第二話『その日常は意外にも』
「なあ幹人、昨日の『バラっとTV』見たか? 来夏ちゃんが宣言通りカラコン使ってオッドアイにしててさ、もう最高に可愛かったんだよー……」
午前中の授業が終わり、一まず気を抜くことが許される昼休みの時間。すっかり一緒に飯を食うことが日課になった友人と机をくっつけて、俺は弁当に箸を伸ばしていた。
「話を聞いたときは黒目のままでも十分に可愛いって思ってたんだけどさ、いざ見てみると超キュートでさ……こりゃあ推すしかねえなって再確認させられたわけよ」
「へえ、そんなに似合ってたのか。……というか、似合ってようが似合ってまいが渉が来夏の推しをやめる日が来るとは思えねえけどな」
「流石は俺の親友、よくわかってんじゃねえか! 来夏ちゃんがどんな道に進もうと俺はあの子を推し続ける覚悟だからな!」
「……まあ、破産しない程度にな」
昼休みの教室だというのに限界化している俺の友人――仁藤 渉に、クラスからは奇異の視線が向けられている。渉が極度の来夏推しなのは周知の事実だから、からかわれたりするようなことはないんだけどな。
そういう意味では、このクラスはオタク的趣味にメチャクチャ寛容ないいところなのかもしれないよな……。来夏は既に国民的アイドルだし、クラスの大半は少なからず推していることも黙認される理由なのかもしれないが。
「というか、幹人はいつまで経っても布教されてくれないよなー……俺の熱量をして来夏ちゃんを布教できない奴なんてそうそういなかったのにさ」
「別に推してねえわけじゃねえよ。テレビで見かけたら注目するし、それなりに応援もしてる。頑張ってるなーって思ってるぞ?」
「確かにそれも推し方の一つではあるけどさあ……もっとこう、写真集とか興味ねえのか? 俺でよければいつでも貸し出すぞ?」
布教用に何冊も買い込んであるからな、と渉はどや顔を浮かべて見せる。バイト禁止の高校生のどこからそんな資金が出てきているのかほとほと疑問ではあるが、俺はその疑問を押し殺して小さく首を振った。
「遠慮しとくよ。そういうのは一回ハマったら沼が深そうだ」
「いいじゃねえか。一緒に沼にハマろうぜえ……?」
おいでおいで、と手招きをする渉を一まず無視して、俺は唐揚げを口に運ぶ。弁当ということもあって温かさはなくなってしまっていたが、一噛みした瞬間に広がる肉のうまみに俺は思わず目を細めた。
余談だが、今俺が食べている弁当は前のカラコン練習のお礼と称して悠那に作ってもらったものだ。憧れのトップアイドルの手料理が今渉の前には存在しているわけだが、それを渉が知ることは多分一生ないだろう。そんなこと教えたら神棚に飾りかねないし。
「ほんと、あれだけ可愛くて親しみやすい女の子を推さずにいられる理由が分かんねえよ……ひょっとしてお前ってリア充なのか?」
「そんなんじゃねえよ。いるのはおせっかいな幼馴染だけだ」
来夏を推さない理由が分からないあまり邪推を始めた渉にぶっきらぼうな言葉を返し、俺は最後の唐揚げを口の中に放り込む。……うん、美味い。
悠那は高校入学前から下積み的なアイドル活動をしていたこともあって、芸能人が通うような専門学校に通学している。だから悠那のことは『俺の幼馴染』くらいの認識でしかないし、その正体が出雲来夏であることに気が付くことは不可能に等しいだろう。プライベートと仕事モードじゃファッションも全然違うし。
「でもさ幹人、その子女の子なんだろ? 家が隣で、小さいころから家族ぐるみの付き合いでさ」
「ああ、そうだな。そのせいで学校が離れた今でも腐れ縁だよ」
悠那がアイドルとしての道を歩みだした今でも、俺たちの縁は切れることなく続いている。悠那がトップアイドルでいるまでの道のりも見て来たし、そうなってからの苦労も見て来た。……多分、これからも見守ることになるだろう。悠那が俺の事をいらないって言わない限りは、だけどな。
いつかそんな時が来るのかもしれないな……なんてしんみり考えていると、正面からの渉の視線がイヤに冷たくなっている事に気が付く。どういうこっちゃとふと弁当箱から顔を上げると、そこには鬼の形相を浮かべ、こちらに思い切り身を乗り出している渉の姿があった。
「……どうした、渉」
「どうしたもこうしたも……ねええだろおおおおおーーーッ‼」
