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元異端審問官のヴォルフ

メガン神殿の元異端審問官のヴォルフ



 リモーネ様が亡者の森に派遣されることとなってしまった。一応は浄化が可能かどうかを確認するという話だが、はたして帰還が許されるか怪しいものだ。何と言っても、海千山千であるキリアヘインの権力者たちによる決定なのだ。


 亡者の森への出発までに日はあまり無い。俺はなるべく早急に、今回の出来事に対する背景を探らなくてはいけなかった。


 まず俺の元上司であるメガン神殿の司教に尋ねたのだが、詳しい話は聞けず仕舞いだった。何か司教に対して都合の悪い話らしく、口を濁してばかりだった。脅せば吐くかもしれなかったが、一先ずは別の情報ソースに当たることにした。


 キリアヘインはスラム街が延々と続いている。その中でも一際寂れた家の前へとやって来た。周囲は暗く、飲んだくれて寝ている浮浪者の姿しかない。俺は静かに裏口へと回ると、一見すると鍵がかかっているように見える扉を操作して、中へと入り込んだ。


 家の中に入ると、俺は二階に続く階段脇の隠し扉を開けて、地下への段差を降り始める。この一見すると空き家は、各神殿の異端審問官が集まるための、秘密の家だった。


 異端審問官は各神殿から命令を受けて動くが、時には合同で事に当たることも多い。その際に神殿で集まることを他の神官が嫌がるため、集団で秘密裡に会議が出来る隠れ家を利用することが多いのだ。この隠れ家はそんな拠点の一つだ。


 昔の仲間達から、情報を集められないか、考えたのだが……。


「おっと……これはこれは、優男さんじゃないですか」

「ザットか」


 隠れ家で待機していたのは、ザットというマイオス神の異端審問官だった。


 この男は産まれたときから背筋が曲がっており、姿勢が常に大きく屈むような形で過ごしている。更に顔面の右側が大きく前方に突き出ており、顔つきが歪んでしまっている。顔の方も先天性の異常らしい。


 外見だけならば、以前の俺の方が化け物と言うに相応しい容貌だっただろう。その点は全く気にならない。問題なのはこいつは、嫉妬深いうえに執念深いというところだ。


 正義を愛するマイオス神の信者とは思えないくらいに、人を妬んではネチネチと苛めるという性癖がある。異端審問官にはピッタリと言える性格だが、その矛先が頻繁に仲間へと向かうため、審問官同士の中でも嫌われていた。


「異端審問官から、足を洗ったと聞いたんだが。顔の火傷跡が治ったんで、俺らみたいな人間とは付き合えないよな」

「確かに審問官の仕事は抜けたが、これは治療して下さったリモーネ様に仕えるためだ」

「ほうほう。仕えるっていうのはあれか、下の方のお世話もされたりするのか?」


 ザットの侮辱に、怒りで目の前がかっと赤くなる。思わず腰にくくりつけた鎖に手が伸びると、ザットも吊るしてあるこん棒に手を伸ばしていた。


「おっと、図星だったかよ」


 ザットは先天性の異常を持っているが、その戦闘力は決して低くない。そのこん棒に殴られて、命を落とした邪教徒の数は俺に勝るとも劣らないだろう。


 しかし恩人をバカにされて、平然となどしていられない。怒りが湧き出ると共に、訓練通りに頭の一部がさっと冷える。感情に左右されず、いかに効率よく戦うかの計算を脳が始めるのがわかる。


「てめえ、やる気かよ」


 睨み合ったザットの額に、汗が一筋流れるのを見て、怒りがすっと引いた。俺は構えを解くと、距離を離す。


「本気で戦う気が無いのならば、無用な挑発は止せ。こんな下らないことで戦う意味は無い」

「チッ」


 ザットは悔しそうに顔を背ける。こいつも無駄に戦うほど愚かではない。だがザットは頭ではわかっていても、挑発をしないと気が済まないという性格なのだ。残念ながら、腕は良くても、一流の審問官にはなれないだろう。


