百九十五日目 月下の獣
西に向かう旅をしながら、亡者の森の浄化も続けている。朝は死者の泉で可能な限り水を浄化して、可能な限りのゾンビを退治してから、ノーザテインに帰るというルーチンだ。
とにかく大量の水を浄化して、際限なくやって来るゾンビを倒すことに、神官と冒険達は随分とストレスに感じているらしい。何だかやっていることが無意味に思えるくらいゾンビは大量にいて、せっかく聖水に変えた池の水に飛び込んで汚染するのだから、そう感じてしまうのも無理はない。
だが日に数百体もアンデッドを処理しているのだ。十日間で数千体にもなる。これは大きい。過去に数十万体ものゾンビやスケルトンが進行して暴れまわったので、その数を減らすことには大いに意味がある。数ヶ月も経てば、脅威をさらに減じることだって可能だろう。
夕方近くになると、ノーザテインに戻ることにしている。既にヴァンパイアやスケルトンリーパーの襲撃を受けているのだ。祭壇が作られて脅威度が上がった現在、何らかの襲撃は必ずあるはずだ。冒険者や神官も数は多いが、強力なアンデッド相手ではひとたまりもないに違いない。
そして予想通りに敵はやって来た。
最初に見えたそれは数人の人影だった。神殿の屋根に登っていた俺の目に、北から歩いてくる多くの影が見えた。ゾンビとは違う、しっかりとした足取りで歩むその影は、ノーザテインの北に広がる草地を歩んでくる。人間の背の高さまである草をものともせずだ。
「敵襲です!」
即座に俺は神殿から飛び降りる。睡眠が必要でない俺が毎日見張りを行っているが、まだ日が完全に落ちてないのに相手はこちらに向かってきた。村の広場に設置された鐘へと走り、前回と同じように一定のリズムで叩く。即座に冒険者や神官などが村に張られたテントから飛び出して来る。
「リモーネ様、敵は!?」
「わかりません。ですが北から確実にやって来ています」
真っ先にヴォルフが俺の元へとやって来る。すると周囲の冒険者やマイオス神の武装神官なども集まってくる。
「本当なのですか? まだ日がうっすらとあるのに……」
「確実に人間ではありません。すぐさま北に警戒を! 非戦闘員は神殿に!」
疑う声を出す神官を俺は一蹴し、再度神殿の上へと跳び上がる。その跳躍力に大勢が唖然とした目で俺を見ているが、構っている暇は無い。謎の人影はあっという間に視認できる距離へと近づいていた。俺にはすぐさま対峙する相手が分かった。
「ヴァンパイア五体、レッサーヴァンパイア十体……正体不明が一体です!」
「正体不明!?」
「それより、ヴァンパイアがそんなに……」
俺の言葉に神官達は右往左往している。それでも多くの冒険者や神官たちが武器を持って村の北側に集まってくれる。
「来たぞ!」
人々が掲げる松明の火にアンデッドが映る。極端に青白い肌を持つヴァンパイアと、ミイラのような肌の眷属であるレッサーヴァンパイアだ。
「人間ども、性懲りもなく集まって来て」
「皆殺しだ」
ヴァンパイア達は血気盛んなようで、目を見開くと思いっきり突っ込んで来る。前回は正面から来たので今回は搦手で来るかと思ったが、馬鹿の一つ覚えで高い能力を生かした鏖殺を選んできた。まあ毎回全滅させているので、こちらの情報を得ていないのが大きいのだろう。それならば、相手が人間ということでこちらを侮るのも無理はない。
五十メートルを飛ぶような速度でこちらに吸血鬼達は突っ込んでくる。俺は正面から迎え討つ気まんまんだが、味方は腰が引けている。腰を抜かす神官たちも居る。マジか!?
