揺れるキリアヘイン
亡者の森に派遣した者達の帰還はキリアヘインの宗教界に、大混乱をもたらした。
「神の祭壇を授かったですと!?」
「その通りです」
ヒステリックに叫ぶオースフェリアの司教に対し、メガン教の司教がやたらと勿体ぶった素振りで頷いてみせる。
神殿のトップが集まる聖堂で、メガン教の司教はリモーネが神の祭壇を授かったというとんでもない報告をした。神から神器を授かるなど、一世紀に一度も無い。ましてや祭壇ともなれば、その価値は凄まじい。
「亡者の森への浄化をする手始めに、死者の泉と呼ばれるワイトが潜む森の近くにある池を、リモーネは浄化したのです。その偉業を見た我らがメガン様が、神の使徒に手助けしてくれたのです」
「……嘘では無いですよね」
「神に誓って」
メガン教の司教という、金に汚い俗物が法衣を来ているような人間が、恍惚としている姿に、参加者達は顔を顰める。だが司教の途方も無い話が、却って真実味を帯びているのは確かだ。
キリアヘインはしばらく前に、神から夢でお告げを貰うという奇跡を体感したばかりだ。急に神の力が行使されたと言われても、以前よりは信じやすい。ましてや、夢の神託で言及されたと思われる聖女、リモーネが関わっていることなのだから、疑うのは不敬に近い。
「何てことだ……」
美の女神アーシャの司教が頭を抱える。
無料診療など、リモーネはキリアヘインに問題ばかり持ち込んできた。困ったのはこの聖女が、ルールを破らないことだ。自分で診療費用を神殿に払い、それで人を助けている。寄付無しでの手助けを拒む神殿にとっては、ルールに則っている彼女は責めにくい。
そこで神殿のトップはルールに則り、リモーネに依頼という形で、亡者の森という死地に追いやった。聖女が奇跡を起こして亡者の森という危険地帯を浄化しても、志半ばで倒れても、神殿勢力は構わなかった。どう転んでも問題が解決するのだ。
ところがリモーネは神からの恩寵で祭壇を作りあげてしまった。こうなると神殿は本腰を入れてリモーネを手助けせざるをえない。放置などしては、自分達の信仰心を疑われてしまう。
「祭壇を守るため、メガン神殿は総力をあげて支援するつもりです。皆さんはいかがされますか?」
「しかし、そう急に言われてもだな……」
強気に出るメガンの司教に対して、魔法を司る神ティクタリオの司教が、視線を彷徨わせる。他の司教達もなるべく目を合わせないようにしている。
「マイオスの使徒も全力を挙げて助けることを誓おう」
「う、うーむ……」
他の司教達と違い、十大神のリーダーであるマイオスの大司教は席を立って、協力を宣言する。これには他の神に仕える司教も顔を顰めた。
調子のいいことを言っているが、マイオスの司教の一人が大きな失態を犯したという話を、他の神殿は掴んでいた。リモーネの素性を探るため、彼女と一緒に派遣したゴームを尋問したという。
だがゴームはマイオスに誓いを立てたため、リモーネの秘密を喋るのを拒否した。そこで問題の司教は無理やり口を割らせるために、自白させようとした。
すると天罰が下った。仕える神の誓いを破らせるという行為に、マイオス神の怒りを買ったのだという。地下の尋問室だというのに司教は雷に打たれて、卒倒した。
司教の生死に関わるような罰ではなかったが、信仰する神からの罰にマイオス神殿はパニックに陥った。神殿は即座に司教を降格して軟禁し、リモーネの素性を探る行為は一切禁止することにした。そしてその口に出すのも憚られる不祥事を糊塗するかのように、リモーネを全力で支援しようとしている。
天罰など下るなどということは滅多に無い。そんなものがしょっちゅうあるならば、金と地位に拘る各神殿の聖職者など全員死んでいるはずだ。だがリモーネに関しては、神託や神器、天罰など信じられないことのオンパレードなのだ。今のところ各自の神から指示は無いが、各神殿共に聖女を支援しないと何が起きるか、気が気でない。
