百六十六日目 馬車の旅
キリアヘインにある神殿のお偉いさん方から、俺は亡者の森の浄化を依頼された。オーク共と延々と戦い、オーガやトロールと戦った俺だが、ゾンビっていうのは初めてだ。ファンタジーらしくいイベントに、胸の昂ぶりを抑えられない。
もちろんアンデッドには神殿での無料診断で会っている。幽霊を見たのは初めてだし、それをターンアンデッドでお祓いしたのは初めての経験だった。なかなかこちらもファンタジーの定番で、楽しかった。それでもゾンビとの戦いとなると、別の興奮を覚えてしまう。ゾンビものの映画や番組は、以前の世界では散々に楽しんだからだ。
旅の準備を終えて、メガン神殿前で俺達は同行者を待つ。今回の旅では俺ことリモーネ、ヴォルフ、カルムーラ、それにマイオスの神官が同行することになっている。
カルムーラは当初は同行の予定は無かったのだが、ヴォルフがお偉いさん達の思惑を教えたので、憤って同行者に立候補したのだ。なんでわざわざトラブルになるのに、ヴォルフが彼女にそんな情報を吹き込んだのか、最初は戸惑った。
だがメガン神殿には聖女派とも言えるシンパが増えつつあるが、まだまだ少ない。そんな中でも明確な同士であるカルムーラには、真実を告げて共感して欲しかったのだろう。案の定、カルムーラは激怒したうえに、冒険に行く俺を案じてついていくと言った。最初は何が何でも残そうと思ったが、彼女にとってアンデッド退治はいい経験になると考え直した。アンデッド相手に魔法を使えば、見習いを卒業する近道に思えたのだ。
連れて行くと告げた際には、カルムーラは喜んでくれた。きっちり彼女を守ってあげないといけないだろう。
「それで、マイオスの神官は誰が来るんだ?」
「ゴーム殿ですね」
俺は聞いたことが無い名前だったが、カルムーラは目を見開いて驚いていた。
「あのゴーム殿ですか?」
「そうだ、神槌のゴームだ」
「……どなたですか?」
「これは失礼しました。ゴーム殿はキリアヘインで高名なマイオスの神官戦士で、神槌のゴームという二つ名もお持ちです。若い頃から冒険者と名を上げ、今でも活躍されています」
ふーん、ローカルな有名人か。冒険者でもなんでもなかったカルムーラが知っているっていうことは、かなり名を上げているのかな。
「ヴォルフとどちらが強いのでしょうか?」
「ゴーム殿ですね」
即答だな、おい! 俺が足下にも及ばない鎖武器の達人であるヴォルフより、はるかに強いっていうのはどんな化け物だ!?
「武器のみでは負けてはいないかもしれませんが、ゴーム殿は神聖魔法も、かなり高位の魔法を使うようですので」
「なるほど。神聖魔法の差ですか」
確かにヴォルフはまだ神聖魔法の扱いが十全ではない。もし武器の技量で互角ならば、魔法で大きく差がつくだろう。神聖魔法は自己強化もできるし、回復に大いに役立つ。信仰する神によっては攻撃の魔法でさえあるのだ。
しかしそんな強力な戦士を俺につけるっていうことは、神殿側も本気で亡者の森の浄化を考えているのか? 聞いた話では、厄介者を追い払うような形だったはずだが……俺を殺すのはまずいと考えているんだろうか? 俺を死地に追いやるつもりはないということだろうか。
「来たようです」
ヴォルフの視線が示す先から、二頭立ての馬車がやってくるのが見える。そして馬たちを堂々と御している偉丈夫がいた。髪は灰色だが、全身を鎧に包んでいる精悍な男だ。
「お初にお目にかかります、ゴームと申します」
馬車を止めたゴームは、身軽に飛び降りて俺に頭を下げる。腰にでかいハンマーを吊っているのが見えた。噂通りの神官戦士なのだろう。
「リモーネと申します。噂に名高いゴーム様にお会いできて光栄ですわ」
「聖女様にそのように呼ばれるのは、恐れ多い。ゴームと呼び捨てにして下さい」
顔はいかついおっさんだが、礼儀正しく腰が低いな。マイオスの神官らしい生真面目さを感じる。正義の神とか、色々ルールにうるさそうな感じがする。
「それでは参りましょう……荷物が随分と少ないように見受けられますが?」
「大丈夫ですわ。大抵の物は、こちらのバッグに入っていますわ」
俺は持っている魔法のバッグをポンポンと叩くが、ゴームのおっさんは驚いた顔をしていた。俺が持っているバッグが、物の重さが増加するバッグだと気付いたのかもしれない。
下手にツッコまれる前に、俺は馬車に乗り込んだ。ヴォルフとカルムーラが後に続く。
