■7.中国大陸情報網に異変あり。
「共匪どもが軍事行動を起こす可能性が高い――いよいよか」
「はい。中国共産党勢力圏内での動きは、すべて我が中国を軍事力によって脅かす可能性を示唆しています」
2021年4月某日。中華民国台北市にある中華民国国防部参謀本部軍事情報局本部では、彩虹帥廷・情報局長(陸軍中将)を交えた報告会議が行われていた。
「2020年4月から現在に至るまで、中国共産党は防疫を口実にして、徹底した大陸への上陸者の隔離・調査・管理を行うようになり、世界各国の諜報機関は情報収集に関わる新たな人的資源を、中国共産党勢力圏内に送り込むことが困難になりました」
いま会議場前方のスクリーン脇に立って話をしているのは、国防部参謀本部軍事情報局第2部(情報分析)の部長である。
「そして2020年から21年4月にかけ、欧米諸国の諜報員が次々と逮捕、あるいは行方不明となっています。我々が掴んだ情報では、CIAだけでも中国共産党勢力圏内に潜んでいた2名のCIA局員が行方不明となり、現地協力者十数名が逮捕されています。これは異常です」
「CIAの情報提供者が狩り出されて殺害されるのは今に始まったことじゃない……」
誰かの呟きは、本人の想像以上に会議場に響いた。
思いもよらず話を遮られた第2部長であったが、彼は右手で額の汗を拭って黒縁メガネの位置を直し、「確かにその通りです」とうなずいた。
「10年代、中国共産党勢力圏におけるCIAの情報網は、壊滅的打撃を被りました。ニューヨークタイムズが2017年に“CIA情報提供者が中国当局により12名以上殺害、逮捕者も含めれば20名以上が無力化された”、“CIAの二重スパイが裏切った可能性がある”と報じたとおりです。その後、中共勢力圏の拡大に伴ってCIAは新たな情報網を構築したわけですが……」
第2部長が言わんとするところを、彩虹局長をはじめとする他の職員らも理解した。
「今回は短期間で多くの諜報関係者が闇に葬られている、というわけだ」
彩虹局長は溜息をついた。
恰幅のいい上体をもぞもぞさせて、腕を組む。
実を言えば2020年から21年にかけ、軍事情報局本部の関係者も中国共産党勢力圏において、数名が行方不明になっていた。
この中にはH5pdm19の感染拡大と、その実情を早期の内に中華民国政府に通報した者も含まれている。
「理由・目的は当然、何かしらの行動に打って出るから、なんだろうな」
現在、中国人民解放軍は台湾本島の周囲で連日に渡り、軍事訓練を繰り返している。
台湾海峡上空に人民解放軍空軍の戦闘機・戦闘攻撃機が飛来し、バシー海峡を通過して台湾本島の周囲を旋回していくことはもはや日常茶飯事と化していた。
中華民国は他の東南アジア諸国とともに抗議の声明を発したが、中国共産党は当然聞く耳を持とうとはせず、その代わりに最新鋭の航空母艦『山東』をバシー海峡へ送り込んでくる始末であった。
「勿論、これが壮大なはったり、こけおどしである可能性はあります」
と言いつつも、第2部長は人民解放軍がいよいよ中華民国に武力行使を行うつもりなのだ、と考えていた。
いま米第7艦隊の航空母艦や強襲揚陸艦、航空戦力は極東に存在せず、米国自体がH5pdm19のために疲弊している。
おそらく中華民国国軍は、単独で人民解放軍の侵略を退けなければならないであろう。
「動くなら夏は避けるはず。台風のシーズンを外して10月以降か?」
彩虹局長は一般論を口にした。
「戦場におけるアメリカの支援は期待できないかもしれない。台湾関係法があるにもかかわらず、な。だがしかし、アメリカは軍事衛星や大陸に生き残っている情報網がかき集めた情報を、水面下で提供してくれている。本当に台湾侵攻に踏み切るならば、その直前には決定的な兆候が現れるはずだ」
「人民解放軍海軍の水上艦艇、潜水艦の動向に注意します」
口を挟んだのは情報収集の企画を担当する第1部長である。
「またこの後も詳しく説明いたしますが、同時に軍需物資の動きに注視するようにいたします」
「うん、それがいい」
彩虹局長は鷹揚にうなずいた。
現代の軍事組織はとにかく燃料や食料、水、莫大な量の物資を必要とする。
例えば台湾本島や離島部へ1万名の人民解放軍将兵を上陸させるとなれば、飲料水だけで1日3万リットル以上、生活用水も含めれば1日50万リットルほどを供給しなければならなくなるだろうし、糧食ならば当然1日3食として3万食、湾岸戦争を範とするならば20日分にあたる60万食分は準備してから戦争を始めることになる。
弾薬や燃料についてはアメリカ陸軍を例にすると、必要な補給日量は1日約90㎏だといい(そのうち半分以上が燃料で、20%が弾薬らしい)、これを当てはめると人民解放軍陸軍1万名が戦闘力を発揮するには1日あたり約900トンの弾薬・燃料を欲することになる。
これを輸送し、集積し、梱包し、船舶に搭載するのは並大抵の仕事ではない。
人民解放軍がこの補給物資を用立て始めれば、大陸に構築された軍事情報局本部の情報網は、必ずその兆候をキャッチするであろう。
「我々には国際社会の同情と支援が必要だ」
彩虹局長は有無を言わさぬ口調で言い切った。
「時が来れば握っている情報すべてを公開し、“中国共産党は台湾侵攻の用意あり”と発表する。その準備をしておこう。アメリカや大韓民国、日本国、東南アジア諸国にも内々に情報を回すぞ――中国人民解放軍は今年の秋以降、中華民国を攻撃する可能性が高い、とな」