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影の焦点

作者: 黒森牧夫

 国際会議は失敗だった。要するに、何も進展が無かった。確かに、世界中から各分野を代表する優秀な頭脳達が集まって、若手からベテランまで勢揃いをし、その豊かな顔触れの面々によって延べ四日間に亘り、八十を超える研究報告が行われ、二百を越す論文が公開され、小部会では無数の活発な議論が展開された。だが、それだけだった。活気に溢れた集まりではあったが、結果的には小利口な烏合の衆が寄り集まって熱気と興奮を分かち合っただけだで、そこからは問題の本質的解明に向けての何等の有意義な具体的な提言も、大胆な仮説も、漠然たる仄めかしさえ生まれなかった。或る者達は余りに即物的な短絡的思考に陥り、或る者達はオカルトめいた「疑似科学」の領域に足を踏み入れてしまい、また或る者は面白い方向性を指し示しはしたが具体的な推論過程とは一切繋がりの無い単《ただ》の妄想を恥ずかし気も無く披露し、また或る者達は問題を巧みに、或いは不様に躱し、潜り抜けて回避した。全く見当外れの所をうろうろとうろついている者達も居たし、独り善がりな納得の仕方をして答えを出した積もりになっている者も居り、苦笑を誘う試行錯誤や頭ごなしに「異端」のレッテルを貼り付けたくなる様な突飛な逸脱もあったが、大部分は、十年二十年前に凡そ定まってしまった枠組みの中でその精緻化と応用に留まっていて、どうやら主だった方法論は粗方出尽くしてしまった観があり、現状のこの行き詰まりを打開してくれる様な「ブレイクスルー」や「パラダイムシフト」はどうやら起こってくれそうになかた。表層的なレベルに限って言えば、確かに幾つもの目覚ましい進展はあった。だが、根本的な難問に関して言えば、今だ何の解決の目処も立っていないのだった。これだけ多くの一流の頭脳が集まり乍ら、まるで全員が程度の差はあれ人類としての認知的限界に突き当たったかの様に全くのお手上げ状態、群盲象を撫でるが如くで、誰もが真実の周囲でぐるぐると、何時までも回り乍ら、その癖一向に近付けずにいるのだった。世界の実相、存在の深秘は直ぐ目の前にあった。が、それは幾重もの分厚いガラスの壁に阻まれているかの様に、手を伸ばしても絶対に触れられる様には出来ていないのだった。何百どころか何千、何万と云う数の関心がこの問題に集められ、多大な労力がこの謎の解明の為に払われた。だがいざ蓋を開けてみて判ったのは、我々には解っていないことが多過ぎると云うことだけだった。洗練された無知は確かにひとつの知の在り様だと言ってもいいだろう、だが我々は単純化されたソクラテスではないのだから、そればかりで満足もしていられないのだ。我々がこれだけ必死になって追い求めて来たものの結末はどうだ? 始めた時から殆ど何の前進もしていない! 何と云う徒労か、何と云う浪費か、何故我々はこうも愚かしいのか………!?

 気が狂いそうだった。閉会式が終わった後の自由交流の場で私は幾つもの会話に耳を傾けたが、どれもが枝葉末節の事柄ばかりを巡って展開され、一番の問題には誰も何も言おうとしていなかった。彼等は確かな手応えの感じられる目先のものにのみ集中し、自らの立脚点を脅かされることになるかも知れない根本的な問い掛けの手法に関しては、一切口を出そうとしなかった。情け無い! これが今の人類の叡智の限界なのか! 意気だけは盛んだが皆空回りばかりだ! 私は腸が煮え繰り返ると同時に深い無力感に襲われ、解散しつつある会場から、猛然と歩き去った。気の滅入る様な閉塞感のする地下鉄に乗り、混雑した街並みを抜け、自分でも何処をどう歩いたか分からぬ儘に宿に着いた頃には、全身が水を吸った枕の様にぐったりと重く鈍い無様な塊と化していた。部屋で一度シャワーを浴びて着替えると、私は夕食も摂らない儘、ぼんやりとベッドに腰掛け乍らテレビを見て過ごした。吹き替え版の脚本はいまいちだが私の好きなイギリス映画をやっていて、もう何度も観て筋を憶えてしまっているものだった。私は荒れ狂う心と空ろな瞳の儘、映画が終わって自分の語学力では些か理解の覚束無いニュース放送に切り換わってからも、何時間も凝っと腰を下ろした継、今やっていることの何もかもが無意味なのだと云う感覚にどっぶりと浸かっていた。

