■14.いま、できることを。
結論から言えば、古川政権は防衛出動待機の決断を下すことが出来なかった。
前述の通り防衛出動待機は武力攻撃予測事態に対応するための自衛隊の行動であるが、具体的に何を以て事態の緊迫、武力攻撃が予測される状況とするか基準があるわけでもなく、議論もしてこなかったため、及び腰になるのは当然である。
さらに武力を行使するわけではないこの防衛出動待機でさえ、古川首相や紺野防衛相が一声で実行できるものではない。
まず日本政府は現状の中国人民解放軍の動向を以て、これを武力攻撃予測事態であることを認定しなければならず、対処基本方針案を作成しなければならない。
この対処基本方針案を国家安全保障会議に諮り、続いて対処基本方針を閣議決定。
最後に防衛出動待機を含めた対処基本方針の国会承認を得なければならない。
いずれも前例のない話であり、ハードルは著しく高かった。
国内世論はやはり古川政権に対して批判的であった。
マスメディアや野党、また与党の一部議員は
「この軍事的な緊張は、過剰に有事を意識する古川政権の“早とちり”がもたらしたものであり、まさに人災である」
と公言して憚らなかったし、一部の政治・市民団体は防衛出動待機の内容を拡大解釈し、「もしも防衛出動待機、防御施設構築が命令されれば、自衛隊は合法的に国民の土地や財産を奪うことが出来るようになり、古川政権が自衛隊を使って反対者を弾圧出来るようになる」、と激しい攻撃を開始した。
その一方、多忙極まる日常生活を送る日本国民の多くは、この騒動に大した関心を寄せていなかったし、漠然と中国人民解放軍が軍拡を進めているイメージと、自衛隊に対する信頼感を持っているため、防衛出動待機命令に真剣に反対する感情は皆無であった。
そのためマスメディアと野党が醸成した世論は、あくまでもマスメディアと野党の“感情”でしかなく、古川政権は命令まで押し切ろうと思えば押し切れたであろう。
ただ結局のところ、沖縄県知事の城田ジョニーが
「沖縄県で再び戦火を交えようという国に深い失望を覚える。戦争回避のために、最後まで尽力するのが国家の責務であるのに、古川内閣は逆行して日中間の緊張を高めている」
と激怒し、自衛隊の防御施設構築を妨害することさえ匂わせたため、古川政権は頭を悩ませることになってしまった。
さて、こうして日本国内ですったもんだが続いている中、中国人民解放軍の攻撃準備が着々と進んでいることは、防衛省関係者の目からすると明らかであった。
「東風15号、あるいは16号搭載車輛の移動を捕捉いたしました。中華民国国防部参謀本部軍事情報局や米国筋からの情報です」
2021年9月下旬に開催された防衛会議では、短距離弾道弾が最前線へ移送されている旨の報告が防衛省情報本部長からなされた。
東風15号は射程600km程度の弾道ミサイルであり、台湾本島を射程圏内にすっぽりと収めているものの、日本国内への脅威にはならない。
しかし東風16号は問題だった。
こちらは10年代に本格的な配備が始まった最新鋭弾道弾であるため、数こそ少ないが、射程が1000kmある(バリエーションによっては射程が1500kmにも達するという噂もある)ため、石垣島や宮古島は勿論のこと、沖縄本島への攻撃も容易だ。
半数命中半径は5mから10mと言われていることから、核弾頭ではなく通常弾頭であっても那覇基地のような航空基地に対する攻撃に十分堪えうる。
「もしも東風16号が攻撃の準備を整えているのであれば、彼らが対日攻撃を考えていることは明白です」
深いため息をつきながら、紺野防衛相は頭を抱えた。
謂わば今回の事態は、“時限爆弾”だった。
誰しもが議論をすることを避け、あるいは核戦争さえも念頭においた『三矢研究』がごとき議論に対して、激しい批判をしてきたこの日本国は、相手が攻撃準備を進めていてもその現実を直視し、戦争する準備が出来ない。
これは長きにわたって加害者になることを恐れ、殴られる被害者になることを考えずに後回しに、後回しにしてきたせいである。
つまりいつか有事に直面したとき、その時代の日本国民が痛い目を見るのは分かりきっていたことだった。
「そして時限爆弾は、俺のときに爆発する、か」
紺野防衛相は小さく呟いた。
貧乏くじもいいところだったが、嘆いてばかりもいられぬ。
彼は政治家としてのキャリアを捨て、“歴史の一部”となる覚悟を固めた。
「はっきり言って」
防衛省各部署からの報告が一通り終わるを待って、紺野防衛相は話を切り出した。
「現段階で防衛出動待機等の行動が新たに認められることはないでしょう」
統合幕僚長以下の制服組は一言も発することなく、表情を変えることもなく、ただ防衛相を見つめていたし、防衛省の背広組たちは溜息をつきながら天を仰いでいた。
この場にいる誰もが、仕方がないという諦めの境地にいた。
有事に向き合った決断を下すことが、古川内閣にとって困難であることは分かり切っていたことである。
否、首相が古川誠恵ではなく誰であっても、この2021年の日本国において、防衛出動待機命令を発することは不可能であったろう。
その諦念渦巻く最中、紺野防衛相は頭を下げた。
「しかし国民の代表である一代議士として、改めてこの国の防衛をお願いしたい。正式な命令もない状況で、酷なことは分かっている。それを承知の上で――」
「お顔を上げてください」と谷岡五郎統合幕僚長が声を上げたが、紺野防衛相はそのまま言葉を続けた。
「――この国を、国民と国土を守ってもらいたい。この国のすべてを敵に回してでも、です」
国民やマスメディアに指弾されても、面罵されても、この日本の防衛のために尽力して欲しい――この紺野防衛相の願いは純粋であったが、同時にあまりにも身勝手であった。
その前に政治家が責任を以て決断を下すべきではないか?