「ターンアンデッドをお願いします!」
俺の叫びに応えて、数人の神官たちが一斉に聖印をかざす。しかしヴァンパイア達の到達が早そうだ。
「このっ!」
俺はアイテムボックスから樽を取り出すと、先頭のヴァンパイアに思いっきり投げつける。ヴァンパイアは避けようともせず、持っている剣を叩きつける。
「ぐあああああっ!」
ヴァンパイアの豪腕で振り抜かれた剣によって樽は粉々になり、中の聖水が飛び散った。樽を破壊した吸血鬼は聖水を全身に引っ被って、絶叫をあげて転げまわる。俺が軽々と樽を持ち上げたので、空と思ったのだろう。
「ギエエエッ!?」
「ぐああ、おのれっ」
激しく水が飛び散ったので、数体のヴァンパイアとレッサーヴァンパイアが巻き込まれて倒れる。聖水もそこまでダメージはでかくないはずだが、強力な酸と一緒でアンデッドに強い痛みを与えられるようだ。普段は痛みを感じないアンデッドに、パニックを起こせるというわけだ。
「ターンアンデッド!」
「地に帰れ、悪しき者共よ!」
神官たちが一斉にターンアンデッドを放つ。淡い光が各神官が掲げる聖印から放たれ、ヴァンパイア数体の動きが止まる。レッサーヴァンパイアが数体塵になったが、全員とは程遠い。
「ていっ!」
聖水が詰まった樽をヴァンパイアへと投げつける。さすがに中に入っている物に気がついているので、まともに受けようというものはいない。素早く左右に避けて、樽を躱す。
「甘いです!」
俺は右手から鞭を伸ばして樽に巻きつける。前方に飛んでいていた樽は、直角に動きを変えて、吸血鬼の身体に叩きつけられる。
「ギャアアアッ!」
樽が衝撃で破壊されて吸血鬼の全身に聖水が降りかかる。強烈な蒸気が吹き出して、ヴァンパイアの全身が焼けただれた。
「恐れることはありません! 邪悪なるものを打ち払うのです!」
「おおっ!」
アイテムボックスから樽を幾つも取り出して、周辺に配置する。蓋が開いた樽の縁には幾つも柄杓が乗っている。冒険者たちは樽に駆け寄ると、武器を突っ込んで聖水をつけたり、柄杓で水を掬う。そしてヴァンパイア達に向かって行く。
「おのれ、たかが人間如きが……」
俺の攻撃によって機先を制された吸血鬼達は、それでも逃げずに冒険者へと向かって来る。だが冒険者達が投げつけた聖水によって、火傷を負ったり、回避に専念せざるを得なかった。
「キシャアアア!」
俺の正面からレッサーヴァンパイアが突っ込んでくる。人間ではあり得ない速さで相手は近づいてくるが、かなり隙だらけだ。
「ターンアンデッド!」
「ギヒャッ!」
腰を落として俺が放った正拳突きがレッサーヴァンパイアの胸に突き刺さる。聖なる波動がヴァンパイアの全身に広がると同時に、ミイラのような全身が爆散する。
だがそれは罠だった。
「この女!」
「死ね、下等な人間が!」
俺の両脇と正面から三体のヴァンパイアが突っ込んできて、がっしりと両腕、両肩を掴む。レッサーヴァンパイアは囮だったというわけだ。すかさずヴァンパイア達は大口を開けて、俺の首筋、両腕に噛みつこうとする。
「甘いですわ」
俺の真上に異次元に通じる口が開き、アイテムボックスから滝のように聖水が大量に落ちる。
「ウギャアアアア!」
「ギエエエエッ!」
「お、オグアッ!?」
全身に聖水を浴びて、ヴァンパイア達は慌てて逃げようとする。だが両脇に居た二体の顎を俺は掴む。俺を掴むほど間近に居て、俺の腕が二本だったのが不運だったな。
「相手の能力が上だからと言って、黙って殺されるほどお人好しではありませんわ。反撃させて頂きます」
「アガガガガ!」
「や、やめ……アアアアッ!」