 気が付くともうとっぷりと日が暮れていた。腹は減っていたが食欲は全く無かった。、私はテレビを消して暫く狂燥に駆られて室内を熊の様に歩き回り、 (おもむろ)に窓を開けて枠に手を着いて身を乗り出した。猥雑なハンブルグの街の喧噪が、濁った闇を更に掻き乱す様々な人工の照明の中に浮かび上がっていた。余りガラの良くなさそうな人込みは引っ切り無しに動いたりどんよりと淀んだりしていた。馬鹿馬鹿しい程の刹那的な衝動がそこら中に溢れ返っていた。少し濁った大気がむわっとそのどよめきを運んで来たが、全く風の無い日だったので、一度生(ぬる)い波を浴びてしまえば、後は静かなものだった。自棄めいた気持ちで人の表情も見分けの付かないごみごみした雑踏を見下ろしている内、私は、飛行機や高い塔を作った者の心情の一端が理解出来た様な気になり、地上僅か二十メートルの神の視点を自嘲気味に楽しみ始めた。所詮私に許されているのはこの程度のものなのか、と云う想いが硬質の痛みとなって私を苛み、形を持てない鬱勃なる不満足感に駆り立てられて、私は足を部屋の外へと向けた。

 ホテルから出て十メートル程歩いたところで、フロントへ部屋の鍵を預けておくのを忘れたことに気が付いたが、絶対に後戻りなどしたくない、とにかく前へ前へと進んでいたいと頑に意地を張り通したい気分だった私は、ポケットに鍵を入れた儘、夜の活気に賑わう繁華街とは逆の方向、静かな裏通りへと足を進めた。いちいち判読するのも煩わしい位にギラギラと溢れ返るネオンサインの洪水、喧しく店の前で口上をがなり立てる、嫌らしい制服に身を固めた店員達、煙草だか麻薬だか判らないものの煙を周囲に立ち篭めさせている一人か或いは数人のグループで夜の陰に吹き溜まっている派手な態(なり)の若者達、酔っ払って顔を赤くした暑苦しい外見の港の肉体労働者達、時折正体も無い程に酔い潰れた、ネクタイの解けたビジネスマン達、アルコールと汗と様々なゴミと嘔吐物が放つ噎せ返る様な腐臭の混じり合った、鼻を衝く息苦しい饐えた空気、シャツを通して皮膚にまで纏わり付いて来る夏の夜の湿気、薄暗い裏路地で生ゴミを漁る毛並みの荒れた猫達、歩道だろうと車道だろうとお構い無しに散らかされた紙屑や空き缶や吸い殻、不穏な予感を誘う物陰、薄汚れた街灯、電信柱に手を着いて吐いている男、薄着で厚化粧の夜の女達、所々路面を濡らしている何だか判らない液体、ぬらぬらと黒光りするアスファルト、消し炭で引っ掻き回した様にどんよりと澱んだ空、疲れ切った顔で客を待っているタクシーの運転手達、暗がりにぼんやりと金属の輝きを浮かび上がらせている放置されたバイクや自転車の群れ、騒々しい歓楽の音の集積、冷房機からぶわっと吹き寄せて来る不快な熱風………そうした、刺激は多いが変わり映えのしない刹那的な風景の密度も、十分も歩いている内にやがて薄れ、何時しか私は、人通りの全く絶えた、街灯の少ないひっそりとした街路に迷い込んでいた。それは先程までの都会的で現代的な喧噪とは打って変わった近世初頭を思わせる端整な石造りの街並みで、店鋪はそう多くなく、あったとしても派手な看板の類いの無い、大分古めかしい小さなものばかりだった。建物はどれも二階建てか三階建て止まりで、所々に小さなアーチが架かっており、上を見上げると何故かぐんと空が高くなった様な錯覚を覚えた。この陽気だと言うのに、どの扉も閉じられていて、幾つか開いている窓にさえぴっちりとカーテンが引かれており、何処からも人の話し声どころか、明かりひとつ洩れては来なかった。

