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1話:メイギス・レイラー

 メイギス・レイラーは手に持った紙を二度人差し指でたたくと、背もたれに体を預けた。


 扉が三度ノックされ、夕食をお持ちしました、とメイドの声が聞こえてくる。


「どうぞ」


 メイギスの返答を受けて、若い給仕の娘が入室してきた。

 

「そちらに置いてもよろしいでしょうか?」


 給仕の問いに、メイギスは、ええ、と答えて机上の諸々を鞄にはける。

 その中にあった二、三の機密物は、すでにダミーへと置き換えられている。


「では、また何かありましたらお声がけください」


 娘は高級宿の給仕だけあってほとんどの間表情を崩さなかったが、しかし二度。

 入室直後と鞄を後ろに動かしたときにだけほんの微かに目が動いたのを、メイギスは見逃がさなかった。


 そして、それらがこの部屋に一切の光源がないことや自身が始終目を閉じ続けていることに起因するものではないことも。


 メイギスは人差し指でその長い黒髪を耳にかけると、伯爵の名にふさわしい優雅さで夕食を取り始めた。


(一つ、二つ、三つ――


 口に運ぶ動きは止めずに、メイギスは一定のリズムでカウントを増やしていく。


――十) 


 顔を傾けた際に髪がこぼれ、それを今度は親指と小指を除いた三本に絡めて元の位置に戻した。


 

 それから平均的な時間をかけて食事を終えたメイギスは、備え付けのベルを鳴らして食器を下げさせ入浴を済ませると早々にベッドへもぐりこんだ。





――色街の灯りも怪しくなってきたころ、部屋の中には数人の黒装束がいた。


 洗練された動きは肉体のみならず魔力操作にも表れており、並の人物では彼らの存在に気づくことはできないだろう。

 森の中で特定の野草を見つけることが、そう簡単なことではないように。

 まして、それが意図的に自信と限りなく似たデコイを少し離れた位置に用意しているのだとしたら猶のことだ。

 

 黒装束たちは机の後ろに立てかけられた鞄からいくつかの書類を抜き出すとその内容を書き写し、侵入時と同じように堂々と扉kら出ていった。


 全員が外に出ると給仕の娘は扉を閉め、また鍵をかけてそれらの後を追った。


 メイギスは左半身が下になるように寝返りを打つと、掛布団を少し上げる。


 それからメイギスが目を覚ますまでに、特筆すべきことはなかった。





 

 メイギスは宿を後にすると、迎えの馬車に乗って領主館を訪れた。


「やあ、ようこそいらっしゃった、メイギス殿」

「いえ、本日はお招きいただきいただきありがとうございます、オーゼス子爵」


 案内された客室で出迎えた中年の男は、メイギスが目をつむったままなのをいいことに、そのいやらしい視線を隠すこともなくメイギスの全身を嘗め回すように眺めると、その手を取ってソファへと誘導した。


「さて、早速ですが――


 ◇◇◇ 


――では、またお越しください。


 メイギスは使用人に案内されて再び馬車に乗り込むと、そのままこの街を去っていった。



 

 馬車は昼も夜も休まず走り続け、その間馬車のカーテンが開かれることは一度としてなかった。


 国境を越え、二、三の山を越え、三本の川を跨いだ後、街壁が見えてくる。


 最端の町、ロナン。


 街から千歩も歩けば断崖絶壁にたどり着く、海辺の都市。


 聖王国に属するこの街は決して落ち目というわけではないが、同規模の他都市と比べると活気に欠け特産品もなく流通の経由地とするにも特別ここである必要はない。


 地政学的に見ても、財政的に見ても、決してここにこの規模が必要なわけではない。

 いやそれどころかむしろもっと規模を縮小しても問題もないはずの、そんな街。


 しかし、聖王の慈悲と街壁工事の手間から今日まで維持されてきている都市――ということになっている。

 表向きは。


 馬車は街に入るとまっすぐに領主館へ入っていく。


「ようこそ、お越しくださいました。どうぞこちらへ」

「ありがとう」


 出迎えてきたのは、五十代半ばの男だった。

 男はその快活そうな見た目にたがわぬ笑顔でメイギスの隣を歩き、屋敷へと入っていく。

 すれ違うメイド達が敬いを込めて辞儀をすることからも、この男の人となりが見えてくることだろう。


「旦那様、お茶をお持ちいたしました」


 執事らしき老人が、きれいな所作でティーカップとお茶菓子を負いて男の後ろに控えた。

       

