフマシラスは>その名の通り矢尻、すなわち矢の先端だけといういびつな形をしている。それも、五鈷杵のように5つの突起を持ち、そのうち中央の1つが欠けて失われている。
創造神の名を冠するのに反してその効果は破壊そのもの。着弾した地域は以後12年間、雨さえ降らない砂漠のような場所になるとされる。万が一2つの<ブラフマシラス>同士が衝突するようなことがあれば、その時は世界すら終焉するとも伝わる。晴日は怖がって使わない。
晴日のコメント:
「<ブラフマシラス>は威力で言えば最強の<アストラ>だと思う。飛び道具じゃないから厳密には<アストラ>じゃないかもしれないけど、叙事詩にはもっとすごい武器が出てくるわよ。<ブラフマダンダ>っていってね、どんな<アストラ>でも効果を発揮させずにはたき落とせるんだって。――私? 使えるわけないじゃない、欲しいけど」
【ブラフマストラ】
より正確にはブラフマーストラ。ブラフマー・アストラ(創造神の矢)の意。
非常に汎用性の高い武器で、叙事詩でも割合しょっちゅう使用される。
使い方の第一は、造化の神の権能をもっともストレートに行使するもので、戦場に任意のもの――通常は無生物――を出現させる。叙事詩では<ブラフマストラ>で「暗黒」そのものを呼び出した例がある。
使い方の第二はその反対。いったん有効に行われた創造の営みを、将来に向かって覆滅させる。例えば効果対象を「ラークシャサ」に設定して<ブラフマストラ>を撃つと、戦場にいないものも含めて地上から全てのラークシャサを一掃する。
使い方の第三は「メタの抜け道」。「いかなる武器も通用しない」などと謳うアイテムや加護を、<ブラフマストラ>をはじめとする創造神の武器だけは例外的にすり抜ける、といった現象がたまにある。
第一と第二に関して言えば、その影響がどこでどう尾を引いてくるか分からない点に怖さがある。熊を駆除したところ鹿や猪が増えすぎて獣害が発生した、というのと同じ構図だ。使用そのものには制限も反動もないので叙事詩だと気軽に撃ち合いになる<アストラ>だが、晴日は怖がって使わない。
【マナバストラ】
より正確にはマーナヴァーストラ。マヌ・アストラ(最初の人の矢)の意。
殺傷力を全く持たず、相手を傷つけることなく数十キロメートル彼方へはじき飛ばすのみ。使い手の思想によって武器そのものに対する評価が大きく変動する<アストラ>といえる。
【マヘシュバラストラ】
より正確にはマーヘーシュヴァラーストラ。マヘーシュヴァラ・アストラ(主神の矢)の意。
破壊神の名前を冠する<アストラ>は3種類が知られており、そのうち<マヘシュバラストラ>は割合、守備的な性能を持つ。あらゆる<アストラ>を撃墜することができるとされる。もっとも、叙事詩だと攻撃手段が通常兵器か<アストラ>しかないというだけで、<マヘシュバラストラ>が<アストラ>以外に対して無力ということはない。要するに、敵の攻撃手段を全て滅することを以て防御に代える魔法。
【モハナストラ】
より正確にはモーハナーストラ。モーハナ・アストラ(惑乱の矢)の意。
総じて目標物を破壊することに主眼を置く<アストラ>の中にあって、相手の肉体を全く傷つけない非常に珍しい武器の1つ。愛の神カーマは人の心に直接働きかける5種類の<アストラ>を持っていて、その1つが<モハナストラ>と伝わる。
<モハナストラ>の効力を100%受けた者は昏睡状態に陥る。精神的な強さによっては、戦意をくじかれる、思考能力が低下する、異様な興奮状態になる、といった症状で済む場合もある(それでも戦闘の継続は困難だが)。
らんと晴日のある日の会話:
「なあなあ晴日」
「今度は何よ、らんちゃん」
「<モハナストラ>で気絶したりおかしなったりした人って、<プラジュニャストラ>とかで治療せんくても、時間が経ったら自然に回復するモンなん?」
「分かんない。本にも載ってないし」
「ほんなら、試してみぃへん?」
「そうね。私もちょうど、<モハナストラ>で確かめたいことがあったし」
「なになに?」
「らんちゃんが知りたいのと反対のこと。<モハナストラ>を撃たれた人を長い間放置しすぎたら、後遺症が残って<プラジュニャストラ>でも完全には治せなくなったりするのかなって。これもどこにも書かれていないの」
「んじゃ、この機会にテストしてみよっか」
「そうね。ちょうどいいところに被験者も来てくれたことだし」(じっ――)
「あーそーやまだ宿題してへんかったわほなウチそろそろ帰るさかい」