 余りの落差の激しさに、奇妙な非現実感が、通奏低音となってとーんと長々と鳴り響いた。一歩一歩歩みを進める毎に街灯に照らし出されたシンプルな筈の陰影は一寸した角度の変化で全く違う表情を見せ、まるで私の動きにつれて街路全体が変化しているかの様に見えた。建物の壁の色は殆どが白か薄い褐色だったが、細かい銀粉を混ぜた様なぞわりとする夏の大気と、青みがかった月の光とが、一面に微妙な色彩を作り出していた。私が足を踏み下ろす度に、足音は硬い路面から何処(いずこ)とも知れぬ虚空へと吸い込まれ、消えて行ったが、目で見ている限りでは、まるでそこいら中に甲高く反響し、跳ね回っている様にも思えた。どちらを向いても人や車の影は全く見えず、気が付くと通りはどんどん狭くなって行き、曲がりくねった小路をふらふらと彷徨い歩き、緩やかな短い坂を何度も上ったり下りたりしている内に、うろ覚えの地図から大雑把に大体の方角の見当を付けていたに過ぎなかった私は、どうやらすっかり迷ってしまった様だった。だが、不思議と迷ったこと自体はさして気にならなかった。それよりも私は、この道行きが何処へも行き着かないのではないか、と云うことばかりを気に懸けていた。時間も、無事帰り道が判るかどうかさえもお構い無しに私は歩き続け、段々と切り絵めいてくる沈黙する無人の街路の、奥へ奥へと入り込んで行った。

 もう幾つ目か判らない短い坂になったT字路を下り、五メートル程頭上に架かった、昔は何かの門だったのではないかと思わせる立派なアーチを潜り、Tの字の付け根の所に一本だけ立っている街灯から発せられる光の及ばない影の領域へと足を踏み入れると、小さな川に出た。石畳と所々赤錆の浮いた黒い鉄の柵を挟んで、足下十メートル程の所を、幅四メートル程の黒々とした水の流れが、白々と月の光を反射し乍ら、曲がりくねって街の中を通り抜けていた。両岸の通りをざっと見渡してみると、どうやらこの辺一帯は倉庫街になっているらしく、凹凸の少ない、窓も扉も殆ど無い大きな壁が、月の光を受けてずっしりと静まり返っていた。人影どころか街灯の数さえ極端に少なく、川のカーヴの内大きなものの所に数十メートルにも間隔を空けて、ぼうっと白い光を石畳の上にもの寂しく落としていたに過ぎなかった。ふと後ろを振り返ってみると、アーチの向こう側で、陽炎にでも照らし出されかの様にぼんやりと仄白く浮かび上がる街並みは、まるで何かのフィルターを掛けられでもしたかの様に奇妙に作り物めいていて、丁度紙芝居か何かを見ている時にも似た、わざとらしい別世界の感触があった。まるでこのアーチが私を捕える為の罠か何かでもあったかの様に、そこから引き返すことはどうしても出来ない気がした。私はその場で何度か足踏みをしたが、この逡巡は一向に無くならず、私は辛うじて確認が可能だった確信犯的な笑みと、それでも尚残るゴルゴーン的な恐怖との混在する奇妙な目新しい感覚に、正直に言って当惑を隠せないでいた。また一幕、茶番が求められているのだろうか? それとも、何か得体の知れない未知の力が私を絡め取ろうとしているのだろうか? 私にはどんな推測にも、どうしても確信が持てなかった………。