「……戦神ザサーラの信徒である我らもなるべく応援を出そう」
「こちらも援軍を出すわ」
出す物は舌でも出したくないという各神殿のトップ達も、こうなっては仕方ない。やる気の違いはあれど、祭壇を守るために援軍を申し出る。どれだけ出せば神の機嫌を損ねずに済むか、司教達は見極めながら何とか最低限の協力にしようと必死に知恵を絞ることとなった。
十大神のある神殿は見習いをとにかく大量に揃え、他の神殿は地方に居る実力者達に招集をかける。神官が戦闘に向かないのを理由に、多数の冒険者を雇おうとする神殿も出て来た。
各神殿の戦力にはバラつきはあったが、多くの人的リソースが注ぎ込まれることとなった。また神殿が遠征軍編成のために大騒ぎになったため、人々を救った聖女が神の祭壇を召還したという話は、あっという間に広まった。
寄付を申し出る商人、遠征について行こうとする冒険者、または民間人などとキリアヘインは大騒ぎとなる。宗教界だけでなく、首都全体を巻き込みながら、騒ぎは拡散していく。
ヴォルフとゴーム、カルムーラは神殿の騒ぎを冷めた目で見ていた。自分たちの都合でリモーネを危険な地に追いやり、神が祭壇を授けたとの朗報をもたらすと保身のために大慌てで動き出す。リモーネの仲間である彼らは、そんな神殿の関係者達に好意を抱くはずもなかった。
ゴームはリモーネを監視しに送られた戦士だ。そんな彼でもマイオス神殿のやり方には不満たらたらだ。リモーネは確かに通常ならば人類には危険な種族であるサキュバスだった。だが行動に裏表が無く、純粋に亡者の森を浄化することだけを考えて行動していた。それ以前にはオーク禍を止めるために、世界の背骨へと少人数で突入という、無謀とも言える行為まで行っている。
そんなリモーネの秘密を暴こうと、神殿の上層部はやっきになった。そしてその結果として、神の罰まで受けることとなる。己の信じる神に罰せられるほどに、堕落した上層部にゴームは失望するしかない。
ヴォルフも同様だ。リモーネに助けられるまで病気に苦しんだカルムーラとは違い、幼い頃から醜い容姿の自分を育て上げ、ヴォルフは神殿のために働いた。その神殿が聖女から多額の寄進を受けて、人々の治療をして貰いながらも、亡者の森という危険地帯に追いやった。
今はリモーネのために働いているが、過去に神殿を助けたのは何のためだったのかと、ヴォルフは考えざるを得ない。今回も神から貰った祭壇のために動こうとしているが、そんなのは信徒として当たり前のことだ。聖女であるリモーネに、何のサポートもする姿勢が無いのが、ただただ腹ただしい。
「神殿とは何なのでしょう……」
とある日にキリアヘインにやって来たリモーネに、ヴォルフは思わず零していた。リモーネをサポートする人間達の目録を確認していた彼女は、ヴォルフの失望した声色に、羊皮紙から顔を上げた。
「ヴォルフが組織に失望するのは、わかりますわ。寄進を得ないと動かないですし、特にメガン様の想いを広めようともしていない」
「その通りなんです」
「でも、私は最初からあまり期待していませんでした。組織というのは、得てして人のためより自分たちのために動くものですから」
ヴォルフと違い、あっさりとしたリモーネの態度に、彼は驚く。
「神殿もそうですが、組織からの援助はほどほどだと思っておけばいいでしょう。私達は自分たちの目標を自分たちでやり遂げればいいのです。自分たちにその力があるのならば、組織なんて放っておけばいいでしょう」
リモーネの言葉に、ヴォルフは目からウロコが落ちる想いだった。堕落した組織なんて見限って、自分たちで世の中を良くしていけばいいのだ。そんな単純なことに気が付かなかったとは。
ヴォルフは改めてリモーネの偉大さを確認し、彼女が聖女である理由を知ったと思った。当のリモーネことリンは、単に自分のチート的な能力で暴れているだけなのだったが……。