 リモーネ様を侮辱されたのは業腹だが、こんなことで俺とザットが死闘を演じても、あの方はお喜びにはなれないだろう。慈悲深く、人を救うためには魔力を得るためにトロールと寝ることさえ厭わないお方なのだ。俺が傷つくだけで、あの方は自分のことのようにお嘆きになる。


 俺の役割は、リモーネ様のために情報を持ち帰ることだ。愚者に対して、腹を立てている場合ではない。


「なんで……」

「む?」

「なんでお前はイケメンになって、俺はこんな身体なんだよ! 不公平だろうが!」


 忌々しそうにザットが俺を睨んでくる。なるほど……やはり、あれだけ醜かった俺が治ったことに腹を立てているのか。


「何でと言われてもな……」

「………」

「無料診断には行ったのか?」


 俺と違ってザットが奇形になったのは先天的なものだ。治らないとリモーネ様に言われたので、逆恨みしているのだろう。リモーネ様に責任は無いというのに。


 だがザットはきょとんとした顔のまま固まっていた。


「まさか行かなかったのか!? 無料で診ているのに?」

「い、いや、あれは金が無い者のための施しじゃないのか?」

「卑しい金持ちが無料だということで一部来てたが、リモーネ様は追い返さなかった。あれは万人のためのものだ」

「そ、そうだったのか……」

「全く……ほら、行くぞ」


 俺が入り口に向けて歩き出すと、ザットはますます理解が追い付かないという表情を浮かべる。


「リモーネ様に診て貰うんだ」

「えっ、え、え……」

「ぐちぐち不公平だなんだと……診て貰わなければ、治るかどうかもわからんだろうが」


 ザットの手を引き起こして、俺はメガンの神殿へと向かう。リモーネ様の診療に並ぶというのは、ザットの頭には完全に無かったらしい。普段から妬んでばかりいるから、目が曇るのだ。


 同じ異形同士であったこともあり、ザットの手腕には一目置いていたのだが、こんなアホだったとは。俺は評価をさげざるを得なかった。やはり黒い感情は目を曇らせる。


 しかし俺は初めてリモーネ様に会った際に、自分も攻撃を仕掛けたことをふと思い出して、悶絶することとなった。



 ザットは何やら恥ずかしがっていたが、俺は問答無用でメガン神殿に引き摺っていった。幸いなことにリモーネ様は神殿に居て、ザットの病状を見て貰えた。


「これは容易に治りますね」


 神殿の清潔な一室でザットの症状を見たリモーネ様は、事無げに彼に告げる。


「し、しかし、産まれたときから俺は……」

「お母様の胎内に居たときに、何かがあったのでしょう。ですが、本来の身体に関する情報が読み取れたので、治すのは容易ですわ」


 ザットは唖然としていたが、リモーネ様はそんな彼の様子に構わず、ベッドに寝かせる。


 リモーネ様の話によれば、人間の身体には元からイデンシなる、設計図が組み込まれているそうだ。そのイデンシに異常がある場合には、病を治すのに相当苦労すると言っておられた。逆にイデンシに問題さえなければ、治すのは遥かに簡単と述べられていた。


「『再生(リジェネレーション)』!」

「えっ、ちょ、ちょっと待ってくだ……あ、あ、あっ!」


 ザットの曲がった腰が、みるみるうちに真っ直ぐに伸びていく。その凄まじい奇跡に我が目を疑うほどだ。だが無理やり背骨などを矯正されたかのように見えたが、ザットが痛みなどで悶絶することは無かった。


「え、ええっ!? な、何が……」

「『再生(リジェネレーション)』」


 腰を治したリモーネ様はザットの顔面に手を当てる。ザットの奇妙な人相も変形を始め、みるみるうちに形が変わっていく。一分も経つと、そこには中年に差し掛かった、禿頭の男がいるだけであった。


「これは良くないですね……『再生(リジェネレーション)』」

「うええええっ!?」


 ザットの頭から髪が生えてくる。濃い茶色が頭を覆い、肩まで髪が伸びてしまった。


 これには俺もザットも驚きすぎて、反応することも出来ない。『再生』は高位の神聖魔法で、こんなにほいほいかけていいものではない。身体の欠損はともかく、髪を再生させるために大量の魔力など使うなど考えられない。


 そもそも『再生(リジェネレーション)』で髪なども治るものなのか? いや、よく考えれば俺の頭も髪が生えているのだ。この奇跡は髪をも治すのだろう。しかし……ハゲを治すためだけに使っていいのだろうか?


