■17.開戦(後)――日本国を守る最強の盾とは。
劉勇国防部部長はもどかしい。
中国人民解放軍ロケット軍が保有する弾道ミサイルは、南西諸島と言わず日本全国の自衛隊関連施設を射程内に収めている。勿論、海上自衛隊は弾道ミサイル防衛能力を有する護衛艦を数隻有しており、また航空自衛隊も限定的ではあるが弾道ミサイルを迎撃可能なPAC3を配備しているため、攻撃の幾許かは防がれるであろう。
だがしかし、基本的に日本のBMD体制は北朝鮮を意識したものであって、中国人民解放軍ロケット軍による大規模な攻撃を完封出来るものではない。イージス艦とPAC3から成る迎撃網を突破、陸海空自衛隊の重要拠点への突入に成功する弾頭は数多く出るであろう。
目標を絞り、確実に粉砕するのもいい。
例えば海上自衛隊横須賀基地だ。横須賀基地は自衛艦隊司令部・護衛艦隊司令部・潜水艦隊司令部・情報業務群司令部・海洋業務対潜支援群司令部と海上自衛隊の機能が集約されており、ここに深刻なダメージを与えることが出来れば、海上自衛隊の指揮系統は混乱に陥る。厄介な海上自衛隊の潜水艦も貴重な海中・対潜水艦データを失い、さしたる脅威ではなくなるであろう。
劉勇国防部部長にしてみれば、日本国自衛隊は効率を重視して、指揮機能を一部の基地に集中させたり、弾薬を少数の基地で大量に管理したりしているようにみえる。そのため、迎撃網を掻い潜った弾頭が一部であっても、かなりの戦果が期待出来るのではないか、と彼は以前から思っていた。
だが、それは出来ない。
なぜなら日本国は最強の“盾”――在日米軍を有しているからである。
その一点、その一点だけで中国人民解放軍は、日本国自衛隊の重要施設に対する攻撃を封じられていた。先出の横須賀基地や、南西諸島に最も近い海上自衛隊の一大拠点である佐世保基地を攻撃することは、すなわち“同居状態”の在日米軍を攻撃することとイコールである。
在日米軍は確かに縮小されているが日本列島から完全に消え失せたわけではなく、未だ日本国内の至るところに在日米軍基地はある。金洪文国家主席は、サンダース大統領と“密約”を交わしていたが、アメリカ軍基地を攻撃に巻き込んでしまい、在日米軍から死傷者が出れば、アメリカ政府も事態を看過してはいられないであろう。アメリカ国内の世論もどう動くかはわからない。
また中国共産党首脳部は、国際世論をも気にかけていた。
この対日戦争に際して、金洪文国家主席は周辺諸国が日本政府に与しないよう、医療物資を惜しまずばら撒き、その結果中華人民共和国との間に領土問題を抱える東南アジア・南アジア諸国からかなりの譲歩を引き出すことが出来たのは、前述の通りである。
だがしかし、アフターH5pdm19の世界においては、中華人民共和国を快く思っていない者はごまんといる。
日本国が外交で巻き返しを図り、対中国包囲網を構築する可能性は否定出来なかったし、中華人民共和国と日本国の双方からうまい汁を吸うために、ナウル共和国のような“蝙蝠”と化す国も現れないとも限らない(ナウル共和国は中華民国と国交を有していたが、2002年に中華民国と断交、中華人民共和国との国交を樹立して数千万ドルの援助を引き出し、2005年に中華民国と国交を回復したことで有名である)。
勿論、中国共産党首脳部は無策ではない。
世界的著名人から匿名のネットユーザーにまで手を回し、釣魚諸島を巡る戦争の大義は中華人民共和国側にあるという“事実”を前面に押し出すつもりであった。
だからこそ中国人民解放軍は人道的であり、必要最低限の武力しか用いず、非戦闘員への被害を局限しようとする“正義”の体現者でなくてはならない。
そのため中国人民解放軍は、弾道ミサイル攻撃という戦術に対してかなり慎重になることを強いられていたし、官民共用空港である航空自衛隊那覇基地に対しても、政治サイドの要請から事前に攻撃の警告をせざるをえなかった、というわけだ。
また大量破壊兵器の使用などもってのほかである。
中国人民解放軍は日本社会を崩壊させるだけの力を有しているかもしれないが、日本国は世界第3位の経済大国であり、日本経済に致命的なダメージを与えることはそれすなわち、世界経済、ひいては中国経済を破壊することに等しい。
「那覇基地は南西諸島の空の護り、その要。何としても打撃しなければならないのに奇襲が封じられるとは」
「命令さえあれば日本全国を攻撃し、3日でこの戦争を終わらせることが出来るのに……」
と、中国人民解放軍ロケット軍の将兵は歯噛みしたが、こればかりはどうにもならない。
日本国が有するこの戦略的優位――つまり在日米軍と世界経済というふたつの“盾”を突き崩す手段は現時点ではないし、劉勇国防部部長をはじめとする中国共産党首脳部も諦めていた。
そういう事情もあって中国人民解放軍第81統合任務戦線は、緒戦における弾道ミサイル攻撃のターゲットを航空自衛隊那覇基地や陸上自衛隊那覇駐屯地等、少数に絞った。
事前に展開を終えていた東風16号搭載車輛が次々と発射筒を起立させ、攻撃命令を待つ姿はまさに壮観である。ただ導弾旅団司令部の参謀らは東風16号の実射に際して、発奮するとともに漠然とした不安も抱いていた。海上自衛隊護衛艦隊と、航空自衛隊の高射部隊の迎撃能力はいかばかりか?
