百三十二日目~百三十三日目 トロール退治
「リモーネ様、そろそろ日が暮れます」
傾いた日をチラリと見て、ヴォルフが声をかけてくる。
あれからもう一つ村を回った俺達は、近くの宿場町へと向かっていた。病を癒したり、畑に豊穣の魔法をかけた俺達に対して、村人達は泊まっていくよう勧めてくれた。しかし、先を急ぐのを理由に俺たちは村を後にしていた。
「先の町には距離があります。夜間の移動は危険かと」
「今日はここまでですかね」
「それでは野宿の準備を……」
「ああ、準備しなくていいですわ」
「えっ!? ですが……」
俺のためにキャンプの準備に入るヴォルフを、俺は止める。
「ヴォルフ、少し抵抗しないで下さいね」
「は、はい」
ヴォルフの腕を取ると、俺は瞬間移動を発動させる。たちまち俺達は薄暗い大都市の裏路地へとテレポートアウトした。
「こ、ここは!?」
「コーナリア王国のザクセンですわ」
「ザクセン!」
ヴォルフは裏路地を抜けて、表通りに顔を出す。そしてすぐに戻ってきた。
「確かにザクセンのようです……遠くに見覚えのある建物が見えました」
未だに顔に驚愕が張り付いているが、ヴォルフはここが何処かを理解してくれた。どうやら、彼は以前この都市を訪れたことがあるようだ。
「凄い……これも聖女様のお力ですか?」
「残念ながら、産まれたときから、持って生まれた能力ですわ」
「しかし、何故ここに私は連れて来られたのでしょうか?」
「せっかくパーティーを結成したのです」
俺は神官のリモーネから、娼婦のリランダへと姿を変える。
「夕食は美味しいものでも食べましょう。評判のいいレストランを教えて貰っているから」
ヴォルフを連れて、俺はとあるレストランへと向かう。娼館の従業員であるソムルが以前、やたらと褒めていた店だ。俺自身は食べたことが無いが、何事もそつなくこなすソムルが言う店だから、外れということは無いだろう。何でもマルガー商会からも肉を卸しているらしい。
レストランは二階建てで、かなり広い作りの店だった。冒険者や労働者が多数集まっていて、中は凄い喧騒だ。酒も提供しているらしく、大きく騒いでいる集団もいる。
「お客さん、混んでるんで、適当に空いてる席を探して下さい」
「わかったわ」
忙しそうなウェイトレスは、料理の皿を幾つも持っており、手が離せないようだ。俺が先導して、ヴォルフと二階に向かう。比較的二階の方が静かだからだ。
空いている席に座ると、ウェイトレスを呼ぶ。お勧めのメニューを聞くと、鶏の料理が今日はいいというので、それとエールを頼む。この世界でレストランで食事するのは初めてだが、何とかスムーズにいったようだ。
「……よろしいのですか?」
「まあ、普通のお店だしね。大したことじゃないわ」
「ありがとうございます……ここまでして頂いて」
ヴォルフは律儀に頭を下げが、そこまで感謝されるほどじゃない。どんなに飲み食いしても、銀貨十枚分にもならないだろう。大衆居酒屋に来る感覚だ。
「それじゃ、乾杯」
「ありがとうございます」
エールが運ばれてきたら、一先ず乾杯する。エールはフルーティーな感じだが、生ぬるいのがいけてない。いや、この世界は冷たい飲み物なんて出て来ないが。その代わり、出てきた鶏の丸焼きはハーブが効いていて、なかなか美味かった。
「結構イケるわね。こういう美味しいものがあるのなら、たまには食事しようかしら」
「えっと、聖女様は食事はどうされているのですか?」
「この姿のときはリランダって呼んで。食事は精気を吸うから、こういうのを食べても嗜好品ね」
「では、人間と同じようには食べていないのですか?」
「そういうことよ」
ヴォルフはどうも俺がサキュバスというのを、理解しきれていないらしく、やたらと驚かれた。姿を変えたりしてるんだが、そこは何となく慣れているようだが……。
「普通の食事を取らないと、味気なくないですか?」
「まあ確かにね。でも胃が空っぽでお腹が空くという感覚は無いから」
精気不足のときは、お腹が減るという感じとは違うんだよな。幸いなことに飢餓感を覚えたのは、この世界に生まれてすぐのときだけだった。なので、人間の食事を取るという習慣はほぼ忘れている。
