0話 空想の友人
名画に隠された芸術的な暗号がある。
レオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』には、様々な暗号やら意味深なメッセージが込められている。中でも僕が好きなのは、二〇〇七年にイタリアの音楽家がかの絵に楽譜が隠されていると発表した説だ。コンピューター解析で五線譜を重ねると楽譜が浮かび上がったという約四十秒の讃美歌。
それを知った時、僕は絵画に込められた暗号に体が──魂が震えた。
僕は知った。
知識や鑑定眼などにより知る事は可能だが、ある絵画に関していえば知識や経験だけでは知り得ない暗号が眠っていることを。
それを視ることが出来るのは魔眼・邪眼、神眼、妖精眼と実に様々な目を所持している者たち。それ故にいつしか、特別な目を持つ者たちを恩寵眼と呼ぶようになった。
そして僕の両目も、またその恩寵を受けている。
***
僕は普通に憧れていた。
平凡で退屈と呼ばれる平穏を、享受したかった。だから僕はそれを叶えるために、結果的に友人を見捨てた。
空想の友人。
子どもの頃には別段珍しくはない。お気に入りのヌイグルミやオモチャを擬態化して、自分の友人のように語りかけることがある。感性の強い子どもなら誰でも持ち得る。自己防衛による産物。
だから後で思えかえすと、空想の友人を作り出すことは珍しいことじゃなかった。ただ僕の場合、体質そのものが少し特殊だっただけ。
友人の名は登良。苗字なのか名前なのかは覚えてない。背丈は僕と同じぐらいで、運動神経は良いし、頭も良くて気のいい奴だった。よく僕のことを「フウ」と呼んでいたけれど、きっとあれは風太のフウと、foolとかけていたのだろう。僕と同い年とは思えないほど、登良は大人びていて、皮肉屋でユーモラルがあった。
本当に僕が作り出した友人なのかってぐらいに、彼は実在しているように思えた。少なくとも当時は普通に近所の友達だと勘違いしているほどに、彼は生きていたのだ。
あの日までは──。
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