 不意に時間の中断があり、私は柵に沿って長々とくねり乍ら続く石畳の上を歩いていた。いや、歩いていたのは錯覚か思い込みか、或いは後から補填された記憶かも知れない、私にはそれらの判別は出来ない。だがとにかくも私は歩いていた。胸の裡には再び気の狂いそうな位に賑やかな不安が狂騒の魔宴を繰り広げていたが、時折フラッシュバックとして瞬くあの仄白い街路を孕んだアーチの光景が、すっかり何もかもが変化していない訳ではないことを如実に物語っていた。物理的な尺度から見れば、私が歩いていたのは極く極く短い時間、ほんの数分程度のことだったろう、だが同じ所を何度も何度もぐるぐると回っている様な、さもなくば場所は確かに移動してはいるけれども、延々と同じ歩行を繰り返している様な、訳の判らぬ既視感が常に付き纏っていた。丁度壊れたレコードが同じ箇所を何度も何度も再生する様に、その不可思議な感覚は、私が光と影の織り成す怜悧なまでに明晰な風景の中を、あちらへ曲がりこちらへ進み、一、二度立ち止まって柵に手を掛けて前後や周囲の様子を眺め渡して見て、もの狂おしさから来る一種の圧迫感に焦燥の色を濃くしていた時でさえ、その場全体の色調を決定するもとのして、鬱々と流れ続けていた。私は初めて体験する未知のものへの異和感に、何故かそれでも一切が当然の、必然の成り行きであるかの様な出所の知れぬ確信を抱いたことを憶えている。私はそこで何かが私を待っており、私に対して呼び掛けを行っているのだと云うことを知って(、、、)いた。だがそれと同時に、そこへは何か私からの能動的な働き掛け、私の同意と承認、その来るべき対峙へ向けての参加の意思表示が、恐らく必要であることをもまた確信していた。今目にしているものの全てが用意されたパズルのピースだ、そしてそれらの適切な配置を推測し、嵌め込んで行くのは自分なのだ、詰まりは私と云う存在の悪夢が、ここに現出して私に向かって手を差し伸べているのだ、悪魔と———いや、神か悪魔か、神ならぬこの身にどうしてこの見分けが付こう———契約を交わすか否かと云うことなのだ、そして、私の憂鬱を完成させ、その強度と広がりに於て耐え難くはないものに出来るかどうかが、この一事に懸かっているのだ、と。それは息詰まった夏の夜が見せた只の思い込まれた夢に過ぎないのかも知れなかった。だが、その時の私には、自分がその迷夢の海の中から、自力で真実を作り上げねばならないことが解っていた。私は山程の躊躇いを抱え込み乍ら、それでも何とか身構え、何時訪れるとも知れぬきっかけ、ひょっとしたら永久にそんなものは訪れないかも知れない好機を待ち続けて、暴発寸前で軋みを上げ続けるこの〈今〉の苛責に背中を晒し乍ら、必死で耐え続けた………。

