百八十八~百八十九日目 精気収集
祭壇を創り出せたというのに、俺達は死者の泉から撤退するしかなかった。俺が信じられないくらい衰弱していたからだ。
本来ならば祭壇を守るために、死者の泉に居なければいけない。祭壇は亡者の森を無力化する浄化装置なので、森に潜むアンデッドには脅威となるはずだ。ちょっとでも知性があれば、多大なコストを払ってでも、真っ先に破壊対象にするだろう。だが俺が無理をしたために残ることは出来なかった。
ヤリック師匠達をザクセンに送り返し、ヴォルフ達をキリアヘインに瞬間転移で送った。ヴォルフやゴームをキリアヘインに送ったのは、神殿に助けを求めるためだ。神の力を大いに秘めた祭壇が出来たため、亡者の森を攻撃する橋頭堡が出来たと言える。
森を浄化する目処が調査で立ったのだから、命令を下したお偉方に、助けてくれと堂々と要求出来るだろう。全員からの助力を得られないにしても、少なくともメガン神殿とマイオス神殿からは、人を出して貰えると思う。
さて、あちこちに人を送った後に俺が転がりこんだのは、『跳ねる子猫亭』だ。ほぼガス欠になってしまったので、エネルギーを補給しなくては、生存も危ぶまれる。だがオークやトロールを探すとしたら、運頼みが強いうえ、咄嗟に神聖魔法を使う魔力も怪しい。かくして、俺は一番確実と言える娼館に向かったのだ。
「姐さん、大丈夫ですか?」
「何がかしら?」
「いえ、その……ぶっ続けですんで」
ソムルが恐る恐るという形で俺の顔色を窺う。
『跳ねる子猫亭』に来た俺は、とりあえずガンガン客を取った。昼前から夜中近く、ノンストップでだ。幸いにして簡単な魔法で清潔に保つことが出来たので、客も俺も不快にならずに済んでいる。これが前の世界なら、何回シャワーを浴びなくてはいけないか、わからないほどだ。
しかし三十分に一人というペースで客を取っているが、エネルギーの回復は非常に少ない。人間の精気は高品質だが、オークの方がエネルギー量は遥かに多い。おまけに人間の精気を吸い過ぎて、体調不良になっては困るので、最高でも三割程度に抑えなければいけない。中には脂ぎってオーク並の精気を持つ中年のおっさんも居るが、そういうのは稀だ。
「構わないわ。今日は私目当ての客、全員を満足させるまでやるわよ」
「しかし……」
「今日はそういう気分なの。サボっていた分まで、しっかりやらせて」
「わ、わかりやした。客は多いので、よろしくお願いします」
従業員のソムルは俺に一礼して、俺に用意された部屋から出ていく。さてと、なかなか精気を吸えないのだから、頑張って働かないといけない。俺は気合を入れて、次の客を迎えに廊下へと出た。
翌日の朝になると、漸くリランダ目当ての客が捌けた。俺もある程度の精気を確保して、ほっと一息つけた形だ。一時期は数百人の人間から奪った精気に相当するエネルギーを蓄えていたのに比べると、何とも心もとないものだが、それでも数日は精気を吸わなくても生きていけるようになった。
一先ず、数週間は精気を吸わなくても平気なエネルギーを確保しなければいけない。だが売春宿で誰かに売り込みに行くことは出来ない。客を待ちながら、俺は空いている時間にちょこちょこと、店を抜け出す。
死者の泉を真っ先に確認したが、相変わらず亡者の森から大量のゾンビが雪崩れ込んで来ている。その多くは聖水たっぷりの池に落ち込んで溶けているが、そうなると泉の汚染が心配だ。幸いにも祭壇が浄化を行っているが、何処までエネルギーが保つかわからない。
それにゾンビみたいな低級なアンデッドだから良いが、高位のアンデッドに祭壇を破壊される危険性もある。なるべく頻繁にチェックして、祭壇を可能な限り守らなければならない。
