2話 合縁奇縁は大事にしよう
見たら呪われる。
見た側になった瞬間に、部外者から渦中の人間にすり替わるのだ。
目視が可能になれば、認識が出来る。認識が出来れば干渉も可能となる。全ては見る側の問題という極めて理不尽な理屈がまかり通るのが、この世界。
「のおおおおおおおお! 無理無理無理! 今度ばかりは絶対に無理! 関わらない!」
僕は入り組んだ住宅街の小道を走った。
車一台が通れるかどうかの道。下手すれば袋小路になる可能性が高い。けれど僕の場合、それはない。
確実に逃げ切れる。僕の持つ特別な目を欺くだけの能力がなければ。
この目にかかれば過去、現在、未来──はもちろん、現在の自分の位置と最短距離で抜け出すルートを見つけるなんて朝飯前だ。もっとも僕自身はただ普通の人間なので、向こうからの攻撃に対して「避ける」の一択しかないのだけれど。
「ああーもう! 誰でもいいから助けて! いや出来れば鬼みたいに強くて、多種多様に変化も出来て心優しい感じの助っ人をお願いします! そう、出来るなら十五秒以内に来てくれると助かります! ほんとに!」
もう途中から自棄だった。
ストレスがピークに達すると人間、普段出さない大声も出るのだろう。
「アアアアアアア!」
不可視の何かが、鞭のようにしなやかな音がして、僕は更にビビった。この目で後ろを見た瞬間、それが何か僕は特定することが出来る。だが視えるだけで、何が出来るというわけでもない。変に気づかれてヨクナイモノに付きまとわれるのだけは、絶対に避けなければならないのだ。
僕は平穏で、健全な大学生活を送るためにここまで頑張ってきたのだから。
「ああーーー、ふざけんな! こっちはこれからセンター試験だっていうのに! 公式とか単語とかいろいろ吹っ飛ぶじゃん!」
喚きながら叫んだ。
その声に反応したのか、不可視の雰囲気がガラリと変わった。怒りに対して、殺気立った視線が僕の背中に突き刺さる。
次の瞬間──再び別の次元が重なったのを見た。
リィン。
鈴の軽やかな音色が響いた刹那──人の形をしたナニカが僕の真横を通り過ぎた。
「─────」
早口だとかそういうレベルのものではなかった。言語そのものが異なるし、理解できない音階の声。ただ一つ感じられたのは「大丈夫だよ」と言っている気がした。
刹那──轟ッツ!!
すさまじい衝撃波によって、僕の体は木の葉のように大空に舞っていた。
何が起こったのか。
まるでミサイルが飛んできたかのような爆撃。
土煙が轟々と空に舞う。呼吸が上手く出来ず「ひゅっ」と息を飲んだ。二十メートルは飛んでいるだろうか。僅かな浮遊感を味わった後、僕はそのまま雪の中に落ちた。
「痛っつつ……」
雪がいい感じにクッションになってくれたおかげで、大した怪我もなく済んだことにホッとした。さっきまで僕を追っていた奴の気配が消えた。どうやら逃げたようだ。
そう、思ったのもつかぬ間。
周囲の影が濃くなり薄暗くなる。空の雲が厚みを増したのだろうか。
違う、人影だ。僕を助けてくれた人だろう。
「────?」
「あ、はい。ご心配いただきありがとうござ──」
僕は条件反射的にお礼を述べつつ顔を上げた。
その直後、僕は思った。
(あ、死んだかも)
視界に入ったのが、人でないと察するのに一秒もかからなかった。
緋衣草の花のような真っ赤で長い前髪、褐色の肌、全長二メートルを超える巨体。白装束は割と小綺麗で、衣服もしっかりと着こなしている。「異国の方かな?」と、ここまでなら、そう無理矢理解釈する事もできただろう。だが頭に牛の角を生やしているではないか。ここで僕の目は見てしまった。前髪で見えないはずの六つもある酸漿色の瞳を。目の大きさは異なり、大きくある二つの目の上下に半分の大きさの目がある。三日月に裂かれた口元から八重歯──というか牙のようなものがうかがえた。
「ひゅ」と、息を飲んだ。
僕は自分の間抜けさを呪った。
よりにもよって人外──それも鬼神の住処に飛び込んでしまったのだ。そりゃあ、不可視の何かの攻撃もやむわけだと納得してしまう。
「ヒト──ナゼ……シイ────」
言語が異なるのか、耳にしない音階の声に僕は瞬きをする。
(あ、えっと……。どうしよう。なになに!? 普段は次元が重なっても、せいぜいのほほんと日光浴している饅頭姿の木霊や、御使いである狐や狛犬がうろつく程度なのに! 都会だと、三大怨霊並みの化物がばったり遭遇しちゃったのだけれど! この国本当に大丈夫なの!?)
僕がパニックと文句を垂れ流している間、鬼は小首を傾げているばかりで殺意はもちろん、攻撃的な姿勢もない。ヨクナイ感じない、誰かが使役している専門家の式神だろうか。
しかしそれにしては、妙な雰囲気を持つ鬼だ。
やはりはぐれ鬼だろうか。
(この感じは、鬼っていうか完全に神様だよな……)
「────、────?」
何か話しかけているのだが、何を言っているのか全然分からない。僕は長居もできないので、お礼を言ってここを去ることを彼に話した。伝わっているかは分からないが、出来るだけ感謝の言葉を述べる。
「本当にありがとうございました。ああ、これ良かったら貰ってください!」
そういって手渡したのは、色とりどりの金平糖の袋だ。
父が出張で京都に行ったときに買ってきてくれたもので、一粒一つ色や味が異なる。僕のお気に入りはメロンとサイダー味で、受験勉強の時に味わって食べていた。これは最後の一袋。アヤカシや人外の類いに出会ったら、無傷でかいくぐるのは難しい。そのための便利アイテムとして報酬を渡す。自分にとって好きなものであれば、たいていそれで事が済む。
「……って事で!」
「────アマイ──ニオイ、オカシ───?」
「甘くておいしいので、是非食べてみてください。それじゃあ!」
捨て台詞みたいな言葉を残して、僕はわき目もふらずに走る。幸いなことに赤鬼が追いかけてくることはなかった。