大森林の砦のオーク
大森林の砦のオーク
その怪異は密やかにやって来た。人の姿をしていたが、それは間違い無く怪物だった。
始まりは三日前、仲間が森に迷い込んだ人間を捕まえたときだ。
「珍しく人間を捕まえたブゥ」
砦の中を巡回パトロールしているときだ。屋内の廊下を歩いていると、仲間が大声で自慢するのが聞こえた。見ると、食堂でオーク一人が胸を大きく張っていた。
「それも人間の雌だブゥ。若くて綺麗な金髪、それに乳が大きかったブゥ」
「おお!」
「それなら楽しめそうだブゥ」
どうやら貴重な人間の雌を捕まえたようだ。
オークは非常に繁殖力旺盛で、性欲もかなり強い。だが残念ながらオークの雌は雄に比べて、圧倒的に数が少ない。代わりにオークは他の亜人との交尾で繁殖する能力があった。
亜人であれば大概は何でもいけるという噂だ。余りにも性の発散に困って、リザードマン、サハギンやディープワンを使ったという話もある。だが人間やエルフ、ドワーフは非常に好みだ。種としての容姿は違うのに、それぞれの亜人と美意識は近いらしい。
「早速繁殖部屋に行くブゥ」
「壊れる前に楽しむブゥ」
ドカドカと音を立てて仲間達は人間と繁殖するために、食堂を出て行く。俺も行きたいところだが、残念ながら仕事が残っている。パトロールの仕事が終わってから、ストレス解消に行くのもいいかもしれない。
俺は人間との交尾を楽しみにしながら、その日はパトロールを終わらせた。
オークは拠点を作ると、捕まえた亜人に子供を産ませる繁殖部屋を作る。捕まえた獲物に逃げられないように、大体は拠点の奥にその部屋は大体作られる。砦の建設時から既に準備していた繁殖部屋に俺も足を運んだのだが……。
「あれ……どうした?」
繁殖部屋には仲間達が丸太を転がしたように、あちこちで倒れていた。何かあったのかと、慌てて手近な相手に駆け寄ったが、寝ているだけのようだ。顔を張って、俺はそいつを無理やり起こした。
「おい、起きろ!」
「何だブゥ?」
寝ていた一体はすぐに目を覚ました。
「ここに人間の娘が居ただろ。何処に行った?」
「うん、居たブゥ……今は居ないのか?」
「周りをよく見ろ」
「……ああ、そうだ。何か交尾の後に眠くなったブゥ。それで寝ちまったブゥ」
確かに部屋の汚れ方を見てると、何かがあったことがわかる。だが肝心の人間は何処にも居なかった。
「寝ている間に逃げられたかもブゥ」
「……そんな馬鹿な」
この砦には300体のオークが寝泊まりしている。そんなオークがうようよしているなか、ひ弱な人間が一体だけ逃げ出して、騒ぎになっていない。そんなことがあるのだろうか?
俺が起こした仲間は妙に顔色が悪い。緑色の肌が、やたらと薄いのだ。だが体調が悪いわけではないようで、随分と機嫌がいいようだ。
「ビックリしたブゥ。人間の女っていうのは、あんなにいいものなのか?」
「そんなに良かったのか?」
「良かったブゥ。当分はしなくても十分」
仲間の目は妙に遠くを見ており、何とも満足そうだった。普通ならば女を慌てて追いかけると思うのだが、そんな様子もない。
俺の経験が何もかもが異常だと言っていた。だが異常な出来事も、特に実害が無いのであれば、行動することもない。女が逃げても、周囲のオークが追おうとしないのならば、俺も一人で追うことはないだろう。
仲間が絶賛する人間と、交尾が出来なかったことを残念に思いながらも、俺はその場を離れるしかなかった。
翌日もまた人間の雌が捕まった。砦をパトロールしていたところ、俺と同じく巡回していた同僚が教えてくれたのだ。
何でも門に堂々とやって来た女は、騎士を名乗って俺達を退治しに来たと名乗りをあげたらしい。
「そいつが驚くことに、全然大したことがなくて……ブヒッブヒッ」
同僚は腹を抱えて爆笑している。剣を振り回していた女騎士は、一合打ち合っただけで、剣を弾き飛ばされたとのこと。そんな弱者が俺達を退治しようとは……確かに片腹痛い。
「そいつは捕まっても、随分と生きがいいみたいだブゥ。おまえも楽しみに行かないか?」
「いや、まだ仕事中だ。サボってるのがバレるとうるさいからな」
この砦を仕切っているオークは、かなり腕っぷしが立つ。それでいて規則や仕事にはうるさいのだ。怠けているオークには、かなり容赦なく折檻する。そうやって仲間を脅して組織を作り上げて、砦まで築いたのだから、誰もボスには文句は言えない。
「確かに……それじゃ、また後で時間があったら来るブゥ」
「ああ、ありがとうな」
「雌が一匹だけだと、うっかり壊してしまうかもしれないけどな……ブヒヒ」
