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■13.苛立つ両雄。

「なんだったんだよ、昨日の会議は……やってられないよなあ」


 朝6時、古川誠恵は私邸の洗面台にて顔を洗いながら、鏡に映る自分に話しかけていた。


 ……迷っていられる時間はあまりない。


 中華人民共和国国防部は大規模重大演習を10月中に行うと発表しているが、それは物資の集積や部隊の動員を進めるための単なる建前に過ぎず、実際には台湾への侵攻、あるいは対日侵攻を企てているというのが防衛省関係者の分析であった。


 ここからは古川の素人考えになるが、中国人民解放軍が10月に動くのであれば、こちらは9月末には防衛出動待機命令を出して防衛態勢を整えなければならないのではないか。


(だが佐々木さんらの考えも分からなくはない)


 防衛出動待機命令により、自衛隊が海岸線に機雷や地雷を敷設したり、守備のための陣地を構築したりするということは、未曾有の事態である。

 しかも海岸線や防御に適した土地は、当然ながら国有地とは限らないわけであり、これを防御陣地とするためには、事前に都道府県知事や都道府県の担当者と調整・協議する必要があった。

 ところが現・沖縄県知事の城田ジョニーは、民主共和党や共産日本党、社会民政党をはじめとする野党連合の支援を受けて当選した上、中華人民共和国が推進する貿易圏構想に好意的である。

 彼が防御陣地の構築に賛同するとは、到底思えない。


 そしてこの城田ジョニーのような反対論者を押し切って防衛態勢を整えたとして、そこで中国人民解放軍が動くことなく、すべてが防衛省の勇み足で終わったとなれば、間違いなく政権は吹っ飛ぶであろう。


「はぁ……」


 いずれにしても何かしらの決断を下すことになる。

 古川は電気の点いていないキッチンに行くと冷蔵庫を開けて野菜ジュースを出し、パンをトースターにかけた。

 妻の昭子しょうこはまだ寝室で寝ている。ロゼ(犬)もだ。


「日本史上いちばん長く総理大臣を務めている男が、ひとりで朝飯の用意か」


 言っても仕方がない愚痴を口にしながら、自分以外には誰もいない食卓についた。

 きょうは朝9時までに官邸に着けばいいのでまだ時間がある。

 そのため特に何も考えず、TVを点けたのがいけなかった。


「古川内閣、自衛隊の出動を検討か」


 ブフォ、と盛大な音が食卓に響き渡った。


「ああ……なんなんだよ……」


 噴き出した野菜ジュースで濡れた卓上を慌ててティッシュで拭きながら、意識の一部をTVの方に割く。TV画面では女子アナウンサーが、昨日の古川内閣の閣僚が集合して中国軍の動向と、防衛出動待機命令の可能性について話し合った旨を淡々と読み上げていた。

 早朝の忙しいサラリーマン向けのニュース番組だから、詳しい解説等はいっさいない。


「いったいぜんたい、誰が漏らしたんだよ。というか自衛隊の出動を検討って報じ方はないだろう……防衛出動待機命令を検討くらいにしてくれよ、これじゃまるでいまにも自衛隊が出動しそうじゃないかよ」


 朝っぱらから怒る気にもなれず、ただただ彼は大きな溜息をついて、最近昭子がっている手作りジャムをパンに塗り始めた。


 そうこうしている内に、電話が鳴った。

 おそらく報道を確認した誰かであろう。

 重くなる気持ちを振り払うことも出来ないまま、古川首相は電話をとった。


◇◆◇


「日本政府が防衛出動待機命令を検討しているという報道に伴い、首相官邸前・防衛省・沖縄防衛局周辺では抗議活動が始まりました。日本国内の野党とマスメディアは一斉に反発し、臨時国会の召集を要求しています」


 同日の深夜、中華人民共和国北京市『中南海』某所では、中国共産党首脳陣が集まる中、外交部の担当者が日本国内の動きを報告していた。


 誰かがうーんとうなった。


 立っているのはスーツ姿の外交部担当者だけであり、他の共産党高官らはソファーに横になったり、膝を組んで喫煙したりしながら話を聞いている。

金洪文国家主席に至っては、寝巻ねまきで自分のデスクに座っていた。

深夜に政務を執るのは、彼が尊敬する毛沢東の習慣を真似ているからである。


 その金洪文国家主席だが、きょうは機嫌が悪かった。


「俺もあんまりこういうことは言いたくないんだが、戦略的な失敗をしでかしたんじゃないかと不安になるよ。台湾海峡危機の演出は目くらましになるどころか、日本国自衛隊に防衛態勢を整えさせることになってはいないか?」


 陽動のはずであった台湾近海での軍事演習はいたずらに日本政府の警戒心を煽っただけで、さらに彼らは中国人民解放軍が南西諸島へ来襲すると見抜いているのではないか。

そして言外に小細工を弄さない奇襲の方が良かったのではないか、と言っているのである。


 対して制服姿の劉勇国防部部長が、臆せず挙手をした。


「金閣下。この情報化の進んだ現代社会では、完全なる奇襲は不可能です。我が中国公民でさえ、移動する軍事車両や戦闘機を面白がって撮影し、インターネットにアップする時代なのです。準備に慎重を期しても、絶対に兆候は掴まれてしまいます」


「それをさせないようにするのが、国防部や国家安全部の仕事だろう」


「情報統制によりインターネットを介した軍事機密の漏洩は防げます。が、弾道ミサイル部隊の展開や水上艦艇、潜水艦の出港、こうした動きはすべて日米の偵察衛星や民間商用衛星によって撮影されてしまいます。また電波通信もまた彼らに傍受されていると考えていいでしょう。平時から海上自衛隊の護衛艦、潜水艦は我が中国近海にて、情報収集にあたっています」


