■2.2021年4月の謀議。
中華人民共和国国家主席の金洪文の外見を一言で説明するならば、「毛沢東」であろう。
1956年生まれで文化大革命の時代(1966年からの約10年間)を青少年として過ごし、熱狂と混乱を体験した彼であるが、それでもなお金洪文は今日、熱烈な毛沢東の信奉者として知られている。
毛沢東を信仰する彼の姿勢は政治面だけではなく、趣味や髪型にまで至る。金は身長165㎝の小兵であり、体格だけは似せることは出来なかったが、それ以外のほとんど全ては毛沢東のコピーと言っても過言ではなかった。
故に、彼の外見は毛沢東に酷似している、というわけである。
「やれやれ」
さて。中華人民共和国北京市『中南海』の某所には、深夜にもかかわらず数名の党高官とその部下達が集っていた。
「あの老いぼれをようやく引退に追いこめた」
毛沢東が愛用していた煙草『猫熊』を咥えながら、金洪文は開口一番そう言った。
彼の言う“老いぼれ”とは、2012年から国家主席を務め、先の“防疫戦争”で指揮を執った男、朱得華・前国家主席のことである。
この前任者の朱得華は、金洪文と同世代の人間である。が、陣頭で指揮を執って物事を推し進めていく唯我独尊タイプの金洪文とは対照的で、周囲の意見をよく聞き入れるタイプの政治家であった。
その経歴は波乱に満ちている。
朱得華の父は中国共産党の高官であったが、文化大革命により失脚。
彼自身もまた北京市の学校を追放され、農村部に10年以上軟禁されていた。
こうした過去から朱得華は内心では毛沢東を憎悪していたし、政治権力を国際社会へ向けて発揮するというよりは内に向けることが多かった。自身に従うなら良し、従わないのならば厳しい汚職の追及で失脚させ、忠誠を誓う周囲を大事にする――あとはその権力基盤が揺るがないよう、冒険に奔ることはしない。
それが文化大革命を経て権力に執着し、その一方で独裁者を嫌う朱得華のやり方だった。
この朱・前国家主席と、金・新国家主席。
同時代の両政治家に共通しているのは、西側諸国の掲げる自由主義、個人主義を嫌悪していることくらいであり、あとはどうしても反りが合わなかった。
前述の通り、内を固める趣の強かった朱とは対照的に、金洪文は内政よりも外征、その魅力に取りつかれていた。
「“老いぼれ”、ですか」金洪文国家主席の言葉に反応したのは、国務委員・国防部部長の劉勇であった。「我々とさして年齢は変わりませんがね」
「精神が、だよ。精神が老いていると言いたいんだ」
劉勇国防部部長の冗談に気を悪くするでもなく、金洪文は言った。
「我が党、我が国、我が人民は強くなった。いまや中華人民共和国は世界第2位の経済力と軍事力を擁している。だがしかし、そこで朱のように満足してはいけない。10年後、20年後、100年後はどうだ? 俺の仕事は100年後もこの中華人民共和国が、世界の中心であり続けるようにすることだよ。そのためには――」
「台湾島や日本列島に、小うるさいハエを張りつけさせたままではいけない。もう何度も聞いた話だよ、老金」
馬樹南外交部部長が親しげな口調で、金洪文の言葉の先を続けた。
「そうだ」
金洪文は自身の考えが浸透していることに満足した。
馬樹南は金洪文と同郷の人物であり、それが国務委員抜擢に繋がっている。
だが金洪文は単なる縁故で彼を側近に選んだわけではなかった。
馬樹南外交部部長は、党有力者の中で一番の知日派として知られている。日本語を習熟しており、00年代には駐日中国大使を務めたこともあって、日本国内の国会議員にも知己が多く、2019年末には自由民権党の五階堂幹事長とも会談していた。
つまり適材適所、能力で選出されたのである。
それが分かっているから、馬樹南外交部部長も必要以上にこびへつらうことはない。
彼は朗らかに「それで台湾島と日本、どっちにする」と聞いた。
