④皇子達の答え合わせ
答え合わせ+次への導入です。
黒歴史はこれで終わりです。
ありがとうございました。
「それで? 何故その話を今、私達に?」
祖先の恥ずかしいやらかし話を父である皇帝フィリップに聞かされたエミリアンは、けれどその話は今必要なのかと疑問に思った。
今はアシルの話をしに来た筈なのに。
兄の事で話があるとエミリアンとテオは父に時間を作ってもらい、侍女達が噂していた事は事実なのか確かめようとしていた。
よりにもよって皇太子の噂話を皇子にも聞こえる所でしていただけでも業腹だったが、それがあまりにも荒唐無稽かつ失礼にも程がある内容で、二人の皇子は心の底から腹を立てている。罰するのは当たり前だがそれだけで済ませるつもりは無い。
それなのに、ちょうど良いからと二人で先祖の間抜け話を聞かされたのだ。他人事なら呆れながらも笑ってしまう話だがしかし、現実にこの国で起こった事だという前置きをされて話されたので、とてもではないが笑えなかった。
聞けば聞くほど、嘘だろと叫びたくなった。
どの時代の皇太子か知らないが馬鹿な事をしでかしたものだ。後々の皇族はしばらく大変だっただろう。威厳も何も無い。というか、よく結婚できたな。
エミリアンの隣ではテオも似たような表情をしている。
やだな。そんな人物の血を継いでいるのか。自分達はしっかりせねば。そんな言葉しか浮かばない。
「この話を聞いて何を感じた」
「何をと仰られましても……バカな先祖もいたものだなと」
「その皇太子、頭でも打ったんですか?」
「いや。一応……正常だったらしい。一応」
「では薬ですか?」
「いや、それも違う」
「根っからそれですか」
「思春期を拗らせた若気の至りとの事だ」
「思春期って便利な言葉ですね」
テオがばっさり斬るとエミリアンも頷いた。それを見たフィリップは何とも言えない渋い顔をしている。
「うむ…………うん、そうか」
「思春期は免罪符ではありませんよ」
「そうだな」
「何故、人前で? 個室で話し合う訳にはいかなかったのですか?」
「最初はその予定だったらしい。だが婚約者の令嬢を見た途端、すぐに全てを話さなければならない気になったとか」
「なんだそれ。母親に隠し事が出来ない幼児ですか」
「言い得て妙だな。幼い頃から隠し事をするなと躾けられた結果らしい」
「うわ。なんだそれ」
「……でも、その皇太子と婚約を解消されたご令嬢……彼女の話を聞いていると誰かを思い出します。その誰かがずっと出てこない。モヤる」
後少しで出てきそうで出てこなくて、テオは喉を押さえて唸った。何かが詰まっているようで気持ち悪い。
「え、何言ってんだよ。……父上、これは過去の話ですよね? 遠い過去」
「それはどうだろうな」
「えー! 嫌ですよ、近い先祖だったら」
「この時に婚約破棄……いや、正しくは解消だな。婚約を解消された公爵令嬢の名はマリーウェザー嬢という」
「んっ?」
「あれ? どこかで聞いた事があるような……」
父の言葉に二人の皇子は反応した。
聞いた事がある名前だ。どこで聞いたかが思い出せない。でも親しいような気がする。気がするのに思い出せない。
悔しさばかりが増した。何だこれ。悔しい。
「父上、ヒント。ヒント……もーちょいヒント」
「悔しい。ヒント悔しい。でもヒント」
「この話は口頭で、必ず語り継ぎ反面教師にせよとされている。特に我ら皇族は他人事ではない。したがって、かつてアシルにも聞かせた。今のお前達より幾分幼い頃……あれは、十の時だな」
「それで? それで?」
「今、お前達に聞かせたようにあえて登場人物の名を伏せたのだが、すぐに誰の話か気付いたようでな……うむ。嬉々として続きを強請られた」
「フツー喜ぶか!?」
「いやでも、兄上が喜ぶってそんなの……」
彼の喜びの対象なんて一人しかいないではないか。
「あ」
「なんだ。なんだ? テオ、分かったのか?」
「あの、もしかしてマリーウェザー嬢には娘がいませんか?」
「ん!? 止めろテオ、お前分かったな? 俺より先に分かったんだな!?」
どうやらテオは二つ目のヒントで答えに辿り着いたらしい。
まだ確信は持てないようで少し眉を顰めているが、十中八九これだろうという正解に辿り着けた事を喜んでいる。抑えようとはしているがニヤけていた。
それを見て焦ったエミリアンが弟をガクガクと揺さぶる。兄の焦っている様子に勝利を予感していたテオは、遂に堪え切れず本格的にニヤけた。遠慮なくニヤニヤしている。
苦笑しながらフィリップがエミリアンを止めつつ、テオの問いに答えるべく口を開いた。
「いる」
「よし!」
