■19.孤立無援、与那国防衛戦。(前)
古川首相が防衛出動命令を発したという一報は、日本国の内外を騒然とさせたが、中国共産党首脳陣は誰一人として動揺しなかった。予想よりも早く防衛出動に踏み切ったな、と劉勇国防部部長がただ思ったくらいだった。遅かれ早かれ陸海空自衛隊は反撃を試みてくるに決まっているのだから、これくらいで驚くことはない。
現状、戦局は中国人民解放軍の優勢のまま推移していた。
想像よりも航空自衛隊第9航空団が粘り強く、南西諸島周辺空域では現在も航空戦が続いている。開戦より僅か5時間で中国人民解放軍空軍機は24機が撃墜の憂き目に遭い、しかも航空自衛隊は撃墜された早期警戒機の交替機をすぐに投入してきた。
しかしそれにもかかわらず、南西諸島周辺の空域は中国人民解放軍空軍の優勢で固まりつつあった。
「那覇基地に対する攻撃成功から、目に見えて連中の動きが鈍ったな」
中国人民解放軍第81統合任務戦線司令部の面々は、自衛隊関連施設に対する弾道ミサイル攻撃に手応えを感じていた。
那覇基地が機能を喪失すれば、航空自衛隊第9航空団は福岡県の築城基地か宮崎県の新田原基地にまで後退せざるをえない。例えば新田原基地から石垣島上空までの距離は、約1100㎞にも及ぶ。F-15Jの戦闘行動半径には収まるものの、遠大な距離であることには変わりないだろう。
加えて中国人民解放軍第81統合任務戦線は、航空自衛隊を圧倒するだけの潤沢な作戦機数を有しているし、陸海空自衛隊は大陸沿岸にある人民解放軍空軍基地を攻撃する手段を持たないから、劇的に劣勢へ転がることはない。
これで空軍機の援護の下、島嶼部を攻略するための水上艦艇や、水上艦艇を潜水艦から守るための対潜哨戒機を安全に展開させることが可能になった。海上自衛隊の対潜哨戒機もまた友軍機が追い払ってくれるので、潜水艦の作戦もやり易くなる。
いよいよ中国人民解放軍第81統合任務戦線は、与那国島・石垣島・宮古島をはじめとする島々への強襲上陸作戦に取り掛かろうとしていた。
「釣魚群島自体にはさしたる価値はない」
この“奪還”作戦にあたって、中国人民解放軍第81統合任務戦線司令部は攻略の優先順位を決めていた。なにせ八重山列島・宮古列島を併せると30以上の島々になる。尖閣諸島だけでも5島と3つの岩礁、このひとつひとつに解放軍部隊や武装警察を配置するのは骨が折れる。
そのため中国人民解放軍は、まず自衛隊が駐屯する有人島(つまり与那国島・石垣島・宮古島)の攻略と、西表島や伊良部島といった人口1000名を超えている島々と、滑走路3000mを誇る空港を有する下地島の占領を優先することに決めた。
第81統合任務戦線司令部の考えには、金洪文国家主席も賛同している。
釣魚群島を“奪還”した暁には、そこを埋め立ててミサイル基地やレーダーサイトにするつもりであるが、此度の対日戦争においてはあまり価値がない。中華人民共和国の管理下にあることを示すため、武装警察を配置してもいいが、整備された港もヘリポートもないのだから補給が大変だ。
故に無視する。どうせこうした無人島は、南西諸島の自衛隊を撃破し、日本政府を屈服されば後で総取りに出来るのだ。
緒戦はまず与那国島・石垣島・宮古島の陸自警備隊の降伏と、フェリー港や空港といったインフラの整った有人島の確保を優先する。
こうした有人島は中国人民解放軍の強力な前進拠点に早変わり。中距離地対空誘導弾や地対艦誘導弾、対潜哨戒ヘリを配置すれば、反撃を試みる自衛隊を撃退するのにかなり役立つだろう。
捕らぬ狸の皮算用もいいところだが、金洪文国家主席はこれらの南西諸島の島々を、2、3年後までにアメリカ海軍の水上艦隊も近づけない軍事拠点にするつもりであった。
「陸上自衛隊・与那国沿岸監視隊は、我の弾道ミサイル攻撃と航空攻撃によりすでに虫の息だろう。もともと大した兵力もない、決着は即座につく。石垣島や宮古島はなかなか手強いだろうが、連中の重装備の大半は葬ったはずだ」
