4・石工の乙女
次の昼。ネストールの休憩中に、石を叩く音が響く。既に石竜を目指していた笛吹き青年の足が速まる。ついに、製作現場に立ち会えるのだ。
肌に刺さるような魔力の波を掻き分けて、ネストールは、石竜の像が見える位置まで到達した。大人の男が横たわって2人分程ある距離に、石工の背中があった。タオルでピタリと覆った頭から、束ねた銀髪が下がっている。
飛び散る汗は、真昼の太陽を反射して生き生きと煌めく。遠目に見える腰つきから、女性であろうと想像される。足も小さい。身長は、ネストールの胸にすら届かないと見受けられる。
だが、その背中と腕は、熟練の職人そのものだった。
竜の娘は、細くおしとやか。猛々しい男の竜と違って、たおやかな歌で魔法を繰り出し、獣や魔獣を服従させる。ネストールには、それがどうにも落ち着かない。嫌悪とまではいかないが、何処か納得出来ないでいた。
それに対して、今目の前で働く乙女は、なんと美しいことか。石工は、男と見まがうたくましい腕と背中に、高潔な魔力を迸らせる。殺気すら感じる気迫だ。
ネストールは、鬼気迫る乙女の作業姿に遭遇したのだ。
その後ろ姿に、ただただ魅了され、立ちつくすネストール。距離を詰めることすら出来ない。
休憩が終わり、名残惜しみながら立ち去るまで、ひたすら石の彫刻を観ていた。石工もまた、作業に没頭しており、ネストールの視線には気付かなかった。
次の日。第3ルート担当になったネストールは、ゆるゆると足を運びながら、石の竜を眺める。そこへ、工具を手にした石工が近づく。ネストールは、感動で頬を紅潮させながら、黙って乙女に頭を下げた。乙女も遠くから、会釈を返してくれた。ネストールは、それだけで、胸がいっぱいになった。
それから笛吹の青年は、ゆっくりと石の竜を回り、詰所へと戻って行く。途中、作業の為に石の竜へと向かう石工の乙女が、ネストールに声をかけてきた。
「石の竜が、気に入ったか?」
一瞬、息を止めたネストール。
真っ直ぐに、乙女の焦げ茶色をした瞳を覗く。乙女の眼には、力強い命の輝きがあった。
「はい。竜を見たことがあるのですか?」
「いや、絵で見て物語を聞いただけ」
「それでこの迫力とは」
「まだまだ途中だよ。完成を楽しみにしてくんな」
にっと笑う乙女を見て、ネストールの心に新たな歌が生まれる。
「夜は作業をしないのですか?」
「暗くて無理だね」
「月夜に笛の音を捧げたいのですが」
「途中なのに?」
「ええ、途中だからです」
「ふうん、それなら、夜間入園許可を貰うよ」
芸術家同士、通じる所があったのか、乙女は笛吹き衛兵の提案に乗った。そして、ネストールの夜番の日に、魔法庭園に来ることになった。雨や曇りなら延期だ。何故なら月笛は、月光の下でしか音が鳴らないからである。
2人の想いが通じたのだろうか。約束の夜は、美しい月夜であった。細く蒼銀の光を降らせる三日月が、満天の星空に架かっている。微かな風が、夜の庭園で魔法植物達を揺する。
ネストールが石の竜までやって来ると、石工は既に待っていた。月光を浴びる竜を背に、神々しいまでの銀髪を風が乱すままにしている。
彼女が醸し出す雰囲気は、勇ましい戦女神のような、慈悲深い女帝のような、頼もしさ。
創造主の背後で、石の竜は生きているような存在感を示す。主を護る忠実な僕のようだ。
「今晩は。私は、竜の谷のネストール。月笛吹きの男です」
ネストールは、改めて石工に名乗る。
「今晩は。あたしはユテル。知っての通り、石工でさ」
深く包み込むような美声だ。ネストールは、ユテルに歌を歌って欲しかった。けれども、口には出せない。
「それでは、ユテルと石の竜に、1曲奏上致します」
ネストールは、まるで王族の前に出たかのような、恭しい挨拶をした。それから、ぴんと背筋を伸ばす。
無駄のない動作で歌口に唇を乗せると、鼻から大きく息を吸う。吸い込んだ息で、頬が膨らみ、7色に光る月笛から、胸に迫る歌が溢れ出す。
即興だと言うネストールの笛の音が、夢幻の物語を描く。ユテルの心には、蒼銀の竜が見えていた。晴れた空を悠然と飛ぶ、若く誇り高き竜の姿が。
ユテルの生み出した石の竜が、ネストールの笛に導かれ、高く広く続く空を旅する。眼下に広がる森や湖を、軽々と飛び越えて舞う。
虫も鳥達も届かない空の高みを、気軽に散歩するのだ。竜だけに許された雄大な景色に、ユテルは憧れを抱く。
ネストールが呼び起こす旋律の中で、石の竜は自由に動き回る。石の竜が旋回する動き、その眼差し、総てが、まるで目の前で起こっているようだ。力強い翼が風を巻き起こし、しなやかな尻尾で舵を取る。時に急降下し、またふわりと浮き上がる。
ユテルの竜は海にも降り立ち、海面を蹴立てて疾走する。
懐かしく優しい数々の風景が、流れて渦巻く夢となる。
この月夜に、石工乙女ユテルはインスピレーションが刺激され、作品は更なる高みにかけ上る。
中央広場に立つ竜を模した石像は、ただでさえ生きているかのようだった。そこへ、ユテルがネストールの月笛を聞いてから、益々命を、否、魂を吹き込まれてゆくのであった。