 コーリッヒ・ケンデル()()


 この街の領主にして辺り一帯の領主を束ねる大人物であり、彼の一族が長く根ざしていることそのものがこの街が今もあり続ける理由の一つといえるであろうほどの有能な家をまとめる現当主。

 

「……リラックス効果のある茶葉ですか」


 貴人に対する態度を崩さないコーリッヒに対して、メイギスは両手でカップを持つなどやや態度を崩している。


「はい。数日前詳しい知り合いがこれを持って訪れるという僥倖に巡り合えまして」


 その声音は凡そ見かけ通りではあるが、永く共に歩んできた執事などにはその裏に隠した緊張も見抜かれていた。


「相変わらずですね。あなたほどの人物が未だ独身だなんて、メイド達も気が休まらないでしょう」


 茶葉などの分かりやすいところから始まり、絢爛さより入り口からの距離を優先した部屋選びや嫌な思いをしたのであろう国の名を出さない等々細部まで気配りを欠かさない、それでいて日頃から部下とは接しやすい雰囲気を保つ。

 男が屋敷内のみならず民衆からも絶大な人気を得ているのは、想像に難くないことだ。

 そして、それは恋心においてもまた同じことであった。


「いえいえ、彼女たちならば私よりももっとふさわしい人物がおりますよ」


 相変わらず謙虚なこの男に、ふとメイギスのいたずら心がくすぐられた。


「……そんなことありませんよ。彼女たちの気持ちもよくわかります。私も、添い遂げるならばあなたのような殿方がいいですから」


 少し口の端を持ち上げてそんなことを言ってみせると、男と執事はわかりやすくうろたえだした。


「あ、ありがたいことですが、それこそ私などではとても釣り合いが取れませんよ」


 コーリッヒは、言ってからこの返しがあまり良い手ではないことに気づいた。


 彼は侯爵、それも大領主である。

 伯爵で特別大きな領地を持つわけでもないメイギスとは、少なくともそこだけ見れば釣り合わないはずがないのだ。

 むしろお似合いともいえるかもしれない。

 

 メイギスは上品な笑みを見せると、追い打ちをかけるように「このお茶のおかげで、お互い少し心の内を滑らせやすくなってしまったかもしれないですね」と言い微笑んで見せる。

 ややあって、


「……どうか、ご勘弁を」


 コーリッヒは白旗を上げた。


「そうですね。そこの彼女たちにあなたが刺される前にやめておきますか」


 メイギスの声に応えるように、扉が小さく軋んだ。

 それを見て、コーリッヒもようやく気付いたようだ。


「…………あとでしっかりと指導いたしますので、どうかご容赦を」


 コーリッヒはとても目上の人間とは思えないほど潔く、深々と頭を下げた。


「まあ、あなたの部下ならば大丈夫でしょう。それよりも、そろそろ行くことにします」


 再び扉が軋む。

 耳の良い者になら、慌てたような足音も聞こえることだろう。


「…………では、こちらへ」


 少しの間をおいて、コーリッヒが立ち上がり先導する。


 執事は一番最後に部屋を出て扉を閉めると、一礼して二人とは別の方向に去っていった。

 さっきのメイド達を捕まえに行ったのだろう。


「どうぞ」


 案内されたのは、コーリッヒの自室だった。

 華美ではないものの品がよく、部屋の主、あるいは維持管理する者のセンスの良さがうかがえる。


「ありがとう」


 メイギスは慣れた手つきで部屋の備品のいくつかに魔力を注ぎ、向きを変え、あるいは入れ替えていき、そうすると急に、部屋全体が暗闇に堕ちた。

 否。

 そこはさっきまでの室内ではなく、ごつごつとした岩肌が剥き出しの空間だった。


「ふぅ……ご苦労様」


 メイギスの言葉に、コーリッヒは辞儀一つで返す。


 ここは領主邸のはるか地下、この街が今も廃されない理由のすべて。

 床に描かれた人二人分ほどの直径を誇る魔法陣は、対応する陣に転移するためのものだ。


「では、また」


 途端、魔法陣が、まばゆく輝く。


「はい、お気を付けて」


 コーリッヒに見送られる中、メイギスは光の中へと消えていった。


補遺

 これは――とは関係なさそうだ。

 ひとまずは後回しにしていいだろう。

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