 長髪になったザットも、あまりの衝撃に口を開けたまま、身じろぎもしない。

「これでいいでしょう。今までと体形に大きな違いがありますので、当分はリハビリテーションに励んで、無茶はしないようにお願いします」


 リモーネ様はニコリと天使のような笑顔を浮かべる。それだけでザットの顔は真っ赤になってしまう。俺もついその笑顔に見惚れてしまう。


「な、何で俺を治してくれたんですか?」


 しばらくして漸く動けるようになったのか、ザットがリモーネ様に声をかける。


「メガン様の慈悲は遍く、困ったもののためにあります」

「しかし……」

「それにヴォルフの知り合いならば、なおさらです。見て見ぬふりはできませんわ」


 ザットは俺の顔とリモーネ様の顔を交互に見ると、肩を大きく落とす。リモーネ様の威光が、ひねくれたザットにも届いたのかもしれない。


「この恩をどのように返せばいいか……」

「そこで聞きたいことがある」

「なんだ?」

「お偉方の依頼で、リモーネ様が亡者の森へと派遣されようとしている。何か聞いていないか?」


 俺の疑問に、ザットは顔を歪める。


「リモーネ様……いや、聖女様は無料診療をされた」

「聖女ではなく、リモーネで構いませんよ」

「とんでもない、貴女は聖女です。お名前で気安く呼ぶなど、とんでもない」

「それで無料診療に何か問題が?」

「問題は、聖女様の無料診療が過失が無かったことです。無料で施しなどすれば、本来ならば神殿は咎めなければならない。だが聖女様はメガン神殿に診療代を寄付をされている。他の神殿としては客を取られて面白くないが、聖女様の行為には何ら問題が無かったのです」


 ザットは深くため息を吐く。


「聖女様に無料診療などを何回もされては、神殿としては収入を絶たれてしまう。なので、メガン神殿の司教に各神殿のトップが分け前を要求しました。聖女様の多額の寄付が平等に渡されれば問題は無かったのですが……」

「断ったのか!?」


 あの糞司教め、聖女が害されたと聞いた際には大声でわめいていた癖に、いざ金が絡むと金に走ったのか!?


「メガンの神殿に富を独占されては堪らない。だが聖女様のやっている行為を咎めることもできない。司教達は、結束して聖女様を遠ざける方法を探した。そこで亡者の森に派遣することによって、キリアヘインから遠ざけることにした」


 腐ってやがる。俺は怒りで頭が熱くなるのを感じる。リモーネ様のやっていることは神の意向に沿い、人々のためになる行為にほかならない。それを自分の欲得だけで、危険なアンデッドが闊歩する土地へ追いやるとは……。こんな恩を仇で返すことをよくも平然と出来るものだ。


「なるほど、わかりました。まあ、納得できる理由ではありますね」

「リモーネ様!?」

「聖女様!」

「神官とはいえ、ご飯が食べられないと困るのは道理です。他の神殿の方から敵意を向けられるのは本意ではありません。背景も分かったことですし、亡者の森へと向かいましょう」


 全く怒る様子を見せぬリモーネ様の姿に俺は戸惑う。


「亡者の森なんていう場所があるのならば、周囲の者達は困っているでしょう。それに対処しに行くのは我が役目として申し分ありません」


 この方は何処まで慈悲深いのだろうか……。自分のことではなく、常に周りのことを考えておられる。司教達への怒りなど湧かず、万民に仇なすアンデッドの被害を憂いておられるのだ。それに比べて俺の何ともちっぽけなこと……。


 胸に熱いものが溢れて、涙が出そうになるのを堪える。俺はこの方に出会うために産まれ、そしてメガン様の信者となったのに違いない。


 亡者の森に向かい、リモーネ様をこの身に代えても守ってみせる。俺の中で新たな決意が生まれる。


 ザットが恥じるような、それでいて酷く羨むような目で俺を見ているのが印象に残った。


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