泥中一片(豆話:後編)
池に咲いていた睡蓮の花を、何故綺麗に見えたのか。
いや、そもそも花に星。命や他の数多。
それ等を綺麗だと思う者は多くても、何故綺麗に思えるのか疑問に感じる者達は少ないだろう。
綺麗な事に理由など無い。そう言い切れれば何れ程楽か。
私の沈黙に友人は、一瞬諦めたような雰囲気を纏った気がした。
「例えば君は、広い花畑に居たとして、其処に咲く小さな一輪の花の美しさに気が付けるだろうか?同じ種類の花や、他の淡く美しい花々が生い茂っていたとして、その一輪に気付けるのか」
友人の視線は遠く、其処には幻想の花畑が在る様だった。
広い花畑で、他に数多の花々が咲く中で、小さな一輪の花に気が付く。
おそらく時間を掛ければ、目的の種類の花を見付ける事は可能だろう。
だが、数多の綺麗な花々の中で、小さな花一輪を綺麗だと気が付けるかは別である。
「それが、睡蓮の話とどう繋がるんだ?」
肯定出来ない私は、言葉を濁して友人に問う。
そんな私の心中を知らないであろう友人は、更に例えを上げた。
「ではその一輪の花を、水の入った白盆に浮かべたとしたら、君はその花を綺麗に思えるだろうか。君の想う花弁に茎。葉を持つ花が水に浮かぶ姿は綺麗か」
そう問う友人の言葉に、私は水盆に浮かぶ小さくも愛らしい花を思い浮かべる。
するとどうだろうか。先程は何も浮かばず、彩りに惹かれる事もなかった花が、唐突に淡く華奢で綺麗に思えたのだ。
「それは、綺麗だと思う」
未だ答えの出ない私の言葉に、友人は頷いた。
「私はね、水盆の小花や池の睡蓮が綺麗に想えるのは、其処にそれしか無いからだと思うんだ」
友人の答えは、澄んでいるのに何故か寂しく聴こえた気がした。
「水盆や池という白紙の上に、花が一輪在るというのは無に有が現れる姿だ。多くがあれば一つの有に魅せられる事も、花弁一片を想う事も無いだろう。それが私の想う答えで、この池を良しとする理由だ」
友人の言葉はやはりどこか寂しく聴こえる。けれどその答えは確かに一つの答えで、間違いとは言えなかった。
見下ろす池は変わらず生き物の気配が無く、苔の付いた岩に囲まれている。
底に薄く泥が溜まった、素朴な池だ。
その時、一瞬突風が吹き、庭木の若葉が一枚ひらりと池に舞い落ちた。
水面に触れ舟となった若葉は、其処に薄い波紋を漂わせ、池を白紙とした絵になる。
たかが木の葉一枚。青々と繁った森の中ならば、何も想うことの無い一片。
しかし、目の前の苔むした岩。泥と透明な池の水。その透明な水に波紋を描く木の葉は、絵に成る程の様だった。
「それが、意味だよ」
呆けた表情で池を見る私に、友人は僅かに悦を交えた声音で池の意味を説いた。
先程迄は汚い池だと思っていたのに、友人の話を木の葉一枚だけで知る事となったのだ。
「そうか、確かに此は意味が在るんだな」
沁々と納得した声音で頷く私の隣で佇む友人は、あの池の睡蓮を想わせた気がした。