と、中国人民解放軍第81統合任務戦線司令部のスタッフは今後の展望を楽観視しながら、攻略部隊を送り出した。
さて。
地理的関係もあり、まず与那国島において中国人民解放軍第81統合任務戦線隷下の上陸部隊と陸上自衛隊の交戦が生起した。
与那国島に差し向けられたのは中国人民解放軍空軍空降兵約500名が分乗する数機の運輸9型と、中国人民解放軍陸軍両棲部隊約500名と20輌以上の水陸両用戦車・歩兵戦闘車を積載した072型戦車揚陸艦3隻・中型揚陸艦複数隻である。
攻略作戦の概要は与那国島北部にある与那国空港を空挺降下で占領し、両棲部隊は与那国島南部の砂浜に強襲揚陸を仕掛け、指呼の距離にある陸上自衛隊与那国駐屯地を制圧するというものだった。
与那国島の北部・南部に戦力を二分するのはいかがなものか、という異論もあったが、与那国空港と与那国島南部の砂浜は、直線距離でいって3㎞ほど。陸上自衛隊与那国駐屯地の警備小隊による抵抗は軽微であろうから、すぐに空降兵部隊と両棲部隊は合流出来るはずだ、ということで片づいた。
それに空降兵と両棲兵には空海双方からの強力なアシストがある。
56口径100mm連装砲を備えた053H3型フリゲート2隻が、与那国島の周囲を遊弋している。この053H3型フリゲートは90年代末から05年にかけて就役した旧式の水上艦艇であるが、故に失っても惜しくはないということであろう。他の島嶼に対しても、艦砲射撃による対地支援役を任されている。加えて空軍の殲轟7型攻撃機が常に上陸部隊の頭上に控えることになっていた。
(オーバーキルだ)
と、空降兵らを指揮する大隊長は思ったし、与那国島攻略部隊に参加する士卒の中には、征き先が石垣島や宮古島でなくてよかった、と思う者までいた。
攻略作戦は空降兵の空挺攻撃から始まった。
低速で与那国空港上空へ達した運輸9型から空降兵らが、次々と空中へその身を躍らせていく。演習と変わらず、編隊の先頭機は100名以上の空降兵を与那国空港の滑走路直上へばら撒くことに成功した。
続いて2機目。この機は与那国空港の敷地内ではなく、与那国空港南側に存在する平野へ空降兵を展開させる予定であった。先頭機同様、何事もなく与那国空港上空へ進入。そして平野上空に至り、一人目の空降兵が機体後部からダイブする――その瞬間、1発の誘導弾が茜色の空へ舞い上がった。
「ミサイルッ――」
運輸9型の操縦士は素早く急接近する音速の凶器に気づいたが、すでに空降兵の降下は始まっている。しかも空挺降下のために、運輸9型はその速度を時速約200㎞にまで落としていた。これでは回避運動はままならない。エンジン4発を有する全長36mの巨体は身動ぎすることなく、チャフとフレアを放出することしか出来なかった。
「命中!」
91式携帯地対空誘導弾の弾頭が敵輸送機右翼のエンジン1基に直撃するところを目視し、与那国空港南東に広がる森林に潜んでいた二人組が快哉を叫んだ。
誘導弾は直撃したエンジンを完全に破壊するのみならず、右翼中央に亀裂を走らせ、さらに弾体と砕けたプロペラの破片によって隣のエンジンを傷つけた。2、3秒の内に右翼全体が激しく振動し始め、操縦士は機のコントロールを保とうと努力した。が、全ては水泡に帰す。10秒もせずに翼の大部分は空中へ四散。機体のバランスを失った運輸9型は死に体で飛行を続けたが、長くはもたず、与那国空港東方にある四畳半ビーチに墜死した。この被撃墜機から降下に成功したのはわずか18名であり、残る86名の空降兵は機内に取り残されたままであった。
「空挺降下は中止する!」
先頭機に続いた運輸9型が撃墜されたのを見て、後続の輸送機は与那国空港上空への突入を回避した。
結論から言えば、この判断は正しかった。