「ちょっ――、らんちゃあん!?」
【ヤミヤストラ】
より正確にはヤーミヤーストラ。ヤマ・アストラ(冥府の神の矢)の意。
効果は単純明快。ゲームふうに言えばそのものズバリの即死魔法。被弾する前に撃ち落とすことはできるが、基本的に当たったら死ぬ。
【ラウドラストラ】
より正確にはラウドラーストラ。ルドラ・アストラ(暴風雨の神の矢)の意。
破壊神の名前を冠する<アストラ>は3種類が知られており、<ラウドラストラ>はその中では最も小型。それでも大した威力ではあるが、叙事詩でも他の2つよりは割と気軽に使われる傾向がある。ルドラは元来は暴風雨の神だったといわれ、<ラウドラストラ>も魔法としては水・風・雷の性質が強く出る。
【バルナパーシャ】
より正確にはヴァルナパーシャ。ヴァルナ・パーシャ(水神の羂索)の意。
元々<バルナストラ>は守りの武器という性格が強く、対象を捕縛する<バルナパーシャ>の方がどちらかというと積極的な目的で運用された。芽実が<バルナストラ>の攻撃的な用法を見出したことで、両者の間の差が小さくなった。
【バヤビヤストラ】
より正確にはヴァーヤヴィヤーストラ。ヴァーユ・アストラ(風神の矢)の意。
矢の周囲に空気の渦を発生させる。単純に相手を飛ばして攻撃するという使い方もできるが、敵が飛び道具を使ってきた場合にそれをあらぬ方向へ吹き散らすような守備的な使用例も古くからある。
風の元素に属する魔法の全般に言えることだが、木火土金水の五行には含まれないため五行相剋の影響を受けることがなく、相手がどの五行に属するか判別しがたい場合でも安定したダメージが見込める。
【バルナストラ】
より正確にはヴァールナーストラ。ヴァルナ・アストラ(水神の矢)の意。
伝統的には迎撃ミサイル的な運用がされることが多く、特に<アグネヤストラ>を防ぐ目的で<バルナストラ>が使われる例は枚挙にいとまがない。炸裂した瞬間、膨大な量の水が溢れだして、<アグネヤストラ>のような火の魔法を消してしまうわけだ。
早月のここだけの話:
「ホントはね、<バルナストラ>って守りに特化した<アストラ>だったんだ。でも晴日はどちらかというと、『水流で切る』魔法みたいに使うことの方が多いよ。で、この応用法を見つけたのがおばーちゃん。それも戦後のことだって。水を圧縮して勢いよく撃ち出したらコンクリートも切断できるって、工業的にはけっこう前から知られてて、それを魔法にも転用できないか試してみたら大成功だった、とか何とか。晴日はよく、自虐で宿曜道のことカレーライスって表現するけど、あながち間違ってないんじゃないかって思う」
【バイシュナバストラ】
より正確にはヴァイシュナヴァーストラ。ヴィシュヌ・アストラ(遍照の神の矢)の意。最強の<アストラ>の1つ。
叙事詩によれば、わずかな例外を除いて神をも殺す力を秘めると伝わる。晴日も実際に使ったことはない。
【サンバルタ】
より正確にはサンヴァルタ。「終末」という意味。
叙事詩によれば死神が所有する無敵の武器。ガンダルヴァという精霊の種族と人間との間に戦争が起こり、人間側が<サンバルタ>を使ったところ、一瞬のうちに3千万いたというガンダルヴァの兵士が1人残らず消滅したと。
晴日のコメント:
「いくつかの<アストラ>についてはおばーちゃんから、『使わないとあなたかあなたの大切な人が死ぬって状況じゃなきゃ使っちゃだめよ。逃げられるんだったら逃げることを優先しなさい』って言われたわ。その中の1つが<サンバルタ>。他は、<バイシュナバストラ>と<パシュパタストラ>と<ブラフマシラス>よ」
【スルヤストラ】
より正確にはスーリヤーストラ。スーリヤ・アストラ(太陽神の矢)の意。
火の元素に属する<宿曜道>の魔法としては、<アグネヤストラ>の方が多用される。両者の違いは、<アグネヤストラ>が物体を燃焼させる作用を重視するのに対し、<スルヤストラ>は光自体も攻撃の手段と考えている点。よって、純粋に対象物を焼くことに主眼を置く場合は<アグネヤストラ>の方が有効だし、何らかの理由で激しい光を必要とするならば<スルヤストラ>の出番だ。
放出する熱量や全エネルギーのトータルで言えば両者の間に差はない。叙事詩によると、<スルヤストラ>と<アグネヤストラ>が正面から激突した際は、互いを跡形もなく焼き尽くしてしまったという。
さしあたり、ヴァンパイアやトロルのような光を苦手とする生き物にとっては、<スルヤストラ>はまず間違いなく致命的となる。