3・石の竜
朝の出勤は、正門から入る。魔法ゲートでもある為、動作確認を兼ねているのだそうだ。だが、途中出勤の場合は別の通用門を使う。ネストールも提示された裏手の門から入った。
正門と比べて遥かに小さな門扉だが、精巧な金属細工は変わらぬ異彩を放つ。こちらでは、垂れ尾の不死鳥と大輪の花がモチーフになっている。
魔法通信による指示通り、巡回責任者に挨拶をする。その場で定点で立つ時間と巡回する時間、それぞれの位置とルートを簡単に確認した。
「よし。解ってるみたいだな。魔法で位置把握も出来るなら、すぐ仕事についてくれ。3番ルート巡回から始めよう。何かあったら、詰所に魔法通信な」
「はい、よろしくお願い致します」
詰所には、巡回員の隊長と副隊長が詰めている。また、同じ場所が休憩室としても使われていた。
園内の巡回ルートは固定されている。勝手に気になる魔力を追いかけるのは無理だ。
休憩時間になったら魔力を辿ってみられる、と、ネストールは期待した。広大な魔法庭園で、僅かな休憩時間中に魔力の源を発見出来るかは解らない。だが、凡その位置くらいは特定出来るだろう。
ネストールが向かわされた第3ルートは、詰所からまっすぐ中心部に向かい、道幅の広い中央広場をぐるりと回る。そして、来た道をそのまま戻れば終了だ。勤務初日の初心者向けとも言える、単純明快な順路である。
このルートには迷路園がある。ここは、魔法樹木で出来ているために時々順路が変わる。この迷路園を右手に見ながら、左手にあるバラの丘の麓を通る。赤、白、黄色、青や緑の大小のバラが、丘の斜面を覆っている。
この庭園では、バラも魔法植物だ。咲いたり、つぼんだり、光や音を出したり、と、忙しいことだ。
丘の頂上には、ツルバラの絡む東屋が見える。時々色の変わるツルバラは、花も蔓も葉も、発光していた。夜はさぞ美しいに違いない。ただし、屋根はバラの棚になっており、雨はしのげないだろう。
ネストールの予想は、良い方に裏切られた。巡回中、不思議な魔力のもと、石の塊をみつけたのだ。迷路と丘が途切れて、拓けた場所に到着してすぐのこと。魔法樹木の装飾植栽に囲まれて、それは堂々と立っていた。
灰色の武骨な石の塊は、何かの形を成すべく、粗削りが施されていた。素材からも、僅かに魔法の気配が感じられる。だが、何よりも、この制作中の像に込められた、作家の魔力が心地よい。
勇壮でありながら、孤独と優雅さを表現しようと試みている。
一体、どんな人が造っているのだろうか。今は、製作者の姿が見えない。
(像の完成が楽しみだ)
ネストールは、このように素晴らしい作品の製作過程を目の当たりに出来るとは、なんと幸運なのだろう、と思った。
この仕事に採用された事が、心底嬉しかった。
それから公休日が来るまでの毎日、ネストールは像を見に行った。第3巡回ルートに当たらない日は、休憩中に進捗を確かめた。灰色をした石の塊は、次第に生き物の形になってゆく。
ただ、残念ながら、石工の作業には遭遇出来ない。
巡回ルートが第3以外で、像から離れた魔法庭園の外周に居る時、踊るような魔力を感じた。作業中なのだ。しかし、休憩時間には、石像の作者も休憩なのか、製作を見学することは、実現しなかった。
また、そこから近くはあるが、外の見えない迷路園内を巡回している時、石を削る音が聞こえてきた。カツンカツンと小気味良いリズムと共に、気迫の籠った魔力が流れてくる。
その時も、結局、作業風景を目にすることは出来なかった。
ふた月程経過した、ある月夜。ネストールは、初めての夜間業務についた。指示されたのは、第3ルートである。
簡単な説明を受けたあと、喜びに胸を弾ませながら、石像の立つ中央広場へと向かう。
ネストールの菫色の眼に、感涙が溢れ出た。月明かりの広場で、月笛吹きの青年は、立派な石の竜を観る。
取り囲むトピアリーは、球から立方体へ、ハートから星へ、小鳥から熊へ、と、目まぐるしく形を変化させている。
石の竜は、まだ完成ではないのだろう。魔力を湛えたその石竜は、動きもせず、光りもしない。石竜は、故郷の豪気な雄竜達の闘気と、雌竜達の高貴で優雅な魔力を併せ持つ。
ネストールの目指す音楽とは異なるが、彼には、とても好ましかった。その魔力から受け取れる研ぎ澄まされた生命力は、初めて出会う種類の魔力だ。
休憩時間になると、月笛を手に中央広場へと向かう。
「完成したら、どんなに素晴らしい姿をみせてくれるのだろう」
そう呟くと、ネストールは銀色に輝く月の雫を浴びながら、月笛に息を吹き込んだ。掠れたような笛の歌は、寂しくも温かい。静かに上昇する旋律が、時折急に低い音へ跳ぶ。
緩やかな歌の流れが、急に細かくリズムを刻む。
魔法庭園の植物が、竜の谷に伝わる月の歌に喜んで震える。
光る植物は、いつもとは別の色と雰囲気を放つ。踊る植物は静かに揺れる。歌う植物は、時に月笛に寄り添い、また沈黙をもって応える。
巡回中の別の衛兵達が、思わず足を止めてしまう。詰所の上司達も、全身で竜の谷の歌を聴く。
演奏が止み、ネストールの休憩が終わる。次のルートは別の区画だ。他の巡回員達も、魔法が解けたように動き出す。詰所は、無言から解放される。