「うわ、先越された! 何だよー何だよー、どこで分かったんだよー……。もったいぶんなよー、言えよー」
「止めてくださいよ、兄上。マリーウェザー嬢のやり方ですよ」
「やり方?」
「気付いているいないに関わらず、自分を陥れようとしている人物を公の、特に司法の場に引き摺り出そうとするその手腕。どこかで聞いた事のある話の誘導の仕方ではありませんか?」
「んあ〜〜?」
どこか得意気なテオとおかしな声を出しながら首を傾げるエミリアン。
テオが早産だった事で二人の実年齢差は一年もない。殆ど双子のように育ったが故に二人で行動する事も多かった。
そんな息子達の微笑ましい様子にフィリップは思わず口元が綻んだ。大きくなった。子供達は皆、無事に。
「はい、ぶぶー! 時間切れ!」
「あー!! 何だよ。何だよ。ケチくせぇな、テオ」
「皇子らしくないですね、エム兄上! 父上。そのマリーウェザー嬢のご息女の名は、ミラルダ様ですか?」
「あ!」
その名を聞いてエミリアンも遂に正解へ辿り着いた。
「正解だ」
「はー……、やった!!」
「ブランシュ様のお祖母様ですか、マリーウェザー嬢は!」
「そうだ」
「そうだったそうだった、マリーウェザー・コルテ前伯爵夫人だ」
「コルテ前伯爵の名は……クリフ様か。穏やかで優しい方だと思っていたが、あれは諦めの境地に達していたからなのか。……うわ」
「でも、ようやく繋がりました。それで兄上とブランシュ様の婚約が中々成立しなかったのですね。…………あ」
クイズには正解した。したがしかし、二人はすぐに気付いた。気付いてしまった。
バカな祖先だと思っていた人物は自分達のかなり近くにいる。思っていた以上にめちゃくちゃ近い。だって二人はその人の顔をよく知っている。
「ああ。かの家の者と皇家が結ばれるのは良い側面もあるだろう。しかし、あれだけの事をやらかしたのはお前達の祖父だ」
「意外と最近の話だったー……」
「お祖父様、なんてことを……」
「お祖父様とコルテ前伯爵夫人の仲が良いのは従姉弟同士だからだと思っていましたが、そうか……婚約者だったのなら尚の事だな」
「いや、でもあれはどう見ても姉に翻弄される弟だぞ」
「確かに」
やらかし皇太子は今尚健在の祖父だった。
言われてみれば記憶の中の祖父と、先程フィリップが語った話の中の皇太子は共通点が多い。やたらおかしな冊子を好んで読んでいたり、どこで上演されているかすら定かではない訳の分からない劇団に協賛していたり……ああ、あの話の皇太子は確かに彼らの祖父だ。間違いなく二人の祖父だ。
妙にコルテ家と仲が良いと思っていたが、まさかそんな理由だったとは。
祖父の事を思い出していた二人の皇子は、やがていつも祖父の隣に立つ祖母エルルリアを思い出した。
「お、お祖母様……お祖母様は、よくお祖父様に嫁ぎましたね」
常に祖父を一歩後ろから見守っているような祖母だった。大人しい人物だと思っていたがとんでもない。あんな事をやらかした後の祖父に嫁ぐとか並大抵の精神力では出来ない。
お祖母様、すごい。鋼の精神か。
今でこそ何処へ行くにも二人一緒で仲が良いと言われているが、始まりが不穏過ぎる。始まる前からどん底だと分かっている所へ嫁ぐとか本当に凄い。
「……そうだな。昔から悩んでいる姿ばかり見てきた気がする」
「ち、父上もさぞや苦労を……」
「そうだな。……まあ、うん。その辺りは諦める他にあるまい」
反抗期に差し掛かっていた二人だったが、この時かつてないほど父親を尊敬した。
学園の卒業式典の夜会で婚約破棄だと叫んだ直後に撤回してフラれた事のある皇帝の息子とか、字面だけでもう詰んでる感がハンパない。
生まれは選べないと言うけれど、選べなくともフィリップになれと言われたら泣いて拒否する。控えめに言って孫でもしんどい。これからどう生きていけばいいのか悩むくらいにはしんどい。
「正直、余はコルテの血を継ぐ令嬢だと思うとあまりにも気まずい。だが、それだけなら反対などせぬ」
「ブランシュ様のお祖父様が子爵家の次男だと言うことが引っ掛かっているのですか?」
「爵位どうこうではない。要らぬ事をほざく輩や良からぬ事を企む輩が何をしでかすか危惧した。ああいった輩はいくらでも湧く。実際に湧いた」
「そうでしょうね……。それに、ミラルダ様は公爵家に嫁いでおられますが、その時ですら風当たりの厳しいものだったと聞きます。お生まれが伯爵家なのに何故そこまでと思うほどでしたが、そうか……前伯爵が」
伯爵家と公爵家とでは大きな差がある。だが、伯爵位と言えば一応は皇家へも嫁げる身分だ。
