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恩寵眼の絵画修繕者   作者: あさぎかな@電子書籍化、コミカライズ連載準備中
絵画修繕:依頼者は吸血鬼と妖精女王
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29話 未発表作品の名は『祈り子』

 道具が到着する前に白金と皇さんは美術館──このフロアから出ていった。力を消耗した皇さんはぐったりしているので僕は心配したが「心配ない。単にエネルギーを使い過ぎただけなので、帰りに美味いものを食べさせる予定だ」と白金は微苦笑していた。

 最近は婚約者らしい振る舞いをしているようだと、感心した。数か月前までのすれ違いが嘘のように、二人の関係は良い方向に進んでいるようだ。


(これで僕への恋愛相談が減ればいいのだけれど……。最近また増えたのはなぜ……)


 それから十五分後。

 無地のキャンバスが届くと、イーゼルを二つ並べてから展示しているブロックの作品を外す。彼の作品である『悪女』と、無地のキャンバスが並んだ。


「フウタ、どうする気なのだ?」と白李は興味深そうに声をかけてきた。

「んー、なんて説明すればいいんだろう。えっと、僕の目は絵画を階層構造(レイヤー)として別々に見分けることが出来るんだ」

「絵が重なっているのが、別々に見えているということか?」

「そう。だから描いた時代が違えれば、その部分だけを取り除くことも、移し替えることも可能だとおもう。……この目の能力を使えばね」


 恩寵眼(グレイス・アイ)で見ることによって、絵画の一部分に干渉することが可能なことが分かった。それによって階層の異なるレイヤーごと引き離し、別の絵に定着させるという──魔法みたいなことが出来るのだ。僕がこの能力を使うのは、芸術を生かすための処置としての時のみ。今正面にある絵画も、その下に眠る絵画も失って欲しくない。だからこそ、僕は絵画修復に挑むのだ。

「フウタはすごいな」と白李は心から賛辞をくれた。僕は少しだけ照れくさくて頭を掻いて誤魔化す。


「そのセリフは僕が成功した時に、もう一回言ってくれると嬉しい」

「うん。ならば、その時に」


 白李に鼓舞され、僕は視線をキャンバスに移した。


(……絵画の場合、少なくても数十年以上の時間が経過した後でいないと、前と後の絵の具が混じり合ってしまい上手く階層別けが出来ない。たとえ階層構造(レイヤー)で確認できても、別々の絵として抜き出すことは難しい。けれど今回は──ルーカスの絵とその後に描かれたブロックの絵とは百年ほどの差がある)


 だからこそ、多少のリスクを冒しても挑む価値があった。それにルーカスと、ブロックの描き方は相反する感情が込めている。それこそ絵画を別々にするためには、何より必要な要素だった。

 僕は固まった厚さ一センチ未満のチョコレートをゆっくり剥がすように、少しずつ丁寧に指先を動かす。悪女(ファム・ファタール)の絵画だけが、キャンバスからめくれて剥がれていく。

 集中を切らせば僕の能力は消え失せ、浮いていた絵画は重力に逆らえず床に落ちてしまうだろう。


(………あと少し。今度は最後まで気を抜くものか)


 強迫観念に襲われるが、その度に呼吸を整えて持ち直す。さっきの術式解除よりも高度で精密さが要求される。

 ただ前と違うのは──両手が震えていないことだろうか。

 切り離した絵画を今度は無地のキャンパスに定着させていく。


「大丈夫だ」と、失敗を恐れていなかった。

 怖くても、これを成し遂げたい。

 白李が守ってくれたのだから、今度は僕が頑張る番だと自分を鼓舞する。


 途中から絵画の事だけを考えていた。時間も、周囲のことも忘れて──気づけば、僕の目の前に二つの絵が並んでいるではないか。

 どちらの絵にも損傷はない。まるで最初から二枚の絵があったかのような出来栄えに、思わず体の力が抜けてしまった。


「できた……」


 間の抜けた声が思わず出てしまった。疲労もあるが、それより達成感の方が大きかった。


「フウタは、本当にすごい」

「うんうん。わたくしがアボカドバーガーをたらふく食べて戻っても終わってないんですから、まったくビックリです」


 白李の労いに感謝しつつ、一人先に飯を食べてきた小太郎は無性に殴りたくなった。とはいえ思った以上に体は疲弊していて、拳を握るのも難しそうだ。


(──って、そういえば今何時だろう?)