「BMD戦」
一方、これに対するのは破壊措置命令の下で迎撃態勢を整えていた海上自衛隊第2護衛隊群所属・あたご型護衛艦『あしがら』と、こんごう型護衛艦『きりしま』である。
平時の護衛艦が備える誘導弾は、最大搭載可能数の1/3から半数程度だと言われているが、いまの『あしがら』・『きりしま』は双方ともに垂直発射装置の96セル・90セルを、対航空機用のSM-2と対潜ミサイル(垂直発射式アスロック)、そして対弾道ミサイル用のSM-3で埋めていた。
「SM-3発射準備完了」
この両艦は中国人民解放軍ロケット軍の導弾旅団が発射した東風16号の弾頭を、高高度の中間段階で捉えた。
垂直発射装置の天蓋が開いた。爆炎を噴き上げながら全長6メートルを超える鋼鉄の槍が空中へ持ち上がり、4段ブースターで高高度まで一挙に翔け上がる。超音速で突入しようとする敵弾体に対し、SM-3の運動エネルギー弾頭も音速の10倍という超高速で食らいついた。
次々と弾頭が無力化され、大小無数の破片が虚空にぶちまけられていく。迎撃成功である。
「……」
が、『あしがら』、『きりしま』CICの面々は、無言の内に敗北を認めていた。
SM-3を誘導する関係上、両艦併せた同時迎撃可能数には限界がある。目標に定めた弾道弾は全て撃墜できたものの、中国人民解放軍ロケット軍が発射した東風16号は30発以上生残、終末段階へ移行していた。
(あとはPAC3に任せるほかない)
航空自衛隊那覇基地・海上自衛隊那覇航空基地の敷地内には航空自衛隊第5高射群・第17高射隊のPAC3が展開し、弾道ミサイル攻撃に備えている。
しかしながら地表目掛けて超音速で落下する東風16号を迎撃することは、PAC3には少々荷が重かった。弾頭の速度がマッハ10を超えており、直撃しなければ弾頭の無力化が困難である上、東風16号は多弾頭であり迎撃すべき目標数が単純に多くなる。真偽は不明だが、終末段階でPAC3を念頭におき、迎撃を回避するための軌道変更が可能になっているという報道も事前になされていた。
そのため航空自衛隊第5高射群が擁するPAC3が迎撃に成功したのは、全体の3割ほどにとどまった。
沖縄の天地を、超音速の弾頭が揺るがした。
那覇空港の既存滑走路と昨年に完成したばかりの海側・第2滑走路にクラスター弾頭が襲いかかり、無数の子弾が両滑走路の中心部を文字通り“耕した”。
航空自衛隊那覇基地の格納庫と駐機場の直上では、高性能爆薬を満載した弾頭が炸裂した。巨大な火球が立ち上がり、衝撃波は格納庫を押し潰すと同時に駐機場のT-4練習機2機や整備車輛を横殴りに薙ぎ払った。
弾頭の1発は陸上自衛隊那覇駐屯地、第15旅団司令部庁舎直上で炸裂。周辺の1号庁舎、講堂等、隊員の自家用車もろとも灰燼と化した。
ただし弾頭が炸裂したのが司令部の位置する東側であったため、高機動車や73式トラックといった部隊車輛が駐車する那覇駐屯地中央部は無事で済んだ。
「ローンが残ってるのに、なんて言える状況じゃねえよナァ……」
隊員用駐車場の方角で濛々と黒煙が立ち上るさまを見ながら、演習場に築かれた陣地に籠もるひとりの陸曹は溜息をついた。
攻撃を受けた陸上自衛隊那覇駐屯地であったが、肝心要の陸上自衛隊第15旅団司令部の一部機能や隊員たちは、無防備な庁舎・隊舎から、10月はじめに演習場に設けていた防御陣地に避難しており、部隊機能はほとんど損なわれることはなかった。
武力侵攻に備えて事前に駐屯地内に防御陣地を築いておくなど前代未聞であったが、第15旅団司令部のアイデアが多くの隊員を救った。また航空自衛隊のPAC3が、駐屯地の西部や中央部に落下するはずだった弾頭の迎撃に成功していたことも大きい。被爆の派手さに対して、死者はゼロ、負傷者は数えるほどしか出なかった。
「やられた」
火焔と煙を巻き上げる那覇の街。
その上空では1機のP-3C哨戒機が、緩旋回していた。
哨戒機武器員の遠田二曹は翼下の光景を目に焼きつけていく。
海上自衛隊那覇航空基地の第5航空隊は攻撃を受ける前に、稼働機のほとんどを発進させることが出来た。
航空自衛隊第9航空団も同様である。整備中であった未稼働機と、空中退避が間に合わなかった機を合わせて8機のF-15J/DJ戦闘機が地上で失われたが、他は南西諸島上空の航空戦に参加するか、九州地方へ避退することに成功した。
とはいえ、自衛隊側としては苦しい立ち上がりである。これで戦闘機部隊の拠点は宮崎県の新田原基地にまで後退してしまった。
遠田二曹が搭乗するP-3Cも那覇市上空での情報収集任務の後は、鹿児島県の鹿屋航空基地に向かうことになっている。
だがやられっぱなしというわけにはいかない。遠田二曹らP-3Cクルーは那覇上空に再び戻ってくるつもりであったし、その時は空対艦誘導弾や短魚雷を引っ提げてくるつもりだった。勿論、中国人民解放軍海軍をぶん殴るためである。
要は陸海空自衛隊の隊員らの士気は衰えていなかった。
むしろ第一撃こそ許したが勝負はこれからだ、といった反撃の意志が満ち溢れていたと言ってもいいであろう。
この国を守る最強の盾というのは、在日米軍でも世界経済でもなければ、イージス艦や地対空誘導弾でもないのかもしれなかった。