「小馬……それは俺も悩んでいたんだが、日本の南西諸島を先に片づけることに決めた」
「いいね」馬樹南外交部部長は何の躊躇いもなく賛同した。「その選択がベストだ」
彼は知日派で、日本人の友人もいるし、日本国に対して親しみを覚えている。
だがしかしそれは、中華人民共和国の国益と党利の後に来るものだ。
現状、沖縄本島をはじめとする南西諸島は、中国大陸に対して突きつけられた剣である。
“在日米軍が戻ってくる”ようなことがあれば、日本の南西諸島は再び脅威となる。
(そう、いまが千載一遇の好機なのだ)
中華民国を僭称する台湾島の独立勢力はアメリカからの支援を受けているが、彼我の軍事力には隔たりがあり、そしてその隔たりは年を追うごとに開いていく。アメリカ軍の駐留は現実的ではないから、あとで熟柿を落とすように台湾島の問題は片付くであろう。
(日本の友人たちよ、新型インフルエンザとの戦いで理解しただろう。人種差別、他国向け支援物資の接収。H5pdm19流行当初の彼らの反応を忘れたとは言わせない。連中はこのアジアを“世界”だとは思っていないのさ。対岸の火事どころではなく、文字通り我々の苦境など“別世界”の出来事。ひとしきり上から目線で論評してから、ようやく危機に気づく始末。EUを見ただろう、連中同士でも助け合うことなど出来ない。アメリカか、我が国か、付き合う相手はよく考えた方がいいぞ……)
そう馬樹南外交部部長が思案している内に、話題は切り替わっていった。
「まず釣魚群島(尖閣諸島)を取り戻す。また与那国島、西表島、石垣島、宮古島といった主だった有人島を占領し、この周辺海域を確保。後に台湾島を解放することで、我が人民解放軍は太平洋への回廊を手中に収める」
欲を言えば沖縄本島も奪りたいがどうだろう、と金洪文国家主席は付け足したが、劉勇国防部部長は首を縦には振らなかった。
「中央軍事委員会と中国人民解放軍東部戦区は、沖縄本島解放作戦の研究を継続しています。しかしながら沖縄本島は先に挙げた八重山列島・宮古列島とは異なり、陸上自衛隊第15旅団本隊が守りを固めています」
「陸上自衛隊第15旅団なら知っているよ」
挙手をしたのは国会委員・国家安全部部長を務める曹健である。
「1個旅団と言っても、その実は歩兵1個団(1個連隊)を主力とする2000名程度の小部隊。大したことはないんじゃないかな。対空ミサイル部隊を除けば砲兵部隊はなし、さっき言った歩兵1個団の重迫撃砲がせいぜいだったはず」
防諜・情報機関を監督する立場の曹健国家安全部部長は、今日の会合で必要になるであろう数字をすべて頭に入れてきた。記憶力がずば抜けていいのが、彼の取り柄であった。しかしながら根が楽観的な人物であり、戦えば必ず勝つと思っていた。
その彼を、劉勇国防部部長は冷静に掣肘した。
「私は上陸戦の専門家ではありませんが、その2000名を地上戦で打ち負かす地上戦力を揚陸・展開するのに数日はかかると考えています。今回の作戦は速度が重要です。迅速に行動し、既成事実を作り、実効支配を認めさせなければなりません」
「成程」曹健国家安全部部長は頷いた。「沖縄本島の連中を叩き潰すのにも、タイムリミットがあるということか」
「その通りです。それに沖縄本島は日本側も増援を送り込みやすい。航空・海上優勢を盤石なものにするのにも骨が折れるでしょう」
そこでそれまで黙っていた金洪文国家主席が口を挟んだ。
「じゃあ沖縄本島に関しては研究を続けてもらうとして、現時点では沖縄本島から八重山列島・宮古列島の増援を阻止すること、それを第一に考えてもらいたい」
かしこまりました、と曹健国家安全部部長は軽く頭を下げた。
「開戦は台風の季節が過ぎた10月以降としたい」
金洪文国家主席は居並ぶ面々、ひとりひとりを見つめて念を押した。
「それまでに我が方に有利な状況を生み出す。いいな」