百三十二日目 異端審問官
本日二回目の更新
キャラバンを無事送り出して、ホッとしたのも束の間だった。所持金が心もとなくなってきた。
正直に言えば金なんかなくても生きていけるのだが、今回のキャラバンやアラース王国でのオークへの賞金など、あればあったで人助けに役に立つ。いざ何かあった際にお金があればと歯噛みするよりは、少しは貯めておいた方が良いであろう。俺は金を稼ぐローテーションを組むことに決めた。
午前中はザクセンの剣術道場、昼は大森林でオーク狩り、夕方は娼館に通い、深夜から朝まで再びオークを狩る。剣術道場で修行する以外は、社畜のようなローテーションだ。だが娼館での仕事は食事のようなものであるし、オーク相手でも食事した後に退治も出来る。オークに跨って精気を吸いながら、食ってばかりだなと俺は感想を得ていた。
しかしオークは本当に多い。世界の背びれから続々と西へと向かってきている。あの広大な山脈で何が起こっているのだろうか。一度、詳細に調べなければ……。
深夜の時間帯を存分に利用してオークから精を搾ったり、首の骨をへし折って収集している毎日を過ごすうちに、やがて持ち金も余裕が出てきた。ザクセンにある肉の卸業者、マルガー商会はどんなに大量にオーク肉を持ち込んでも、全て引き取ってくれるのだ。流通が滞り気味なので、オーク肉は大歓迎だそうだ。それにザクセンは大都市なんで、数百程度の肉はその日のうちに消費するとか。
マルガー商会は、どんなに肉を持ち込んでも、出所を聞かれないのもいい。バッグから流れ作業でオークの死体を並べる作業を行っても、会長のマルガーも店員も何も聞かない。よく教育が出来ている。店員はめちゃくちゃ何か聞きたそうな顔をしているときもあるが、声をかけてこないというのは凄い。
そういえば一部のオーク肉は道場、娼館、そしてイエトフォスや近隣の村にも流しているが、そちらからも出所は聞かれたことはないな。バッグからほいほい肉を出してると、凄い興味はあるが、うっかりオークの出所を聞いて二度と貰えなくなるのはまずいと思っているようだ。童話の鶴の恩返しみたいに、秘密を守らないといけないと感じているようだが……俺は童話の登場人物じゃないぞ。
さて、お金も貯まり、ザクセンでの景気浮揚も目途がついたので旅を続けたかったのだが……そうも上手くいかなかった。
イエトフォス村は救われたが、領主の重税と労役に伴う生活苦は深い爪痕を残した。イエトフォスから周囲の村々の困窮は続き、多くの助けを必要としている。
おまけにメガン様とそれに連なる神々による神託の余波があった。俺が居ない間に、神から子爵が誓いを破ったとの神託があったらしく捕まった。更には神が選びし聖女が現れたとのことで、多数の宗教関係者がこの地方に集まっていた。
神の神官が来ているのなら、村を助けてくれと思うのだが、お金と引き換えにしか動かないらしい。ただ数が多いと隠れ蓑に使えるので、俺は「まあ、ここが聖女様が降臨した場所なのね」などと言いながら、他国から来た神官を装って紛れていた。
イエトフォス村の近隣を回り、こっそりと豊穣の魔法で畑の土壌を改良したり、治癒や病気回復で困った人を治し、オークの肉をふるまう。神聖魔法の腕を上げるためなので、俺は喜んで作業を続けた。旅の再開が出来ないのは惜しいが、困っている人は見捨てられない。他のメガン神信徒達に見つかると困るので、空いた時間を見て、こっそりと助けて回った。問題がある村の情報はフィフィが集めてくれているから俺は回るだけでいいので、非常に楽だ。
「聖女を騙っているというのは、貴女でしょうか?」
そんなある日、村から村へと移動している俺はいきなり声をかけられた。白いローブを深く被った男で、胸の聖印を見るとメガン神の神官のようだ。声から推測すると、まだ若いのだろう。
「いいえ。私は聖女と自分から名乗ったことはありませんが」
「ですが、村の方達はそう呼んでいたようですが?」