防衛省の人間はそう思って当然であったし、事実そう考える者も少なからずいた。
それでも、防衛省の制服組と背広組は動き出した。
防衛出動待機の命令がなくとも10月に中国人民解放軍が動くとわかっていれば、現行法の範囲内で出来ることはある。
この国の官僚も自衛官も座して死を待つほど潔くはない。
「破壊措置命令を利用しましょう。以前(2013・14年)もやったように、命令書を公表しなければいい」
防衛会議で話題に上ったのは、自衛隊法第82条の3で認められている弾道ミサイル等に対する破壊措置であった。
この破壊措置命令は北朝鮮の脅威に備えて常に発令されているもので、弾道ミサイル等による被害が生じる可能性に際して、地対空誘導弾や護衛艦の展開を認めるものだ。
かなり苦しい解釈というか、強引なやり口ではあるが、この破壊措置命令に基づいて南西諸島の戦力を増強してやろうというのである。
当然、海岸線に地雷や機雷を敷設したり、防御陣地を構築したりすることは不可能であるが、駐屯地や基地に地対空誘導弾を展開することは可能だ(実際、北朝鮮の弾道ミサイル発射を警戒して、防衛省の敷地内にPAC3が展開したことがある)。
「いよいよ合戦か」
統合幕僚監部から命令を受けた陸上自衛隊西部方面総監・湯河原一翔陸将は、有事に挑む覚悟を固めるとともに、九州補給処(佐賀県吉野ケ里町)の弾薬支処・燃料支処に対して武器弾薬、燃料の搬出作業を命じた。
表向きは訓練の一環であったが、実際には日中開戦に向けた備えである。
平時の駐屯地が保管している弾薬量は有事を戦い抜けるものではない上、慢性的な人手不足の陸上自衛隊である、戦争勃発から弾薬や燃料の補給を始めたのでは間に合わないが故の行動であった。
航空自衛隊もまた同様だった。航空自衛隊の各種ミサイルは、愛知県春日井市の高蔵寺分屯基地と青森県東北町にある東北町分屯基地にて集中備蓄・管理されており、この両分屯基地から続々と弾薬の搬出が始まった。
勿論、こうした弾薬・燃料の輸送は、自衛隊の行動に敏感な左派団体にキャッチされた。
すぐさま野党が追及するところとなったが、神野義春内閣官房長官と紺野防衛相は、知らぬ存ぜぬ訓練の一環、それで押し通した。
これが日本政府の出来る、最大の有事に向けた精一杯の努力だったと言えよう。
「やつらも覚悟を固めたかよ」
一方の金洪文国家主席は、日本国内の報道を見聞きしてももう動揺することはなかった。
賽は投げられた。開戦は予定通りの10月。自衛隊が戦力を結集し、南西諸島の防御を固めているのならばそれはそれで好都合、まとめてこれを粉砕し、継戦の意志をへし折るつもりでいた。
そして古川誠恵内閣総理大臣もまた、ルビコン川を渡ろうとしていた。
日中開戦を念頭において破壊措置命令を更新するとともに、防衛出動に必要となる対処基本方針案を練っておくよう、国家安全保障会議の構成員に指示を出していたのである。
事前に防衛出動を盛り込んだ対処基本方針案さえ練っておけば、中国人民解放軍の攻撃を受けるとともに、対処基本方針案の細部を手直しして、対処基本方針を閣議決定し、古川首相が防衛出動命令を下すだけですむ(国会の承認は後回しである)。
こうして日本国と中華人民共和国は、ともに運命の秋を迎えようとしていた。




