表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/55

■39.生起、宮古列島航空戦。

 10月13日午前9時、海上自衛隊第1航空隊のP-1哨戒機がレーダー等を使用した哨戒中に、沖縄本島南東部にある中城湾港へ向かっていたRO-RO船『すいせん』の航路上に、潜望鏡とマストを捕捉。『すいせん』は変針して25ノットの速度で離脱するとともに、P-1哨戒機は装備していた150kg対潜爆弾ですぐさまこれを攻撃し、敵潜水艦を浮上・降伏に追い込むことに成功した。この潜水艦は中国人民解放軍海軍039型潜水艦であり、開戦の前後に与那国島方面から琉球弧を突破し、この沖縄本島まで進出したらしかった。

 対する海上自衛隊の潜水艦作戦も、万事が万事うまくいっているわけではない。

 航空優勢も海上優勢もない与那国島周辺海域では、敵哨戒機の警戒が厳しくなり、『しょうりゅう』はやむをえず“聖域”の台湾島近海までひとまずの後退を余儀なくされた。

 平良港へのミサイル攻撃に成功した『まきしお』もまた、敵哨戒機の追跡を一時受けた上、おそらく宮古島東方海域にて機雷敷設中の敵潜水艦のスクリュー音を捕捉し、交戦を避けてさらに南方へ身を隠した。


「どうしますか」

「……やめておこう」


 航空母艦『遼寧』を襲撃し、その身に89式長魚雷2本をぶち当てた『じんりゅう』もまた慎重にならざるをえなかった。『遼寧』は、と言えば左舷側に傾斜したまま、なんとか水上で釣り合いを保っているような状態である。海中に潜む『じんりゅう』は聴音を続けていたが、『遼寧』のスクリュー音はせず、その代わりに複数のフリゲートが周辺を航行しているようだった。ここで襲撃を試みれば、今度こそ『じんりゅう』は撃沈されるであろう。


 その前後では2機の殲撃20型が奄美大島東方にまで進出し、名瀬港に向けて高空から誘導爆弾を4発投下した。内2発が名瀬港東側のフェリー乗り場に直撃。残る2発は名瀬港西側の岸壁を狙ったのだが、若干狙いが逸れた。1発は岸壁から50m南西に離れた鹿児島県奄美警察署に直撃、もう1発も港湾施設から20m西に流されてしまい、運送会社の事務所を粉砕するに終わった。

 この殲撃20型2機は誘導爆弾を投下すると同時に、踵を返して空域を離脱。空中哨戒中であったF-15J戦闘機2機がこれを追ったが、東シナ海の上空で追跡を断念した。東シナ海洋上に浮かぶ、052D型駆逐艦の艦対空誘導弾の射程に入りかけたからである。


「あれだけ沈めたのに……」


 航空自衛隊の熾烈な対艦攻撃にもかかわらず、未だに東シナ海の大部分が中国人民解放軍海軍の優勢下にあることは否定できない事実であった。中華神盾の052D型・052C型駆逐艦は未だ複数隻が健在。敵航空戦力も補充が早く、“回廊”の傍でなければ厳しい戦いを強いられるのが現状である。

 陽動作戦も兼ね、東シナ海を遊弋する052D型駆逐艦に対し、航空自衛隊第7航空団第3飛行隊のF-2A戦闘機が対艦攻撃を実施したが、戦果は皆無であった。


 この13日午前における一番の戦果はと言えば、尖閣諸島に接近した中国海警の船舶1隻を轟沈せしめたことであろう。

 国内メディア向けに釣魚群島(尖閣諸島)を撮影するため訪れた、3000トン級のヘリコプター搭載型海警船は突如として閃光を発すると、次の瞬間には噴き上がった水柱に呑みこまれていた。船体が裂けて、中央部から海面下の地獄へと沈んでいく。後には何も残らない。

 これは開戦直前まで大陸沿岸にて情報収集を実施していた『くろしお』が尖閣諸島近海まで南下した際、敷設ふせつしておいた機雷によるものであった。危険極まる置き土産。その『くろしお』は尖閣諸島の要所要所に10個前後の機雷を仕掛けた後、与那国海底地溝に潜んでいた。


 このように一進一退の戦闘が続く中、城田ジョニーが中国側の要求を呑む形での戦争終結を日本政府に求めたのは前述の通りである。

 勿論、彼には彼なりの言い分があった。日中戦争勃発以降、沖縄県に向けた国内・海外航空輸送は消滅。商船も多くが航行を拒否しており、沖縄県の航空・海上物流はごく一部を除いて途絶えた。中国人民解放軍による誤爆で、沖縄県民の間でも死傷者が出ている。県民生活を考えればもう限界だ、というわけだった。

 実際のところ日本政府に事実上の降伏を求める声は少なくない。中国人民解放軍が防衛省への弾道ミサイル攻撃に踏み切ったことから、日本国民の間では次は東京に核が落ちるのではないか、という声が広がりつつあったのだ。

 ただ中国に対する怒りの声が消えてなくなることはないし、日本国民の多数が「このまま泣き寝入りしてたまるか」という感情を抱いているのもまた事実であった。

 さらに与那国島から宮古島までを奪われてしまえば、中国人民解放軍は次に沖縄本島や九州地方を――それどころか本州への侵略を試みるであろうという考えもあった。その場合、沖縄島や九州地方、本州を巡る戦争では、今度こそ自衛隊に勝ち目はないだろうという悲観的な意見も出ている。中国人民解放軍の戦力回復のペースは、日本国自衛隊のそれを凌駕するであろうから、航空自衛隊の再建が間に合わないままに再侵攻の日を迎えるだろう、ということらしい。

 ただし戦場となっている沖縄県の首長の声明を黙殺するわけにもいかず、古川首相は10月13日18時に会見を開き、自ら今後の政府方針について説明することを決めた。


 こうした政治的な要請と、中国人民解放軍の出鼻をくじく目的から、陸海空自衛隊による作戦オペレーション・“フェニックス”は13日14時に発動された。

 まず早期警戒機と哨戒機が、宮古島周辺海域の捜索に投入される。宮古島に強力な地対空ミサイルシステムが上陸しておらずとも、洋上に対空戦闘力の高い052D型駆逐艦が浮かんでいれば、これを排除しなければならない。

 この懸念は、的中した。宮古島周辺海域に2隻の艦影がった。1隻は052D型駆逐艦、もう1隻は先に平良港にて防空戦闘を実施した054A型ミサイルフリゲート。これに対しては、沖縄島にまで進出した海上自衛隊の哨戒機部隊が攻撃を実施し、事前にこれを撃破することとなった。


 他方、宮古島自体に対して、航空自衛隊第7航空団第3飛行隊に所属する2機のF-35Aが隠密偵察を実施した。結果から言えばこの隠密偵察は半ば成功、半ば失敗した。めぼしい敵の地対空ミサイル陣地はなし――情報収集には成功したものの、しかしながら帰投前に空中哨戒中であった殲撃11型4機に絡まれたのである。

 このF-35Aの離脱を援護するために、航空自衛隊第9航空団・第5航空団が投入される形で、宮古列島航空戦が生起した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