車内の内装は木材が丁寧に仕上げられており、思った以上に綺麗だった。馬車の旅もいいかもしれないと思ったのも束の間、馬車が走り出すとたちまちガタガタと激しく揺れ始めた。うん、サスペンションが無いと、こういう乗り心地になるよな。ヴォルフとカルムーラは軽く眉を寄せただけで、すぐに普通の表情へと戻った。馬車に乗り慣れているんだな。
動き出した馬車は一時間ほどで巨大なキリアヘインを抜けて、街道へと抜けていく。街道へと出ると、たちまち視界が開けて、広大な小麦畑が窓から見えてくる。
「あぁ……街の外はこんな感じでしたね」
外の風景を、カルムーラが目を細めて眺める。
「あまり街の外に出たことが無いのですか?」
「ええ。ずっと街で過ごしてましたから……産まれて初めての旅です」
カルムーラは嬉しそうに笑う。美人が笑うと絵になるな、見てるだけで癒される。
「私は両親が居なくて、孤児としてスラムで育ちました。その後は売春宿に身売りして……こんな街なんか捨てて、外に出れば良かったでしたかね」
カルムーラは遠くの景色を見ながら呟く。娼婦になったがために、病気で死ぬ寸前に追いやられたのだ。街を捨てたくなるのも理解できる。
「外も生きるのは難しい。村で食えなくなった女や次男や三男などが、大都市に流れ込んでいるのを見てもわかるだろう」
「確かに田舎から出て来て酷い目に合っている人はいっぱい見ましたね」
「農地を持っていないのなら冒険者をするぐらいしかないのだが……これも危ないからな。十年後には三分の一になっているという」
首を振るヴォルフにカルムーラも遠い目をする。どうもダルキス王国は生きるための難易度が、かなり高い気がする。ヴォルフは酷い火傷をしていたし、カルムーラは死病でいつ死んでもおかしくなかった。俺は無料診療をしたが、どれだけ人の役に立ったかわからないな。
「私が……」
「リモーネ様?」
「私がこれからはついています。多くの人を救うことは私にはできないと思います。ですが、貴方達二人が困るときには、何らかの手を差し伸べられると思います」
俺がカルムーラとヴォルフの手を取ると、二人とも目を見開いて驚いている。この世界の常識などには疎いが、俺の怪力と神聖魔法、それに資金力があれば何かの役に立つと思う。既にアンデッドだらけの危険地帯に向かうという任務に巻き込んでいるが、この二人は守らねばならないと思う。
「大丈夫です。これからはきっと……」
「恐れ多い……私は恩も返せてないのに」
「ありがとうございます……ありがとうございます」
ヴォルフもカルムーラも俺の手を握りながら、いきなり泣き出してしまった。特に男のヴォルフが泣いたのにはかなりショックを受けた。
そんなに俺って、頼りがいがあるように思われてるのかな? ただのサキュバスなんだが……。でもまあ、二人は酷い目にあったことだし、少しでもいい人生へのお手伝いが出来たら俺も嬉しいかな。
馬車での旅は歩かなくて済むので、楽チンだ。馬車ではヴォルフとカルムーラと雑談しながら、ひたすら座っているだけでいいのだ。
よく考えれば、こんなにのんびりとお喋りした記憶があまりない。いつもオークの精を絞ったり、オークを踏みつぶしたり、剣の修行をしたり、売春したりとせわしなかった気がする。こういう機会を逃す手は無く、雑談でこの世界についてヴォルフやカルムーラから情報収集を行う。風習や文化など、俺はこの地域について知らないことばかりだ。田舎から出て来た聖女ということで多少目を瞑って貰っているが、それも限度があるだろう。
ときたまジャイアントマンティスやらウルフ、ゴブリンなどが出て来て道を塞ぐ。だがそれもゴームやヴォルフが馬車から飛び降りて倒してくれるから楽だ。特にゴームなんかは、俺を守るために率先して働いてくれる。真面目な人間がいると、俺みたいな怠け者はついつい楽してしまう。
「リモーネ様は落ち着いておられますね」
「そうでしょうか?」
のんびりと周囲を見回している俺に、カルムーラが恐る恐るという様子で話しかけてきた。馬車の前を八体のジャイアントアントが塞いでおり、ゴームとヴォルフが立ち向かっている。巨大な蟻と人間が戦っている様子は、緊迫感があって迫力もある。俺とカルムーラは馬車から降りて、その様子をただ見学している。
「怖くありませんか?」
「なんでしょうね、この程度ではあまり怖くないかもしれません」