男の言葉に顔を顰めそうになる。領主に連れていかれる前に、各村から来た人間はリモーネの顔を知っている。その人達が俺を聖女と呼んで、各村ではリモーネの噂が広まっているらしい。他の宗教関係者にバレると困るので、聖女と呼ぶのを止めて、俺が無傷でピンピンしているのは内緒にしてくれと頼んでいるのだが……。せっかく、聖女はメガン様のところに連れて行かれたとの話が広まっているのに。
「それは村の方が勘違いしているのでしょう。失礼します」
「そうはいかない。貴女には詐欺の嫌疑がある」
「私が村人を騙して、お金を巻き上げていると? そんなことはしていませんわ」
「だが神殿が定めた代金も収納して、寄付しておられない。それはそれで問題だ」
くそっ、しくじった。各地方の神殿で、定められた額を寄付として受け取り、それを対価に神聖魔法は与えられている。勝手にモグりで無料で奇跡を行っている俺は、破戒僧というわけだ。
「セガーリ子爵の圧政によって荒廃した村への、臨時の救済措置ですわ。ひとたび復興すれば、きちんと対価は神殿に納められるでしょう」
「なるほど、理に叶っている」
俺の言い訳に、男はフードの奥で深く頷く。
「だが聖女様と同一視されるのは大いに問題だ。悪いが来て貰う」
「むっ!? どのような権利で私を拘束されるのですか!?」
「私は異端審問官だ」
異端審問官だと!? よもや慈悲の神であるメガン様に、そんな危ない奴が居たとは知らなかった。だって拷問して弾劾するような職と、慈悲の神との接点が見つからない。
ギョッとしている俺の腕を、男は掴もうとする。男の素早い動きに、俺は咄嗟に跳躍すると5メートルほど距離を置く。
「その動き……並の人間ではありませんね」
「メガン様のご加護ですわ」
つい反応して跳んでしまったが、これでは不信感が募るだろう。普通の人は一回の跳躍で、こんなに大きく跳ばないからだ。だが異端審問官の動きは隙がなく、俺の本能が警告を発している。
「これは否が応でも正体を突き止めなくては……お前、正体は何者だ!?」
男の袖口がはためいたと思った瞬間、銀色の鈍い光が見えた。咄嗟に横に跳んだ俺は、すぐさまその正体が鎖だと気付く。先端に刃物がついた鎖を投げたらしい。
「うぐっ」
大幅に横にジャンプして回避したにも関わらず、俺の腹に鋭い痛みが走った。服を裂いて、刃先が肌を斬っていたのだ。傷は即座に修復されるが、貯めているエネルギーが使われてしまう。
「お待ちください! 貴方と戦う謂れは無いはず」
「ならば大人しく私について来るか?」
「ぐ……それは……承服できません」
「ならだめだ。手足の2、3本は折ってでもついてきて貰うぞ」
ダメだ、口で説明しても納得してくれないようだ。瞬間移動で逃げるという選択肢も頭に浮かぶが、人外なのがバレるのを考えると、人前では使いたくない。
俺が逃げるのを躊躇していると、全身の肌が総毛立つような感覚が俺を襲う。直後に男の手から再度刃物が飛んでくる。先ほどは躱しきれなかったので、力を込めてより大きく横へと跳ぶ。
「甘いな」
鎖つきの刃物が俺の横を通り過ぎて行ったと思ったら、男は鎖を掴む。鎖は縦の動きから横の動きに変化して、俺へと襲い掛かる。
「危な……」
俺は刃物を回避するために、地を蹴って無理やり空中へと退避する。男が鎖付き武器をX軸からY軸に変化させ、それに対応して俺がZ軸に逃げたような形だ。
「動きが人間離れしている!」
「そ、そんなことはありません!」
俺が着地する前に、男の空いている手の方から、更なる鎖武器が飛んできた。その反応速度、そっちの方が人間離れしてるだろうに。
鎖の先は刃物ではなく分銅だった。分銅は直線的に俺へと飛んで来ず、横から叩きつけられるような形で向かってくる。咄嗟に腕で受けたところ、銀の鎖は二の腕に絡みついた。
「よし、捕まえ……ぬおお」
異端審問官は俺の腕に絡まった鎖を引こうとしたが、逆に俺が鎖を引くとバランスを崩す。か弱く見えるが、力の出力では自慢じゃないがオーガにも俺は勝つ。
「な、何だこの力は……ちっ!」