未だエネルギーに不安がある我が身が恨めしいことだ。力が残っていたのならば、何日も祭壇の前に何日でも陣取っていたのだが……。俺はターンアンデッドを駆使しながら、可能な限りのゾンビを踏み潰して、死者の泉を掃除した。
その後、瞬間移動でザクセンに再び戻る。こっそりと跳ねる子猫亭に戻ろうとしたが、何だか宿の前が騒がしい。
「何で入れないんだ!? お金はあるって言ってるじゃないか!」
「だから金があっても入れないものは入れないんだよ」
客と従業員のソムルが言い争っている。たまに見る光景なんだが……。
「何でだよ!?」
「いやその……種族がな……」
ソムルに文句を言っているのは、甲殻類の亜人だった。海老……いや、ザリガニとかロブスターか? 身体は二足歩行のロブスターそのもので、色は真っ赤だ。腕は巨大なハサミが二つついている。
あれだ、特撮のザリガニ怪人そのものだ。世の中広いんだな、こんな亜人が居るとは……。まあほ乳類の亜人が居るのならば、甲殻類も居てもおかしくないよな。
俺は傍観を止めて、ソムルに声をかけることにした。
「どうしたのかしら?」
「あっ、姐さん。それがですね、こちらの御仁が入店を希望してまして……」
「入れてあげられないの?」
「いや、相手する嬢が居ませんぜ」
俺の言葉に、ソムルはとんでもないと首を振る。まあ、確かに普通は嫌がるよな。
「一通り客が捌けたし、私が相手するわ」
「本当ですか!?」
「姐さんが!?」
ソムルが驚くのも無理ないが、ロブスターも驚いている。いや、娼館に来たのは君だろうに……。
「今まで三十軒ほど回って、初めて相手にされました」
「そ、そんなに……」
「仲間にはバカにされるし、人間には気味悪がられるし、正直に言えば心が折れそうでした」
ロブスターは、ほっとしたようにため息を吐く。外見は甲殻類なのに、やたらと表現が人間臭いな。
とりあえず部屋に誘いながら、彼の話を聞く。彼の名前はゲイリヒ、種族はロブステリアというらしい。川沿いや湾岸沿い、或いは深海に住む種族だそうだ。
何でも初めて見た人間に興味を持ち、ちょくちょく人間の都市に冒険者として出稼ぎしていたらしい。やがて人間の女性に興味が出て来て、付き合うのは無理でも、せめて娼婦を買ってみたいと思ったそうだ。
人間にも気味悪がられたのもショックだったそうだが、仲間にも気持ち悪く思われたとのこと。ロブステリアが人間の女性に興味を持つのは、人間で例えるならば、海老亜人とか蟹亜人に欲情するようなものだ。そりゃ、異常性癖だ。
ネコミミやウサミミ好きの人間は居るかもしれないが、甲殻類はなあ……。ロブステリア側から見ても人間が恋愛対象は無いだろう。真面目そうな喋りだが、業が深いかもしれないな。
ゲイリヒと部屋に入って三十分後、俺は再び部屋から出て来た。新たな客が居るかと思ったが、誰も居なかった。代わりにソムルが駆け寄ってくる。
「姐さん、その……大丈夫でしたか?」
「ええ、大丈夫だったわ」
まあ、相手がロブスターそのものに見えても、亜人だから構造的には人間に近い。対応は人間相手と一緒で大丈夫だった。
「それでその客人は?」
「少し刺激が強かったかしら。おねんねしてるわ」
ソムルは俺の言葉に、やたらと驚いた表情を見せている。
なかなか頑丈そうな亜人だったので、随分吸い過ぎてしまった。精力としてはオークなみじゃないだろうか? 四割吸ったので、フラフラかもしれない。
しかし、人間の男、オーク、トロールと相手をして、ついにロブスタリアか……。思えば遠くに来てしまった。男だったのが、遙か昔に感じる。
サキュバスがもつ業の深さに俺は、部屋の前にある吹き抜けの手すりに肘を乗せて、大きくため息をついた。