口には出さないが、人間の食事を取ると排泄物が出るのが面倒というのもある。トイレに行かなくて済むのならば、嗜好品を味わうより、メリットがあると感じてしまう。随分と人間離れしたな、俺も。
とりあえず食事をしながら、俺が考える今後の予定をヴォルフへと伝える。西への旅を考えていること、イエトフォス村と周囲の村はまだ継続サポートが必要なこと、ザクセンで娼館と剣術道場に通っていること、そしてその他の都市で引き続き冒険者をしていることを伝えた。
「リランダ様は娼婦もされているのですか?」
「食事するためにね。オークを喰うだけでは、得られない栄養があるから」
「ああ、なるほど」
ヴォルフは聖女様が売春しているのを受け入れ辛かったようだが、食事ということで納得したようだ。
「纏めると、西に旅を続けつつも、定期的に各村や都市へと戻りたいということですね」
「そういうことになるわ」
「病人を癒しつつも、オークの脅威と戦われていたとは……感服するばかりです」
冒険者として、オークを倒しまくっていることを、ヴォルフは高く評価してくれた。俺としては単なる金稼ぎなんだが……。
「しかし、それほどあちこちと瞬間移動で回られて、大丈夫なのですか?」
「今のところ、疲れたり、急に体力を持っていかれるようなことは無いけど。一度行った場所にしかいけないけれどね」
「それだけでも凄い能力ですよ。神に選ばれる方だけのことはあります」
「普通の信者で良かったのだけど」
ため息をつく俺に、ヴォルフは笑みをこぼす。いや、笑いごとじゃないぞ。何でメガン様は大騒ぎになるようなことをしてくれたんだ。
「わかりました。何処までお役に立てるかわかりませんが、お手伝いさせて頂きます」
「そんな畏まらなくていいわ。旅の道連れ程度に思って貰えばいいから」
「いえ、こんな栄誉なことに選ばれるなんて、夢みたいです!」
うーむ、汚職神官をヒーヒー言わせていた異端審問官とは思えないほど、純真な目で俺を見ている。俺のことを一欠けらも疑っていないかのようだ。
ヴォルフのいいところは、自分の信仰を他人に押し付けるところがない。狂信者はたとえ神の教えと違っていても、自分の考える教義が正しいと思っている奴が居る。そういうのは同じ神の信者でも、相手の教義の解釈が自分と違っていたりすると責めてくる。
たぶんヴォルフも自分の信じるメガン教に、前は凝り固まっていたのかもしれない。だが敵だと思っていた俺が、怪我を修復したことによって、自分の信じていた固定観念が吹っ飛んだようだ。それからは俺がサキュバスであったり、娼婦をしたりしていたとしても、頭からは否定せずに受け止めてくれているようだ。
自分を偽らず話をする相手としてはいいのだが、俺を捕えようとしていた異端審問官とは非常にギャップがある。毎日吠えていた近所の犬が、急にデレデレして愛想を振りまくようになったような違和感だ。だがまあ、それも徐々に慣れてくるだろう。
食事後に俺達はザクセンで宿を取って、休むこととした。俺自身は寝る必要がないが、ヴォルフは普通の人間なので休養が必須だ。今後は彼のことも考えねばならないだろう。
翌日、俺達はダルキス王国へと瞬間移動して、旅を再開した。そして宿場町であるヴォローチという町へと、午前中のうちに辿り着いた。ヴォローチというのは、セガーリ子爵が居住していた町らしい。俺はここまで連れて来られる前に、セガーリ子爵から逃げたので、この町に来たことはなかった。
「どういたしますか、リグランディア様。先を急ぎますか、それとも一泊しますか?」
「冒険者ギルドに行こう」
リモーネからリグランディアに姿を変えている俺は、ヴォルフに提案する。
「近くのイフォーツ湿原には、トロールがいっぱい居るらしい。初心者の冒険者としては、是非とも対峙して、経験を積みたい」
「初心者の冒険者というのは、トロールなんかは逃げるお相手かと思いますが……ですが、人に害を与えるトロール退治というのは、いいことかと思います」
ウキウキの俺に、ヴォルフはあっさりと同意してくれる。トロールが相手でも、ヴォルフは怯んだ様子を全く見せなかった。彼が達人だからだと思うが……もしかして、この世界のトロールって弱いのか?