思いっきり鎖を引くと、バランスを崩す前に男は鎖を手放した。たわんだ鎖に危うく俺が倒れそうになる。
「本当に何者なのだお前は……」
「ただのメガンの使徒ですわ。聖女などではありません」
「人間でもなさそうだな……」
「………」
「まあいい。人間でないのはどちらも同じだ」
男は被っていたフードを外す。その下から出てきた顔を見て、俺は思わずギョッとした。顔の上半分が肉の塊で覆われていたからだ。頭髪や眉毛はなく、醜くケロイド状になった肌が盛り上がっている。目もそれに覆われているが、辛うじて右目だけが細い穴から覗いている。
「事故ですか?」
「火事の際に負った傷だ。本来ならば助からなかったのだが、メガン様のご慈悲で命を繋いでいる」
「なるほど」
「なので我が神を冒涜する存在は許さない……貴様の正体、見極めさせて貰うぞ」
異相の男は、刃物付きの鎖を手元でクルクルと回し始める。変わった武器だが、尋常ではない速さで飛んでくる。多分だが、ヤリック師匠と同じ達人だろう。
逃げる算段が頭を過ぎるが、男の姿を見ていて考えが変わった。この恐ろしく強い異端審問官に勝つ活路が見えた。
「……何をやる気だ」
俺の考えを読んだかのように、異端審問官が警戒する。流石は達人と言うべきか、呼吸や動きから俺の心情まで読んでいるのだろう。
だが既に覚悟は決めている。俺は神聖魔法の準備を行うと、一直線に相手へと駆け出した。即座に刃物のついた鎖が飛んでくる。
「玉砕覚悟か!?」
一直線に飛んでくる鎖だが、俺は防御を一切考えず、ひたすら前へと突き進んだ。
「ぐふっ!」
俺の腹部に衝撃が走ったと思ったと同時に、背中にも激しい衝撃が加わった。鎖が俺の身体を貫いたのだろう。痛みというより、熱い衝撃が走る。だが俺は足を緩めない。
「このっ!」
一気に間合いが詰まると、男はナイフを懐から抜く。やはり鎖武器だけではなかったか。俺の手が男の顔へと伸びると、ナイフでそれを防ごうとする。
「うっ!」
ナイフが手を切り裂き、大きな裂傷が出来る。だが俺は手を伸ばし続け、やがて手が相手の顔を掴んだ。即座に神聖魔法が発動する。
「な、何をした!?」
男の顔が魔法によって光り輝き、彼はよろめく。手と腹に深い傷を貰った俺は、相手の横をすり抜けると、倒れてゴロゴロと地面に転がった。
「あ、あ、ああ……」
ケロイド状に膨らんだ肌が凹み、正常な肌が作られていく。肉で塞がっていた瞼が再生し、失われた片目の眼球が再び作られていく。そして正常になった肌から毛が伸び始める……黒いんだなこいつの毛は。
「な、何をした……いや、されたんですか!?」
「大ケガで大変だったでしょう。お節介ですが、治させて頂きました」
自分の怪我を無視して、俺は呆然としている相手に伝える。
こいつにかけた魔法は再生だ。再生は欠損部分を治せる魔法だが、たぶん治癒してしまった部分には効き辛いのかもしれない。なので、今まで修復できずに、彼は醜い姿だったのだろう。
だが俺はメガン様に祈って、相手の遺伝子情報を読み取って、それに合わせて再生するよう祈った。かなりのエネルギーを失ったが、思惑通りに本来正常であるべき姿に彼は再生された。本来ならば毛はすぐに生えないのだが、そこはメガン様のおまけだろう。
「今の魔法は確かにメガン様の奇跡! こ、こんなことが……」
男は自分の顔などをペタペタと触り、回復した感触を確かめているようだ。しかし何と言うか、怜悧なイメージだが、こいつの本来の顔っていうのはイケメンだな。非常に整っており、ハンサムだ。
「も、申し訳ありません、貴女はやはりメガン様がお選びになった聖女様だったのですね!」
「いや、ですから聖女では……まあ、それより」
「はい!」
「これ、抜いて頂けますか……かなりダメージが酷いので」
「ああっ!」
俺の腹に刺さった鎖を、男は慌てて抜く。腕の裂傷は既に治しており、腹の傷も鎖が抜けた時点であっという間に塞がった。
「凄い……これもまた神の奇跡なのでしょうか?」
