④明日から本気出す
本日二度目の更新です。
それからヴァロンタンは頑張った。
新しい講師の選定が終わらないので教本を読みつつ、時折手の空いた兄姉に見てもらいながら主に現代史、特にリリーフローレンスの居た隣国について学んだ。自力で頑張った。
帝国にはない血腥い王家の内情に何度も手が止まった。人はこんな事をしでかせるのかと、これは本当に現代の話なのかと疑う程だ。
それなのに、酷く残念なものを見る目をされるのには納得できない。
ヴァロンタンがリリーフローレンスと話しているとすぐに必ず兄姉の誰か、もしくは従者が凄まじい顔でやって来る。そしてヴァロンタンをリリーフローレンスから引き離す。
なんて横暴なのだろう。
「ヴァン、お前の態度は酷過ぎる。叔父上が婿入りした隣国を敵に回したいのか。俺は嫌だぞ。親族と争いたくなんてない」
「何故そんな話になるのか分かりません。僕は間違っていない!」
「間違いだらけだ大馬鹿者!」
「リリーフローレンス妃殿下は王子妃だリリーフローレンス妃殿下は王子妃だリリーフローレンス妃殿下は王子妃だ! 繰り返す、リリーフローレンス妃殿下はシェイデン王子の妃だ!! 夫のシェイデン王子殿下が笑って許してくれている間に離れろ!」
軍の発声練習か。
命を狙われている従姉妹を気遣うヴァロンタンに、エミリアンやテオが毎日のようにこうして叱り付けてくる。
帝国滞在を心地良いものにしたいだけなのに酷くはないだろうか。
散歩に誘って何が悪い。ヴァロンタンの宮の中庭はとても綺麗なんだぞ。
馬乗りに誘って何が悪い。ヴァロンタンの育てている馬は名馬ばかりなんだぞ。
「リリーフローレンス妃殿下にばかりかまけてないで勉強しろ、勉強。成人に相応しいマナーを身につけるんだ。良いか? 既婚女性、特に王族や上位貴族の場合は注意が必要だ。今回は国外の、それも王族だからな。あちらの国の特色も念頭に」
今日も今日とて兄が五月蝿い。今日はエミリアンに絡まれている。
「リリーフローレンスは従姉妹でしょう? 親族ではありませんか」
「呼び捨て止めろぶっ飛ばすぞ!」
「暴力反対」
「あああ、どうすればいい!? どう言えば良いんだこの弟! 物覚えと情勢把握が下手過ぎるっ!」
頭を抱えてぶんぶん振っているエミリアンは何かの病気だろうか。最近、この珍妙な動きをよくする。
「違います。僕はまだ本気を出していないだけで、きっと本気を出したら僕だって」
「その『まだ本気を出していないだけ』って口癖止めろ! そんな常に本気で生きてる奴が居るか。皆そこまで本気を出していないけど出来てんだよ!!」
「兄上に何が分かるんですか!? どうせまた姉上に言いくるめられたんでしょう!」
「またって言うな、またって! シャーロットが昔言っていたぞ。出していない本気も出せない本気もただの気のせいだとな」
「兄上にも思い当たる事があるのですか?」
「ぐっ………」
「はーい、呼ばれて飛び出てシャーロット〜。ヴァン、お姉様ですよー」
「呼んでない! いや、呼んだか。いや、会話に出た来ただけです。呼んだわけではありません!」
「そうね。呼ばれていません。でもね、他国の王族に対するあるまじき言動に対して言わねばならぬ事があります。そこに直りなさい」
先程までふざけた登場をしておちゃらけていたのに、途端に雰囲気が変わるのは狡い。ついていけなくて思わずヴァロンタンは言う通りにしてしまった。悔しい。
「真打が登場した……。覚悟しろよ、ヴァン。後に控えているのは裏ボスのみだぞ」
「なんですか。誰ですか、それ」
「アシル兄上に決まってるだろ。これ以上、兄上の手間を増やすな」
シェイデンとリリーフローレンスがやって来て以来、何をしているのかアシルは忙しそうで殆ど顔すら見ていない。
珍しい事にシャーロットすら最北の地へ帰らず皇宮に泊まり込み、時折難しい顔をしてアシルと何やら話し込んでいる。
ヴァロンタンにだって頼ってくれて構わないのに除け者だ。だからせめて客人を饗したいのにこうして叱責される。ヴァロンタンはご不満である。
「まずは言い訳を聞きましょう。フローを中庭や茶会や乗馬に誘うのは何故?」
「父上や母上だけでなく、兄上や姉上達もとてもお忙しそうだからです。命を狙われて帝国にいらしたのなら、ここでくらい心穏やかに過ごしてほしいと……そう思いました」
「そう。それはよい心掛けです。では、フロー一人を誘ったのは何故?」
「いや、それは……シェイデン王子もお忙しそうだからで……」
「ディラン様をお連れすることも禁じたそうね」
「だって子育ては大変だって聞いたから! ……たまには離れて安息をと」
「まだ生後半年にも満たない我が子と異国で引き離される母の気持ちも、その子の気持ちも考えなかったのね」
「それは……」
「考えなかったのね?」
ちらりとエミリアンを見たがシャーロットと同じ厳しい目をしていてヴァロンタンは俯いた。
そう言われてしまえばそうだと頷くしかない。
「…………はい」