ヴォルフは率先して冒険者ギルドを探してくれて、古い建物に入っているギルドを見つけてくれた。中に入ると、冒険者達の視線が突き刺さる。ギルドには幾つものテーブルと椅子があり、俺が思っている以上に冒険者達がたむろしていたのだ。
依頼が並んでいる掲示板をチェックしようかと思ったが、受付の前に誰も並んでいないので、ギルドの受付嬢を頼りにすることにしよう。三十代らしい美人の受付嬢へと声をかけることにした。
「すまない、トロール退治の依頼があると聞いてきたのだが」
「はい。緊急の案件はありませんが、常駐の依頼としてあります。トロール討伐の御経験はありますか?」
「いや、今回が初めてだ」
「初めてですか」
俺の言葉に受付嬢は眉を顰める。まあ未経験者だから、不安があるのだろう。それを見たヴォルフが、さっと声をかけてくれる。
「私は何度か対峙したことがあります」
「ああ、お連れ様が経験者なのですね。かしこまりました」
受付嬢は納得した表情だ。うむ、早速ヴォルフがこんなところで役に立つとは。異端審問官で意外と何でも屋みたいだし、経験豊富そうだな。
「場所は南西の湿地で、あちこちに居ます。一体あたり、銀貨八十枚です」
「少し安くないか?」
「申し訳ございません。これがこちらのギルドで出せる手一杯でして……村からの退治依頼があれば、もっと色がつくのですが」
受付嬢の挙げた数字は大分安いようだ。オークなんかより、よっぽど割がいいが、それだけ強いのか。
「討伐証明に牙をお持ち下さい。それで換金させて頂きます」
「わかった、すまないな」
大体必要な情報は聞けたなと思い、俺達二人はそそくさとギルドの建物を出る。どうも先ほどから、冒険者達の目を引いているらしく、落ち着かないということもあった。何であんなに俺達を見てくるんだ?
「どういたしましょうか? 冒険者の仕事としてはリスクの割には、報酬が少ないですが」
「まあ、報酬は二の次だ。トロールと戦うのが目的だしな」
俺は俄然やる気を出して、腕を振ったりして準備運動を行う。よし早速トロール退治だ。
町をすぐ出て、俺達二人は南東にあるという湿地帯へと向かう。すぐに見えてきたのは丈の高い草と、透明感が全くない沼だった。
「トロールより、ワニが出そうだな、これは」
「ワニも居るはずです」
「何と!」
「人を食べるほど巨大な種類ではないですが」
トロールが既に居るのに、人食いワニまで居たら、大変すぎる。ワニが小型で良かった。
俺が草を掻き分けて湿地に近づこうとしていたら、ヴォルフが何処からか取り出した松明に火をつけようとしていた。
「あれっ? もう夕方か?」
「トロール退治に火が必須なのです」
「そうなのか?」
「彼らは凄まじい回復力を持っています。どんな傷でもあっという間に治ってしまいます。これを回避するには、傷口を火や酸などで焼かないといけません」
へえ-、この世界のトロールって、そんな凄い力があるんだな。
「切れた腕から新しいトロールが生まれたりすることもあります」
「それは凄いな。プラナリアみたいだ」
「似たようなものですね」
この世界にもプラナリアが居るのか、例えがヴォルフにも通じた。しかし、トロールがそういう生物とは知らなかったな。
ヴォルフが魔法で松明に火をつけると、俺達はゆっくりと沼地を歩き始めた。俺はせっかくなので剣を抜くと、草を切りつけて進路を確保しながら動く。
「魔法の武器ならば傷が修復しないようですが、火の危険性を知っているので、松明は翳すだけでもトロールは嫌がります」
「そういう知識を私はほとんど持ってないからな。ヴォルフの知識は助かる」
「お役に立てて嬉しいですね」
「それでトロールっていうのは、人を襲って食ったりするのか?」
「オーガみたいに人食いではなく、雑食らしいです。ただ家畜を襲ったり、人を面白半分におもちゃにしたり、女を攫って慰みものにするので脅威ですね」
ヴォルフの言葉に俺の歩みが止まった。
「トロールは人間の女を捕まえて犯すのか?」
「ええ。トロールは人を使って自分達の子供を孕ませることも多いようです」
何だよ、この世界はエロ同人誌みたいにエクストリームにバイオレンスだな、おい。オーガも女を捕まえてエロ同人誌みたいなことをして、オークもエロ同人誌みたいなことをする、おまけにトロールまでもかよ。だが、そうなると……。
急に黙り込んだ俺に気を使ったのか、ヴォルフが口を噤む。俺達は静かに沼地の縁を移動し続けた。