俺はヴァンパイアの顎を掴むと力を込めて、思いっきり口を開かせる。そうなると自然と食道の中へと聖水が流れ込む。血を飲むヴァンパイアの胃がどうなっているのかは俺もわからないが、少なくとも聖水が流れ込んで無事では済まないようだ。わずか数秒で体内に爆発物を仕込まれたかのように、爆散する。
聖水とはいえ、頭から浴びてしまい、全身がずぶ濡れになってしまった。周囲の戦況を見ると、冒険者達は互角に戦っているようだ。
「『神聖武器』」
「『治療』」
神官たちがバックアップしているのが大きいのだろう。強力なアンデッドにも、かろうじて食いついて戦っている。
「死せよ、不死なるもの」
「『聖なる一撃』!」
更にはヴォルフやゴームが居るのも大きい。相手がヴァンパイアでも二人は問題なく倒しており、次々と鎖剣とハンマーの餌食にしている。これは勝ちかな。
「調子に乗りおって! 行け、ガグス」
「わかりやした」
戦況を見ていたヴァンパイアの一人が、後から到着したらしい配下に命じる声が聞こえた。その配下の男はヴァンパイアにしては、妙に血色がいい。その男も非人間的な速度で俺へと突っ込んでくる。両手を頭まで上げて掴みかかる吸血鬼特有のポーズで接近してきたので、ついつい指を交差させて力比べのポーズで相手を受け止めてしまう。
「かかったな、馬鹿が!」
「何ですって!?」
「俺はヴァンパイアじゃないんだよ!」
男の筋肉が一気に盛り上がり、全身から獣毛のような毛が吹き出す。こいつは……。
「ワーウルフ!? いかん、リモーネ様!」
ゴームが焦ったような声を出すと、俺と手を組んでいる男……いや狼の頭を持つ怪物はニヤリと笑う。
「そうだ、ワーウルフだ」
「こやつにはターンアンデッドも多くの神聖魔法も効きません! この亡者の森で多くの神官が命を落としているのは、こやつの存在があります!」
「その通り、俺こそが神官殺しよ。聖水だって効かないぜ」
俺の顔に臭い息がかかり、体温があることから、こいつがアンデッドではなく生きているのがわかる。なるほど、対アンデッド決戦兵器の神官も、こいつとは相性が悪いということか。
「リモーネ様!」
「行かせぬぞ」
ヴォルフが焦ったような声を出すが、彼の進行を阻むように多数のレッサーヴァンパイアが並ぶ。
「さて、腕をへし折ってやろう。泣き叫べ、小娘!」
ワーウルフが力を込めてくるが……うーん、オーガよりちょっと強いくらいか?
「あ、あれ……つ、潰れろ小娘! 潰れろ!」
一向に腕が捻れないことに、狼男は焦ったような声を出す。狼の顔なのに、焦燥感が見て取れるのは面白いな。
「すみません。ですがこの程度の筋力では、潰すのはちょっと無理かと……」
「な、何だと!? あ、ぎあああああ!」
俺が力をぐっと込めると、簡単にワーウルフの腕をひねることが出来た。ついつい力を込めすぎたのか、靭帯がブチブチと切れる音が俺のサキュバスイアーには聞こえた。
「ぐああああっ」
暴れる狼男の手を離すと、相手は地面の上で転がりまくる。だがやがてゆっくりと動きを止めると、すっと立ち上がる。
「無駄だ。ワーウルフの再生能力は不死身だ」
見れば思いっきり反対に折れた腕が元に治っている。
「なるほど」
「ぶげふっ!」
がら空きの胴体にフルパワーでボディブローを叩き込む。肋骨がバッキリと折れるのが伝わり、内臓を大きく歪める。
「リモーネ様、そいつは魔法の武器か銀の武器しか効きませんぞ!」
「それ以外は無効なんですのね」
くの字に体を折っている狼男の腕の下に腕を通すと、変形の払い腰で地面に叩きつける。ぶっ倒れて悶絶する相手の身体をを起こして下を向かせると、俺は肩の上に持ち上げてブレーンバスターの要領で逆さまに持ち上げる。そして垂直に地面へと落とす。