同僚は笑顔満面で去って行く。オークは同族の雌が一番好みだが、人間なんかも嫌いではない。少なくとも、リザードマンなんかよりは、よっぽどマシだ。
二日連続で人間を捕まえることが出来た幸運に、この砦に来て良かったと感じる。最近は森に来るオークが減っており、人間や野生の魔物に押されているのだ。砦を築いて、拠点を確保出来たのは僥倖だろう。
更には人間の雌も日々捕まえられている。これで山中の洞窟から仲間が流れて来なくても、人間に産ませて人数を増やすことが出来るだろう。
そんな俺の楽観は、その日の夕方に挫かれた。女がまたも消えたのだ。
「一体、どうなってるんだ?」
「どうもこうも女が逃げたんだろう」
「二日連続でか?」
この砦を仕切るオークの頭領を捉まえた俺は、今回の事件について話し合おうとした。だがこの砦を築きあげた彼は、あまり事の重大性を認識していないようであった。
「女の具合が良すぎて、ボーっとしていたらしい。逃げられるのも仕方ないブゥ」
「しかし……」
「まあ、次は逃げられないように、きちんと監視を置くブゥ。それなら問題ないだろう」
巨大な椅子に腰かけて、酒を飲むリーダーの姿に俺は落ち着く。トップがどっしりと構えていてくれているので、俺も不安が解消されたのだろう。人間の雌が二匹逃げただけの事件だ、非常に勿体ない出来事ではあったが、生死に関わるようなことではない。
「まあ、あまり心配するな。そのうち人間の村を襲って、人間の雌なんて幾らでも捕まえてきてやる……ブヒッ」
ニヤリと笑うリーダーは逞しかった。こいつならば、この一帯を支配する将軍……ひいては王になれるかもしれない。俺は頼もしい頭領の姿に、力強く頷いた。
そして次の日がやって来た。その日もまた午前のうちに、人間の雌を捕まえたらしい。何でも、丁度いい具合に成人したばかりの雌らしい。
またも多くの仲間が人間の雌につられて、繁殖するために集まっていく。だが何とは無しにその人数が少ない。前二日に人間の雌と交尾していたオークは参加しないらし。どうも昨日、一昨日の余韻がまだ抜けていないみたいだ。
「今度こそ逃がすんじゃないぞ」
「分かったブゥ。見張りを残すブゥ」
交尾目的の仲間が、まだ若いオークに見張りを命じる。もちろん性欲旺盛の仲間が素直に聞くわけはない。
口論から仲間同士で喧嘩が始まるが、俺には関係が無い。砦内のいつもの巡回に向かうため、俺は争っている集団から離れた。
その日の砦は静かだった。砦は仲間の数が多いため、いつもならば喧騒が巡回していても聞こえてくる。だがこの日はやけに静かであった。外の森から、鳥のざわめきまで聞こえてくるくらいだった。
異常を感じたのは、一時間ほど歩き回ったあとだ。
「おい、どうした?」
とある部屋の前を覗き込んだ際に、仲間たちが床に倒れているのが見えた。休憩室のように使っている一室だが、そこに居た全員が倒れていた。
慌てて俺は一人に駆け寄って抱き上げる。最初は毒を盛られた可能性が頭を過ぎったが、口から泡や血を吹いている様子は無い。うっすらと目を開けたのを見ると、意識もあるようだ。
「どうした! 何があった!?」
「わ、わからない……で、でも、力が入らない」
仲間の緑色の顔はやけに色が薄く、手足も動かせないほど衰弱しているようだった。何らかの魔法による攻撃かと、パニックになる。だが俺自身には、仲間のような異常は見られなかった。
「助けを呼んで来る」
仲間は衰弱しているが、今すぐできることが浮かばない。せめてベッドに運んでやらねばと思い、助けを呼ぼうとする。
俺は部屋を駆けだして、慌てて隣室に駆けこむ。そしてそこで俺を待っていたのは、同様に衰弱した仲間だった。
「ど、どうなっている……」 俺はひたすら砦の各部屋を回っていく。見かけるのは憔悴して、倒れた仲間達ばかりだ。この世に俺一人だけ取り残されたような錯覚を覚える。
「おい!」
「おお、無事だったか!?」
「お前は大丈夫かブゥ?」
廊下で駆けて来た仲間を見たときには、心底ほっとした。無事な奴もいるようだ。俺達の話し声を聞いたのか、次々と仲間が集まってくる。
「いったい何が起こってるんだブゥ?」
「わからない……何者かの攻撃か?」
「人間どもか?」
倒れている仲間のために、すぐにでも動くべきなのだろうが、不安からついつい話し込んでしまう。誰もがどのように動いていいかわからないのだ。
そんな中、仲間の一人が廊下の通路に飛び込んできた。何かに追い詰められたように、顔の表情が恐怖で固まっている。廊下の壁にぶつかったそいつは、背後を振り向いた。