 街灯の光によって鋭角に切り取られた一隅に、周囲の込み合ってはいるが単純な直線とは違う、何か乱雑な形をした影が見えた。頭は動かさずに目線だけをそちらへ向けてみると、それは二十メートル程離れた向かい岸に在った。黒い街灯の陰で、ひょっとしたらその街灯に凭れ掛かっているのか、凝っとして動かなかったが、それは人影だった。白い照明が照らし出す領域の、その真下に居ると云うのに、その詳しい姿形は何故かはっきりとは判らなかった。恐らくは着ているもののシルエットが幾分見窄らしいものだったところから推測したのだろうが、この倉庫街に住み着いている浮浪者ではないかと云う印象を受けたことは憶えているが、それ以上の特徴は思い出せない。背が高い訳でも低い訳でもなく、痩せている訳でも太っている訳でもなかった。多分男だったのではないかとは思うがそれもはっきり断言出来る訳ではなく、これと云ってぱっと見て目に付く様な所がある訳でもなく、着ているものは黒かったか白かったか、こちらを向いていたか向こうを向いていたか、立っているだけだったのかそれとも他に何かをしていたのか、思い出そうとすると、忘れてしまったと云うのではなく、頭の中に何か蒸気の緞帳の様なものが下りた様になって、途端に何もかもがぼやけて来てしまうのだ。それでいて誰かが、或いは何かが、確かにそこに存在していたと云うことだけは忘れ様も無く昨日のことの様にはっきりと憶えている。それは無機質な周囲の佇まいに比べて実に異質なものではあったが、それでいてその人影が夜の闇の中から極く自然に生み出されて来たものであると云う直観もあった。向こうがこちらの存在に気付いているか、あちらの眼差しが私に対して向けられているか否かは明らかではなかったのだが、その人影の場合は、そもそもそんなことは問題ではない様な気がした。これが何時もの有り触れた場面であって、相手が凡庸な生身の他者であれば、世界は忽ちその眼差しの中へと収斂して行き、私はお馴染みのあの不愉快さを味わうことになる筈だった。だがその——恐らくは——男の場合はそうではなかった。世界は一個の排水口を得て醜く歪み、私の手から離れて流れ去って行ってしまうのではなく、その男が出現する前と全く同じにそこに静かに気配を湛えた儘、微動だにしなかった。それは弾発(ゼンマイ)切れた時の様な停止ではなく、寧ろ何等かの目的意識を持った静止であって、その気になれば今にもあらゆるものが踊り出して、不気味な変容を遂げるのではないかと云う予感を孕んではいたが、その癖隅々にまで徹底して無機質的な、温かい脈動を欠いた、あらゆる地上の生を没意味化する様な無関心さが漲っていた。それはまるで風景全体が死者の眼差しと化したかの様だった。私は全身に冷たく硬いものが降りて来るのを感じたが、その数瞬は、妙に乾いた夏の夜の大気の温かさと混じり合って、私の頭の中で穢らわしく悍ましい色彩を生み出し、体中をじわりと締め付けられる様な戦慄を齎した。

 私は思わず息を止めてしまったが、努めて平静を装い、内心の動揺などおくびにも出さないように心懸け乍ら、内懊の悶えに意識を集中させようとした。だがどうにも思考は纏まらず散りぢりになり、概念や像は断片的なものへと分解し、組み立てや関連付けを行おうとする度に、古くなったクッキーの様にパサパサと片端から場所などお構い無しに崩れ落ちて行ってしまう様だった。いや、もう少し精確を期するならば、そこで私の身に起こったことがその様に同定可能なものと成るに至るまでにさえ、もっと混迷の深い事態を通過せねばならなかった。時間は不規則に行きつ戻りつを繰り返し、今この場に於ける私の基盤を成しているところのものである筈の冷笑的な不安が、その笑いが弱さからではなく強さから、逃避からではなく知恵から来ていることを否応無く悟らざるを得ない程に追い詰められ、そして何重映しにもなった意識の流れの中に真直ぐに立っていられるものは何ひとつとして無く、過去の重大な懊悩達が順番を無視して一気に表層にまで溢れ返って、何故かあのアーチのある光景と重ね合わせられ、私の意識は喉を詰まらせた時の様に時間の中で噎せ返った。恰も、この国へ来る前から膠着を続けていた禍々しい期待の数々が、今や私の埒も無い妄想から枠を超えてはみ出て、実は全て予兆だったのだと耳打ちして来たかの様だった。この時点に於ける私に認識可能な「現在」が、果たしてどれだけの幅と広がりを持っていたものなのか、正直に言って今の私にも測り難ねている。この夜の記憶はどうにも飛びとびで前後が曖昧になっている箇所が多く、恐らくは後になってからの想像の産物も多分に混入しているのではないかと思う。無論それは全く根拠の無いものではなく、あの夜確かに経験した異常な出来事についての混乱した印象に根差しているものではあるのだが、断片的なエピソードとしてすら纏まりを持たない生成途上の私と云う存在は、この夜(つと)に激しさを増して来ていた気の狂いそうな焦燥によって加速され、そしてその男の出現によって無言の裡に無慈悲にも点火されたのだった。私はその爆発の直中に居た。時間が「流れ」てはくれない場、「私」が常に一人ではなく、幾つかが重ね合わせられた目紛しく入れ替わったりする多重複合体としてしか成立し得ず、しかもそれを執拗に意識させられてしまう場に、私は居たのだった。

