■6.極東の脅威。
2021年4月12日。海上自衛隊第5航空隊(沖縄県那覇市)のP-3C哨戒機武器員、遠田誠一二等海曹は非番であったが特に外出することもなく、暇を持て余していた。
「遠田二曹、スマブラやりましょうよ」
「やだよ。また負けたやつがジュースとかアイスおごることになっても嫌だし。俺のスマブラの勝率、ジャンケンよりも低いもん」
同じく非番の同僚も、外出はしていない。
新型インフルエンザH5pdm19の猛威によって沖縄県の観光産業は大打撃を被った上、歓楽街は壊滅状態に陥った。
その傷痕は大きく、未だ癒えていない。
街に繰り出しても見知った店はどこも潰れてしまったし、街中も閑古鳥が鳴いていて淋しさを覚えるだけであった。
加えて新型インフルエンザH5pdm19自体の恐怖もある。
国民生活を維持する上で重要となる医療機関・警察・消防・自衛隊の関係者に、H5pdm19用ワクチンが優先的に確保されたこともあり、遠田誠一二等海曹はH5pdm19に罹患することなく、予防接種を受けることが出来た。
だが隊舎でテレビを見やれば、「ヒト・ヒト感染への変異を遂げたH5pdm19は、再び突然変異を起こし、接種と製造が進められている現在のワクチンが効かなくなる可能性があるのでは」とコメンテーターや自称・専門家らが頻繁に発言しているし、第5航空隊でも一部の幹部は「まだ外出は避けた方がいい」と断言していた。
なにせ第5航空隊の装備するP-3C哨戒機は、11名前後のクルーが搭乗する。
自分が感染してチームや隊全体に迷惑をかけるわけにはいかない、というのは誰もが思うところであり、他の職種に比べると第5航空隊の外出自粛ムードはいっそう強い。
H5pdm19が蔓延する前までは、打つ・飲む・寝るの3コンボが生き甲斐という隊員も少なくなかったが、
猛者である彼らも感染のリスクを意識してここ1年間は大人しくしている。
営内はすっかり外出自粛の生活に順応しつつあり、営内ではボードゲームやトランプ、携帯ゲーム、テレビゲームが流行していた。
遠田二曹自身もそうだ。
2020年から続くこの雰囲気に慣れてしまっており、非番の日に基地内にいてもさしたるストレスは感じなくなっていた。
(煙缶使いに行くか――)
気が向けば仲間がやっているゲームの輪に入ることもあるが、だいたいは雑用を適当にこなし、体力作りに励み、スマホを弄ったり煙草を吸ったりダラダラして終わる。
それから最近、非番の日に彼が勤しんでいること言えば、机に向かうことであった。
(よく見かけるのはこいつだな。054型、江凱フリゲート)
何も資格の勉強をするわけではない。
書店で購入した月刊の軍事雑誌を広げて、周辺国の水上艦艇の写真を眺めるのである。
遠田二曹はP-3Cの装備を操る武器員であるが、日頃の哨戒任務では双眼鏡による艦影・船影の確認と、カメラ撮影を担当することが多い。
その際に水上艦艇・船舶の国籍が一目で分かるに越したことはないため、哨戒機のクルーは海外の水上艦艇や船舶の写真をよく見て、その外観を頭に叩きこんでおくのが伝統になっていた。
ただ、今日では情報保全が厳しく、第5航空隊で過去に撮影した画像をプリントアウトすることが出来なくなっており、そのため遠田二曹らはインターネットの画像や、書店に並んでいる雑誌を眺めて勉強するようにしていた。
自衛官が自分達が収集した情報にアクセス出来ず、仕方なく自腹で本屋から資料を調達とは世知辛いが、そこは諦めるしかない。
(それから052型、旅洋ミサイル駆逐艦。こっちはレアなやつだ、中華イージス)
最近、第5航空隊の面々が注意を向けているのは、やはり中国人民解放軍海軍の水上艦艇と中国海警局の海警船だ。
遠田二曹の第5航空隊は主として沖縄本島と南西諸島の周辺海域の哨戒が任務であり、実際に遠田二曹らP-3Cクルーは、これまで幾度も宮古島や久米島の近海にて人民解放軍海軍の水上艦艇を捉えてきた。
それに加えて、最近はテレビやインターネットでも「中国共産党政府が国内の不満を逸らすために、軍事行動に出るのではないか」という根拠があるのかないのか分からない話が出るようになってきていて、日常の中でもそれとなく意識が向いてしまうのである。
2019年、沖縄本島と南西諸島の近海に姿を現した中国人民解放軍の水上艦艇は、延べ38隻であった(これらの水上艦艇は日本国の領海に侵入したわけではなく、島から約100㎞以上離れた海域を通航したに過ぎないことに注意が必要である)。
遠田二曹は直接目撃したことはないが、中でもいちばんの大物は2019年6月10日に、ミサイル駆逐艦2隻とミサイルフリゲート2隻を引き連れ、久米島の北西に出現した航空母艦『遼寧』と、満載排水量4万5000トンを超える最新鋭補給艦901型だった。
残るケースはそのほとんどが、054A型『江凱2』ミサイルフリゲートだ。
このフリゲートは満載排水量約4000トン。武装は艦対艦誘導弾YJ-83(射程約150㎞)8発、VLS艦対空誘導弾HQ-16(射程約40㎞)32発、76㎜速射砲、対潜ロケット、短魚雷発射管、30ミリCIWSを備えるワークホースである。
そして尖閣諸島沖で遠田二曹がよく目にするのは、中国海警局の海警船だ。
彼らは“維権執法”を合言葉に尖閣諸島の近海を巡回しており、概ね3隻から4隻でやって来る。
そのため海上保安庁は海警局側に舐められぬよう、常に4隻から5隻、つまり相手の同数以上の巡視船を尖閣諸島沖に配しているという。
ただ中国海警局側は船舶の大型化・武装化を年々推し進めており、ハード面においては質・量ともに海上保安庁の巡視船を圧倒しつつあるのが現状であった(排水量1000トン以上の中国海警船の隻数は約150隻で、同級の日本巡視船は約70隻と言われている)。
(最大の海警船はヘリコプター搭載型の海警2901と海警3901――最大排水量1万2000トン、あたご型護衛艦よりもデカいってんだから驚きだ)
遠田二曹が落とした視線の先には、船体に“CHINA COAST GUARD 中国海警”・“3901”と大書された純白の巨大海警船がある。
海警最大の海警船である海警2901・3901は船体後部がヘリコプター2機を発着させるためのヘリ甲板となっており、加えて76ミリ速射砲とリモコン式30ミリ機関砲2門を有している。
他にも重武装の海警船と言えば、054A型ミサイルフリゲートの艦体を流用した818型海警船が挙げられよう。
この海警船もまた76ミリ速射砲を備えているが、1分間に60発以上発射可能な速射砲など、警察力としては過剰であることは明白であり、周辺国の海上保安組織を威嚇するのが目的であることは間違いなかった。
「ニュース見てみ!」
机に向かいながら物思いに耽っていた遠田二曹は、同僚に肩を突然叩かれた。
「なに」
同僚と一緒にテレビがある部屋まで移動すると、そこには同じく暇を持て余していた隊員らが集まっていた。
「バシー海峡を中国の爆撃機と戦闘機が抜けてったらしい。台湾の東側を飛んでいって、宮古海峡上空を通過して戻ってったらしいわ」
「宮古……すぐそこじゃん」
テレビのアナウンサーは、中国人民解放軍の航空機が、台湾とフィリピンの間にあるバシー海峡を通過し、西部太平洋で訓練を実施した旨を告げていた。