おテントウさまは見ていた
振動を感じて目が覚める。
どうやら寝落ちていたらしい、まぁいつものことだ。
体を起こしポッドから出て、タオルで体をふく。
私の両親が生まれる前からあったらしいこの便利な製品は半円状になっていて、大きなジェットバスに、服を脱いで使っている間に、入浴や、髪の手入れ、爪のケアなど面倒なことを器用にやってくれるのだ、私は居心地が良すぎて家に帰ると真っ先にこれに浸かり、本を読んだり気持ち程度に勉強をしたりしている。部屋にはベットもあるが、シーツはしばらく変えていない。
白一色の無機質な寂しい部屋を見渡していると、まるで自分を見ているような気分になったので。
壁に備え付けてあるパネルをいじると、あたり一面が草原になる、足には実際に草を踏んでいる感触も、地面の小石や土の感触も感じることができる。
しゃがみこむと、アリが行列を作ってハチの死骸を運んでいた。
アリを一匹つまんで遠くに放り投げる。
巨人につままれ、放り出された彼は何を思うのだろうか、考えただけでも恐ろしい。
私は昆虫みたいに体は丈夫ではないし。上手に着地することもできず地面にたたきつけられて死んでしまうだろう。
アリは私より小さいからだなのに、自分の体より何倍も重いものを持ち上げられる。
筋肉の断面積が関係していて人間も小さくなれば似たようなことはできるらしいが、ちいさくなれる技術は今のところ作られてはいないし。そんな奇特なことをする想像力はもうないのかもしれない。
アリは私と違って群れることもできるし、全体のために奉仕できる素晴らしい精神構造だ、アリは死んでも天国に行けるだろう、素晴らしい自己犠牲と献身だ。
アリは人間ほど知能はないし、複雑なコミュニケーションもしないし、自我もないからうまくいってるのだろう、人類は意識によって発展したが、同時に縛られているのだ。
草原を突風が駆ける。
世界に急かされて、制服を羽織り部屋から出ると、朝食のいい匂いがしてくる。
部屋から出ると、木造のキャビンのようになっている。
暖色のランプに照らされた廊下を通り、階段を降りると、いつも通りの軽い挨拶が飛んでくる。
「おはようカズハ、朝ごはんできてるわよ。コーヒーでよかったわよね、紅茶か冷たいお茶が良かったら自分で淹れなさい。あとお弁当わすれないでね、あなた朝はぼんやりしてること多いんだから、顔洗うようにした方がいいわよ。」
トーストを口にほおばりながら気の抜けた返事をすると、口に物を含んだまましゃべるったことに苦言を呈され、また気の抜けた返事を返す。
いつものことだ、私はカフェオレが好きなのだが、いちいち言うのも面倒だしそれほど好きなわけでもないので、サラダに手を付けながら、朝のニュース番組を映している空中ディスプレイを横目に見る。
ニュース番組もすっかり形を変え、バラエティ番組のような形式になっている。
深刻なニュースもすっかりなくなり、天気予報もすっかり人類が天候も掌握した今、四季は娯楽の一部に変わってしまった。
物好きな釣り人や歌人や写真家が四季の調節された施設に行き楽しむくらいになり。
風情はすっかり失われたが、すっかりそれにも慣れてしまっている。
人類はどんな環境でもなれることができる、たとえ飼い殺しにされていても気づくそぶりも見せないだろう。
コーヒーを流し込み、食材たちに感謝をし、食洗器に押し込む。
そろそろ時間だ、リュックを背負い家族に一声かけ、玄関から一歩出るとそこは何年たっても変わらない普通の住宅街が広がっていた、家屋の中は所有者の気分次第で隙に変えられるようになったが、街の景観を重視した結果はるか昔の写真と同じ景色が広がっていて、タイムスリップしてきても気づくことはないだろう。
通りを歩く人々は悩み一つない気の抜けた顔をしている、学生も社会人もペットの散歩をしている中年の男性もジョギングシューズを弾ませながら風を切っている青年も、きっと悩みも何にもないのだろう。すっかり仕事に追われたり我慢やつらい思いをする人間も、ほとんどいなくなった平和な世界だ。技術の進歩により、資源の取り合いもなくなり奪い合うこともなく与えることもなくなった世界は、これからも続いていくだろう。
より多くを望む人間も少なからずいるが、大体の欲求は満たせるようになった今、人々の興味は名誉や人々の賞賛を集めることに向かっていた。
アスリートやアーティストは人生のほとんどをその方向に向けることで、人工知能を時たま超えていくこともあり、文化の発展に寄与することで人々の賞賛を浴び語り継がれていく。