 苦痛を感じられる程の整合性さえ私は持っていなかったが、次に現状認識がはっきりして来た時、私は自分とその人影との間に、ぎりぎりと張り詰めた緊張関係が張り渡されていることを自覚していた。敵意や憎しみと云った感情的な悪意がそこに介在していた訳ではない、それは喩えるならば、法廷で法律家同士が、一見明確で直裁であり乍ら、その実幾重にも言外の含みや仄めかしを孕ませた言葉の応酬を繰り返している様な、或いは何年も前から風聞だけは耳にしていてはいたが実際に矛を交えるのはこれが初めてとなる二人の将軍同士が、互いに騙し合い肚の内を探り合い乍ら、自らと相手との力関係を見定めようとしているかの様な、一瞬の隙も許されない、奸智を尽くした睨み合いだった。私はその時自分が対峙していたものの大きさを自覚していた様に思う。それは私をこの(、、)私たらしめているところの熱望を一気に掘り崩し、 呑み込んでしまう力を持ったもので、得体の知れない未知の、従って名前すら持たないものである以上、そこで何らかの安全の保障された方法で調伏し或いは滅し去ってしまうことの望めない危険なものだった。私はその影を前に決断し、自らについての明確な決定を下すことを命じられているのだった。私は改めて身構え、体勢が充分に整えられないのを承知で、可能な限り隅々まで気を張った。そして、その臨在そのものを忘れてしまい、相手の重力を無効化してやろうと、川沿いの曲がりくねった石畳の上を歩き始めた。

 すると再度、不可解な時間の中断があった様に思う。漠然とした印象から判断する限り、その間隔が余りにも短かったので、断言は出来ないのだ。私は先程立っていた場所から十メートルかそれ以上離れた所を歩いており、対岸にあの人影が間近に見える位置に居た筈なのだったが、私は顎を固く結んで凝っと俯いて地面ばかりを見詰めていた。それからまた中断があり、今度はそこよりも更に十五メートルかそこらばかり先へ進んでいた。あの人影は既に右手後方に通り過ぎて行ってしまい、最早目にすることは無い筈なのだったが、しかし私は背中に目でも付いているかの様に———いや私の心象にもう少し忠実に言うならば、丁度私が歩いている姿を前方からカメラで捉えた様に、指名手配された殺人犯が警官の前を出来るだけ素知らぬ風を装いつつも、内心ではビクビクし乍ら通り過ぎる様に、今にも駆け出したくなるのを必死に堪えてゆっくり一歩一歩を踏み締めてその場から逃れ去る私自身の姿と、その後方に佇んでいるあの正体不明の人影の存在を、明瞭に感じ取っていたのだった。影は私の背後に無言で動かない儘、こちらを見ているかどうかも判らなかったが、私にとってはそれがそこに居ると云うことだけで巨大な威圧感が感ぜられ、脅威はまだここに在る、危機はまだ去ってはいないと云うことが、言わずもがなで痛い位に理解出来て来るのだった。だが少なくとも私は足を止めずに歩き続けてはいるのだから、その内影は後方へと小さくなり、角の向こうに見えなくなってしまう筈だった。事実、道が大きく弧を描いて右へとカーヴして行くと、影はするすると死角の中へと吸い込まれて行った筈だった。

