■32.東天昇る旭日と西天輝く五星、そして――。(後)
中国人民解放軍と日本国自衛隊が激しい攻防戦を繰り広げるその地球の裏側、国際連合では侃々諤々(かんかんがくがく)の激しい論戦が始まっていた。
2021年10月の国際連合安全保障理事会の理事国は、米・英・仏・露・中の5常任理事国とドイツ・ベルギー・エストニア・ドミニカ・セントビンセント=グレナディーン・南アフリカ共和国・ニジェール・チュニジア・インドネシア・ベトナムの10非常任理事国から成るが、言わずもがな安全保障理事会は機能不全に陥っていた。すべては世界の平和と安全のために国際連合安全保障理事会の常任理事国は努力する(故に平和を乱すことはありえない)という前時代的な建前と、安全保障理事会の理事国が武力を濫用する紛争の当事者であるという現実からくるシステムエラー。
日本政府が予期していたとおり、中華人民共和国に対する非難決議や停戦決議は、中華人民共和国の拒否権行使により否決されたが、日本側にとって真の問題はそこではなかった。安全保障理事会には同時に日本国に対する非難決議、制裁決議も提出されたのである。
中華人民共和国国連大使の言を借りるなら、
「今回の武力衝突の発端は、日本国自衛隊の先制攻撃である。10月10日正午、中国人民解放軍海軍の水上艦艇『宜昌』が領海である釣魚島周辺海域で、2発の高速飛翔体による攻撃を受けて沈没した。これに対して中国人民解放軍は、航行の自由を脅かす日本国自衛隊のミサイル基地と航空基地を攻撃、排除するために行動しているだけである」
ということで、むしろ中華人民共和国は被害国であり、日本側が武力紛争をエスカレートさせているというのが彼らの立場であった。この主張に基づいた日本国に対する非難決議は、主に非常任理事国による反対多数で否決されたが、日本国外務省の関係者からすれば生きた心地はしない。
しかも中華人民共和国外交部は「日本国は国連憲章で定められているところの敵国(旧・枢軸国)であり、この敵国の新たな侵略に対抗する中国人民解放軍の軍事行動の一切は正当である」とまで表明していた。
「出鱈目にもほどがある……」
国連大使を務める痩身長躯、丸信之介は苛立ちを隠さなかった。国際連合の援助が望めないどころか、侵略の脅威に晒されているのは本邦であるにもかかわらず、下手をすれば“世界の敵”に仕立て上げられそうになっているのだから当たり前だった。
ちなみに中国側が先制攻撃を受けて沈没したとする『宜昌』は、10月11日午前3時に、与那国島周辺海域にて海自潜水艦『しょうりゅう』の襲撃を受けて轟沈したフリゲートだ。勿論、開戦後の出来事である。まさに「嘘も繰り返し言い続ければ真実になる」、言った者勝ちの不誠実なやり口であった。
非常任理事国のセントビンセント=グレナディーンをはじめとした、中立的な立場、日本側にある程度好意的な国は、「『宜昌』沈没事件を第三者から成る調査団が調べるまで、日中両国ともに停戦してはどうか」と提案したが、中国側はこれを黙殺している。
日中衝突に際して、国際連合安全保障理事会は指導力を発揮出来ない――太陽が東から昇り、西へ沈むのと同様に分かり切っていた事態の中で、世界各国はそれぞれの国益のために蠢動を始めていた。
「我々は周辺諸国との友好を毀損することを望まない。だがしかし、それは“次なる戦争”に備えないということを意味しているわけではない。火の粉を振り払い、愚かな放火者を懲罰する準備はいつでも出来ている」
まず活発な活動を見せたのは、ベトナム人民軍であった。
日中戦争の勃発と同時に、ベトナム人民海軍のロシア製キロ型通常動力潜水艦が海軍基地から姿を消し、ゲパルト3型フリゲートとタランタル型コルベットから成る小艦隊が南シナ海へ出動。さらにベトナム人民空軍はSu-30MK2戦闘攻撃機4機による戦闘訓練を実施、近代化した軍事力を誇示した。
