百七十三日目 死者の泉
ゾンビとの死闘を始めて、早数時間が経過した。俺はひたすらピョンピョンと跳ねて、ゾンビ達を踏み潰し続けている。
幸いなことに、こんな激しい上下の運動をしているのに、サキュバスの身体は全く疲れたり苦しくなったりしない。七、八メートルの高さに跳ぶのも楽勝で、地面に着地しても痛みや痺れなども全くない。自分でも呆れるような頑強な身体だ。これならば、まだまだ戦い続けることが出来る。
亡者の森から現れるゾンビより、俺が倒すペースの方が今は上回っている。当初は近寄って来たゾンビを相手に、ヴォルフ達が戦っていた。だがもうゾンビを倒しつくしてしまったため、手持無沙汰になっている。草原でどっかりと座り込んでいる。
「リモーネ様」
カルムーラが声を張り上げているのが見える。俺は最後に踏んだゾンビを土台にして、水平にジャンプする。すぐにカルムーラ達の目前に移動して、着地する。
「お待たせしました。何でしょうか?」
「リモーネ様、大丈夫ですか?」
「はい、問題ありませんわ」
「少しお休みになられては?」
「私はサキュバスなので、平気なのですが……では、お言葉に甘えさせて頂きましょう」
俺も膝を曲げて脚を横に倒すように座り、四人で円陣を組んだ。カルムーラが水の入った袋をくれたので、せっかくなので飲ませて貰った。
「リモーネ様はお強いですね……想像を遥かに超えていました」
「いいえ、まともに戦ってはゴーム様に敵わないかと思います。ただ私は疲れを知らないので、一定以下のモンスターならば延々と戦い続けることが出来るだけです」
「果たして私の方が強いでしょうか」
ゴームが上目遣いで俺の力を見測るように見てくる。力強い視線が俺を射竦めるように、こちらに突き刺さる。
うーん、確かに俺の身体能力自体は人間を遥かに超越している。だが俺には武器を操る技量や、強力な秘術魔法の知識が無い。平和な日本出身なのだから当たり前だ。攻撃された際に回避できる自信は全く無い。今のこの距離でゴームに襲い掛かられたら、ハンマーで殴られてすぐに昇天してしまうだろう。
「私は生まれて一年も経っていない未熟者です。幾ら膂力があろうとも、達人と呼ばれる人々には敵いません」
「しかし……」
「ヴォルフの方がよほど強いですわ」
俺に敵意を向けて来たゴームを、ヴォルフは目を細めて見ている。ゴームが動いたら、手元の鎖剣が飛ぶに違いない。ゴームはしばらく俺とヴォルフを代わる代わる見ていたが、やがて大きく息を吐いて力を抜いた。
「すみません。どうしてもリモーネ様がサキュバスということが、受け入れられないものでして……」
「それも無理ないかと思いますわ。ですので、私の行いを見て、判断して頂ければと思いますわ」
何とかゴームににっこりと笑顔を作ってみせるが、内心はドキドキだ。このおっさんが持ってるハンマーで殴られたら、死なないまでもごっそりとエネルギーを持っていかれてしまうだろう。
「さて、それでは浄化を継続しましょうか」
俺は立ち上がると、ゾンビ退治を再開する。動く死体をストンピングするだけの、簡単なお仕事だ。このペースで続けると、平原に出てきたゾンビは遠からず無くなるだろう。亡者の森の中では幾らでもゾンビが居るんだろうが、木の枝や霧が邪魔になるに違いない。どうしたものか……。
考え事をしながら上下運動をしていたのが、油断に繋がったのだろう。池の近くに居るゾンビを踏み潰した俺の脚を、池から伸びた手がいきなり掴んだのだ。
「キャァ!」
うおお!? 思わず自分でも驚くほどの可愛い悲鳴が、俺の口から洩れた。
池から出た手はゾンビとは比べ物にならないほどの強い力で俺を引っ張ろうとする。ゾンビと同じような死体の手だが、よく見るとうっすらと青く光るオーラを纏っている。
「リモーネ様!」
「くっ……」
池の手はかなりの力で俺を水中に引きずり込もうとする。だがオウルベアやオーガに比べれば、まだまだと言うべきだろう。
「でやあっ!」
思いっきり俺が足を頭上に蹴り上げると共に、池の中からアンデッドが飛び出してきた。足に相手が掴まっているのを利用して、足を振り抜いて青く光るアンデッドの身体を地上に放り出す。こいつが話に聞いていたレイクワイトだろうか? アンデッドは上半身を起こし、青く光る目に憎しみを乗せて、俺のことを見てくる。
「このっ!」
跳躍して落下速度に乗せて、ワイトの背中にストンピングする。だが相手は何事もないかのように身体を再び持ち上げる。
「くっ……」
攻撃が足りないと判断して、俺はワイトに馬乗りになると、思いっきり殴り始める。自分の持てる限界のスピードでラッシュをかけて、両方の拳をレイクワイトに叩き込んだ。だが相手が地面にのめり込むまで殴っても、ワイトは一向に動きを止めない。
