13話 白金総一郎の視点
白金弁護士事務所。
有楽町のオフィス街に構えた事務所は、総勢百人を誇る大手の弁護士事務所であった。時計の針は夜八時を過ぎたころだが、社長室は煌々と明かりがついたままだ。
白と黒のシンプルだが高級感溢れる内装は、この部屋の主と同じように厳格そうなイメージを反映されていた。本棚には整理されたファイル、六法全書をはじめとする法律関係の分厚い書籍が収まっている。
部屋の明かりはあるものの、白金の姿はない。
この部屋に頻繁に出入りしているのは、部屋の主である白金総一郎、そして秘書の二人だ。
白金には秘書が二人ついており、そのうちの一人は、白金雅治、白金の従兄弟にあたる。今年二十三、大学に通いつつ社会勉強のためと、白金の秘書を名乗り出た好青年である。けれど本当の目的は──書類に紛れて置いてある一通の手紙を破棄することだ。
「──ったく、あんな冷血漢のどこがいいんだか。毎週毎週凝りもせずに手紙なんて書いて」
若葉色の封筒を手に取ると、コピー機の隣にあるシュレッターに流し込んだ。それを終えたのち、同じ若草色の封筒を机の上に戻す。いつもと同じ段取りだったが、机の上で何かが動いた。
這うような、独特の音。
最初は気のせいかと思ったが、敵意ある何かが近づいたと思った瞬間、右手に激痛が走った。
「ぐああ!」
右手は見る見るうちに青紫色に変わっていく。雅治の目から見ても、それが異常だということはすぐにわかった。だがあまりの激痛に、その場に膝をついて座り込んだ。
「まさか君たちがこんな小細工をしているとは、思っても──いや思いたくなかった」
「ぐっ……。総一郎さん。これは……」
「別に私は何もしていない。だが痛みがあるというのなら、自分自身の行動を改めることだな。天網恢恢疎にして漏らさず。天を張る網は広くて一件目が粗いように見えるが、悪人を網の目から漏らすことはない。弁護士を目指すつもりなら、この言葉を忘れないことだ」
「綺麗ごとを……! 不正、汚職、賄賂で塗り固められたのが今の白金財閥じゃないか。それを」
「綺麗ごと大いに結構。不正、汚職などはこれから一つずつ白日のもとに晒されていく」
「!?」
「今までのように何でも権力と金でねじ伏せ続けるのは難しいし、世間もそこまで馬鹿じゃない」
雅治は言い切った白金に対して、腹立たしそうに睨みつける。
「はっ。どうせいつも通り揉み消されて終わりだよ。……アンタはいつだって、そうだ。模範的な人間を真似ているだけの偽善者が。神様でもなったつもりか? 身近でアンタ見て来たからわかる。財閥の……あの魑魅魍魎共の中にいて、それでも偽善を目指そうとするアンタは異常なんだよ。あんな中で正しさを貫こうと考えるから、親戚一同に嫌われているんだ」
白金は「なるほど。傍からはそう見られているのか」と呟き、今更そんなことに気づいて、微苦笑する。神の転生者として、人間との感覚の違いはままある。神の転生者同士であれば、共有感覚が似ているので、その差異に中々気づかない。
「言いたいことはそれだけか。……もっとも君に指示した人間に対して、すでに手を打ってある」
「は、な!?」
「別に私は正義の味方でもなんでもない。ただ君たちのような一族の中で、腐った考え方がある連中を内側から潰すには力がいる。だから弁護士になった、それだけだ」
「自ら一族の破滅を望むというのか?」
「不正に横領で築いた地位などドブに捨ててしまえばいい。だいたいこんなことはいつかばれる。そんなことで呪われて非業の死を遂げるよりマシだと思うが」
「呪われる? くだらない」
「そうか」
呪いは存在する。
