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■12.自縄自縛。(後)

「日本政府が射程約200㎞のミサイルを宮古島、石垣島に配置していることを極めて遺憾に思う」


 石垣島駐屯地に第303地対艦ミサイル中隊が配置されたことを受けて、2021年8月16日、中華人民共和国外交部の報道官はそう発言した。


 これは地味ながら、対日侵攻に向けた中国側の布石であった。


 釣魚諸島(尖閣諸島)に関しては、以前から中華人民共和国領である旨を主張してきたため、武力による奪還という“大義名分”があるが、一方で与那国島や石垣島、宮古島といった他の島々にはそれがない。


 だが、金洪文国家主席やその側近らは正直言って、釣魚諸島自体には大した価値を見出していなかった。


 欲しいのは、アメリカ海軍第七艦隊をはじめとした周辺諸国の海軍を撃退可能な、西部太平洋への玄関口である。


 釣魚諸島に人工島を作り、地対艦・地対空ミサイル基地や航空基地を建造するのも悪くはないが、結局のところ与那国島や石垣島といった周辺の島嶼部を日本側に抑えられているのでは、太平洋への出入口は封じられたままと変わらないではないか。


 で、あるから中国共産党政府は、


①釣魚諸島は我が国固有の領土であるから、中国人民解放軍や中国人民武装警察部隊(通称:武警)等が進出してもなんら問題はない。これは中華人民共和国における内政レベルの話であるから、他国に口出しされる謂われはない。釣魚諸島と釣魚諸島周辺の“領海”で攻撃を受けた場合は、これを中華人民共和国に対する侵略と見做し、反撃を実施する。


②2021年8月16日に遺憾の意を表した通り、日本政府は釣魚諸島周辺の島嶼に射程200㎞を超えるミサイルを配備しており、〇月〇〇日〇〇時、陸上自衛隊は中国人民解放軍海軍所属艦船に対して〇発のミサイル攻撃を行い、また沖縄県・那覇基地を飛び立った自衛隊機が人民解放軍空軍機に対し、極めて危険な接近を試みた。このため中国人民解放軍は、釣魚諸島という領土・領海・領空に対する脅威を取り除くべく、必要最低限の武力を行使する。また沖縄県・那覇基地に対する限定的な攻撃を実施するが、民間機・非戦闘員へ被害が及ぶことは、我が国の本意とするところではない。そのためここで、〇月〇〇日〇〇時、弾道弾による攻撃を実施すると事前通告する。


 と、このような口実で釣魚諸島周辺の島嶼にも攻撃を仕掛け、一挙に占領してしまう腹積もりであった。


 与那国島や石垣島といった島々をその後も実効支配していく言い訳は、あとから作ればいい。


「連中の言う北方領土や竹島と同じやり口さ。とにかく勝てばいいのだ」


 金洪文国家主席は放言して哄笑した。


 対する日本政府側のアクションだが、とりあえず8月16日の中華人民共和国外交部報道官の発言に対し、間髪入れず「宮古島・石垣島に配備した自衛隊の装備品、その一切は日本国の領域を防衛するための必要最低限の実力であり、新たに配備した12式地対艦誘導弾は艦艇を目標とするものであって、他国の領土・領空・領海内を直接攻撃する能力はない」と反論。


 続いて8月18日の水曜日、国家安全保障会議において緊急事態大臣会合が開かれた。


『新型インフルエンザに係る対応について』というのが表向きの議題であるが、実のところは『中国人民解放軍による南西諸島侵攻の可能性と、その対応について』が主なテーマである。


「こんな風に隠れ蓑を用意しないと作戦会議も出来ないとはなぁ」


 と、赤河財務相は愚痴ったが、やむを得ない。


 公に日本政府が中国人民解放軍の攻撃を想定している、と知れれば国内のマスメディアは蜂の巣をつついたような騒ぎになるであろう。


『扶桑新聞』のような保守系のメディアは日本政府では実現し難いような軍事行動を求めるかもしれないし、対する『旭日新聞』がごとき反古川政権ぎみのメディアは、「軍靴の足音が聞こえる」といった、まるで自衛隊が先制攻撃を考えているような報道をするに決まっている。


「こういう動きを気にしているメディア、多いからね」


 そう言う古川首相の顔面には、明らかに疲労がこびりついていた。


 正直に言えば、H5pdm19の再流行とH5pdm19が生み出した世界恐慌、このふたつへの対策を決断し、推し進めていくだけでも神経を使うのに、加えて対外戦争への備えなど考えたくもなかった。


 H5pdm19のパンデミック、加えて外国による武力侵攻――なんでこんなに俺の運が悪いんだ、と愚痴りたくもなる。


 そんな古川首相の内心をおもんばかってか、議論が始まる前に紺野防衛相は頭を下げた。


「中国軍が尖閣諸島へ侵攻してくるかはわかりません。しかし、状況は緊迫しつつあります。この度は緊急事態大臣会合の実施をご決断いただき、ありがとうございました」


「いや、大丈夫だよ」


 古川首相は笑ったが、やはりそこに力はなかった。


 さて。コの字形の会議卓に古川内閣の主要な閣僚と、陸海空自衛隊を指揮する統合幕僚長や外務省北米局長・アジア大洋州局長といった関係省庁の局長クラス、これに加えて閣僚らを補佐する関係者が着席するとともに、緊急事態大臣会合は始まった。


 が、この8月18日の緊急事態大臣会合は紛糾した。


 紺野九郎防衛相・防衛省担当者が、中国人民解放軍は台湾、あるいは南西諸島に侵攻する可能性が高い、と考えていたのに対して、他の閣僚や省庁の官僚たちは、「中国軍の活発な軍事行動は、H5pdm19を中国は克服した、中国軍は万全に機能しているぞというアピールである」と本気で考えている者が多かったためである。