「リモーネ様! ワイトは魔法か、魔法の武器が無いと、攻撃が効きません!」
「魔法……そうでしたか」
俺は右手を思いっきり引いて、振りかぶる。
「ターンアンデッド!」
思いっきり叩きつけた腕から、聖なる波動を放つ。ターンアンデッドはいわゆる、お祓い能力だ。魔力を使わないという明確な利点がある一方、幾ら魔力が回復しても使える回数が日によって決まっているという弱点もある。聞く話によれば、邪神だろうが善神だろうが、神官ならば使える能力らしい。
俺は通常のターンアンデッドではなく、拳からワイトの体内に発現するように能力を発動させた。ワイトの体内からゆっくりと光が漏れたかに見えると、途端に爆発的に光が溢れ出す。そして激しい爆音と共に、ワイトの身体が灰となって爆散した。
「リモーネ様、今のは……」
俺が立ち上がると、ゴームがゆっくりと近づいてくる。彼は灰になったアンデッドを見て、驚いているようだ。
「ターンアンデッドです」
「ターンアンデッド!? 今のがですか?」
「はい……しかし、勿体なかったかもしれませんね」
ターンアンデッドは通常は複数体に有効な除霊を行う。一体のみにぶつけるのは非効率的だったかもしれない。
「私の知っているターンアンデッドとは全く違うものなのですが……」
「まあ、方法は何でもいいのです」
ゴームは困惑しているようだが、何も馬鹿正直にターンアンデッドをする必要はないのだ。大体、高位のアンデッドには、ターンアンデッドの効果を抵抗されることも多い。それなら相手の体内で発動させて、消し飛ばせばいい。
「『神聖武器』」
俺はゴームとヴォルフの武器に攻撃力強化と神聖な力を付与する。そして池に近寄ると、水面へと手を近づける。すぐさま水中から伸びた手が、俺の腕をがっしりと掴んだ。
「行きます!」
フィッシュ……じゃなくて、かかった! 俺は身体を捻り、その勢いでレイクワイトを池から思いっきり引きずり出す。俺の細腕を潰さんとばかりにワイトは掴んでいるので、丁度いい。駒みたいに回転した俺は、遠心力を使って思いっきりワイトを地面に叩きつける。その衝撃で、ワイトは地面に転がる。
「ヴォルフ! ゴーム様!」
「お任せ下さい!」
「あ……わ、わかった」
俺の呼び声に応えて、ヴォルフが即座にレイクワイトの胸を刺す。武器に魔法を付与したためか、ヴォルフの鎖剣は深く突き刺さった。ワイトが手を振り回して反撃する前に、ヴォルフは剣を離して距離を取る。
「うおおお、『聖なる一撃』!」
少し遅れて、ゴームのハンマーが思いっきりレイスの顔面に叩きつけられる。そして光が天へと立ち上った。『聖なる一撃』は神聖魔法に珍しい、強力な攻撃で、アンデッドやデビルなど悪しき者達に強烈に効く。
「ごはあっ!」
案の定、『聖なる一撃』はレイクワイトに凄まじい効力を発揮した。電気ショックでも食らったかのように、ワイトの身体が海老ぞりに跳ねると、口から煙を吐き出しながら塵へと変わっていったのだ。
「お見事です」
「ふう……まあ、それほどでも無い」
ヴォルフの賞賛に、ゴームは額の汗を手の甲で拭う。ヴォルフほどの達人が褒めるってことは、ゴームはかなりやるんだろう。
「次、行きますね」
「なにっ!?」
俺が再度同じ方法で池からワイトを引きずり出して、地面に叩きつける。ゴームとヴォルフは慌ててワイトに攻撃する。
ゴームもヴォルフも、俺なんかより遥かに腕が立つ。レイクワイトはかなりの怪力を持つ怪物だが、達人二人ならばどうということはないだろう。平原に倒れたワイトを攻撃する二人の腕に感心しながら、俺は再度池の上に腕を伸ばす。
「それでは、次が参りますわ」
「なにっ!?」
「足も掴まれたので、追加でもう一体です」
「なんだとっ!?」
俺は片っ端からレイクワイトを陸に放り上げていく。ゴームは慌てて、ヴォルフは冷静にワイトに何度も攻撃して止めを刺す。『神聖武器』がかかっているとはいえ、ワイトは達人たちの一撃では倒れずに、何度も攻撃が必要だった。何だかワイトのことが、船内で暴れて怪我人が出ないように、釣った後にすぐ撲殺されるカジキマグロに思えてきた。
「どんどん行きますわ」
「ま、待ってくれ。倒しきれない!」
「リモーネ様、申し訳ありません」
俺は遠慮せずにワイトをほいほい投げていたら、待ったがかかった。確かに倒しきれないワイトが立ち上がり、ゴーム達に飛び掛かろうとしている。いかん、少々調子に乗り過ぎた。
「『聖なる一撃』」
