泥中一片(豆話:前編)
その日も友人は庭の池を眺めていた。
植物を好む友人の庭は小さいながらも季節の植物が繁り、生垣の側には樹木が斑な陰を落としている。
生い茂る植物の青々とした香りが、心地良い柔らかさで流れていく。
そんな見事な庭だというのに、友人の庭池には生き物の気配が一つも無かった。
「そんなに池が好きなら、綺麗な花なり鯉なりで飾れば良いだろう」
縁側に腰を下ろした私が友人の背に告げると、友人は振り向かずに言葉を返した。
「この池は、これで意味を成しているんだ」
友人が変わらず眺めている池は澱むように濁り、囲う岩は深い緑で苔むしている。
せめて一度池の水を抜き磨きあげれば見映えするだろうに。
泥の沈んだ生き物の気配の無い池に、いったい何の意味があるというのか。
友人の背を呆れた表情で見守る私に、友人は少し身を返して苦笑を浮かべ手招きをする。
「なあ、君の目に、此はどう見える?」
気怠く近寄る私が隣に立つと、友人は池を見詰めたまま私に問いを投げてきた。
「どうって、そうだな。汚い池だな。手入れの一つでもした方が良いんじゃないか?」
率直な物言いで答えた私の表情を、友人は淡く横目に一瞥する。
友人の表情には、呆れと微笑みが雑ざって見えた。
「この池は、何も無い池じゃないんだ。君は、睡蓮という花を見た事はあるかい?」
友人は時として、師のような物言いをする事がある。
これもまたその一つなのだろう。
私は友人の横顔から再び池へと視線を向け、訝しい気持ちのままに答える。
「あれだろう。公園とかの池に浮かんで咲いている白い花」
思い浮かべたのは公園にある大きな池と、水鳥。そこに所々咲く白い睡蓮だった。
あの景色は涼しげで、気を落ち着けるのに良い風景だ。
広い池に水鳥が仲睦まじく寄り添う姿や、白い花が咲くのは実に映えるものである。
だが、それに比べて目の前の小さな池には花一輪も無い。
意味が分からずにいる私に、友人は視線を池へと向けたまま小さく頷いた。
「色は他にもあるけど、概ね合っていると思う」
頷く友人の二の句を、私は慣れたように待つ。
「では、君は池に咲く睡蓮を綺麗だと思うか?」
案の定の二の句は、何とも平凡な是非の問いだった。
この友人は時としてやたらと難しい事を問うのだが、今回は実に簡単な問いである。
池に咲く睡蓮を綺麗だと思うか否か。そんなものは人それぞれだろう。
だが、多くは花に美しさや癒しを覚えるものだ。
「綺麗なんじゃないか?少なくとも私には綺麗に見えた。この池にも咲かせれば、少しは映えるんじゃないか」
時折流れる風が、植物の葉や花を揺らして心を澄ましていく。
とはいえ良い加減、何も無い池を眺めるのも飽きてきた。
そんな私の思いなど気付かず、不意に友人は視線を池から私へと向け、意図の分からない問いを投げる。
「では、何故綺麗だと思ったんだ?その公園が綺麗だったからか?水が澄んでいたのか?」
友人の問いは難題なものも多い。やはりこれも、その類いなのだろう。