■51.威力偵察、石垣島!
JTF-梯梧は平良港に地対艦誘導弾・地対空誘導弾が揚陸し、宮古島の要塞化が進める一方、続いて石垣島奪還作戦の準備を進めていた。
しかしこの石垣島とその周辺の島嶼は、攻め難い。
石垣島の西方に控える西表島に中国人民解放軍が重装備を揚陸していることはわかっていたし、石垣島・西表島間には竹富島・小浜島・黒島・新城島といった小島が浮かんでいる。こうした島々に敵が地対空誘導弾や火砲を持ち込んでいた場合、不意打ちによって思いもよらない被害が出ることが予想された。
「敵を炙り出すしかない」
JTF-梯梧が決心したのは威力偵察であった。
まず航空自衛隊の戦闘機部隊による航空攻撃を石垣島・西表島に集中し、続けて第4護衛隊群とおおすみ型輸送艦1隻を西進させ、加えて沖縄本島からはC-2輸送機を離陸させることで、強襲上陸作戦を“演出”する。
対する中国側は間違いなく、おおすみ型輸送艦やC-2輸送機の接近を知るはずだ。洋上を往く水上艦艇に関しては、数百km先の早期警戒管制機からでも探知が可能であるし、沖縄本島を飛び立つC-2輸送機については沖縄本島に潜む情報協力者が、発進の旨を報告するはずである。
もしも中国人民解放軍が「自衛隊の次なる強襲上陸作戦が発動された」、と誤認すれば、彼らは擬装・秘匿している地対空レーダーを起動するなど、迎撃準備のために必ず動くはずだ。
空海部隊を投じた威力偵察を計画する一方、JTF-梯梧はもうひとつ布石を打つ。
夜闇に乗じて陸上自衛隊水陸機動団の偵察部隊が宮古島から漁船に分乗し、大量の物資とともに石垣島北部の海岸に隠密上陸した。
「忘れ去られたかと思ったよ……」
これを迎え入れたのは、陸上自衛隊石垣警備隊であった。
中国人民解放軍の熾烈な攻撃で多数の死傷者を出し、石垣島北部の山地・森林に逃れていた彼らは、いまなお挫けることなく抵抗を続けていたのである。耕作地と市街地のように平坦な地形が大部分を占めていた宮古島とは違い、石垣島は島の半分以上が山地と森林だ。北部へ繋がる幹線道路は、2本の県道と国道390号線くらいしかない。待ち伏せを恐れて、中国側も掃討に本腰を入れることはなかった。
「カールグスタフか、ありがたい」
漁船から降ろされた積荷は、ほとんどが武器弾薬だった。
実は水・食料に関しては、石垣警備隊の面々は困っていなかった。
いよいよ中国人民解放軍が動くのではないか、と目されていた秋の始まりからレンジャー資格者を中心に、山地や森林の中に物資を隠していたのである。石垣島駐屯地司令の英断だった。さすがに武器弾薬を駐屯地外に持ち出すことは憚られたが、民間でも手に入る缶詰やレトルト食品、飲料水のペットボトルならば、無関係の民間人に見つけられても問題はない。実際、これらの物資は、山中での抵抗に大いに役立つことになった。
「よし、これでまた連中に一泡吹かせられる」
対戦車火器や迫撃砲の補充により、駐屯地司令は会心の笑みを浮かべた。
陸上自衛隊水陸機動団の偵察部隊との打ち合わせで、下山しての偵察、攪乱目的の攻撃は翌日の夜に決まった。JTF-梯梧の計画では彼ら石垣警備隊の行動開始とともに、航空自衛隊・海上自衛隊も動かし、大規模攻勢を演出することになっている。
早朝。反撃の号砲を務めたのは、F-35AのJDAMによる航空攻撃であった。
西表島東部、県道215号線沿い。事前に確認されていた砲兵陣地と兵舎となっている宿泊施設めがけ、約900kgの航空爆弾4発が投下されたのを嚆矢に、続けて爆装したF-2Aが石垣島の空爆へ向かった。
「来たか、宮古島のようにやられるかよ」
石垣市街中心部、避難民が収容されている市民会館から100メートルも離れていない石垣港湾合同庁舎・旧石垣海上保安部に設置された中国人民解放軍の前線司令部では、すぐさま諸部隊に反撃を命じた。
石垣島各所に擬装されていた対空陣地が活性化し、高高度に浮かぶ機影を捉える。特に司令部が期待をかけるのは、石垣空港付近の雑木林に潜む自走地対空ミサイルだ。これはロシア製自走地対空ミサイルであるトールM1の国産版であり、垂直発射装置を備えていて即応性が高い。
一方でF-2Aが機首や主翼に備えている警戒用アンテナは、すぐさま敵の自走地対空ミサイルが放つ追跡レーダー波を感知した。石垣島東方空域に突入しようとしていた操縦士らは即座に反転し、攻撃を取りやめた。
航空自衛隊の装備品には敵の放つレーダー波を探知して攻撃する対レーダーミサイルがないし、敵ミサイルの射程外から攻撃可能な対地ミサイルもないため、地対空ミサイルに対しては不利だ。
(焦る必要はない……)
だがF-2Aを駆る操縦士らは、冷静だった。F-2Aが搭載する統合電子戦システムは、脅威となる電波を探知すると同時にその位置を捕捉していた。これを潰すのはステルス戦闘機のF-35Aに任せればいい。
他方、石垣空港北東に所在する底原ダムでは激しい銃撃戦が始まっていた。
攻め手は石垣警備隊の2個小銃小隊と水陸機動団の一部である。
実は底原ダムには中国人民解放軍の監視陣地と宿営地が置かれていた。国際法もそうだが、万が一のことを考えると、自衛隊はダムに対して航空攻撃や艦砲射撃をすることは出来ない。それを知っての所業であり、これを排除するには地上部隊による攻撃しかなかった。
「この卑怯者どもが、皆殺しにしてやる」
ダムの西側――装輪装甲車が停車しているレクリエーション施設の敷地や、隣接する農林水産振興センターに迫撃砲を撃ち込むとともに、2個小銃小隊は北側と西側の2方向から底原ダムを攻めた。
狙いは底原ダム西部・管理事務所付近に展開する敵の対空車輛だ。
当然ながら敵は守備部隊を置いており、数で優っている。
が、主導権は奇襲に成功した石垣警備隊・水陸機動団側が握っていた。
彼らはまず攻撃をダム西側の農林水産振興センターに集中させた。このセンターは数段高い位置にあり、周囲に睨みを利かせることが出来る上、中国側も銃座を設けていたからである。
雑木林の合間にM2重機関銃を据えての猛射撃で、ダム西側の農林水産振興センターに籠もる敵兵を制圧しつつ、84mm無反動砲の射撃で建屋を吹き飛ばしてしまった。
その脇をすり抜けて雑木林をひたひたと進む別働隊は、底原ダム西部の管理事務所まで射線が通る位置まで進出することに成功すると、無防備に展開したままの対空車輌目掛けて、84mm無反動砲の連続射撃を浴びせる。
「よし、撤収!」
敵の指揮車輌と地対空ミサイルを装備した車輌に、きっかり2発ずつ砲弾が吸い込まれ、空いた風穴と隙間という隙間から黒煙と炎を吐き出すさまを見るとともに、彼らは即座に背後の山野へ逃げ出した。