こちらに背を向けているレイクワイト一体に、背後から飛び蹴りと共に神聖魔法を叩き込む。神聖魔法のいいところは、他の神官が使っている魔法を見て使いたくなった際に、神様にお願いすればすぐに自分も使えることだ。そもそも使える魔法の階位が増えれば、大体どんな魔法が使えるのかわかっているのだ。ぶっつけ本番でも、問題はない。
『聖なる一撃』を食らったワイトは、爆発的な輝きを放った後に灰になる。着地した俺は立ち上がっているワイト達の脚に鞭を絡みつかせ、片っ端から転倒させる。大したアシストではないが、ゴームもヴォルフも相手が倒れているアドバンテージを生かして、次々とワイトを処理していく。まるで手慣れた様子でカジキマグロを殺す漁師のようだ。
しかし、このレイクワイトというのは、次から次へと出てくる。青く光る水面を見てるだけではわからないが、かなりの数が泉に潜んでいるようだ。増殖したブラックバス並みに居るのではないだろうか。一体一体引き上げてもいいが、もっと簡単にどうにかならないだろうか……。
試しに水中でターンアンデッドを使ってみるが、どうも反応が弱い。青い不気味な光を放っていることからわかるように、この湖面の水自体が何か悪いものなのかもしれない。
レイクワイトを時たま池から引き摺り出しながら考え続ける。そして、そのうちブラックバスのことが頭に浮かんだ。外来魚の駆除は大変ということと、日本のテレビで池の水を抜く番組があったのを思い出した。この池の水、抜けたら対処しやすいのではないだろうか。
「ゴーム様、ヴォルフ、試したいことがあるので、よろしいでしょうか?」
「なんでしょうか?」
「池の水を抜いてみたいです」
「はぁ!?」
俺は池の水を見ながら、アイテムボックスに移すようなイメージを描く。その途端に池の水面に渦が巻くのが見えた。おお、自分のアイテムボックスに池の水が入って来るのが、俺にはわかった。
「り、リモーネ様、これは一体……」
「ちょっとした能力です」
ヴォルフが唖然としながら、水面を見ている。試しにやってみたら、あっさり出来てしまったが、どうやって水を抜いているかの説明は考えていなかった。
「ぐおぉ」
そうこうしているうちに浅くなった水面から、レイクワイトが手を出し始めた。恐ろしいことに、かなりみっちりと居やがる。
「よいしょ」
俺はアイテムボックスの中から、一番巨大な岩を取り出す。馬鹿力が備わっている俺でも支えるのにかなりの力が必要で、SUVの車程度はあっさりと潰してしまうぐらいの大きさがある。巨大な岩を見て、ゴーム、カルムーラ、それにヴォルフまで驚いて、目を見開いている。
「『神聖武器』」
メガン様の力を借りると、岩が淡い光を放つ。そして岩を眼下のレイクワイトの上に落とした。
「よいしょ、よいしょ」
巨大な岩石を持ち上げたり落としたりして、水中のレイクワイトを圧し潰す。アンデッドによく効く『神聖武器』を付与しているので、効果覿面だ。
しかし魔法が付与されていないと、物理攻撃が効かない怪物が居るっていうのは凄い世界だな。どんな重さの岩を乗せても、潰れないのだろうか? 下手すれば、核ミサイルの直撃を受けても平然としてるってことだよな。
「リモーネ様……もう大丈夫かと思います」
「あら、そうでしたか」
巨大な岩を、餅つきのようにぺったんぺったんとしてたら、ヴォルフが待ったをかけてきた。アイテムボックスに吸い込まれて水が抜けた泉を見ると、底の方でグチャグチャになったワイトの塊が見えた。とりあえずこの泉の中に居るアンデッドは退治できたようだ。
「ヴあーあぁぁ」
「おごぉぉ」
泉を一つ潰されて危機感が出てきたのか、あちこちの泉からレイクワイトが出てくる。かなりの泉があるため、相当な数だ。ゾンビと違って耐久力が高いため、先ほどのストンピング戦法では倒しきれないだろう。
「リモーネ様、この数は……」
「一旦、引きましょう。ゴーム、カルムーラ、傍に来てください」
ヴォルフに警告されるまでもなく、俺は撤退するつもりだ。ゴームとカルムーラは戸惑っていたが、危機感はあるようで、俺の指示通りにすぐ近くへと集まってくれる。
だが単に撤収するのは癪だ。ここは一発、かましておくべきだろう。
「ターンアンデッド!」
俺の掲げた右手から、四方八方に光が迸る。途端に巨大なダンプカーが激突したかのように、レイクワイトの身体が粉砕されて弾け飛ぶ。こういうときに、メガン様の力を強く感じる。凄い威力だな、これは。
だがターンアンデッドで粉砕できたワイトには限りがあった。二十体近くは昇天させたが、それ以降は光に怯えるように逃げただけだった。まあ、お祓いの力なので仕方ない。かなり高位のアンデッドになると、効かないかもしれない。
「帰還します」
俺はかけ声と共に四人で転移した。




