■18.指揮官の覚悟。
中国人民解放軍の南西諸島侵攻に伴い、防衛省は弾道ミサイル等に対する破壊措置命令の発令に伴って組織していた陸海空自衛隊BMD統合任務部隊(指揮官:航空総隊司令官)を強化、陸海空自衛隊南西諸島防衛統合任務部隊・JTF-梯梧へ再編した。
ちなみに梯梧、というのは橙がかかった赤い花を咲かせる“沖縄県の花”のことである。南洋桜とも呼ばれることがあり、実際に本州においてはほとんどみられない花である。根は強く、この花が満開になるとその年は台風の数が多くなる、という言い伝えもあるらしい。南西諸島において粘り強く戦い、最後には反撃作戦に打って出て敵を駆逐したい統合任務部隊の名称としてはぴったりであろう。
このJTF-梯梧の指揮官はBMD統合任務部隊から引き続き、航空自衛隊航空総隊司令官の原俊輔空将が務めることとなった。
防衛省内では統合任務部隊の司令官を航空総隊司令官ではなく、与那国島・石垣島・宮古島における地上戦を念頭において、陸上総隊司令官にするべきではないかという意見もあった。が、今後も弾道ミサイル防衛と敵航空攻撃の撃退が重要になる点と、敵航空機・水上艦艇に対する反撃は航空自衛隊と海上自衛隊航空部隊が主軸になるであろうことを考え、原俊輔空将の続投が決められた。
南西諸島防衛統合任務部隊・JTF-梯梧には、陸上自衛隊陸上総隊や西部方面隊、海上自衛隊自衛艦隊など陸海空自衛隊の主要部隊が参加、その司令部は、在日米軍司令部・アメリカ空軍第5空軍司令部が併設されている航空自衛隊横田基地に置かれることとなった。
「やはり人民解放軍は在日米軍の介入を防ぐためか、攻撃目標を慎重に選びましたな」
「うん。この横田基地が攻撃されることはないだろう。油断は禁物だが」
原俊輔空将のJTF-梯梧・指揮官としての初仕事は、南西諸島における航空自衛隊の損害、その報告を聞くことであった。
まず弾道ミサイル攻撃の標的となった航空自衛隊那覇基地であるが、滑走路と駐機場・格納庫が使用不能に追い込まれており、戦闘機部隊の収容と補給が困難な状況だという。南西航空施設隊が危険を厭わずに滑走路の復旧に取り掛かっているが、クラスター爆弾が使用されたため、復旧作業が難航。復旧は12時間以上かかるだろうとのことであった(想定滑走路復旧訓練では、直径10m以上・深さ約2mの爆発痕の修復に2時間30分以上、爆発2箇所で4時間を要している)。
那覇基地と本土との通信に関しては、第5移動通信隊の活躍で保たれているが、一方で南西航空警戒管制団の地上レーダーサイトは全滅しており、防空警戒は第603飛行隊のE-2C早期警戒機頼みになっている。
目下、正当防衛という建前で、南西諸島上空において航空戦を繰り広げている航空自衛隊第9航空団のF-15J/DJ戦闘機は、被撃墜6機・地上被撃破8機・計14機の損失を出していた。死傷者の数は不明。
「航空優勢は彼の側にあります」
と、報告を受けても原俊輔空将は動揺せず、むしろ「事前の想定どおりじゃないか」と鷹揚にうなずいた。
緒戦で不利な状況に陥るのは、わかっていたことだ。覚悟の上である。重要なのは九州地方・本州の基地に対する攻撃を防げるか、戦闘機部隊を反撃作戦の発動まで温存出来るか、ということだと原俊輔空将は考えていた。
「南西諸島の空域を完全に支配することは不可能だ。故に今日、多くの軍事専門家が制空権ではなく、航空優勢という言葉を使っている。彼我の航空戦力の展開が速く、戦況が目まぐるしく変わるからだ。我が戦力を集中して反撃に打って出れば、中国側の航空優勢は必ず揺らぐ」
反撃成功の公算はある、と原俊輔空将は思っている。
今後、中国人民解放軍ロケット軍のミサイル攻撃が九州地方や本州の自衛隊関連施設にまで及ぶ可能性が否定できない以上、戦局の推移を楽観することは出来ない。が、人民解放軍がアメリカ軍の介入を回避するため、在日米軍基地と併設されている自衛隊基地を攻撃しないのであれば、そこを策源地として抗戦を続けられる。
(卑怯もらっきょうもあるものかよ)
“聖域”を活かして戦い抜くまで、である。
◇◆◇
時間は前後して、10月10日の午後15時。
古川内閣の面々は中国人民解放軍ロケット軍の極超音速兵器による攻撃直後に、臨時の閣僚会議を開き、中国人民解放軍の行動が武力攻撃にあたることを確認し、事前に練られていた対処基本方針案を国家安全保障会議に諮った。
勿論、この対処基本方針案の作成には国家安全保障会議が噛んでいるものであるから、2時間とせずに国家安全保障会議は、対処基本方針案を内閣総理大臣へ答申。古川首相以下、閣僚はこの防衛出動を盛り込んだ対処基本方針を閣議決定した。
もう古川誠恵は躊躇わない。
そのまま続けて防衛出動命令を彼は発した。防衛出動の発令を含む対処基本方針は、国会承認が必要であるが、その暇がなければ事後の承認で構わないことになっている。野党の反発は免れないが、よくよく考えてみれば(考えてみなくても)、何をしても反発するのだから関係がない。
「記者会見は17時か」
閣僚会議の終わり際、古川首相は溜息を吐き出した。
中国人民解放軍による攻撃の後、記者会見はすでに1度開かれているが、このときは古川首相の腹心といってもいい神野義春内閣官房長官が立った。史上初の防衛出動となれば、内閣総理大臣が直接、なぜ命令を発するに至ったかを国民に向けて説明をしなければならないであろう。
「しかしマスコミやコメンテーターの連中は、どう責任をとってくれるんだッ」
憤りを隠さないまま声を荒げたのは、佐久間蔵人国家公安委員会委員長であった。全責任を彼らに帰すことは出来ないが、「早とちり」だの「古川内閣が日中間の緊張を高めている」だの現実を見ているとは思えない言論で、日本政府を翻弄したのは事実だ。
「さっき統合幕僚長からも報告があったけれども、敵の先制攻撃で航空自衛隊のレーダー基地、陸上自衛隊の宮古島、石垣島駐屯地からはすでに死者が出ていて、与那国駐屯地とは連絡も途切れ途切れなんだろう? 連中が殺したようなもんだ、全員逮捕してやりたいぐらいだよ」
数名の閣僚は佐久間公安委員長の言葉に首肯したが、古川首相は頷く気になれなかった。
(俺が防衛出動待機命令を決断出来なかったせいでもある)
と、彼は考えていた。
だがしかし、いまは自責に駆られている場合ではない。
自らを責めること、そして周囲が納得する形で責任を取ることはいつでも出来ることだ。
いまは一個人の良心の問題で悩むのではなく、陸海空自衛隊の指揮者として反撃に向けた新たな決断を下す時だ、と古川首相は気持ちを強く持つことに決めていた。
次回、■19.孤立無援、与那国防衛戦。に続きます。