「あれがトロールか?」
歩いて三十分ほどで、草を倒して寝ている亜人が見えた。身長が二メートルを超えており、肌は灰色なので明らかに人間ではない。服は粗末な腰布だけを身につけており、傍には棍棒が置いてある。
「ええ、トロールです」
「なるほど……少し試してみたい。最初は手助けせずに、見守っていてくれないか」
剣を鞘に戻してしまった俺に、ヴォルフは驚く。
「しかし……わかりました。相手は魔法が効くことを忘れないで下さい。メガン様の魔法には攻撃魔法は少ないですが、少なくとも武器にエンチャントをかければ、効果を発揮しますので」
「なるほど、参考になる。ありがとう」
だが、とりあえずは魔法無しでいってみるか。オーク相手でも、折角覚えた魔法をぶつけるのも殴るのも、あまり大差無かったしな。
俺は軽く跳躍し、かなり高く舞い上がると、トロール目がけて舞い降りた。
「とうりゃあ!」
寝ていたトロールは起きる暇も無く、俺のストンピングを食らう。片足がトロールの首を直撃し、はっきりと頸骨をへし折った感触が伝わる。オークやオーガならば、確実に今の一撃で死んでいるはずだ。
「やったか?」
やってないことを期待しながら、お約束の台詞を吐くと、俺は少しトロールと距離を取る。トロールはいきなり頸骨を折られた衝撃に目を剥いていたが、しばらく待っていると首の角度が修復していく。
「に、にんげんか?」
「そうだ。トロールを退治しにきた」
「なまいきだ」
首をゴキリと鳴らすと、トロールがゆっくりと立ち上がる。おお、ちょっとなんか強そう。さて、どのくらい強いのか……。
「にんげんのめす、おかしてやる」
「出来るのならばな」
トロールは俺の身体を捕まえようと、両手を広げて迫ってくる。ここは力比べするべきだろう。俺は馬鹿でかいトロールに対して、手と手を組んで、力比べの体勢に持ち込む。
「リグランディア様!」
「大丈夫、任せろ!」
ヴォルフが焦った声を出すが、俺は余裕を見せて応える。残念ながら、トロールはオーガほどの馬力は無いようだ。力比べをしているが、オーガより容易く腕を捻ることが出来た。
「ぐひゃあああああ」
トロールの腕関節が逆に曲がり、絶叫をあげる。しかし俺が見ている間にも腕の傷は治っていく。凄いもんだな、トロールって種族は。確かにオーガより力は弱いが、こんなのに襲われたら、人間はひとたまりもないだろう。
「ヴォルフ、トロールの傷の回復って際限はあるのか?」
「いや、聞いたことはないですが……」
「なるほど……ちょっと試したいことができた。ヴォルフ、先に街に帰ってくれないか」
「ええっ!?」
俺の頼みが思いがけなかったのか、ヴォルフは唖然としている。まあ、危ない巨人と二人っきりにしてくれっていうのは、訳がわからんだろうな。
ヴォルフと話している間にもトロールが治った腕で掴みかかってくる。会話を邪魔されたくなかったので、反射的にジャンピングアッパーで迎撃する。顎の骨を砕く、何とも痛そうな感触が伝わってきた。
「だ、大丈夫そうですが……リグランディア様の身に何かあっては」
「いざとなったら瞬間移動で、町に戻るさ」
「そ、それならば……」
ヴォルフはわざわざ松明を地面に刺して、残していってくれた。うん、心配かけてすまないな。でもまあ、俺の食事は見ていて楽しいものじゃないだろう。
「さてと、その回復力がどれくらいのものか、見させて貰おう。人とエッチできるなら、サキュバスでも構わないだろう?」
俺はリョウに姿を変えて、再び立ち上がったトロールに笑いかける。特に意味は無い、雰囲気というやつだ。だがトロールは俺の姿を見て、かなりビビっている。
すまないが、これも生きるためだ。
「いや、トロールは凄いな。オーク三十匹分だった」
「は、はぁ……」
町の門で待っていてくれたヴォルフに、俺は再びリグランディアの姿で合流していた。三十分ほどかかったが、得られたエネルギーは非常に満足がいく量だった。
オーク同様に性欲旺盛なのだが、内包しているエネルギーがどんどん回復するのだ。無限機関を得たかもしれないと期待したのだが、さすがに種族特性の回復にも上限があった。精気を遠慮なく貪っていたら、最後はミイラになってしまった。
「ここで、どんどんトロール退治したい」
「普通、トロールは一人では狩れるものではないのですが……」
「相性がいいんだろう」
これはしばらくここに通って、エネルギーを吸いまくるしかないだろう。




