■34.旗艦にして、不沈空母たれ。(中)
昨日の空対艦誘導弾による攻撃を凌いだ航空母艦『遼寧』、その満載排水量約6万トンの巨体が鳴動した。左舷側の海面が持ち上がったかと思うと、白波が巨大な水柱へと急成長し、『遼寧』の甲板を見下ろした。純白の水柱は僅かな時間で崩壊を始め、無数の水滴となって『遼寧』の甲板と艦橋を濡らした。
(虹――)
七色に輝いた『遼寧』は次の瞬間、再度の衝撃に襲われた。
虹の合間を突き抜けて、再び巨大な水柱がぶち上がる。乗組員らが騒然とする中、『遼寧』の艦体が甲高い悲鳴を上げた。左舷喫水線下に無数の亀裂と破孔が生まれ、彼女はいま流入する莫大な量の海水を無抵抗に呑み込み続けていた。被害の範囲とその深刻さ、そして浸水速度にダメージコントロールが間に合わず、『遼寧』は徐々に傾斜し始めた。
「4番管、発射はじめ」
海面下ではそうりゅう型潜水艦『じんりゅう』が、4発目の89式魚雷を『遼寧』の直援艦目掛けて発射していた。もとよりここで刺し違える覚悟――すでに3番管から発射された89式魚雷は、『遼寧』の護衛を務める052D型護衛艦目掛けて突進している最中である。
「艦体破壊音」
「4番管発射魚雷、航走中」
『遼寧』が即死を免れた89式魚雷だが、満載排水量約7000トンのミサイル駆逐艦が破滅的なバブルパルスに耐えられるわけがなく、艦体断裂の憂き目に遭った。
つまり、轟沈である。
一方、人体と鋼鉄の骸、そして無数の雑音が海中に充満する中、有線誘導された4発目の89式魚雷は、『遼寧』近傍の警戒にあたっていたミサイルフリゲートを捕捉した。
「ワイヤカット」
4番管から発射された89式魚雷の有線誘導を断つと同時に、『じんりゅう』は海中で速力を増しながら右旋回する。さらなる戦果拡大のためだ。加えて『じんりゅう』は八重山海底地溝の水深約300メートルまで急速潜航した。かくして『じんりゅう』は海上の混乱と完全に切り離され、外界から孤立した。
「仕切り直して、救助に近づいてきた艦艇をやる」
『じんりゅう』艦長は、非情の戦術を採ることにしたらしい。
海上の様子を仔細観察する術はないが、駆逐艦1隻を撃破したのは確実である。つまり救助を待つ無数の乗組員がいま海面には浮いているはずだ。さらに航空母艦『遼寧』だが、2発の長魚雷を受けて無事で済むとは思えない。そのまま沈没してしまっても、航行不能のまま浮かんでいたとしても、人民解放軍海軍は救助なり、曳航なりをしなければならないだろう。救助のために敵水上艦艇がのこのこと接近してくれば、これはさらなる攻撃のチャンスである。
勿論、リスクも大きい。要救助者や『遼寧』を囮として待ち構える戦術など、中国人民解放軍海軍側からすれば簡単に看破できること。対潜警戒を厳として臨むであろう。事前の海中捜索も行われるに違いない。
猛烈な体臭がわだかまる発令所の中で、『じんりゅう』乗組員らは根競べだ、と意気込んでいた。すでにシャワーを3日以上浴びていないし、DVDを視聴したり、ゲームで遊んだりする気にもならず、当直以外は眠ることしかしていない。水をはじめとする物資と自身のエネルギー消費を抑え、ただ音を出さないようにじっとしている。これが潜水艦乗りの戦い方であった。
さて。12日午前10時、金洪文国家主席をはじめとする中華人民共和国首脳部は、北京市『中南海』の某所にて、非公式の会合を開いていた。彼らの表情は、それぞれである。国家主席の金洪文は渋い顔であるし、国家安全部部長の曹健の顔色もよくない。一方で劉勇国防部部長は特に感情の機微を見せず、外交部部長の馬樹南は微笑さえたたえていた。
「日本政府からの回答はなし、ということでいいんだな」
金洪文国家主席は「あてが外れた」と溜息をつきながら、煙草の灰を落とした。彼の読みと感覚では、日本政府は脅迫に屈して戦争は3日経たずに終わるはずだった。ところが日本国自衛隊の思わぬ抵抗により、どうやら古川首相以下日本政府首脳部は勇気づけられているらしい。
日本政府は合理的ではない、まさに蛮勇だと金洪文は思う。何も俺たちは沖縄本島を寄越せと言っているわけではない。南西諸島の端を渡すだけでいい、とむしろ譲歩してやっているのである。
金洪文が紫煙を肺に入れ、短くなった煙草を灰皿に押しつけると同時に、「お言葉ですが」と座席にかけずに直立する劉勇国防部部長が声を上げた。
「戦闘が始まってから未だ丸2日しか経っていません。緒戦における短期的なキルレシオが自衛隊側に傾いていたとしても、1週間後、2週間後、純軍事的に言えば我々は必ず優位に立ちます。南海での通商妨害が身を結べば……」
「中国人民解放軍第81統合任務戦線司令部からの報告書は読んだ」
金洪文国家主席は眉間にしわを寄せ、難しい表情でまたもや煙草に火を点けた。
「その純軍事的に優位に立つために、九州島・本州に対する弾道ミサイル攻撃と、台湾空軍・海軍への攻撃の許可が欲しいんだったな」
「仰る通りです」
劉勇国防部部長は頷いた。
航空優勢を確保するためには、九州地方と本州一円の航空自衛隊基地に対する攻撃が必要だ。また第81統合任務戦線司令部からは、台湾海軍の水上艦艇が収集した情報が、日本政府に供されている疑惑が濃厚である旨、報告されている。このままでは人民解放軍前線部隊の与那国島・釣魚島周辺における軍事行動は、すべて筒抜けになってしまう。だが台湾海・空軍に対する攻撃は当然ながら、“第2戦線”を開くことになる。
「小馬はどう思う」
水を向けられた外交部部長の馬樹南だが、彼が何かを言う前に曹健国家安全部部長が口を開いた。
「日本政府に情報を渡しているのは、台湾だけじゃない。おそらく韓国やシンガポールもそうだ。……くそっ、日本だけとの戦争のつもりがこのままでは際限なく戦い続けることになる」
意見というよりは弱音に近い曹健の発言に、馬樹南は苛立ちや不快感を隠したまま「落ち着いて」と彼をなだめた。
「台湾海軍・空軍が情報収集をしているかどうか、未だ確証がありません。大韓民国に関して言えば、現在のところ日本国と協力体制を構築しているとは思えない。疑心悪鬼になっては、日本国外務省の思うつぼだ。こちらから無際限に戦線を拡大する必要はない。むしろ――」
馬樹南は言葉を切り、はっきりと言い放った。
「当初の方針からは外れますが、要求に応じない日本を弾道ミサイルで徹底的に叩くべきです。この際、文民が多少犠牲になることも仕方がありません」
金洪文は救いを求めるように劉勇を見たが、彼もまた頷いてみせた。
この瞬間、中国人民解放軍による沖縄本島以東への攻撃が決定したのであった。