 だが、そこでまた時間の中断が起こった。そしてハッと気が付いてみると私はまた先程と同じ様に右手前方の対岸に、先程と全く同じ、人工の照明の下そこだけ夜の闇を切り取った様な不分明な人影がぽつんと立っているのを目にしていたのだった。妙に暗く重苦しい塊がずしりと私の胸を圧迫した。今度は別人物ではないのか? そう思って脇目で背後をちらりと振り返って見てみたが、やはり最初に見た人影の居た街灯のある場所は、カーヴの向こう側に隠れて確認することは出来なかった。別人にしてはふたつの影はよく似ていた。細部を思い出そうとするとやはりぼやけてしまって思い出せないのだが、全体的な印象はそっくりに思えた。偶然にしては似過ぎていた。ではひょっとしたら、この辺の浮浪者は皆似たり寄ったりの恰好をしているのではないか? それも全く考えられないことではなかったが、確信は持てなかった。では私が見ていない間にあの人影が移動したのだろうか? それは変だった。最初の人影も二番目の人影も、身動きひとつしていなかったのだが、ならば若し移動したとすれば、それは相当素早い動きでなければならない筈だった。それならば私の目に付く筈だし、若しその時私の視線が外れていたとしても、気配や物音位は判らないとおかしい。歩道と倉庫街との間にはこれも黒い鉄柵がずうっと向こうまで張り巡らされているので、抜け道の様なものがあったと考えることも難しい。それに第一、そんなことをする理由が考え付かない。この人影は一体誰、いや、何なのだろうかと言う疑念が奇妙に不連続な仕方で閃いたが、それと同時に、私はこのものの正体を知っている、少なくとも、何を引き起こすものかは知っている、と云う出自の判らぬ確信めいた断続的な強い直観が、私の脳裏で叫びを発しては、消えた。これは全く裏付けを欠いた直観であって、いざそのことを言葉にして言ってみようとすると、まるで唖にでもなったかの様に全く出来なくなってしまうのだったが、しかしそう確認してみたところでやはり拭い切れずに残ってしまう自明感が、何故解らないのかと私を責め立てもするのだった。この奇妙な二重状態は、私の中に、自分自身に対する不信感を生んだ。私の中に、私を裏切っているものが居るのでないか、私に何か重大なことを思い出させまいとする圧力が働いているのではないか、私の表層部が忘れ去ってしまった何か恐ろしい秘密が、(はかりごと)めいた力によって隠蔽されているのではないだろうか、相手の勢力と手を結び、(おもね)(へつら)おうとする傾向が水面下の源泉から不可解なエネルギーを得て暗躍を始めているのではあるまいか、と云った様々な疑問が瞬時に私の中で閃き、渦巻いて、否応無しに私を引き裂いた。残念乍らそれは既視感による思い込みや、記憶の混乱によって同じ体験が二度繰り返されたものでもないことは明白だった。確かに人影は最前のものとそっくりその儘だったにせよ、周囲の建物や川の角度、その人影までの距離やその人影の向き等は悉く異なっていたからだ。これはやはり実際に物理的に起こっている現象なのだと認めない訳にはいかなかった。それは一度試しに引き返してみれば確かめられることなのかも知れなかったが、私には竟に出来なかった。確かめるのが怖かったと云うのもあろうし、引き返すと云う行為自体が嫌いだったこともある。自ら不可解なのは解ってはいたのだが、頑固な意地の様なものもあったのか、とにかく私はその儘前進を続けた。

 私は再びぴりぴりと用心し乍ら、可能な限り無視するように目を正面に向けた儘、その影の向かい側を通り過ぎた。影はまた何も言わず、何をするでもなく、唯凝っと切り取られた光の中に突っ立っているだけだった。男は湾曲部の底に当る部分に立っていたが、このカーヴはまた右曲がりに急角度で迫り出していた。ところがそこを超えて男の姿が見えなくなると、次の左曲がりのカーヴの所にある街灯の下に、またあの男が見えた。殆ど愉悦を感じるまでになっていた凶暴な奮起に震え乍ら、私は幾つもの影が交錯する石畳の上を歩いて行った………。

