百四十二日目 キリアヘイン
朝になると日が暮れるまでヴォルフと旅をして、夜間は娼館で働き、深夜はオークに聞き込みをしながら世界の背びれを目指すというルーチンを俺はこなすこととなった。以前よりスピードは遅いかもしれないが、仲間を放って俺だけ爆走するのも問題だ。今はこの方法で旅を続けることとする。
さて、モンスターを倒しながら西へと旅をしてきた俺達だが、五日目にダルキス王国の首都であるキリアヘインへと辿り着いた。キリアヘインというのは、とにかく広くゴチャゴチャしているというのが印象だ。城壁は長く延々と続いており、入り口の城門は中に入ろうとする人間が長い列を作っている。中で暮らせないのか、都市の外に家が幾つも建っている。
衛兵のチェックをクリアして都市の中に入ると、みっしりと家が立ち並んでいるという感じだ。それなのに、住む家が無い者達が道端などで寝ていたりする。ザクセンにもスラムはあったが、キリアヘインは何処もそんな雰囲気だ。
「何だかあちこちにスラムが広がっている感じですね」
「この都市は人が溢れかえってますので。食い詰めた農家の次男坊、三男坊などが首都に向かえばどうにかなると思い、大量に流れ込んでおります」
村がモンスターに襲われて滅んだ難民や、重税に耐え兼ねた農民など、様々な人間が集まっているとのことだ。しかし首都では人が余っており、貧民だらけになってしまったという。何とも救われない話だな。
「ザクセンでも似たように食い詰め者が多く集まっています。ですが、コーナリア王国は街道沿いの各都市が発達しているので、自然と分散するのです」
「一都市に人がバンバン集まったら、このようになりますわね」
「それで、リモーネ様はどちらに向かわれたいですか?」
「メガン様の神殿へ。ヴォルフについて、話し合わないといけませんわ」
「リモーネ様の御心を煩わせるようなことは……」
「そのようなことはありません。ヴォルフが大手を振って、私の旅に同行できるよう、骨を折るのは惜しむべきではありません」
「私のようなもののためにそこまで気を回して頂けるとは……この身をもって、お応えしたいと思います」
ヴォルフは俺の言葉に少し驚いた後に、何だかえらく感動しているようだ。感謝の言葉をもらってしまった。単にヴォルフはメガン教の暗部とも言える異端審問官だったから、後腐れが無いようにしたいだけなんだが……。やだよ、宗教団体の暗殺がウジャウジャやって来るのは。
ヴォルフの先導でメガン神殿へと向かう。街は下水はあるようだが、ゴミがあちこちに落ちていて汚い。おまけに多くのホームレスが寝ているんで、どうも歩きにくい。
更には俺もヴォルフも服は綺麗だから、金を持っていると思われて、住民がやたらと見てくる。素人に毛が生えた程度しか剣の腕が無い俺でも、隙あらば追剥ぎしようとしているのがその視線でわかる。何も持ってないんで、何でもやれるという視線だ。
途中で飢えた母親と、怪我をしているのか、黄ばんだ布を巻いている少女を見かける。どうにも見ていられなくて、声をかけようとしたが、ヴォルフが俺の腕を取って止める。
「申し訳ありません、リモーネ様。あの母娘を助けたいのはわかります。ただ、王都は神殿勢力が仕切っており、寄進が無い者を神聖魔法で助けるのは、禁止されているのです」
「……そうでしたね」
ここら辺の国では、神聖魔法でバンバン怪我や病気を治すと問題になると、俺もイエトフォス村では聞いている。なので農村を回っていたときもこっそり治していたのだ。それでも異端審問官なんて来たんだから、神殿勢力を舐めるわけにはいかない。
