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その救世主はあまりにも

 艶やかな黒の髪を靡かせながら、必死の形相で走る一人の少女。

 煌めく闇色の瞳は恐怖に怯え、息は荒れ、耳は確かに絶望の接近を感知してしまっていた。


 こんなはずではなかった。それが彼女──ヘルナ・サザンカエルが今思っている全てであった。

 

 生まれ持った才覚故に、いずれ来たる試練の旅路。

 自らの責務を全うする、そのための最初の一歩として多くの騎士を連れての初陣でしかなかった。

 

 王族らしくなく毎日剣を振った。騎士と同じように走り鍛え、魔法の稽古まで勤しんだ。

 城に常駐していた騎士にだって負けていない。自分は決して弱くない。積み上げてきた確かな経験による自負が幼き少女にはあった。

 だがその自信はもうどこにもない。あるのは現実にへし折られ、恐怖に砕かれてしまった心のみ。

 

 黒く硬い、鉄の塊である剣すら弾き折るほどの皮膚と肉を備えた牛の魔獣。

 おぞましき暴の圧。突進は自分を守護した騎士を悉く薙ぎ払い、咥える斧は鎧諸共挽き潰した。

 初陣にと賜った剣は砕かれた。魔法は通じず、魔力は既にからっきし。

 最早打つ手はない。どれだけ悲鳴を叫ぼうと助けなど訪れるわけがない。つまり、詰みであった。


「ひぃ、ひい! しにたく、死にたくないっ! まだ、死ねないっ……!!」


 疲労か恐怖か、或いはその両方か。

 やがて足を縺れさせ、その勢いのまま地面へと転げてしまう黒髪の少女。

 痛みに顔を歪めながら、それでもすぐに立ち上がろうとして──その気配の君臨に硬直してしまう。


 ……いる。やつはもう、私のすぐ後ろにいる。多くの騎士を殺し、そして私に狙いを定めている。

 

 自らの終わりを悟る黒髪の少女。

 身体が、心が、魂が。己を形成する一切が少し先の自分を理解し、悟り、受け入れてしまう。

 嗚呼、私は死ぬだろう。先ほどまでに目にしてしまった、惨たらしく命を散らした騎士達を同じように。

 

 諦観に応じるよう力が抜ける。上も下も、無常に液が零れ服を濡らしてしまう。

 そして迫り来る巨躯に目を閉じてしまった、その瞬間。

 彼女の耳に届いたのは鋭い風切り音。死の間際とは思えぬ、心地好さすら感じてしまう一筋の音であった。


「……依頼帰りに悲鳴が聞こえたと思えば、随分と惨い有様だな」

 

 いつまでも訪れない肉の衝突。自らの死。代わりに聞こえたのは、あるはずのない音。

 低く通りのいい、聡明な紳士を思わせる優雅な音。

 こんな死地には似つかわしくない、安らぎすら感じさせる響き。それはまさしく美声と呼ぶべき男の声であった。

 

「無事……とは言えないな。そら立てるか? お嬢さん」


 場違いにも胸をときめかせながら、少女はゆっくりと目を開ける。

 そこにあったのは、つい一瞬前まで荒ぶっていた牛の魔獣が両断され骸と化した姿。そしてその前に立つ、剣を片手に収めた一人の冒険者。

 少女は目を大きく、そして丸くしてしまう。

 何故ならその人物は自らが想像していた姿とはかけ離れたもの。紳士とはかけ離れた、言うなればそれとは対極な、浅ましい私欲を満たした貴族のような容姿であったから。


 ──その命の恩人はあまりに丸く、美声を裏切るように肥えた、例えるなら醜い豚のような男だった。

読んでくださった方へ。

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