彼らには本能的な恐怖があった。1979年の中越戦争では中国人民解放軍に対して本土防衛戦で辛くも勝利したベトナム人民軍であるが、続く84年の両山戦役、88年の南沙諸島海戦では戦術的敗北を喫している。そして現代ではその70・80年代と比較にならないほどの質的・量的な軍事力の隔絶が、両者の間にはある。日本国自衛隊と対決する中国人民解放軍であるが、彼らが“余力”を以て何かを仕掛けてくる可能性はなきにしもあらず、というのがベトナム共産党首脳部の思考であった。
その南西。中国人民解放軍海軍が日本国に対する通商妨害に乗り出すと同時に、これを批判する声を上げたのはシンガポールだった。中国人民解放軍による通商破壊を、マラッカ海峡・シンガポール海峡に面するシンガポールが看過出来るはずもなし。
加えてシンガポールはイギリス・オーストラリア・ニュージーランド・マレーシアから成る防衛同盟の会議招集を関係国に訴えた。所謂、1971年に締結された五国防衛取極によるものである。これは戦火が拡大し、南シナ海・シンガポール海峡で戦闘が生起するような事態に備えてのことだ。
この動きを中国共産党首脳部は黙殺していたが、内心穏やかではいられない。
シンガポールが日本側に味方すれば、それはまさしく悪夢である。シンガポール単体の政治力・軍事力もさることながら、そこにイギリス・オーストラリア・ニュージーランドが加勢する(マレーシアは中国と友好関係を築いているため、どちらに転ぶかわからない)。H5pdm19の流行後、イギリスは極東情勢に積極的に関わっていく姿勢を見せており、実際シンガポールには航空母艦『プリンス・オブ・ウェールズ』と45型ミサイル駆逐艦が寄港していた。
「在日米軍をご覧頂きたい」
ベトナム、シンガポール、またインド、ネパール――こうした周辺国が“次なる戦争”に備えて動き始めるとともに、直接に干戈交える“熱戦”を真剣に想定する国家も現れた。
「70年前に地球の裏側から我々を助けてくれた彼らはもういない。我々は北韓(※北朝鮮)と、中国人民解放軍の南侵に備えるべきです。世界最強のアメリカ軍の援護も、日本列島という一大兵站も機能しない現在、北韓の連中が動き、なし崩しに中国がこれを支援するというシナリオは十分考えられます」
10月11日、韓国国防部庁舎では朴合同参謀本部議長が閣僚らを前に、熱弁を振るっていた。彼は朝鮮戦争の英雄から薫陶を受けた“古いタイプ”の人間である。つまり大韓民国国軍は民主主義の前衛であり、北韓から韓国国民の生命と自由を守るために在るという思考の将官だった。
「いま航空自衛隊が人民解放軍のミサイル攻撃で壊滅し、海上自衛隊が大打撃を被ればどうなるか。中国人民解放軍は自衛隊と戦いながらでも、黄海・東シナ海を渡って、我が国が抱える長大な海岸線、そのどこへでも強襲上陸を仕掛けることが可能になります」
朴合同参謀本部議長の考える最悪の事態とは、北韓軍の火事場泥棒的南侵に伴い、人民解放軍が“逆・仁川上陸作戦”を仕掛けてくるというシナリオであった。押し寄せる北韓の連中を阻止するために主力が拘束されているところに、人民解放軍が軟い脇腹を衝く。韓国軍は大敗を喫するであろう。
「じゃあどうしろというんだ。日本側に立って参戦しろとでも」
半ばうんざりしたように韓国大統領の趙漢九は朴の話を遮ったが、朴は大真面目に頷いた。
「まだ時期尚早ですが、その選択肢を採ることも視野に入れた方がよろしいかと」
「馬鹿げている」
「馬鹿げているのはこの現実です。米軍は動かず、日中戦争が始まり、東南・南アジアの軍港からは潜水艦が消えている――中国軍のミサイル攻撃に備えてです。北韓が動員を始めてからこちらが動くのでは遅きに失する可能性もあります。デフコンレベルの設定と、珍島犬警報の発令を求めます。韓国海軍を黄海側に展開して、中国人民解放軍にプレッシャーをかけるだけでも戦況は変わるかもしれません」
「我々が先んじて動くことで北韓がその気になる可能性もあり得る。そのリスクを自ら冒すことは出来ない。これは局地的な武力紛争ではないのか? 朴くん、君は明らかにいきすぎている。何に備えるつもりだ?」
朴合同参謀本部議長は大統領の両脇に座っている眠そうな閣僚を睨みつけると、厳然と言った。
「“次なる戦争”――第三次世界大戦です」
■33.旗艦にして不沈空母たれ。(仮題)へ続きます。