俺は諦めて、まずはメガン神殿へと向かうことに専念した。ごみごみしているとはいえ、王都は非常に広く、規模だけはあるようだ。幾つもの通りを超えて、ようやく神殿が見えてくる。石造りの非常に立派な建物だ。周囲には似たような建物が幾つかあり、ヴォルフによれば十大神の神殿とのことだった。
神殿に入ると、まずは巨大な礼拝堂が出迎えてくれた。正面には巨大なメガン像があり、中年の威厳ある女性の姿でこちらを見下ろしている。メガン様って、こんな姿なのかと思うと、もう少し若い姿がいいというようなメガン様の意思が、繋がっている糸から伝わって来る。メガン様ほどの大神でも、容姿は気になるのか……。
礼拝堂に椅子などは並べられておらず、信者は床に座って祈りを捧げるらしい。しかし礼拝堂は元居た世界の学校にある体育館並みの広さだが、信者の姿を全く見ない。
「どなたも居られませんね」
「祝祭の時期でないと、参拝はややまばらですね」
「外には人があんなに居られたのですが……」
王都は人がいっぱいなのに、ふらりと参拝には来ないらしい。やはり、治療とかの用事が無いと、来ないのだろうか。俺は日本の神社や寺をイメージしていたが、どちらかというと病院の側面が強いのかもしれない。病人や怪我人用の入り口が別にあり、用事がある人間はそちらから出入りするらしい。
既にメガン様との接続が出来ているのだが、一通りお祈りしておく。その後、ヴォルフの案内で、礼拝堂横の入り口に入り、通路を進む。神官達の事務所や個室などがある方向に行くという。これはオースフェリアの神殿でも似たような構造だったのを覚えている。
途中の道で、何度か女性神官とすれ違ったのだが、ギョッとしたような目つきでヴォルフを見ていた。ヴォルフは顔見知りらしく、無反応でそのままスタスタと進んでしまう。もしかして、ヴォルフの修復した顔を知らないから、見知らぬイケメン異端審問官にギョッとしていたのではないだろうか。
やがて幾つかの階段を上った奥の、巨大な扉の前へと俺達はやって来た。ヴォルフは躊躇なくノックしていたので、慣れているのかもしれない。
「どなたでしょうか?」
扉を開いて出てきたのは、四十代ぐらいの女性神官だ。目つきがきつく、ハイミスの女秘書というイメージがする。
「ヴォルフだ」
「ヴォルフ……ほ、本当にヴォルフですか?」
ヴォルフの申告に女性神官は驚愕したように目を見開く。いやまあ確かに顔が焼けただれてたのがイケメンになって戻って来たんだから、驚くだろう。
「何か?」
「いえ……し、信じられないもので……」
「ああ! そうか、この顔か……こちらのリモーネ様に治して貰ったのだ」
ヴォルフの説明に、今度は目を見開いて女性神官がこちらを見てくる。まあ、『再生』はかなり高階位の神聖魔法だ。使い手が珍しいのかもしれない。
「少々、お待ち下さい」
女性神官は扉を閉じると、しばらくしてから再度扉を開いて戻って来た。面会の許可が出たとのことだ。俺達は司教の部屋へと案内される。
「ただいま戻りました」
「お主、ヴォルフか……」
司教は中年の男性で、背がかなり低かった。神経質そうだが、高い知性を感じさせる顔と、強い目つきが印象的だ。司教に相応しいという雰囲気はもっている。
しかし司教でも、ヴォルフの変わり様には魂消たらしい。彼のイケメンフェイスを、しげしげと見ている。
「いや、信じ難いものでな。許してくれ。ところで、こちらの女性は?」
「はっ、メガン教の神官であるリモーネ様です。こちらがメガン様が選びし、お方となります」
「リモーネでございます。お初にお目にかかります」
今度は俺に司教の視線がロックオンされる。まあ、いきなりこんな小娘がやって来て、聖女を名乗ったら疑わしいだろう。ヴォルフによれば、偽物が大量に出たようだし。
「お疑いでしょうか?」
「お主がそう言うならば、間違いはなのだろうが……いささかな」