輸送機を撃墜した陸上自衛隊与那国駐屯地警備小隊の二人組は射点を転換し、2発目の91式携帯地対空誘導弾を携え、手ぐすね引いて待ち構えていた。与那国島を占領するならば、敵は当然ながら空挺降下か強襲上陸を仕掛けて来る。であるから過去に他の部隊で91式携帯地対空誘導弾の運用要員を経験したことのある隊員は、敵の輸送機がやって来る“この瞬間”をじっと待っていたのであった。
「与那国島で空挺降下が出来そうな場所と言えば、与那国空港とその周辺、あとは東部の平野くらいしかねえ。俺らの読みはあたったな」
「というかこの与那国島自体が狭すぎて、ぶっちゃけ読みを外してもこの携SAMの射程にだいたいは入るわけなんですけどね……」
ふたりの遥か頭上に殲轟7型攻撃機が現れたものの、制圧目的の航空爆弾はまったく的外れな場所に投下され、森の一角を無為に吹き飛ばしたに終わった。
91式携帯地対空誘導弾は支援車輛が必要ない携行火器である上、赤外線画像を利用した誘導方式を採用していてレーダー波を出さない。そのため滞空可能な攻撃ヘリならともかく、時速数百kmで飛翔する攻撃機が、射撃後に移動した二人組を見つけることは困難であった。ちなみに攻撃ヘリや偵察ヘリを搭載した航空母艦『遼寧』や075型強襲揚陸艦はこの与那国島近海にはおらず、石垣島、宮古島方面の作戦に投入されている。
「降りられたのはこれだけか」
降下に成功した空降兵100名弱の最先任である上尉(大尉)は、手筈通りに部下を集結させた。が、参加兵力の20%しか地上にいない時点で、すでに空降兵らの作戦は崩壊している。それでも上尉は「観光に来たわけじゃないからな!」と周囲を励まして、まず与那国空港滑走路の南側にあるターミナルへ突入した。
ところが激しい攻防戦となることを覚悟していた空降兵らは拍子抜けした。
自衛隊の守備部隊は配されておらず、拘束するべき空港関係者もごくわずかしか残っていなかった。中国語が出来る空港職員に話を聞いてみると、「与那国駐屯地が中国軍の攻撃を受けた後、すぐに若い女性職員や子供のいる職員は、町役場方面へ避難して最小限の人員で空港を管理することになった」のだという。
「女のためにわざわざこの与那国島へダイブするわけねえだろ。まあそっちの方が、間違いがなくていいや」
と、傍らで話を聞いていた下士官がへらへらと笑いながら言うのを上尉は睨み、隊をふたつに分けた。
一隊は引き続き空港施設の確保、もう一隊は運輸9型の墜落現場へ赴き、生存者を探す。本来の作戦では空港占領後、南方の両棲部隊との連絡を図ることになっていたが、この小戦力ではどうしようもなかった。
◇◆◇
「撃墜成功――よくやった! これで連中はビビッて空挺降下は出来なくなったろう」
一方、灰燼と化した与那国駐屯地を離れ、与那国島中央部の森林公園周辺に本陣を構えた陸上自衛隊与那国駐屯地司令は膝を打って喜んだ。
前述の通り、与那国駐屯地の防衛戦力は警備の1個小隊のみである。
しかしながら、与那国駐屯地司令は無抵抗のまま降伏するつもりはなかった。
与那国駐屯地の自衛隊員約150名、システム通信隊から会計隊まで駆り出し、ことごとく完全武装して抗戦しようというのである。与那国駐屯地は最初の弾道ミサイル攻撃で30名を超える死傷者を出していたが、隊員たちの戦意は衰えていなかった。
幸いにも8月から9月に、駐屯地へ継戦に必要な物資と、重火器の類、つまり無反動砲や対戦車誘導弾、地対空誘導弾が演習の名目で運び込まれていたから、彼我の兵力差を除けば、あながち無謀な挑戦というわけでもなかった。
「町役場方面への島民避難完了」
「よーし」
日に焼けた与那国駐屯地司令の口の端がゆがんだ。
与那国町役場は島の北東部にある。敵が侵攻目標とするであろう島の南西部に広がる与那国駐屯地からも、そして駐屯地司令が想定する戦場からも十分すぎるほど離れていた。
「開催できなかった東京オリンピックの分、中国の方々を十二分に“お・も・て・な・し”しようじゃないか」
「ふ、古いですよ……」
与那国駐屯地司令が豪快に笑うのと、中国人民解放軍陸軍両棲部隊の水陸両用戦車が洋上突撃を開始するのはほぼ同時であった。