 例えば藤堂義人とうどうよしひと厚生労働相は、この緊急事態大臣会合に参加する以前に厚生労働省の局長クラスの面々から「H5pdm19の再流行への備えは、中国との連携が欠かせない」と複数回に亘って説明を受けていた。


 そのため、藤堂厚労相の頭の中では、H5pdm19の予防ワクチンや治療薬に関しては国内生産と、アメリカからの輸入で賄えるが、民間の市場に出回る医療品は、現在のところ中国産に依存している面が確実にあるから、日中関係を損ねてはならないという考えが“常識”と化していた。


 また山名弘やまなひろし経済産業相は、


(日本国は世界で五指の中に入る資本主義の大国であり、巨大市場と大量の消費者を欲する東方の龍である。そうである以上、中国市場と13億の中国人を食い散らかす、これが景気回復の近道だ)


 という考えの持ち主であった。


 勿論、防衛・外交戦略の方針を議論するこの場では、この両名の発言力はあまりない(藤堂厚労相に至っては、本来ならば呼ぶ必要さえないのである。表向きは新型インフルエンザに係る対策を練る会議であるから、やむなく参加させているだけだった)。


 問題は佐々木外相ら、外務省の人間であった。


 外務省北米局長は中国軍が南西諸島へ侵攻すれば在日米軍が動く、という確信を持っていたし、外務省・国際情報統括官組織はオシント(公開情報からの分析、諜報の一分野)から「H5pdm19の予防ワクチンが中国人民解放軍全将兵と、中国人民解放軍の軍属、軍に物資を供給する軍需品メーカーの従事者に行き渡り、また自治区における医療体制の強化・経済安定が図られるまでは、中国人民解放軍の外征はない。また着工している新たな一部の軍事基地の完成は、年内には不可能であるから、軍事行動を起こすにしてもこれの完了を待ってからになるだろう」と結論を下していた。


 こうした情報から佐々木外相もまた中国軍が台湾、あるいは南西諸島へ侵攻するにしても数年後の話になるだろう、と考えを改めていたのである。


 であるからして、首脳陣の認識にずれがあった。


 途中、赤河財務相が


「あのよぉ~玄関先で出刃包丁を持ってるやつがうろうろしていたら、そいつが包丁を料理に使うのか、殺しに使うのか、議論する前に戸締りするのが普通じゃねえのかい」


 と、怒気をはらんだ口調で発言したので、それでようやく議論は中国人民解放軍が南西諸島に侵攻することを前提に立った話に移った。


「もしも中国人民解放軍が武力の行使によって、我が国の主権を侵し、我が国土と国民の生命、財産を脅してきたとします。そうなれば当然、防衛出動の命令。これを首相にご決断いただく。この段階では、当然もう中国人民解放軍は戦闘機や艦艇、ミサイルによって、攻撃を仕掛けてきているわけです。国民の理解も得られるでしょう。防衛出動の命令が発されてから、自衛隊は必要な武力を行使し、中国人民解放軍の武力攻撃を退けます」


 紺野防衛相は、赤河財務相とは対照的な口調で喋り始めた。


 内容は至極まっとうだ。


 先程まで中国人民解放軍の軍事侵攻の可能性を低いと見積もっていた閣僚や、官僚らもみな一様に頷いていた。


 殴られて殴り返さない馬鹿はいないし、殴り返すために年5兆を超える予算を安全保障に投資してきたのである。


「しかし、その前にですね……防衛出動待機命令、防御施設構築措置。これによって南西諸島の防御態勢を整えたい。そう考えております」


 防衛出動待機命令とは、武力攻撃が予測されるような緊迫した事態に際して発され、自衛隊が防衛出動の準備に移る、また展開予定地域に防御施設を構築出来るようになる命令である。


 逆に言えば、この防衛出動待機命令・防御施設構築措置が発されない状況では、自衛隊は陣地を築いたり、対人障害システム(自動ではなく操作によって起爆する80式対人地雷と指向性散弾クレイモア)や対戦車地雷・機雷を敷設したりすることは難しい。


 この防衛出動待機命令・防御施設構築措置が出ているか出ていないとで、緒戦の展開は大きく変わってくるはずである。


「えー、防衛出動待機命令ですが……」


 進行役となっている神野義春かんのよしはる内閣官房長官が声を上げた。


「これに関してはお配りした資料にもありますとおり、発令の前例、これはありません。発するタイミングは当然、中国軍が軍事行動を起こす直前です。武力攻撃事態が予測段階にある。そこで防衛出動待機命令を発するような形になります。もちろんこの段階では中国軍は攻撃を仕掛けてきていないわけで、慎重な姿勢をとらざるをえませんから、議論を尽くす必要があると思います」


 佐々木外相をはじめとする閣僚らは当然事前に話を聞かされていたが、賛成とも反対とも言わず、無表情のまま左右を見た。


 彼らが考えていることはただひとつ、“空振り”に終わる可能性だ。


 中国人民解放軍が攻撃を開始する可能性がある、と断言して防衛出動待機命令を出し、尖閣諸島周辺の海域に機雷を、着上陸が予想される海岸に対人障害システム――要は地雷を敷設する。


 これだけでも国内メディア・野党からの反発、国民感情の離反を招く可能性が高い。


 また沖縄県・沖縄県知事との調整も必要となる。


 そして万が一、前代未聞の防衛出動待機命令を下しておいて、中国人民解放軍が動かなかったら?


 そう思うと、尻込みするのは当然のことであった。


 結局、8月18日の緊急事態大臣会合では何一つ決まることはなかった。




(ぐだぐだになっているのは日本側だけではなく、実は中国側も同様です。次回、■13.苛立つ両雄。に続きます)

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