だからこそ、ミラルダへの貴族社会の当たりの強さを聞いた時、エミリアンもテオも何事かと思った。親でも殺されたのかと感じた程だ。社交界こわい。
ブランシュが生まれ、アシルの庇護下に入ってからは表立って何か言える者などいないが、それでもアシルの目が届かない所では何と言っていることか。
「だがまあ、問題はそこではない。息子に要らぬ苦労をしてほしくないが故に簡単には賛成できなかっただけだからな。アシルの本気を知り、問題に対処できているのなら、あれを抑えられる人物とあらばむしろ大歓迎だ」
「婚約が無理なら交際しちゃえ、ですもんね」
「しかも同棲済み。強い」
「ヤバい」
「父上、ブランシュ様と交際を始めた頃の兄上の迷言はご存知ですか?」
「迷言?」
「学園では誰もが平等」
「………………」
「この学園の理念をここまで最大限に利用する人を見た事が無い。悪用感が凄い」
学園では誰もが平等である、と掲げられている。しかしその言葉をどう受け取るかはその者次第だ。学園としては『誰もが皆、平等に学ぶ機会がある』が信念らしい。
曲解して、学園では爵位など関係無いと叫び、自由の名の元に無責任な振る舞いをする者が毎年それなりに出るという。
下位貴族に特に多いが、まさかの皇太子が「学園に在席している間は平等だから何もかも関係無しにブランシュが好き」と謎の理念を宣言し、最愛の女性との学生生活の謳歌に利用していた。
良識ある者達は幼い頃より二人の仲を知っているので、今更どうこう言うことはない。それよりも平和であれと見守ることが一番だと、身を持って思い知らされている。
皇后の座を諦め切れない者も一定数は常にいるが、ブランシュを退けられる術が無い。アシルの理想の女性がブランシュで、アシルの好みはブランシュで、そのブランシュは公爵令嬢として完璧なのだから。
唯一責められる彼女の祖父の出自も、他ならぬ皇太子が謎の平等理論を掲げたせいで何も言えない。うっかり彼女の祖父をどうこう言おうものなら、それはつまり皇太子の理念を否定することになる。
皇太子の寵を狙っているのに、その皇太子の言葉を否定したら本末転倒だ。
「兄上がブランシュ嬢を見初めた理由は何でしょうね? 俺達が物心ついた頃には既にあんな感じだったような……」
「気付いたらああだったな。そうじゃなかった時を知らない」
「二人の初対面の場に父上もいらしたんですよね?」
「そうだな……。あれはアシルが三つの頃だったか」
「みっつ!?」
「テオが生まれた頃だ」
「……え、何があったんですか」
「皇后主催の茶会を開いた。アシルの側近や従者、婚約者候補を見ておこうとアンスリンドと決め、一先ず様子見として同年代の子らを集めたのだ」
第三皇子の誕生祝いに皇后主催の茶会と言う名の皇子達の側近や婚約者候補の選定会はある春の日に開かれた。穏やかな陽射しの降り注ぐ暖かな日。
下は生後半年から上は七つ。
早過ぎる選定開始だったが、アルベルトのやらかしのせいで相当苦労したフィリップが主導した。万が一婚約者どころか側近も従者も出来なかったら最悪だ。
当然の事ながら招く側の意図を招かれた側もしっかり把握していた。
あくまでも顔合わせ。皇帝皇后両陛下に一目でも顔を見て存在を知っておいてもらおう。その程度のささやかなものの予定だった。
子供達を遊ばせ、大人達は見守りながら腹の探り合い。
本来ならば皇帝であるフィリップは参加しないものだ。だがしかし、あのアルベルトの子である事で自身の婚姻では要らぬ苦労をした事もあり、心配でならず皇后と相談の上で会場に姿を見せていた。
不参加の家もあるにはあるが、きちんと連絡はきている。全て子の体調不良であるならば致し方ない。当然、これ一度きりのつもりもないのだから、これほど集まれば焦る必要もないだろう。
多くの候補者で溢れた会場を見渡し、フィリップは安堵した。アシルの代は、我が子は大丈夫だ。
そんな中、一点を見詰めたままアシルが動かない事に気付きフィリップは声を掛けた。
「アシル?」
「はい、陛下」
「何をしている」
「見ています」
「何を」
「私のはんりょです」
「そうか」
あまりにも自然にさらりと言われ、フィリップはうっかり言葉の意味を理解する前に返事をしてしまっていた。それ程までにアシルの言葉は自然だった。
決意を秘めたものでもなく、願望を乗せたものでなく、ただ当たり前の事実を述べただけのような言い方だったのだ。
「ずっと見ていられますね」
「そうか」
「いっしょにくらします」
「そうか」
「きょかをありがとうございます」
「いやいや、なんのなんの。…………なんの!?」
フィリップは戦慄した。
今、なんて言った? この息子は今なんて言った!?
