26話 絵画に隠された謎と悪意2
僕は教授に見たものを説明すると片方の術式を解いている間、ゲーティアの術式を弱める曲を弾いて欲しいと頼んだ。
「なるほど。それならば私の役割に当てはまる。……しかしこの禍々しい空間で行う以上、時間はあまり稼げないと思ってくれ」
「わかりました。出来るだけ急ぎます」
教授の承諾を得ると、問題の絵画へと向き合う。
ふと背中から聞こえてきたのは、繊細で澄んだピアノの音色。音の深みが奏でるごとに増していく。教授が選曲したのはアメイジング・グレイス。
作者不明、アイルランドかスコットランドの民話を掛け合わせて作られたとされる曲で、讃美歌の中では日本人でも馴染みがある。
優しく、包み込むような曲はその場の空気を少しばかり柔らかく温かくする。ピアノに溜まっていた邪気が薄れ、それと同時に不協和音が聞こえなくなった。
(素晴らしい演奏だ。これなら)
僕の目には、絵画に込められた術式が光となって浮かび上がっている。
幾何学模様は芸術的なほど美しかった。まるで万華鏡のようにくるくると回る。僕は描かれたスペルの横に同じ文字を書き足す。
この数か月の間に、恩寵眼の扱いも慣れてきた。見るだけではなく術式そのものを理解し、作成、複製、書き換え、削除を体得。
僕は術者の筆跡を真似ようと指先を伸ばす。
自分の両ひざや、手足が小刻みに震えている。当たり前だ。しくじれば術式が暴走しかねない。いうなれば爆弾処理に近い作業を防御服なしで行うようなものだ。
(焦るな。焦るな。焦るな……! 大丈夫、落ち着いてやれば出来る)
注意深く指を動かして、ばらばらな英文字を順番に並び替えていく。そして最後のPhulのスペルを月の惑星の位置に移動させることに成功した。
(これで……完成、っと)
安堵した瞬間、光が一気に膨れ上がっていく。
(しまっ‥‥…手を放すのが早すぎた!?)
最後の最後で気を抜いたのが不味かった──その空間が爆ぜる。
轟ッツ!
フロア内に突如凄まじい爆風が巻き起こった。土煙は派手だが、絵画や周囲に爆破の影響はない。
ただ──。
ごとり、と床に腕が二つとも転がる。
僕を庇って白李の腕が吹き飛んでいた。
それはもう紙くずみたいに簡単に。
術式の暴発。
もし白李が居なければ、僕はショックで死んでいただろう。
「白李!」
「フウタ、無事か?」
白李は痛みで顔を歪めることもせず、困った顔で僕を見つめる。
その姿に僕は頭が真っ白になった。
失敗の肩代わりを白李に押し付けたという事実が、僕の心臓を抉る。
「え、な……」
言葉が出てこない。
鼓動の音がやけにうるさくて頭の中がぐちゃぐちゃになる。
どくん、どくん、どくん、と不協和音のような音が思考を食い散らかす。呼吸が上手く出来ず、視界がぐらついた。これも術式を無理やり解いた影響だろうか。
倒れそうになった僕の体を支えたのは、白李だ。両腕が無いにもかかわらず、僕を受け止める。甘い香りが鼻腔をくすぐった。彼女の胸に受け止められ、そのぬくもりに安堵し──そして不意に登良の消えゆく姿を思い出した。
「白李、ダメだ。消えるな!」
叫びながら僕は彼女の背中に手を回す。
ギュッと抱きしめると、白李の心音が少し速くなる。
「拙は消えない」
白李の優しい声が耳朶に響いた。
「ほら、風太殿。さっさと依頼を終わらせてゴールデンウィーク期間限定アボカドバーガー食べに行きますよ!」
「フウタ、痛いのなら我慢するのはよくない。あと食べに行くならクレープ屋だからな。それは絶対に譲らない」
二人ともいっぺんに喋るので何を言っているのか半分も聞き取れなかった。──というか、小太郎の言葉は聞かなくて良かった気がする。
でも、その騒がしさが、少しだけ呼吸を楽にしてくれた。
「白李、ごめん」
「ん?」
「僕が下手をしたばかりに腕が……。すぐに荒屋敷さんに相談をして──」
「ああ、腕なら平気だぞ。すまないが拾ってくれないか」
「え──、うん」
白李は腕が吹き飛んだというのにケロッとしていた。さきほどは動転して気づかなかったが、良く見ると腕が千切れたのに全く血が出ていなかった。粘土細工でつくったように綺麗に切断された腕が床に落ちている。
僕は床に落ちた腕を拾い上げて白李の残った腕に近づけると、磁石のようにくっ付き──次の瞬間、切断面が完全に消えた。
「えええええ!? 鬼の姉さんっパネェ!」
「えええええ!? どういうことだよ、白李!?」
「腕を生やすとエネルギーを使うので、リサイクルした」
「リサイクルって、使い方が若干ことなるのだけど!?」
白李は何事もなかったかのように、肩を回して両腕の感覚を確かめるようにストレッチをする。まるでついさっきまでの事が茶番劇のようではないか。忘れていたわけではないが、彼女が人ならざるものだと改めて思い知らされた気がした。
「ああ、人間は腕が吹っ飛んだら治らないからフウタは心配したのか」
「白李だから、心配したんだ!」
白李は目をぱちくりと、心底驚いた顔をしていた。
次の瞬間、どこか嬉しそうにはにかんだ。
「ふふふ、心配されるのも悪くない」
「う……。でも、今回は僕がミスったからだから、本当にごめん」
「構わない。フウタを守るのが拙の役割なのだから」
「白李が格好良すぎる……」
そうこれは契約だ。白李が助けてくれるのも──そういう約束だから。かっこよくて男前な彼女の態度に、男として僕は少しだけ情けなくなかった。
(はあ。僕も、もっと体を鍛えた方がいいのだろうか──。いや、鍛えても白李のような動きとは無理かもだけれど……!)
ぞくり、と鋭い視線に僕は思わず振り返りそうになる。
この視線は教授だろう。
まごまごしている僕に文句の一つでも言いたいのだろうが、今は無視することにした。次はゲーティアの魔法円を解除だ。