その道は険しいが、生活に困るような人間はいなくなった今、他人をうらやむより、自分のことに熱心になるようになっていたため、そういうトラブルはなくなり、どこか緊張感のない感じだ。
「先輩、おはようございます。きょうもいいてんきですね、昨日より少し気温は下がっているし風もあるので、少し肌寒いかもしれません、何か上に羽織ったほうがいいかもしれませんね。」
誰だこいつは、ずいぶんとなれなれしいな、知り合いだろうか。
先輩と呼んでいたな、だとすると後輩だろうか。わざわざ家の前で待っていたのか、まるでハチ公だな、寒さに震えて死ななければいいが。今の世界では毒ガスで殺されるペットもいなったし、寒さに震えることもないだろうが。
「おはよう、それはそうと後輩君、君の名前は何だっけ。
ド忘れしてしまった、もうすぐ期末テストだからね。頭にテスト範囲のことを大急ぎで押し込んだから、奥の方にしまって取り出せなくなったか、押し出されて忘れてしまったのかもしれない、私は後輩君のことを後輩君で通すのも悪くはないが、私の後輩は無数にいる、形式上だがね。
だから個人を指す言葉としては状況次第では機能しないこともある、念のため聞いておきたいのだが、君さえよければだがね。」
寝ぼけた頭を叩き起こして、思いつくまま気ままに、嘘八百を並べてみたが私の脳には昨日半分寝ながら読んだ教科書の内容の三分の一もおぼえていないのだった。
泉淵です、後輩は後輩から泉淵に成った、苗字の方は知っているとも、私が利きたいのは名前の方だよ泉淵クン。
ハズミ、春に澄まし汁の澄で春澄です。言ってませんでしたか、それはしつれいしました。
なんだか申し訳ない気もするし、そういえば先月あたりに聞いたような気もするがまぁ今更引っ込みもつかない、こうなったら開き直るしかあるまい。
「といういことは、先輩は私が人工知能から派生した子機のようなものだというコトから説明が必要でしょうか。」
あぁ、なんだかそんな面倒臭そうな後輩ができたような気がしてきた、そういえば運がいいんだか悪いんだか。
年に何人か目の前の後輩もとい泉淵春澄のような人工知能が会社や学校に派遣されてしばらくすれば情報をもって引き上げていく、なんてことがあって、私はそれの近所に住んでる先輩になってしまったのだった。
私の平穏なやんごとなき平穏がこいつによって、世界の危機に巻き込まれるんじゃないかという、私の夢見がちな脳が、かろうじて考え付いた予防策が忘却らしい、まぁ道理で最近物覚えが悪くなったような気がするわけだ、必要な情報や知識までついでに引っこ抜かれたのだろう。
最近よく寝落ちてるのはどうやらそのせいかもしれない。
「先輩、立ち話も楽しいですが、バスが出てしまいます。
続きは歩きながらにしましょう。」
スタスタと歩き出した後輩の後姿を拝みながら、しげしげと観察する。
実によくできている、ぱっと見普通の人間だ。
言われないとわからないだろう、もしかすると私をからかっているのかもしれない。
後ろから胸でも揉んでやれば、痴漢対策に仕込まれた護身術でしたたかに痛めつけられるだろうか、少なくともありがたい乳房の感触にはありつけるだろう、こういうデリカシーのない人間もいることを、ぜひとも手土産に持って帰っていただこう。これも立派な社会勉強だ、南無三。
足音を殺してなるべく気配で悟られないように徐々に接近する。
獲物は、つやのいい髪をぶら下げ私の前をスタスタ進んでいく、何か声をかけてきているが、私はそれどころではない。
馬鹿な真似はしないほうがいい、加減がよくわかっていないので、だそうだ。何のことやら、エスパーでもなければ私のよこしまな考えを悟ることなぞできるはずがあるまい、もしくは後ろに目がついているだとかそんなびっくり人間は、居ない。
えいやと飛び掛かる。
なんだと、この後輩は私に警告していなかったか、そういえばこのかわいい後輩は孫女装子らの人間ではなかったな。これはまず
頭の中で言語が出力される前に腕をつかまれ、飛び掛かった勢いを利用され一本背負いのような格好になり、天地がひっくり返る。
今朝いたずらに放り投げたアリのことを思い出す、おてんとうさまはしっかり見ていたらしい。
アスファルトにたたきつけられるまでの刹那、太陽にダブって見えたテントウムシを見かけて。お前がチクったのか、昆虫共も案外人間社会みたいにいろいろ大変なのかもしれない。
私の意識もついでに反転し、いや暗転した。