蝶会瀬(L豆話後編)
棘を見せる真似は叶うならば避けたかった。
言葉に滲む起伏は感情の影が淡く滲むものだ。そこを悟られ無いように抑えていたというのに。
何よりも厄介なのは、私が蝶の情に敏いように蝶もまた敏いのだ。
「それは嫉妬か?確かに他の花々も綺麗だが、文無しの花に留まるのはいつも一輪だけだ」
帳に蝶の背が触れたのだろう。僅かに帳が揺れ、蝶が機嫌の良い声を呟く。
「帳に寄るな。破れるだろう」
思いの影を悟られた私は、不機嫌な声音で話を逸らす。
だが蝶はこれしきで諦めるほど立ち去る者ではない。
「帳を心配するならば部屋に居れてくれないか?晩秋とはいえ、この時間は冷えるものだ。凍えてしまう」
飄々とした口調で居を求める彼に、内心そのまま凍え散れと悪態を告げてしまいたいところだが、そろそろ見廻りの者が廊下に現れかねない時だ。その者の口が何れ程か分からないが、要らぬ火の粉を掛けられては堪らない。
「君が凍えようと構わないが、他の花に知られては迷惑だ。さっさと入れ」
煩わしい心情を表情に浮かべながら、私は静かに蝶の入室を許可する。
「ありがとう、宵闇の月も多種の花々も綺麗だが、私の心に映えるのはやはり君という一輪だよ」
久しく見えずにいた蝶は、今夜も変わらず浮世の愚かな蝶だった。
「心にあるというのも今この時の話だろう。明日には別の花がそこに咲く。君は、そういう奴だ」
ゆっくりと距離を詰める蝶に、私は冷たい言葉を突き返す。とうに理解しているのだ。蝶にとって私自身も数多の花の一輪でしかないという事を。だからこそ浅く留める為に距離を保つのだ。蝶を深追いしたところで、花は蝶を追えないのだから。
だが今夜の蝶はどこか顔色を変えていた。
「確かに今までの行いを思えば、信じられないのも致し方無いだろう。だが、私とて一輪の花を思う事もあるんだよ。君が望み思懐いてくれるのなら一輪を思うのに」
蝶の声音と表情は僅かな苛立ちと悲しみ。自虐を混ぜ合わせたものを纏い、その雰囲気に私は呑まれ思考が止まる。
目の前の蝶は何時もの浮世とは違い、それは純粋な想いを懐いた者に見えた。
「何だそれは。今さら辞めてくれないか。最近になって漸く落ち着いてきたというのに」
視線を泳がした私の言葉に、蝶は合わせるよう促す仕草で私の両頬に手を添えた。
「此処数日考えていたんだよ。文のない花の事ばかりをね。そのせいか宵闇の月も多種の華々を愛でる術も忘れてしまったんだ。責を取れとは言わないが、せめて文のない一輪の花を愛でたいと思っている」
何時に無く真剣な物言いの蝶。いや彼を、私は苦笑交じりに抱き寄せた。
「私は蝶が去ればすぐに散るぞ。その覚悟があるのならば、君だけの花になってやろう」
そう囁く私の言葉に、彼の体温が僅かに上がった気がした。
今夜からは、物思いに触れる事も減るだろう。