 フロアにある時計へ視線を移すと九時過ぎ。三時間以上経っていた。額から大粒の汗が頬を伝う。


「うわぁ。けっこう時間経っていた! うわあ……ごめん、白李。クレープ屋がまだ開いているといいんだけれど……」


 いつもの白李なら「ならこれから食べに行こう」と言い出すのが、小首をかしげていた。機嫌も悪くない。なぜだろう。


「む、問題ない。先ほど白金からタイ焼きを買ったと連絡が入ったのだ。クレープはまた今度でもよい」

「たい……焼き……。さすが白金さん……」


 袖で汗を乱暴に拭うと、僕はその場に座り込んだ。自覚したら急に力が抜けてしまったようだ。なんとも情けない。けれど、なんとかなった。

 二つのイーゼルには白と黒──対照的な二枚の絵が並んでいる。


「おお! これがトワイライト・ルーカスの未発表の作品……!」


 描かれていたのは、月夜の晩に少女が唄を歌っているものだった。

 青く美しい満月。目を瞑り静寂な森の中で祈るように歌う姿は、幻想的で──美しく、見る人を引きつける。青い目をした蛇は森の木の枝に絡まりながら、少女の唄声を聞いて眠っているようだった。

 森の木々はエッサイの樹だ。一つの樹から枝木が世界を包むように円状になって様々な楽器を奏でている。この絵画は、おそらく一四一一年、作者不明『エッサイの樹』の挿絵をモチーフにしているのだろう。

 蛇は原罪として使われることも多いが、『知恵の象徴』でもある。しかし、この作者はそれ以上に何か強い思いを込めて蛇を入れているような気がした。エッサイの樹に蛇の胴体が絡みついている。


(……それにしても、すごい存在感のある絵だ。もしかしたらブロック・ハカニルは、この絵に嫉妬したと同時に、この美しさを自分だけのものにしたかったのだろうか)


 ホッとした瞬間、疲労と睡魔が押し寄せる。出来るならこのまま気を失いたい気分だったが、僕はなんとか踏み止まった。まだ仕事は終わってない。


「|That's great《素晴らしい》! 」

「教授。一曲お願いしても……いいですか?」

「この絵画のどの部分に、五線譜が見えたんだい? いやそれより、曲名は何かね?」


 教授はまるでクリスマスに欲しかったプレゼントをもらった子どものように、はしゃいでいた。僕は自分の見えている楽譜(世界)を、教授にも見えるように視界を一時的に同調させる──そこで限界が来た。

 ブツリ、という音と共に目の前が真っ暗になる。

 倒れた時に痛みなどなかったから、おそらく白李が僕を支えてくれたのだろう。

 薄れゆく意識の中、耳にするのはどこか寂しげな賛美歌。

 それから──微かに誰かの唄声が聞こえた様な気がした。



 これは後で教授に聞いた話だが、トワイライト・ルーカスの未発表作品『祈り子』から浮かび上がった五線譜の曲は、やはり讃美歌だった。讃美歌のタイトルはグレゴリオ聖歌、ヴェニ・クレアトール・スピリトゥス(来たり給え、創造主なる聖霊よ)だそうだ。まさしく祈りを口ずさもうとする息遣いが感じられる作品だった。

 トワイライト・ルーカスの未発表作品は、芸術界隈を震撼させることとなった。もっともそれはまた数か月後の──別の話だ。

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