「彼女をねらうふらちなやからが、いつわくとも知れません。私の宮でほごします」
「待て。誰だ」
「私のはんりょです」
「名は? どの者を見初めたのだ?」
「あちらのかわいらしいピンクブラウンの髪に、かわいらしい空色のひとみの、かわいいごれいじょうです。かわいいです。いいにおいがしそうです。かわいいです」
「ん、んん!?」
「ほら、見えませんか? よくにた母君にだかれているかわいらしくて大人しくしているかわいい子です。ほら、かわいい手をかわいくふってくれました。かわいいでしょう。さきほどからたまにかわいく手をふってくれるのです。かわいいですね」
最早フィリップには我が子が何を言っているのか分からなかった。この子があの子を可愛いと思っている事だけは分かった。
「そうか……可愛いな」
「…………陛下はてきですか?」
「えあ!?」
「陛下は私のてきですか?」
「違う違う違う。違う。余はアンスリンド一筋だ」
「では、今のはつげんのいとは?」
「お前と似合いだと言うことだ」
「なるほど」
「…………可愛い息子が運命の出逢いを果たした姿が可愛いと思ったのだ」
「そうですか。そういうことにしておきましょう。ゆるします」
「う、うむ。感謝する」
思わず感謝してしまった。ちょっと怖かった。
「許可をしたつもりは無かった。まさか三歳児に誘導され言質を取られるとは思いもせなんだ」
「そ、そうでしたか……」
「アシルは祖父母を巻き込んで願望を叶えた」
「う、うわ……」
過去を思い出す度にフィリップは頭を抱えたくなる。
あれは三歳児の会話術ではなかったし、その後の対応も子供のものではなかった。けれど我が子がやった。よりにもよって我が子がやった。
何度夢なのではないかと現実を疑ったことか。
「それでブランシュ嬢はずっと兄上の宮にお住まいなんですね」
「お前達の言っているアシルの宮だと思っている建物、あれは囮だ。ブランシュ嬢はきちんとハリスタン邸に住んでおる」
「囮!? 本来の兄上の屋敷はどこですか!?」
「皇家の土地の最も端だ」
「え、何故……」
「すぐ隣にハリスタン公爵家を移動させたからだ」
「では、城下のハリスタン家の屋敷は? そこに居るのは!?」
「影武者だ」
「影武者!?」
「何度も襲撃を受けておるから間違った対応ではないが、事実を知ったら他の貴族達が何と言うかと考えただけで頭痛がする」
何度目になるのか分からない溜め息を吐きつつ、フィリップはまた過去に想いを馳せた。
アシルへの贖罪として何でも言う事を聞くと、そう言った直後のアシルとブランシュの出逢いだった。己の軽率な発言を悔いたがしかし約束は取消せない。
長子からの初めての願いは『家をくれ』だった。
「あ。忘れてた。そうだ。兄上、兄上。父上に、皇帝陛下にお話があって時間を作って頂いたんじゃないですか」
「あ、そうだ。肝心な事を忘れていた」
「なんだ?」
フィリップは意識を過去から現代へ戻し、目の前の息子達に視線をやった。彼らは明らかな怒りに燃えている。
「父上、私達の耳にも入るような所でアシル兄上の噂話をしている侍女がいました。捕らえてありますが私達では牢へ入れる権限などない。せいぜい自室謹慎が関の山」
「だから父上が裁いて下さい。父上と兄上を侮辱するような噂話でした。私達二人ともこの耳で聞きましたし途中からですが証拠もちゃんと」
「落ち着け。なんだ。どんな話だ?」
「あの女、あいつ、あいつ……父上は兄上を冷遇していたとかほざいていたんです! それも、笑いながら!」
「なんだあいつ。ふざけやがって。皇家の噂話を皇宮でするとはいい度胸だ」
弟皇子達は怒り心頭に発していた。
彼らにとって兄は道標だ。進むべき道、学ぶべき事、取るべき対応。皇族としても皇子としてもどうあるべきか全て教えてくれた。