そして黒い鞭のようなものが伸びて来たと見えた瞬間、そのオークはあっという間に曲がり角の向こうへと引き寄せられていった。あまりの勢いに、オークが飛んだかのように見えたほどだ。
「ぶ、ブヒッ!?」
「な、な、何があったブゥ」
唐突な出来事に仲間が騒ぎ出す。
「侵入者だ……」
「まさか……仲間が動けないのも」
「そいつの魔法かもしれないブゥ」
誰かの推測ではあったが、侵入者ならば倒さなければならない。俺達は未知なる敵に怯えてはいたが、誰かが攻め込んで来たというのならば、虚脱した同胞の説明もつく。
「魔法を使う相手なら、使う前にやらなくては……」
「全員でかかれば、倒せるブゥ」
強力な魔術師か幻術師が敵であろう。そういう相手の際には、呪文を使わせる隙を与えないのが肝心だ。故郷である世界の背びれ地下でも、同胞の呪術師などがいた。そういう者達に魔法を使わせないための方法は、先手を取るしかないと俺達は教え込まれている。
「行くブゥ!」
一人の掛け声に、俺達は一斉に通路を曲がる。相手は人間の術士に違いないと思い、即座に手持ちの斧を構える。だが曲がり角の先に居たのは、何か別のモノだった。
それは一見すると長い黒髪をした人間の雌だった。床に膝をついて俯いているので、その表情は見えない。布地が少ない服を着ており、驚くほどに白い肌をしていた。
その雌は通路に倒れているオークの一人に近づく。衰弱して動けない仲間のうちの一人だろう。それの上半身を引き起こすと侵入者はオークの顔に手をかけて、くるりと捻った。全く力を入れているようには見えない、それなのに同胞の頭蓋が百八十度反転する。
「ひっ!」
首を折られたオークの姿が、パッと消える。そしてそいつはこちらに向かって顔をあげた。
前髪が邪魔になってどのような顔つきをしているかは、全く見えなかった。ただ毛の隙間から紅い光が二つ、こちらを見据えていた。それは俺達を食う、肉食獣の目だった。
「うあっ」
「ひぎっ!」
二本の鞭らしきものが、そいつの両手から伸びた。それは二人の仲間に絡むと、あっという間に引き寄せた。先ほど、通路に駆けこんで来た奴がやられたのはこれか!?
「ギャヒッ!」
「ブフッ!」
そいつは仲間を手元に引き寄せると、先ほどと同じように首をクルリと回す。ポキリポキリと音がして、仲間の首があらぬ方向に曲がった。
「こ、この化け物め……ブヒィッ!?」
怒りに燃えて駆け出した仲間に、鞭が絡みつく。引き摺られて引き寄せられた仲間は、すぐさま首を捻られて沈黙した。そしてすぐに姿が消える。
そいつ……その化け物が再び紅く光る瞳をこちらに向けたとき、俺達動けるオークの集団はパニックに駆られて逃げ出した。
「ば、化け物ブヒィ!」
「何処から来やがったんだ」
立ち向かうべきだと僅かに思うのだが、それを上回る恐怖が俺を走らせる。仲間と共に俺は走って逃げようとする。
「ヒッ!」
微かな叫びと共に、横で走っていた同僚の姿が消える。後ろに鞭で思いっきり引っ張られて、手元に引き寄せられたようだ。遠くから骨の折れる音が聞こえる。
「いやだ、いやだブゥ、いやだ……ああっ!」
砦の階段を駆け下りていたところ、仲間の首に鞭が巻き付く。僅かに振り向くと、天井に片腕だけでぶら下がった化け物が見えた。仲間の首が釣り上がり、足をバタつかせている姿に、俺は死ぬ気で走り続ける。
永遠とも思えるほどの時間をかけて、砦の建物を出ることが出来た。あとは門を抜けて森を抜けるだけだ。
「ヒギョッ!」
「ピグッ!」
だがあと少しというところで、建物の入り口から鞭が伸び、二人の仲間が倒れ込む。恐怖に目を見開きながら、オーク二人が建物の中に引きずり込まれた。
門を抜け、俺と生き残りは森へと飛び出る。固まって逃げる仲間達から離れ、俺は別の方角を目指した。化け物が追うならば、一人より集団を狙うと思ったからだ。
俺の考えは当たっていたらしく、別れた仲間の叫び声が遠くから聞こえる。俺は一人でも多くの仲間が助かるように祈りながら、走り続けた。
一昨日に捕まえた人間の雌、あれが始まりだったのだ。
証拠は無いが、人間の雌が三回も一匹だけで見つかり、二回も逃亡するなどありえない。人間の雌だと思っていたのは間違いで、最初から化け物を引き入れていたに違いない。
仲間が動けなくなったのも、あの化け物が前日、前々日と何かしたに違いない。魔法かと思ったが、その兆候もなく、あんなに多くの仲間がやられるはずがない。
世に聞く奈落の魔神、地獄の悪魔、辺獄の魍魎だったのかもしれない。いや、そうに違いない。恐怖に駆られた俺は二昼夜も西に走り続けた。