「ギャアアアアアア!」
「まあ、殺さなくても十分相手はできるようですわ。それより戦況は……」
「大丈夫です」
ヴォルフの鎖が左右に振られるたびに、レッサーヴァンパイア達の数が減っていく。こちらの数も減らせないうちに、ヴォルフやゴームに次々と吸血鬼は狩られていった。
「ひ、退け!」
遠くで高見を決め込んでいた吸血鬼も、背後を向いて逃げようとする。だが逃して情報を持ち帰られるのはまずい。
「なっ!?」
ヴァンパイアの目前へと瞬間転移すると、相手は思わずたたらを踏んで止まってしまう。
「『聖なる一撃』!」
「ガッ!」
俺が放った手刀はヴァンパイアの頭頂から股までを一気に真っ二つにした。うおおお、俺って凄いかも。驚愕した表情のまま灰に変わる相手の姿を見ながら、ちょっと感動してしまった。
残りのヴァンパイアもモタモタしているうちに、全て駆逐されていた。中途半端に強いから、逃げるタイミングなんかも分からなかったのだろう。逃げるほどの相手と対峙したことが無いに違いない。
さてと残ったのは……。
「残ったのはお前だけだな」
「ば、バカな……」
脳天から脳みそが溢れていたはずなのに、既に回復している狼男は、取り囲まれて焦った声を出す。
「どうしますか?」
「この回復力……使えますね」
目を細めてワーウルフを見るヴォルフに、俺はそっと囁く。ぎょっと目を見開いて驚くヴォルフの横を抜け、俺は無造作に狼男へと近づく。
「ち、近寄るな。ぶっ殺すぞ、このアマ!」
「やれるのならば、ぜひどうぞ」
俺は腰が引けている狼男の喉をがっしりと掴む。
「ぐうえぇぇぇぇ」
ワーウルフの反撃があるかと思ったが、かなり強い力で喉を締めているせいか、手指を外そうと必死に藻掻くだけだ。
「少しお仕置きしてきますわ。ヴォルフ、ゴーム、ここの警戒を頼みます。まあ、今晩に再襲撃があるとは考えにくいですが」
「リモーネ様、まさか……」
「それでは頼みますわ」
俺が狼男を引きずって村の外に向かうのを見て、ゴームの顔が引きつっている。何をやろうとしているのか、彼にはわかったのだろう。ヴォルフも気づいているが、見てみぬふりをしてくれているようだ。
「ひゃ、ひゃなしてぇ……」
「ごめんなさい。それは出来ませんわ。まあお仕置きと言っても、痛くしませんから、安心して下さい」
か弱い声が聞こえるが、俺はなだめるようににっこりと笑う。そのまま村外れの林へと、俺は入って行った。
「それで、どうされましたか?」
明け方近くにノーザテインへと戻ってきた俺に、ヴォルフは表情を崩さないように聞いてくる。だが心なしか声が震えているようだ。
「ワーウルフみたいなライカンスロープという怪物は、『呪詛解除』で解除できるのですね。メガン様が教えてくれたので、無力化できましたわ」
「呪いをか、解除したのですか!? それであのワーウルフは何処に……」
「ザクセンに置いてきたので、メガン様のお慈悲があれば生きていけるでしょう」
「しかし、元は凶悪なワーウルフだったのですよ。大丈夫ですか?」
まあ、呪いを解除した程度では悪から善にはならないからな。ライカンスロープの呪いを受けても善の心を持つ人間は、別の種族になるらしいし。
「大丈夫です、悪さをする元気もすぐには出ないでしょう」
「そ、そうですか……」
俺が微笑むと、ヴォルフが目を逸らす。想像できたのかな?
それにしても無限の回復力を持つ月下の狼男っていうのも、精気を絞りすぎると毛が抜けて痩せ犬みたいになっちゃうんだから驚きだよな。