 現代戦において完璧な奇襲は困難である、というのが劉勇国防部部長の考えであった。


 勿論、大々的な準備は一切なしで、釣魚諸島(尖閣諸島)や与那国島といった島嶼部を奪りにいくことは不可能ではない。


 だが中央軍事委員会が実施した研究では、その後が続かないという結果になっていた。


 事前に大規模な部隊の展開、物資の集積や船舶の徴発、そして緒戦で那覇基地をはじめとする自衛隊基地への徹底的な攻撃がかなわなければ、その後にたる航空自衛隊・海上自衛隊による反撃によって海上交通路が遮断されてしまい、奇襲上陸に成功した部隊は補給を受けられないまま立ち枯れていく。


 故に日本政府の警戒心を刺激したとしても、戦力を可能な限り集中しなければならないというのが、人民解放軍高官らの導き出した結論であった。


「老金」


 続けて口を開いた馬樹南外交部部長も、劉勇国防部部長を擁護した。


「俺たちの戦略はうまくいっているよ。中国人民解放軍が攻撃してくると真剣に思っているのは、古川ら一部の極右政治家だけさ。内閣の中でも意見が割れていることは確認済。マスメディアも古川政権が台湾海峡危機に乗じて、自衛隊を行動させようとしている、そんな世論を作り出そうとしているところさ」


 結局、「小馬がそう言うなら間違いないだろう」と金洪文国家主席は言って、この話題を終わらせた。軍事や外交に関して、自身が馬樹南と劉勇ほど精通していないことを、彼は十分に理解していたので、不満があってもしぶしぶ納得したのだった。


 話題は次へ移った。


「実はまだ確認がとれていない情報なのですがね……」


 国家安全部部長の曹健がもったいぶって切り出すと、金洪文国家主席は未確認情報でも構わんから教えてくれ、と先を促した。


「アメリカ大統領サンダースが、電話による美中首脳会談(※美=アメリカ)の打診を検討しているそうです」


「電話会談なら別に応じるが、それの何が問題なんだ? どうせH5pdm19か台湾海峡危機に関する話だろう?」


 いまいち合点がいかない金洪文国家主席に対して、曹健国家安全部部長はサンダースの意図するところを説明し始めた。


「電話会談にて彼らは我々に医療協力・経済協力を求めるつもりのようです。しかしながら、“協力”と言いつつもその中身は強請ゆすたかりです。具体的には万単位のH5pdm19予防ワクチンの供与。経済面ではどういった要求がされるかは分かりませんが、とにかくまとまった額を我々は支払うことになるでしょう」


 金洪文国家主席はしばらくぽかんとしていたが、数秒してから屈辱に顔を歪めた。


「サンダースめ! 日本を出汁だしにして俺たちから搾れるだけ搾り取るつもりかよ!」


「その通りです。サンダース大統領は台湾海峡危機や対日侵攻に際しても、アメリカ軍を動かすことはない――その見返りに、医療物資と莫大な資金を寄こせと言っているのです。勿論、この交換条件は録音されるおそれのある電話会談で話し合われることはないでしょう。暗黙の取引ですよ、これは」


 国家主席の叫びを肯定した曹健国家安全部部長は、複雑な表情であった。

 これは旨味がないわけではない取引だ。アメリカ政府に金を渡すことは屈辱的であるが、一方で在日米軍が動かなければ、中国人民解放軍は後顧の憂いなく戦争へ突入出来る。

 しかしこれではサンダース大統領は、漁夫の利を得たような恰好ではないか?


 周囲が溜息をつく中、劉勇国防部部長は苦々しげに口を開いた。


「ところがその癖、アメリカ政府は日本国に衛星画像をはじめとした各種情報を渡しています。表向き軍事行動を起こすことがなくとも、彼らは水面下で日本政府をバックアップするつもりです。彼らからしてもっとも好都合なのは、我々から金を受け取り、一方で日本政府を支援して我が軍を打ち負かすという展開でしょう」


「しかしだ、劉勇! 本当にサンダース大統領は、世界中の同盟国からの信頼を損ねるような愚行に奔るか? 10年前――否、“1年前”でもこんなことは絶対に考えられないぞ!」


 金洪文国家主席の叫びは、正鵠を射ていた。

 アメリカ合衆国が日本国を取引の材料に使って在日アメリカ軍を動かさないなど、1年前なら絶対に考えられない話だ。

 ところが、馬外交部部長は「ありえる」と断言した。


「アメリカ合衆国の失業者は、もはや正確な数字が分からないほどだ。2020年に記録された統計では、約2500万の国民が失業したらしいじゃないか。サンダースは死ぬ物狂いで経済を再建しなければならない。しかも都市部貧困層、住所不定のホームレスに対するH5pdm19予防ワクチン無償投与、そんな公約までやつはしてしまっている。それに物は言いようだ。やつは俺たちから融資と医療物資を引き出しておいて、“中国を屈服させた”と喧伝するつもりだろう。それで支持者はまた熱狂さ」


 だが物事はプラスに捉えた方がいい、と馬外交部部長は付け足した。


「これで中国人民解放軍と日本国自衛隊の戦争に、横槍が入ることはなくなった。これで連中の介入を恐れる必要はない」




■14.いま、できることを。 へ続きます。


次々回で開戦です。今後ともよろしくお願いいたします。

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