巨大アリは牛よりでかいので、脅威に思うべきなのだろう。だが、俺はこの蟻の数十倍は大きい、巨大なムカデを召喚できるのだ。そう考えると、目の前にいる巨大蟻も、ちっぽけな昆虫に見えてくる。
だがまあ、数が多いのは脅威かもしれない。ヴォルフもゴームも頑張って牽制しているが、相手は八体だ。数の差は否めない。二人を迂回してジャイアントアントが、こちらに来ないようにするのに手一杯で、なかなか攻撃を仕掛けられないようだ。
「リモーネ様!」
ゴームが受け持っていた蟻の一体が、ゴームと間合いを取って、こちらに突っ込んで来る様子を見せる。カルムーラが慌てて俺を庇うように前へと出る。戦闘については素人なのに、俺を守るつもりらしい。そんなに気を使って貰わなくていいんだが……。
俺はアイテムボックスからこっそりと石を取り出す。人間の頭と同じサイズなので、俺にとってはさほど重くない。片手で岩を持ち上げると、俺は思いっきり投げつけた。
「えっ!?」
蟻の頭にぶつかった石に、カルムーラが驚きの声をあげる。ゴームも蟻と対峙しているのに、思わず石を食らった相手をまじまじと見てしまうほどだ。
投石では牽制にしかならないと思っていたが、石は蟻の頭をかち割って、大量の体液を噴出させた。負傷した蟻はヨロヨロしていたが、やがて崩れ落ちて動かなくなった。
「リモーネ様、今のは……」
「当たり所が良かったのでしょう。私も黙って見ているのは良くないので、お二人を援護しないといけませんね」
何だか投石では驚かれるみたいだし、俺も投げる石のコントロールにさほど自信があるわけではない。物理ではなく、魔法で援護しよう。
「『怪物召喚』」
俺の祈りに応えて、三体のジャイアントマンティスが現れる。蟻の甲殻に蟷螂の斧がどの程度効くかわからないが、少なくとも蟻の注意ぐらいは引くだろう。ジャイアントマンティスが目前の敵へと即座に襲いかかり、ジャイアントアントが迎撃する。
相対していたヴォルフとゴームは、蟻達の注意が逸れると同時に、相手の懐へと飛び込む。ヴォルフが鎖つきナイフで、一体の顎を何度も突き刺して絶命させる。ゴームも鋭い踏み込みでアントの頭にハンマーを叩き込んで、潰してみせた。
数が居るというのは戦力が高いということだが、数が大きく減ると一気に弱体化する。ヴォルフもゴームも硬い甲殻を分銅とハンマーで打ち砕き、四体のジャイアントアントをあっという間に屠る。残ったものも、ジャイアントマンティスが集ったかと思うと、たちまちに切り刻んでしまった。
うーん、俺も戦ってみたかったが、護衛が居ると肉弾戦を挑む機会が無い。
「リモーネ様はあの数のジャイアントアントを見ても、全然平気でしたね」
「ええ、驚きました」
ゴームとカルムーラは俺が動じなかったことに驚いているようだ。
「旅に出るとモンスターに遭遇するのは普通ですし、ヴォルフとゴーム様が居ますから」
「でも私は食べられるのではないかと、足が竦んでしまって……」
「慣れですかね」
元娼婦のカルムーラに、こんなバカでかい昆虫を見て、驚くなという方が無理だろう。俺も転生する前だったら、腰を抜かして失禁していたに違いない。平然としているのは、俺が蟻なんかより高位のモンスターであるサキュバスだからだろう。
「ふむ……これは頼りになりますな。パニックにならないだけでも、有難いです」
ゴームは髭を弄りながら、俺を褒めてくる。外見だけを見れば、俺はおっとりとした巨乳神官だからな。そんなのがアンデッド浄化に駆りだされて、その御守りを頼まれていたのだ。苦労するのを覚悟していたに違いない。
「極力足を引っ張らないようにしますので、次もよろしくお願いいたします」
「いや、先ほどのように援護して頂ければ、全く問題無いでしょう」
何だか妙に安心した眼を向けられてしまった。うーん、さっきもほとんど何もやっていないんだが……。
「リモーネ様、よろしいでしょうか」
蟻の死骸を解体していたヴォルフが、俺のことを呼ぶ。俺が近寄ると、小声で話しかけてくる。
「幾つかの甲殻がいい武具の素材として売れそうなのですが」
「おお! そうなんですね」
「ただ、嵩張るものなので……」
「では私が預かりますね」
ヴォルフが並べたものを、ほいほいとバッグに仕舞っていくように見せかけて、アイテムボックスに入れていく。後でこっそり冒険者ギルドで売ることにしよう。
「それでは出発しましょう」
俺は馬車にどっかりと座り込むと、ゴームに頼んで馬車を出発させた。