力有り無しではない。あれは想いの力を糧として生み出される。たった一人で末代まで怨むだけのエネルギーがあるのだから、下手な術式よりもタチが悪いことを白金は知っていた。もっとも雅治の腕は呪いなどではない。あえて言うのならば己の罪に対しての天罰と言ったところだろう。病院に行ってもそれらは回復することはない。己の過ちと真摯に向き合わない限りは。
(気づかない者は一生気づかないがな)
蛇神であった彼は、古今東西に古くから存在している。その一端の権能を持っている故に、人間の傲慢さや強欲さは骨身に沁みていた。
やはり人間は愚かだ。転生をしてもその結論は変わらない。
少しばかり感傷的になっていたが頭を切り替える。
「明日から来なくていい。それと私が幸恵に贈ったプレゼントを質屋に売っていたようだな」
「!?」
「それらの請求書も含めて、君の住所に送るとしよう。未払いは出来ないと覚悟しておくことだ」
「くそっ」
雅治は痛みのある腕を抱えながら、社長室から飛び出していった。それを見やってから白金は携帯端末を取り出し、ある番号にかける。
二コールで繋がった。
その相手は──。
「癪だが、君の言う通りだったというわけだな。昼川風太」
『だから言ったじゃないか。まあ、僕は正直アンタがどうなって別に良かったけど』
「ほう」
てっきりこれに乗じて、恩を売ると思って白金は少し意外そうに風太の言葉を受け取った。
『皇さんには返しきれない恩があるから、手を貸しただけだ』
声の主は怒りを抑え込んだ感情がひしひしと感じられた。ある種、率直で飾り気のない感情に、白金はわずかに目を細める。
「なるほど。……はっ。まさか、幸恵に惚れていないだろうな」
『惚れるか!』
「幸恵の良さに気づけば、惚れる以外の選択肢などないだろう」
『思い込み怖いわ。……まあ喋ってみたら明るくて、可愛いよ』
「当然だ。やっぱり惚れ──」
『そんな子が一途に婚約者のことで、一喜一憂している姿を見て惚れるか。一途な恋を応援したいと思うだけだから』
「幸恵が、私のことを!?」
『うん、その反応も皇さんと、全く同じ』
半年もまともに会っていないというのに、幸恵が想ってくれている事が嬉しかった。差し替えられた手紙には婚約破棄を訴えるものばかりだったが、アレが偽物だと分かった時は心から安堵したものだ。
つい三時間前ほど、昼川風太からの電話が来たときは速攻で通話を切ろうとしたが、『高天原機関』経由だったので憚られた。今となっては、あの時耐えたからこそ良い結果となったわけだが。
「ふっ。なら今度、幸恵に謝罪とお礼を言うとしよう」
『は? いやいや。こういう時は今から会いに行くのがセオリーだろう。なに後日に伸ばそうとしているんだ』
「ぐっ……」
『そんなだから、半年も皇さんに会えなくなるじゃないか。本当に大切に思っているのか?』
風太の声が一段低くなる。普段はおどおどした普通の青年だったが、ここぞという時の言葉は、鋭く重い。下手すれば、あの登良と雰囲気が近いではないか。
なにより、ぐうの音も出ないほどの正論だ。白金はちらりと部屋にある時計に視線を向ける。
「そうは言うが、今は八時過ぎだぞ。今から──」
『東京アプサラス・ホテル、スイートルーム八〇五号室。手紙の主がいるけど。信じる、信じないはご自由に』
「!」
『それとこれは忠告だ』
「ふん、宣戦布告というわけだな。ライバルとしては──」
『忠告だって言っているだろう!』
「なんだ、幸恵のすばらしさに惚れ直したのかと思ったが?」
『あー、頭痛い。この人、恋愛関係になると、とんでもなくポンコツだ』
「盲目なだけだ」
『駄目だろうが。……鬼神様の件と、友人である皇さんを次に泣かせたら許さない』
それだけ言うと一方的に電話は切れた。白金は「ガキだな」と呟きながらも、少しだけ広角が吊り上がっていた。