俺の回復力に、異端審問官は驚いているが、単純にサキュバスの回復力だ。傷はあっという間に塞がるが、凄まじいエネルギーを持って行かれた。オーク六十人分から絞って奪った精気と同等の量が吹っ飛んだ。俺はエネルギーがある限り不滅のようだが、ダメージを受けると後生大事に貯め込んだエネルギーをごっそり持って行かれてしまう。
「あまりお気になさらないようにして下さい」
「は、はい。しかしとんだご無礼を……私は貴女を捕まえようとしたのに、この醜い顔を治して頂けるなんて」
ぬおっ、めっちゃポロポロ涙を流しながら、男は土下座してきた。凄いクールなイケメンが泣いた顔とか、凄まじい衝撃だ。
「お待ち下さい。どうぞお顔をお上げ下さい」
「しかし、私はとんだ不敬を……」
「いや、貴方様の推測通り、私は胡乱な者ですし」
「はっ?」
俺が笑顔全開のスマイルを見せると、男はポカンとした表情で俺を見上げた。
「サキュバスのメガン様の使徒ですか?」
「使徒かどうかはわかりませんが、信者であることは確かです」
俺は男に自分の正体を明かしていた。奈落でなく、この地で生まれたサキュバスということ、普段は冒険者などをしていること、そして最近メガン様と繋がり信徒になって第八階位の魔法まで使えること。
そういえば、今回は俺の正体を珍しく明かしてしまった。ジ・ロース先輩は俺の姿を看破したから教えたが、自発的に教えたのは初めてかもしれない。多分、この異端審問官がかなりの使い手なのと、同じメガン教徒ということで、安心感があるからだろう。俺の正体を吐けと脅されても、容易には明かさないはずだ。
「名前を名乗っていなかったわね、サキュバスのリョウよ。神官の姿である際はリモーネと名乗っているわ」
俺がリモーネの姿からリョウに切り替えると、男は更に驚いたという表情を見せていた。まあ普通はサキュバスが善神の信者なんかにはならないからだろう。
「異端審問官をしているヴォルフです、聖女様」
「だから聖女じゃないって」
「いえ、大体のことが掴めましたので。貴女が聖女です」
ヴォルフの話によると、メガン様は自分の選びし者がセガーリ子爵によって、無体な目に合ったとの神託を自分と子供を通じて伝えていた。聖者や聖女の称号は民衆や神殿勢力によって贈られることもあるが、神が選びし者は使徒として、間違いなく聖者や聖女ということに認定されるらしい。
「……メガン様もこんな木っ端サキュバスを選ばなくても」
「いえ、リョウ様が村々に与えた祝福を聞く限り、メガン様が選んだのは必然かと」
「サキュバスなのに?」
「私の目が曇っておりました。種族などの垣根は無く、慈悲の心があるかどうかが大事なのです」
むう、確かにヴォルフの言うことは確かにメガン様の御心に適っている。しかし、俺を見るヴォルフの目が……何だかスーパーアイドルを見るようにキラキラなんだが。
「さて、どうするかしら。誤解が解けたのならば、異端審問に出るのもやぶさかではないけれど」
「とんでもない。こちらの大きなミスで聖女様の行動を妨げるなど、おこがましいです。元々は聖女様を騙る不埒者を捕まえていたのであって、本物の聖女様を神殿の都合で縛るなどとんでもないことです」
「そう? それでは私は行くけど……」
俺は再びリョウからリモーネへと姿を変える。まだ先の村に豊穣の神聖魔法をかけにいかなければいけないのだ。
「ヴォルフさんはどうされますか?」
「ヴォルフで構いません」
「それでは敬称を今後も略ささせて頂きますわ。私のこともリモーネやリョウなどと、普通に……」
「いいえ、貴女様は聖女様です!」
「……じゃあ、せめてリモーネに様をつける形でお願いします」
「わかりました」
うーむ、頑固だ。まあ、これぐらい頭が固くないと、異端審問などやってられないだろう。
「それではリモーネ様、お願いがあります! どうか、旅の供に私を連れて行ってくれないでしょうか?」
んんっ!? いきなりどういうこと?
俺の混乱をよそに頭の中で、『ヴォルフが仲間になった』というメッセージと共にファンファーレが鳴り響いた錯覚がした。