「しかし、その証拠が目前にございますれば」
「……なるほど」
ヴォルフの傷一つ無い顔を見て、司教は納得したようだ。神官でも司祭でも、神聖魔法を使う際に信仰する神の力を感じとることができ、自分と同じ信者というのはすぐわかる。ヴォルフが私がメガンの信徒であると認定したのならば、疑う余地はあまり無い。その上、酷い火傷の古傷を治したとなれば、高位の神聖魔法の使い手であることも明白だ。
「セガーリなる者に辱められたと聞いたので、御身のことを心配していたのですが、どちらに居られたのでしょうか?」
「メガン様に守られている身ならば、あの程度の辱めなど、試練として耐えられますわ。子爵から逃げた後は、近隣の村が匿って下さいました」
「なるほど……メガン様の聖女に選ばれるだけあって、お強いですな」
別に辱められた記憶は無い。俺としては飯を食って、面倒なのでお暇したというだけだ。子爵も精気を吸われて、結構フラフラだったんで、そのまま居残っていたらややこしくなるしな。
「さて、本日は司教様にお願いがあって参りました」
「聖女様からのお願いでありますか、何でありましょう」
「まずは一つ、ヴォルフを私に預けて頂けはないでしょうか」
「ヴォルフを……」
司教は困った表情を浮かべる。そりゃそうだろう、ヴォルフはメガン教の闇に生きていた男だ。それを組織から出すというのは、秘密が漏れる可能性がある。
「ヴォルフはメガンの信徒でも相当な腕利きとのこと。私の身をここまでの旅で何度も守ってくれました」
「確かにヴォルフは戦士としての腕もあります。しかしながら、神殿でも相応の職についておりまして……」
「お話はうかがっております。ですが、私としては過去は問わないつもりですので」
「ふむ……口外はされないと」
「ええ」
暗にメガン神殿の暗部を晒したりはしないと匂わせる。多少は司教の態度が柔らかくなるのを感じた。
「それともう一つ、メガン様はそのお慈悲をもって、あまねく人々を救うよう求めております。ここキリアヘインでメガン様の威光を示せればと思います」
「……と申しますと?」
「こちらの神殿を借りて、傷病者の治療を無償で行いたいと思います」
司教の動きが止まる。わかっている、怪我人や病人の治療は神殿の大きな収入だからな。それを掻きまわすようなことを言われれば、誰だって嫌だろう。
「なるほど、リモーネ様の仰ることはわかります。ですが、神殿の方で誰も彼も無料で治療を行うと、寄進に影響が出て神殿の運営に支障が出ます。他の神殿との兼ね合いもありまして……」
「ええ、わかっております。ですので、これはどうでしょう」
俺は懐から金貨が詰まった袋を取り出す。司教の机に置くと、その重そうな音に司教は目を大きく見開く。
「私から大量に寄進させて頂きます。メガン様の慈悲をあまねく世界へと広げましょう」
司教は唖然として声も出ないようだ。まあ信仰心はあるが、お金や権力大好きな宗教トップだ。目の前に札束……もとい大量の金貨を並べられて、ノーとは言えないだろう。
「ほ、本当に寄進して頂けるのですか?」
「同じ信徒ではないですか。お手伝い頂けるならば、それぐらいお安いものです」
「わかりました。当神殿の全力でお手伝い致しましょう」
メガン教の司教は満面の笑みを浮かべて、金貨を机の引出しへと仕舞う。まあ、それだけの大金だから、わからなくはない。前世であれば、俺も大喜びだっただろう。だけど今は多少の時間さえあれば、オークという金の生る木で幾らでも稼げる。おまけに俺には娼館で豪遊するくらいしか金の使い道が無いのだ。
かつての上司が笑顔全開なのを、ヴォルフが酷く冷めた目つきで見ているのだけが気になった。更に幻滅しているかもしれない。