「改めなさい。貴方の饗しや気遣いが要らぬものであっても、客人であり庇護を求めに来たフローには断ることなど出来ません。心遣いの押し付けは迷惑です。求められていないのなら優しさという体で己の要求を突き付けるのは止めなさい」
「要求って、別に何も求めてなんかいません」
「フローに会いたい、フローと話したい。そう求めていませんか? 結果的に相手の迷惑となっているのだから自覚して改めなさい」
納得できない。ヴァロンタンには納得できない。だからずっと俯いていた。
「顔を上げなさい。ヴァロンタン第四皇子」
けれど、それすらも許されない。
「でも、だって、心配なんだ。命を狙われるなど過去の歴史上でしか聞いた事がない。……リリーフローレンスだけでもこちらに移住するわけには」
「有り得ません」
シャーロットがきっぱりと否定した。
「帝国に、それも皇帝一家に手厚く出迎えられて滞在したとなれば、それはつまり彼らの後ろには帝国が付いていると知らしめられます。けれどわたし達に出来るのはそこまで。他国の内情に余計な口出しは厳禁。不要な争いを招きます」
「なんだよ、姉上は冷たいですね。リリーフローレンスが可哀想じゃないのか。もっと気遣って然るべきでしょう」
「ちっとも。欠片も可哀想だと思わない」
「なんだそれ、見捨てるのかよ!?」
「フローは幸せよ。最愛の人に愛されて、その人との間に子供も生まれて、親子三人健康で幸せよ。彼女を不幸に生きているかのように言わないでちょうだい。失礼よ」
「……そんな、つもりじゃ……なかったんです。ただ、そんな暗殺に怯える生活なんて、とても耐えられないのではないかって……」
「フローは可哀想なんかではないわ。貴方の価値観に彼女を押し込めないで。訂正なさい」
「……すみません。そこは訂正します」
可哀想可哀想だと思っていたが故の饗しだったが、それすらも失礼だったと指摘されて驚愕した。接し方の根底にある考えが間違えていたのだろうか。
命を狙われていても不幸ではない。命を狙われていても幸せ。
それは一体どういうことだろう。
「それから、公の場で気易くフローを呼び捨ててはいけません。従姉妹とはいえ彼女は王子妃殿下です」
「そんな、それは姉上だって……正に今、姉上だってフローって呼んでいるではありませんか」
「立場の違いです。わたしは同性です。友人です。それでも公式の場では妃殿下とお呼びしております。対して貴方は異性、それもあからさまに彼女に想いを寄せている権力のある他国の皇子。貴方のフローへの言動が人々の目にどう映るか……。己の立場と影響力を考えなさい」
「なんですか、それ。僕なんて所詮はスペアにもなれない第四皇子なのに、そんなものありませんよ。なんて大袈裟な」
「慎みなさいと言っています!」
初めてシャーロットの怒声を聞いて、間近で正面からぶつけられて、ヴァロンタンは硬直した。怖い。
「貴方がスペアになれるかどうかなど今は関係ありません。貴方の心情や価値観がどうなのかなど聞いていません。皇子の立場というものを正しく認識し、公式の場ではそれに相応しくありなさいと言っているのです」
「何だよ、それ……。僕の気持ちなんてどうでもいいってことなの?」
「世界の人間は二種類。貴方と貴方以外の人間です。貴方以外の人間の方が圧倒的に多い。本来の貴方がどうであれ、貴方以外の人間が多い限り彼らの認識する貴方が本当の貴方となってしまいます」
「何それ。よく分かんない……分かんな、うっ、うえ……」
「泣かないで……。自分以外の人間に見定められる場が公の場です。そこでどう見られるかを意識しなさいということよ。だからマナーがあり、身嗜みがあり、教養が必要となります。貴方はまだやり直せます、これからよ」
べしょべしょに泣き始めたヴァロンタンを、少し困ったように微笑みながら、でもヴァロンタンよりも余程つらそうな顔をしてシャーロットは言葉を続けている。
いつもならヴァロンタンが泣くとすぐに頭を撫でてくれるのに、すぐに抱き締めてくれるのに、今はそれが一切無い。そんな事をしてくれる気配すらまるでない。
「第四皇子には後程、皇帝陛下より沙汰が下されるそうです。それまで謹慎していなさい」
ヴァロンタンがいざと言う時にアシルのスペアになれるのか、第二皇子エミリアンならともかく第四皇子が必要とされるのか。ヴァロンタンのコンプレックスはそこにあった。
けれどそれはヴァロンタンが思い悩む事であって、人前で、それも他国の王族も居る公の場で出していい感情ではない。当たり前のことを言われた。
末皇子の言動など皆さほど重要視しないだろう等という拗ねたが故の卑屈さも、人前で出して皇家に泥を塗っていい理由にはならない。何番目だろうと皇子は皇子だ。その言動の一つ一つを具に観察される。当たり前のことを言われた。
恥ずかしかった。
ヴァロンタンは自分が恥ずかしい。
当たり前の事をここまでシャーロットから叱り付けるようにして言われなければ実感できなかった。
けれどもヴァロンタンはどこか素直になれず、心のどこかでは反省しつつも叱られた事すら恥ずかしくて「もっと他に言い方があるだろう」と責任転嫁し始めた。
素直になれないお年頃である。