いつも朗らかに笑んでいるようでいて底知れないが、それでも自分達が生まれた頃から優しくしてくれた兄。エミリアンもテオもあらゆる事をアシルから教わった。
兄を見て育っている。
その兄を侮辱された。許せる筈が無い。
本当は怒りのままにその侍女をなぶり殺しにしてやりたかったが、他ならぬ兄の教えに従って互いに互いを制止し合った。
「皇宮でそんな噂をする者がおるか」
「素性は調べてあります。後は陛下の命があればどうとでも出来ます」
「兄上には父上の色が無いからとかほざくんですよ!? あー、腹立つっ!」
「……ああ、その事か」
アシルはフィリップの色を受け継がなかった。色味は異なれど殆ど全ての者が茶色の髪を持つこの国で、アシルは非常に珍しい蜂蜜色の髪を持っている。
フィリップの瞳は父譲りの橙。アシルは翠。
顔立ちこそ皇后アンスリンドとよく似ているが、アシルは母の色も受け継いでいない。
「父上、その辺りの事が俺にはよく分かりません。兄上の蜂蜜色の髪は守護神の慈愛の証ではありませんか」
だが、それでもアシルが皇帝の子である事は揺るがない。
蜂蜜色の髪は守護神の愛した色。皇室にしか生まれない色。人々に忘れ去られる程に過去の出来事だとしても、それは純然たる事実。
「その兄上を冷遇するなんて有り得ないでしょう?」
「何を根拠にそんな荒唐無稽な噂をしていたのでしょうね。一番目につく分かりやすい証ですよ? あんなに一目瞭然なものも中々ない」
「そう。そう。それに宝石みたいな翠眼はエルルリアお祖母様譲りだ。父上の母君だ。思いっ切り皇家の色じゃないか」
隔世遺伝。
アシルは母譲りの容姿と祖母譲りの瞳、守護神に愛された証を保つ。それだけの話だ。
フィリップの色こそ受け継いでいないが皇家の色は持っている。
「ね。そんな事をしていたって勘違いしてる使用人達が他にもいないか探りましょう」
「……お前達、アシルは誠、余の子に見えるか?」
「はい」
「はい」
「即答だな」
「だって、なあ」
途端、先程までの怒りが嘘のように散り、二人は悪戯っ子のように笑んだ。
「ねえ。兄上、兄上。もう教えちゃいましょうよ」
「えー、どうすっかなあ」
「なんだ?」
「ほらほら」
わざと勿体ぶるエミリアンと、先を急かすテオ。
フィリップが問うと二人は更に笑みを深くして、遂には声を出して笑い始めた。
「分かった。分かったって突くな。……父上。アシル兄上と父上、同じなんですよ。食べる順番」
「食べる順番?」
「そう。ティータイムの時、必ずまず飲み物を一口。それから、何が出て来たかにもよるけど、次はスコーン。紅茶。タルト。砂糖菓子。紅茶」
「そう。そう。絶対その順番。絶対にスコーンから。タルトの後は必ず砂糖菓子。カップを置くタイミングやフォークを持つタイミングまで全く同じだった時は、もう笑いを堪えるのが大変で大変で」
「メインディッシュの時もですよ。まずはメインを一口。緑の野菜。水。メイン。赤い野菜。水。メイン。メイン。また緑の野菜。水」
「そうそうそう! 野菜の後は必ず水! 食べる野菜の色の順序まで同じで、もう、ホントそれに気付いた時、俺は呼吸困難になるかと」
「そう……だったか?」
知らなかった。食べる順序など気にした事も無かった。むしろ毎度同じつもりもない。
子供は思わぬところに気付く。
「そうですよ! ふとした瞬間に父上と兄上って行動がシンクロしてるんです。おっかしいったら」
「あと基本的に母上似ですけど、兄上の目元は父上とそっくりですよ」
「ああ、それは余の弟にも言われたな」
弟のランディバルにそう指摘された時、確かにフィリップは最愛の筈の妻アンスリンドと我が子アシルを冷遇していた。
不穏な終わりですが、大丈夫とだけお伝えしておきます。
大した事は起きませんので安心してお待ち下さい。