 ここから先は何故か記憶が曖昧になる。恐らくあの後も何度か同じ様なことを繰り返したのではないかと思うのだが確信は持てない。あの後具体的に何があったのか、何が起こったのか、何を見何を聞いて、何と出会ったのか、全てがスッポリと頭の中から抜け落ちてしまっていて、まるで憶えていない。どうやってホテルへ辿り着いたかも憶えていないし、そもそもあの夜ホテルへ戻ったのかどうかさえ記憶には残っていない。翌朝はルフトハンザの機内のシートに収まっていたことは確かなのだが、ホテルを出るまでの間自分が一体何処で何をしていたかは全く知らない儘なのだ。恐らくあの夜の直後から暫くの間は或る程度憶えていた様な気もするのだが、今となってはその内容までは思い出せず、全てがあやふやな靄の中に包み込まれてしまっている。唯これは多分に想像と憶測が混じっているのではあるが、何か悍ましいものの存在や、怖気立つ様な陶酔感、少し濁った白色や、何層にもなった法悦の感触、そして何故か「geschmolz」と云うドイツ語だけは辛うじて頭の片隅に残っている。これに関してはおかしな話で、私は元々ドイツ語は堪能ではなく、これが「溶けた」と云う意味であることも、後で辞書を引いて初めて判った位なのだが、未知の単語が何故文字情報として残ったのか、その理由は定かではない。私がこの単語を思い出した時の経緯から推察するに、恐らく私はその音だけを最初に憶えていて、そこからそれがドイツ語であり、然々(しかじか)の綴りであると推測したのではないかと思う。そして固定された文字の印象が余りにも強かった為に、その単語が文字として脳裏に焼き付けられることになったのだろう。音で憶えたと云うことは、その単語を誰かが口にしたのを私が耳にしたと考えるのが最も自然だろうが、とすると私は一体何処の誰の口からその言葉を聞いたのかと云うことにになろうが、これについても全く心当たりは無い。少なくとも私はドイツ語での会話はほんのカタコト程度しか出来ないし、ドイツには個人的な知り合いは一人も居ない。会議に出席していたドイツ人研究者は別だろうが、大ホール前で解散した後は、私は他の出席者の誰一人とも顔を会わせた記憶は無い。私はその単語を知らなかったのだから、自分で口にした可能性も消える。現実的な可能性として他に考えられるのは、私がドイツ語を話す誰かと会ったか、或いはその人物の近くに居たかしてその単語が発せられるのを聞いたか、或いは私が聞いたのは実は何か別の音で、私がその単語だと思い込んでしまった、と云うものだが、この他、その単語はその夜に聞いたものではなく、もっと後の記憶が混入したと云うことも考えられぬでもない。最初のものが一番ありそうではあるが確信は全く無し、二番目と三番目に至ってはそれこそ催眠術をかけられる等の変則的な方法を使わなければ確かめることは不可能だろう。結局真相は闇の中である。

 正直に言うと、あの夜のこともそうだが、その後の二年間の記憶がどうもはっきりしない。二年後も同じポストに就いていたので、何篇か論文を書いた筈だとは思うのだが、どんなものをどんな風に書いたのか、まるで記憶していない。その間取り立てて異常なことが私の身の上に降り掛かったことは無い、少なくともあったとしても私は憶えていないが、しかしずっと何か奇妙な影の様なものが、あの夜から、いやあの夜をひとつの頂点として、私の全生活の上に投げ掛けられていた様に思う。濁った水の中を服を着て泳いでいる様な、暗く、ぼんやりした、訳の分からない二年間だった。気が付くと私は以前の様な研究への強迫的な情熱を全く失ってしまっていた。だがその代わりに、あの夜を境にすっかり引っ繰り返ってしまった全宇宙から私に降り注いで来る深く秘められた問い掛けに、何としてでも答えなければならぬと云う気持ちが強まって行った。そんな或る日、一通の手紙が来て、私を引き抜きたいと言って来た。私の書いた論文に興味を持ったと言うのだが、私自身はそんなものを書いたことはさっぱり憶えていなかった。とにかく一度会って話がしてみたいと言うので、異例のことではあったが、泊まり掛けでアラスカまで赴いて面談をした。私が以前の友人や家族との繋がりを殆ど切って〈研究所〉へ着任したのは、それから更に三ヶ月後、まだ暖かい夏の日差しの残る、しかし心騒がせられる不穏な風を孕んだ、少し肌寒さを増した暗い日のことだった。

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