俺の問いかけがどうやら渉にとっては最後の引き金となってしまったらしく、最早咆哮とも言っていい声を上げながら頭を抱える。いくら騒がしい渉に寛容なクラスとはいっても、これにはさすがに――
「……いや、誰も止めねえのかよ」
誰一人として、渉の暴走を止めようという動きは見当たらない。……というか、男女問わずクラス全体から『俺に向かって』冷ややかな視線が向けられているような――
「……どうして俺の事を止めるやつがいないのかって、そう言いたげな顔をしてるな」
俺の思考を見透かしたような渉の言葉に、なぜか俺の背筋に冷たいものが走る。なんというか、どこかで洗濯を間違えてしまったかのような、そんな感覚――
「いいか幹人、よーく聞いとけ。全国数百万の高校生にとってな、『小さいころから一緒の幼馴染(もちろん異性)』なんてのはそれだけで憧れなんだ。たとえそれが恋人関係でなくとも、どれだけ当人にとってうっとうしいと思っていても、俺たちからしたらその関係性そのものが憧れなんだよ」
大仰な身振り手振りを交え、たっぷりと抑揚をつけて俺へと話しかける渉のそれはまるで演説のごとし。……というか、周りから「うんうん」って声が聞こえてるし。……勿論、男女問わず。
「そんな憧れの関係性を持ちながら、お前はそれを『リア充じゃない』とのたまいやがった。……その意味、分からないとは言わせねえぞ?」
「いや、分かんねえけど……」
『分かれよ』と言いたげな視線は全方位から飛んできているが、それでも分からないものは分からないのだから仕方がない。かと言ってそれ以上弁明の言葉も思いつけない俺が視線をあちこちにさまよわせていると、しびれを切らした渉が椅子を揺らして立ち上がった。
「……どーしても分かんねえみたいだから、俺が直々に教えてやるよ。このクラス全体が、今お前に抱いてる本音ってやつをな。……ほら、ちょっとこっちこい」
近くに机があるとあぶねえからな、と渉は付け加えて、机が比較的少ない教室の後ろの方へと俺を誘導する。……安全面は配慮できるあたり、本当に怒ってるのかそうじゃないのかすらも分かんねえな……。
何はともあれ、今俺にクラスが抱いている感情というのは一つらしい。いったいどんな罵倒が飛んでくるのやらと、俺が軽く身構えると――
「……とんでもない環境で普通みたいに振舞ってるんじゃねえよ、この鈍感系主人公がああああああ‼」
「うおおおおおっ⁉」
想像の十倍くらいの熱量でこちらにとびかかって来た渉に、俺は思わず腰を抜かしてしまう。渉の言う通り、ここに机があったらかなり危険なことになってたな……。そこだけは感謝しなくては。
だがしかし、そこに感謝したところで渉の勢いが止まるわけもなく。腰を抜かした俺に目線を合わせると、渉は俺の肩をがっしりと掴んだ。
「俺はお前が羨ましいよ! 俺だって美人の幼馴染のことを『ただの腐れ縁』とか言ってみてえよおおお‼」
「いや、誰も美人なんて言ってな……おい、誰か止めてくれよ⁉」
実際悠那は美人……いや可愛い系だが、そんな事を渉が知る由もない。滂沱の涙を流しながら俺の肩を揺さぶるその姿は、心底俺の事を羨んでいるようだった。
そしてそれは少なからずクラスの面々も同意しているのか、肩を前後に揺さぶられる俺を助ける奴らはいない。……つまり、俺はされるがままだ。
「あー、俺にも可愛い幼馴染が欲しかったあああああ‼」
もはや嫉妬というかただの願望を垂れ流して、渉は俺の肩をひたすらに揺さぶる。大の高校生が教室の床に跪き、友人の肩を揺さぶりながら泣くその絵面は中々にシュールだ。
――仮に悠那のような幼馴染がいたからと言って、高校生活の全てがばら色に彩られるわけでもない。今繰り広げられてるこれだって、何というか非常に奇妙な青春の一ページにはなるわけだが――
「……悪かったよ、下の自販機でジュースでも奢るから許してくれ」
「……分かった。あの自販機で一番高いエナドリで手を打とう」
感情的になりながらもちゃっかり要求を引き上げる渉の姿に、俺は思わず苦笑するしかない。……渉曰く『鈍感系主人公』な俺の日常は、言ってしまえば大体こんな感じだった。
悠那と一緒の高校生活が送れるという訳でもなく、意外にも幹人の青春は男友達に囲まれてたりもします。……まあ、そのクラスの大半が推しているアイドルの手作り弁当を食べているなんて話が知れたら大変な事にはなるでしょうが。
次回はちゃんと悠那も出てきます、どうぞお楽しみに!
――では、また次回お会いしましょう!